一〇、鋭敏なる探偵經路の説明
……怪屋の怪事件は終りを告げた
緒方緒太郎氏は語り
出す。
緒「和田君、僕は今囘の事件で益々僕の所信を確實にした事があるね、證據の充分に擧がつて居ない探偵ほど危險なものはないと云ふ事をさ。僕は初め乞食の居ると云ふ事や、「斑の紐」と叫んだ姉の
語など、それに死ぬ時にマツチを持つてゐたといふ事とを綜合して考へた時には實際僕も、何物かが姉を
威嚇したんだらうと思ひ込んだ。併し僕が
彼の
家をして、窓からは
如何しても危害を加へることが出來ぬと悟つた時に、僕は今迄の見解に執着せずに早速
他の原因を搜しにかゝつた。其點だけは僕の
頭腦に對して賞讃して貰つても
宜いと思ふね。」
緒「それから、あの室内で
通風穴と其の上から取附けられた紐とに僕は直ぐに注意をした。其次には移動の出來ぬやうに一定の場所に打着けてある
寢臺を見た時に、アヽこれは此の通風穴から忍ばして何物かを此の紐に傳はらして
此方の
寢臺に送る
計劃だなと想像することが出來た。すると
直樣「蛇」と云ふことが胸に浮んだ。猶ほ信武氏が南洋産の動物を可愛がつてワザ/\南洋から取り寄せたと云ふ事を思ひ出して僕の想像の確實であることが決つたんだ。醫師が檢査しても知れぬと云ふのも無理はない。あんな蛇の齒の跡が容易に知れるものぢやない。
他人に分らず、
而も
僅に數分間に立ち所に其効力の
顯はれる毒殺法を考へ出したのは流石に專門の智識のある彼の
行爲として感服の他はない。
而してあんな巧妙な仕掛は餘程機敏な警察官でなけりや發見し
得るものぢやない。それに例の口笛だ。兎に角次の
室に蛇を忍び込ましても其目的を達しないとなると
夜の明けないうちに自分の
室へ蛇を呼び戻す必要がある。つまり信武先生はあの口笛で呼び戻す事に蛇を馴らしたものに違いない。あの金庫の上の牛乳は口笛によつて蛇が歸つた時呑ましたものに違ひない。」
緒「僕は高見澤信武の
室へ入らない前から大抵は想像してゐたが
愈々あの室へ入つて椅子を檢査し、椅子の上に始終人の立上つた跡のあるのを見て、
通風穴に届くには
如何しても
左樣しなければならぬ筈だと思つた。それから金庫や牛乳の器物、先端の
穽になつた紐附の犬鞭などを見た時に僕は最う何等の疑ひを挾む餘地も無いまでに「蛇だ」といふ事を推定した。あの金屬の
響のしたといふのは、
老爺さん
彼の危險極まる
毒蛇を金庫に納めて慌てゝ蓋を閉める時に發した音に違ひないお思つた。」
緒「何? 何だつて、夫れなら何故僕があの
闇黒で紐をステツキで打つたと云ふのか、アヽ君には知れなかつたのかなア。僕はあの時蛇のシユウ、シユウと云ふ鳴聲を聞いて、
扨ては愈々蛇が僕の寢て居る寢臺を襲ひに來るなと思つたからさ。老爺さん僕等が
彼の
室に居るとは知らず、全く
蓮子孃が寢て居るとばつかり思ひ込んで、愈々今夜こそは殺して
仕舞[#ルビの「しまを」は底本では「しをま」]ふと、蛇をよこしたに違ひないのさ。」
和「成程。緒方くんそれで
悉皆分つた。あのシユツ/\と言つたのは、僕は
藥罐の口から湯が煮え立つ音かと思つて居た。併し蛇は
如何して元の
室へ歸つたらう。」
緒「そりや君。僕が紐を打つたので
毒蛇先生驚いて、今まで
馴された通り紐を渡つて自分の
室へ歸り、
其所に居合せた信武氏を日頃飼はれて居る恩人とも何とも思はず、つまり毒蛇特有の性質を發揮して無茶苦茶に噛みついたもんさ。こゝに於てか高見澤信武を
殪した責任が間接には吾輩の上にもあるかも知れないさ。併し僕は良心に訊ねて何等
耻づる所も
咎むる所もないさ。要するに汝に出づるものは汝に歸るさ、いや惡い事は出來ぬものだ、天の配劑も
亦妙なる
哉さ。ハハハヽヽヽヽ。」
探偵王緒方理學士は斯う語り終はつて
卷煙草の
烟をゆるく吐きながら、窓の外に消えて
行く沿道の景色をしげ/″\と見るのであつた。
※[#「さんずい+氣」、第4水準2-79-6]車は最早品川を出て東京の
街上を通つてゐる。
軈て中央停車場へ
到着のも今數分間の
後であらう。
私は昨日からかけて一晝夜の間の此の冐險的探偵怪談を思ひ出すと、過ぎ去つた今となつても、
身慄ひの出るやうな
[#「身慄ひの出るやうな」は底本では「身慓ひの出るやうな」]恐ろしさに打たれずには
居られない。あの地獄の責苦を思ひ出させるやうな物凄い高見澤信武氏の深刻な苦悶の形相と、あの胡摩鹽のいが栗頭に堅く堅く卷き附いた斑の紐が、ニヨツキリと鎌首を擡げ、入つて行つた私達二人の顏を眺めて細い鋭い針のような舌をペロツ/\と出して居た南洋産の
毒蛇の事を思ひ出すと、其時の光景がマザ/\と
眼前にチラついて身の毛もよだち
冷水を
浴せられたやうな思ひがするのである。
而も緒方氏が例の鞭の
先きの紐の輪に蛇の首を引きかけて、巧みに金庫の中に入れた早技には返す/″\も感服するの他はない。
思ふに高見澤氏は、隣室でマツチの音がすると同時に、ステツキで紐を打つた音を異樣に思ひ、立ち上がつた瞬間に毒蛇が歸つたけれども、私達の
室の物音に氣を奪はれ、
毒蛇の首に紐輪を掛けることが手遲れた爲に、あの樣な無慘な事になつたのであらう。返へす/″\も惡い事は出來ぬものである。
これで此の話は先づ終りを告げたから。引き續いて、「
穴中の慘死體」といふ非常に面白いのを一つ御まけに諸君にお話したいから次に掲げることゝする。