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 白髮鬼
 黒岩涙香
 

        六二

 しもの侯爵も「短銃ぴすとる」と云ふ余の決心をあやぶむ如く「全く夫で好いのですか」と問ひたれど余が斷乎として動かぬを見て、さては腕に覺えの有る事ならんと漸く安心せし者にや「では夫と定めませう」と云ひ、更に又「爾して場所は此市このまち背後うしろに在る丘の上の平地と仕ませう、丁度羅馬内家の裏手十町ほどの所に當りますが、彼所あそこならば極靜ごくしづかで妨ぐる人も無く落附て戰はれますから」さては余が家の墓窖に接したる場所を撰みし者なり。余が復讐の初まりしもの地、行ふも彼の地なれば余は充分滿足し、余は無言にて點頭うなづくに、
すれば、是れで大略あらましは定りました、時間は明朝の六時で、場所はは丘の上、武器は短銃と唯だきまらぬは貴方と花里氏の立つ距離ですが、是はむかうの介添人が來るのを待ち双方の協議を以て定ます」余は勿論異存無ければ有難げに其手を握り締しが、此の間殘る來客は興醒きようさめて見えたれば余は此等一同に打向ひ「皆樣、今夜の宴會は遺憾ながら寧ろ不愉快に終る事と爲りました會主たる私しの身に取りては誠に申譯無まをしわけな不行屆ふゆきとどきです。幾重にも皆樣に謝罪を申さねば成ません、しかし私しが皆樣をお招き申すは決して是が終りでは無く、此後こののちとても充分其場合が有る事と信じます、萬一明朝の決鬪に私しがまけを取り再びお目に掛らずに此世を去る事とも成らば、其時こそは今夜の皆樣の御厚意を冥途の底までも覺えて行きます、又幸ひにして、生殘れば先刻披露致しました那稻夫人と婚禮するも遠き事では有ませぬ故、其節こそは充分の盛宴せいえんを張り、今宵の樣な不祥を見ずに皆樣共に歡を盡し今宵の不出來を償う事に致しませう、最早や決鬪するに極りし以上は諸君の面前をはばかります故、御免蒙ごめんかうむりて私しは此席を退しりぞきます、諸君おさらば」と一禮して退かんとするに一同は立來りて再び余を取圍みつ我先にと余の手を取り、今夜の宴はし不詳に終りしとするも、決して主人の厚意を疑はずと、云ひて益々此ののちの交情を温めんと誓ひ、かはる/″\余を慰めたり。
 余は漸くにして是等の挨拶を終り、二階なる余の室にりホツと息して身を引伸すに、此時來客の二にん或は三人づゝ歸り行く聲も聞え、余の介添人たる侯爵と大佐とが別室より給仕を呼び熱き珈琲かうひを云附る聲も聞ゆ、又暫くにして給仕等は彼の宴席に食殘くひのこる肴などを片附ると覺しく皿小鉢の音も彼等が今宵の椿事を噂さする聲と共に聞ゆるにぞ、余は痛く人々を驚かせしもの哉と思ふに連れ、又思ひいづるは先刻卓子ていぶるを圍みたる主客の數なり、十三人坐るうちには必ず一にん反者はんしやあり命を失ふに至るとの言傳へ、恐ろしき程當りし者なり、命を失う一にんとは余の事なるやた魏堂の事なるや、將た確かに魏堂の事なるを知る、若し決鬪にはいを取り明日殺さるゝ人ならば世に云ふ蟲の知らせにて心に必ず穩かならぬ所ある可きに、左は無くして余の心は月照つきてら寧府灣ねいぷるわんの水よりもたひらかにして冷然と落着きたり、神經を騷がす如きこと更に無く、唯だ復讐の意の如く運び行く愉快を知るのみ、アヽ彼れ花里魏堂昔し余を苦めたる通りに今は余に苦められ、余が怒りし通りに怒り、余が彼れに那稻をぬすみ取られし通りに其那稻を余に奪はれ、余が欺かれし通りに欺かる、察するに彼れの心は今まさに云ふに云はれぬ苦惱のうちにあり、一刻一刻生延るに從ひて其苦惱益々重り行く者なる可し、明朝余が彼れを殺すは其重り行く苦惱をとゞめ彼れを救ふにひとしき者なり、本來云へば何時いつまでも彼を其苦みの中にいかせ置き自ら藻掻き死ぬるまで待つ可きなれど、余は最早や彼れを殺し彼を苦も知らず樂も知らぬ暗黒界へ投入なげいるる丈にて勘辯してなり、誰も余の復讐を輕過ぎるとは云はぬならん。
 斯く獨り考へて、獨りうなづくうち夜は早や二時を過たれば是より余はかたばかりの遺言をしたゝめ、余が一切の財物ざいぶつを從僕瓶藏の忠實にめんじ彼れに送る者なりとの意を記し、漸く筆を置きし所へ、足音靜かに入來いりきたる一にんあり是なんくだんの瓶藏にして、先刻余が魏堂の後にけ遣りし其の使ひを果し得て歸りたる者と知らる。
 余はかうべを擧げて彼れを迎へ「オヽかへつたか瓶藏、花里魏堂は何うした」と問ふ、日頃物に騷がざる瓶藏なれど今夜ばかりは自ら制しかねる如く「本統に大變ですよ」と力を込めて云出いひいづる。
「大變とは何が。」
「イエ花里さんの立腹方りつぷくかたが、く先ア氣が違はずに濟だと思ひます、明朝あたりは事にると氣違ひに成て居るかも知れません。」
「能く夫まで見屆けた、ドレ彼れが茲を出てから何うしたか、今は又どうして居るか詳しく聞かせ」と迫立せきたつる余が言葉に從ひて彼れが説き出す所如何ならん。


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