白髮鬼
黒岩涙香
一二
余は殆ど我が眼を疑ふばかりなりしも忽ちにして思ひ返せり、否々々、彼の花決して那稻が自ら折たる者に非ず、那稻は彼の花を命よりも大事なりと云居たるに、何ぞ自ら折る事あらんや、今那稻の手許には惡戯盛りの娘あり、母の泣頽れたる暇を窺ひ、頑是も無く植木鉢の許に馳せ行き折取りたる者なる可し、即ち那稻の仕業にあらで全く娘星子の所爲なり、既に折離したる物を其儘捨るは勿體なしと止む無く魏堂に贈しか、或は又捨たるを魏堂自ら拾ひ上て自分の胸に挿したるならん斯も明白の筋道あるに※[#「研のつくり」、第3水準1-84-17]を知らずして疑ひしは我ながら耻しゝと、自ら道理を附直せば魏堂の振舞に少しも怪む可き所なし。
彼れが嬉しげなる顏附なりしも、反返りて歩みたるも、何の咎むる事か有んや、彼れは餘りに余の死せしを悲みて心の欝々と沈し爲め自ら氣を引立んとて散歩に來たる者なる可し、身構へまでも陰氣にしては心の引立つ機み無きゆゑ、故と愉快らしく構へしのみ、上部に泣くは眞に泣く者に非ず、上部の喜び豈に誠の喜びならんや、却て心に泣よりも猶ほ辛きを見る可し、アヽ魏堂よ、汝は猶ほ余が眞の友人なり。待てよ待て、今夜は行きて汝が上部の喜びを心底の喜びと仕て得させん、余が妻那稻と共に待て、余は汝と那稻とが悲み極まりて言葉も無き其所に歸り行き、汝と那稻が天地に喜ぶ其顏を見度きなり、此外に願ひはなし。
斯て余は快く食事を終り、拂を濟せて此店を立出しが、扨て日の暮るまで孰れに隱れん、穴の中の一夜も甚だ長りしが、穴を出ての一日も亦誠に短からず、先づ湯に入りて汗を流し、身體をも清くして歸り行くが妻孝行の一端ならんかと、成る可く靜なる湯屋を尋ね茲に悠々と日を暮し、漸く黄昏の頃と爲りたれば、愈々那稻に逢ひ魏堂に逢ふ時來れりと、轟く胸を鎭ながら其湯屋を出で、我家を指して岡の道を上り行く。
いつしか月も昇り、木の間を洩りて射る影は、毎も見慣れし影なれど今夜は何ゆゑ殊更に冴々しきや、道も踏慣し道なれど是が那稻の住む所まで余を誘ひ行くかと思へば、余の爲に設けたるやに疑はる、既にして余が家の表門に達すれば、扉固く鎖しあり、靜なること眠るが如く、全く主人の喪に服する家なり。
纔に内より聞ゆるは玄關の前に在る池の噴水、風に吹れて其音高く低く、余が歸り來るの遲きを恨むに似たり。余は此門を叩き開かん所存はなく、初より裏門へとの定めなれば、生牆の外に添ひ、裏の方へ廻るに從ひ、木は愈々深くして四邊は益々幽かなり、裏門の戸は猶ほ鎖さず、是れ猶ほ魏堂が此家に在りて歸り行く迄の爲と知らる、之を潜りて内に入れば、伊國の名物橙花樹を兩脇に植列ね、晝も日の指さぬほど茂りたる小徑にして、余が暑さに苦む度びに愛讀の書を携へ來て暫し古人と遊びたる仙境なり。眞直に進めば大庭に達す可く、中程より左に折るれば厩の前に達す可し、余は唯だ夢の如く現の如く一歩一歩に進み行き漸く大庭の口に到るに、時しも内より聞ゆる聲あり。是れ何の聲、誰の聲、讀者讀者、余は耳を澄さぬうち早や腦天より釘打たれし如く縮み上りて其の所に立ちすくめり。讀者よ、聲は聞き擬ふ可くも非らず、鶯よりも、麗しき余が妻那稻の聲にして最嬉しげに打笑ふ聲なり。
再び聞けば再び聲ゆ、余は冷たき汗の脇下より流るゝを覺え、心は凍りたる水の如く動きもせず考へも得せず、蛇に魅入らるゝ蛙の氣持は正しく斯くの如くなる可し、聲の止むかと思ふ間に徐々と彼方より歩み來たる白き姿は確に其の那稻なり。余は何故とも、何が爲とも自ら心附き得ざる間に、知らず/\、徐り/\と木の茂りに退きて余の身を隱せり、必ずしも茲に隱れて那稻の舉動を伺はんと思ひたる爲に非ず、唯だ餘りの驚きに度を失ひ隱るゝとも無く隱れたるなり。
讀者よ、余は斯までに驚きたるが無理か、余は那稻が余の死せしを悲しみて一室に閉籠り、涙と共に余の冥福を祈り居るならんとこそ思へ、嬉げに笑ひ興じ月に浮れて散歩せるならんとは思はざりき。然り夢にも思はざりき、思はざるが眞實ならずや、愚か、愚か、女に溺るゝ男ほど愚なる者は無し、否那稻に溺るゝ波漂ほど愚な男は無し、斯く思はんとする眞際に余は又も一種の最恐ろしき疑ひを起したり。否々、那稻は決して本心に非ず、餘りの悲しさに發狂せしなり、女發狂する時はニヤ/\と笑ひながら當も無く歩む事ありと聞く、ヱヽ可愛や痛ましや、那稻眞實に發狂せしか、發狂の儘捨置くは余が罪なり、イデヤ出行きてコレ那稻、波漂茲に在り、と云ひ余の眞實なる手にて抱遣らば、長くも有ぬ昨夜よりの發狂とて、頓に夢覺め熱冷る如く、嬉さ餘りて元の那稻に返らざらんや。余は思ふより早く茂りの中に立上らんとするに此時又も眼に留るは那稻の傍に搦り居る余が弟、否弟よりも猶親しき余が唯一人の友魏堂なり。
彼れ那稻と手を取合ひ、腰を抱合ひ、縱や夫婦の間にすら人目を憚る程の樣にて那稻と共に歩み來れり、余が幾等愚なりとて魏堂と那稻と二人ながら氣が違へりと思ふ程の愚ならんや、讀者、余が此時の心を察せよ、余は今思ひても悔さの忘れられず、書ながら此紙を破らんとすること幾度、斯る事が有りと知ば余は棺の葢を推破らず、知らぬ佛と朽了り、再び此世へは出でざりし者を穴の中の恐しさ、悲しさ、苦しさ、今面たり余が心の術なさに比べては眞に物の數にも足らず、讀者よ、此時若し余の怒りが半分も輕かりせば余は必ず我を忘れ己れと云樣、飛出て彼等兩個を握み殺しもせしならん。
余の怒は爾る世間一般の怒に非ず、眞の怒りは無言なり、物云ふ事も打忘れ動く事も打忘る、今より思へば何うして先アジツと控へて居られたかと、殆ど怪き程なれど、余は最早や人に非ず、怒りの塊りなり。彼奴等此上に何を爲すやと唯だ靜りて控るのみ、彼奴等夢にも斯とは知らず、猶ほも余の方に進み來たり、余が故々那稻と余の爲に設けさせたる其腰掛けに、肌と肌と添合ひて腰を卸せり。其樣新婚の夫婦より猶親しく、永き情人と情人なり。