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 禿頭はげあたま組合くみあひ
 三津木春影
 

     七  床下の怪光

 四人はそれ/″\暗中あんちうに配置に就いた。中尾醫學士は金庫の縁に短銃ピストルを當てゝ身構へた。暗いと言つても法外な暗さ、鼻を掴まれても解らない、各々めい/\ある冐險的の期待の爲めに神經が興奮して動悸がたかまつてゐるが、地下室の眞夜中の暗鬱あんうつ冷濕れいしつの空氣を嗅ぐと、また悄然たる可厭いやな氣持になる。
退路にげみちは只一ヶ所である。」と暫時しばらくすると博士が囁いた「岩間君、わたしの希望した通りに手配りをして下すつたらうな。」
「御注文通り、質屋の周圍には四五人の巡査をくばらせました[#「配らせました」は底本では「配ばらせました」]。」
と闇の中で返事がある。
「ではもう口をぢて只待つばかりぢや。」
 一しつ森沈しんちんげき[#「門<貝」、第4水準2-91-57]じやくたがひに波打つ動悸の音も聞ゆるばかりである。
 斯くして千しうの思ひを以て待つ事二十分――三十分――四十分………一種の壓迫、一種危險の瞬間が一秒々々に切迫しつゝある感じがする。
 突如とつによ一條ひとすぢの光線が夢の如く闇をつんざいた。驚くし、それは床下からきらめき出たのであつた。
 最初は扁石ひらいしの間から微茫びばうとして蒼白くすに過ぎなんだが次第々々に黄色の太い光線となつた。と思ふに何等の物音もせず忽ち一個の穴が目前の床にパクリと明きさうな形勢となつた。それは扁石の隙間から一本の人間の手がニユツと現はれたのである。白い殆ど女のやうな手である。其手そのてはしばらくユラ/\とれてゐたが、又忽然として引込んでしまつた。一しつ再び暗黒、蒼白き光が床下に漂うばかりである。
 併しながらそれはほんの瞬間であつた。ゴト/″\、ゴト/″\といふ音と共に、廣い白い石の一枚が魔術の樣に轉覆ひつくりかへつて、そこに正方形の穴が洞然どうぜんとして現出げんしゆつし、懷中電燈の光が燦然さんぜんとしてきらめき出した、其光の中へ浮いてでたのは、眼の窪んだ、髭のない、小鼻に黒子のある一つの顏であつた。
 さて番頭は電燈の光でちよつ四邊あたりを見廻したが、安心したものか兩手を穴の縁に掛け、肩、胸、腰と次第にからだをセリ上がらせ、ヒラ/\穴の縁に腰を掛けた。掛けると手を延べてまだ下にいる一人の男を引張り上げやうとする。それは丈の低い、痩せぎすな禿頭の男である。
素的すてき、々々、望み通りにいつたぜ………。」と番頭は低めた聲で「のみと袋とを忘れはしまいなア、さうか、し、ぢや縁へ手をかけて………さうだ………飛び上れ………。」
 途端に上泉博士は猛然として金庫の横から躍り出て、番頭の肩をムンズと掴んだ。と、穴の下なる禿頭は吃驚仰天びつくりぎやうてん、逃げんとするのを、かさず岩間警部が[#「岩間警部が」は底本では「岩田警部が」]飛び掛つたが、羽織だけ手に殘つて體は闇に沈んでしまつた。
「畜生。」
と番頭が短銃ピストルを取出した。其銃身がキラリと光る一刹那、博士は力を込めてポンと叩く、短銃ピストルは曲者の手を放れてガラ/″\と穴に轉がり落ちる。
「どうぢや、隼の關三、もう觀念して恐れれい!」
と博士が温和おとなしく言つた。
「あゝ/\、巧くやられたなア!」と隼の關三はちつとも惡怯わるびれず「一歩ひとあし違ひで禿彦はげひこの奴めうめえことをしやがつた!」
「所が向ふの出口の質屋の周圍は巡査がすつかり取り卷いて居るぞよ。」
「お前等の若禿組合の仕組みにも感心ぢや。却々なか/\新奇で效目きゝめがあつたなう。」
「それも併し上泉先生の目に掛つてはおしまひだ。貴樣の仲間はもう彼方あつちの口で繩に掛つたらう。隼の關三、年貢の納め時だ、神妙にしろ!」
と岩間警部がドンと衝く。衝かれてハツと床にのめるのを一條ひとすぢ取繩とりなはが彼の體を卷いたのである。

   *  *  *  *  *  *

 翌日中尾醫學士が高輪たかなはていに上泉博士を訪ねて、今回の若禿組合事件探偵の徑路を訊くと、博士はの如く物語つた。
 惡漢等が相謀あひはかつて有りもせぬ若禿組合を組織したのが、(禿彦の頭の禿げたるを利用して)抑々そも/\深謀遠慮の存する所。一週間十圓五十錢の犧牲を拂つて同じく禿頭の質屋の主人を雇ふたのは、毎日一定の時間彼をして其家そのいへを不在にせしむる策※さくりやく[#「田/各」、266-5]であつた。番頭仙吉が無給で雇はれてゐると聞いた時から博士は既にその何等かの目的ある事を觀破くわんぱしたのである。しからば其目的は何であらう。質屋の主人の妹が若い美人であつたならば戀の爲めとも言はれやうが、妹は醜婦しうふ、それに目を掛ける謂れはない、財産強奪の爲めとしては大津屋は餘りに貧乏なうちである。と何うしても番頭が入込いりこんだ目的は質屋の家屋其物そのものを利用する爲めとより他は思はれぬ。時に博士は番頭が寫眞道樂で時々穴藏に籠もると聞いたあゝ穴藏! しかして番頭の人相はかねて目を付けてゐる惡人隼の關三に酷似こくじする! 隼はいへの穴藏に籠もつて何等かの仕事をする爲めに番頭に化けたのである。そして其仕事は數十じつを要する大仕事である。博士は種々しゆ/″\推測の結果穴藏よりの場所に通ずる長き隧道とんねる穿うがつのほか、かくの如き長日月ちやうじつげつを要する仕事はないと斷定した。
 ついで博士等の大津屋偵察となつた。金時計を利用して博士は番頭の正體しやうたいはたして隼であることをたしかめた。其時に洋杖ステツキさきで土間を叩いたのは、隧道とんねるの方向がいづれに向つてゐるかを探つたのである。尚ほ博士は隼の前垂に注意した。その膝のへん擦切すりきれて泥の痕を存してゐたのは、益々地下の仕事をしてゐる事を確證かくしようした。然らば隧道とんねるく先は如何いかん。博士は附近の形勢を視察した。果然彼の眼に燒き付く樣に映つたのは、道路をへだてた石造せきざうの帝國銀行の大建築! しかも問題は其夜そのよに切迫してゐた、如何いかんとなれば彼等が若禿組合を解散したのは、即ち隧道とんねるが成就して最早質屋の主人の外出ぐわいしゆつを要しなくなつたからである。其處そこ捕方とりかたに向つたのであつた。


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