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 外交の危機
 高等探偵協會
 

   一四、緒方氏が現場げんぢやうを視察する
……どうも、不思議な形跡ばかりある……

「それは什度どうも容易ならぬ事だ。」
 と腕拱うでこまねいて、緒方氏が呟いた。そして更に三輪氏に向ひ促すやうに、
「それから如何どうしました?」
三「私は身體さへ人並なら、直ぐ窓から飛下りて跡を追ふ處だつたのですが、この仕末なので、直ぐ呼鈴ベルを鳴らして、うちの者を呼びました。處が呼鈴ベルは臺所に附いてゐるのに、僕婦しもべは二階に寢てゐるので、なか/\起きて來ない。ソコデ私が大聲をあげて叫びますと、權藤君が急いで遣て來ました。そして下男共を起して呉れました。權藤君と馬丁べつとうとは早速に庭中を檢べて、窓下の花壇の處に足痕がいてゐるのを發見みつけました。それも此通りの天氣續きなのですから、芝生まで來ると足痕が消えてしまつて、何方どつちにも見當をつける事が出來ません。ただ往來に沿つた板塀には確かに曲者が乘越して、その拍子に塀の上の横木を折つて行つた跡が有るさうです。だが交番にはだ屆けて置きませんでした。一應貴下に御相談してからの方がいと思ひましたから。」
 三輪氏のこの物語は、緒方氏の上に異常な働きを及ぼした樣に見えた。氏は矗立すつくと立上り、身體中のイラ/\惟立いらだつのを抑へるやうに室中へやぢうをあちこちと歩き始めた。
 三輪氏はいまだに昨夜ゆふべの恐ろしさを殘した蒼白あをじろい顏をしながらそれでもわざとらしく笑つて、
「ひとつ災難が起ると、其處へ又種々いろ/\災難が寄つて來るものです。」
 と投げるやうに云ふた。緒方氏はその顏を凝乎じつと見詰めて、
緒「イヤ、愈々いよ/\貴下にも御助力を願ふ時が來たやうです。如何どうです、一寸の私とお宅の周圍まはりを御散歩なさる事が出來ましやうか。」
三「えゝ、わたくしも少し太陽の光にあたつて見たいと思つてゐた處です。權藤君も一緒に來るでしやう。」
 三輪氏は勢付いきほひついて立上る。
「アラわたしもよ。」
 と可愛かあいい聲を掛けて、續いて春子が[#「續いて春子が」は底本では「續いで春子が」]立たうとすると、緒方氏は如何云どういふものか、急にいかめしい容貌かほつきをして、
「それは不可いけません、貴女は私等わたしたちが歸つて來る迄、キチンと今被居いらしや場所ところにおでにならなくては不可ません。」
 と素氣すげなく云ひ放つので、春子孃は不興氣な面地おもゝちで座に返つた
 併し春子孃の兄の權藤君は何時の間にか出て來て私等の仲間に入つたので、都合四人は直ぐさま庭へ下り立つた。私等は三輪氏の病室の窓外まどそとの芝生までやつて來た。三輪氏が云つた通り、如何いかにも芝生の上には人の足痕らしいものが殘つてゐる、併し無暗むやみに踏まれてゐるので、何が何やら薩張さつぱり分らぬ樣になつてゐる。緒方氏は小腰を屈めて、一寸その足痕に見入つたが、直ぐ立ち直つて、さも可笑しさうに呵々から/\と笑ひ、
「人間にはとてもこんな足痕は出來さうに思はれぬ?」
 と云つた。さうして更に
「今度はうち周圍まはりを一廻りして見て、何故強盜がうたうが特にこのへやに目を付けたか檢べて見るとしましやう、一體なら此室こゝよりも應接間か食堂の方が窓も大きいし、人も居ないから強盜どろぼうが眼を附けさうなものだのに。」
 と呟くと、そばの權藤君が口をれて、
「その譯はこの窓が一番往來から見え易いからでしやう。」
 と云ふ。
緒「成程、無論そんな事でしやうな。オヤ、此處には強盜どろぼうのもつと這入はいささうな板戸があるぞ、これは何の入り口ですか?」
權「あゝこれですか、是れは出入商人の通用口ですよ、併しこれには夜になると堅く錠が下されます。」
 緒方氏は茲に於て、此家このや主人あるじ三輪氏を振顧ふりかへり、
「お宅では以前にもこんな騷ぎがあつた事が有りますか?」
三「いゝえ、今度が本統ほんとうの初めてです。」
緒「御宅には延金のべきんか何か、特に盜賊どろぼうの眼を惹くやうな物がしまつてありませんか?」
三「イヤ、そんな貴重品は一切有りません。」
 緒方氏は兩の手を衣匣ポケツトに突込んだなり、ぶら/\と其處等そこらを歩き廻る、その態度が例によるていかにも呑氣さうだ。
ついでながら……。」
 と彼はやがて又權藤氏に向ひ、
「貴下は確か盜賊どろぼうが塀を乘越えた跡を發見なさつたと云ふお話でしたね、其處を一寸見てきましやうか。」
 權藤氏はやがて私等を、板塀の横木が盜賊どろぼうの爲に破壞されたと云ふ其場所へ案内した。其處には塀の上から小さな木片きヾれがぶらさがつてゐた。緒方氏は手を伸べてそれをもぎ取り、仔細に檢べた後で、權藤氏に向ひ、
「權藤さん、貴下はこれを昨夜ゆふべの仕事だとお思ひですか、隨分古いやうに見えるが、左樣さうぢや有りませんかね。」
權「私はどうしても昨夜ゆふべ破壞こはされたものだと思ひますが。」
緒「それに此處から何人なにびとかゞ塀の外へ飛出した形跡などは少しも見えない。」
 緒方氏は權藤氏の言葉を耳にも掛けず更に呟いたが、急に何か想出おもひだしたやうないそがはしい調子になつて、
「イヤこんな物を何時迄いつまで見て居た所が何の役にも立ちません。それよりか又へやへ歸つて、もう一應協議を凝らしましやう。」
 と、みんなの先に立つて、へやの方へとズン/\歩き出した。


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