よしなしことを、日々徒然に……
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 光る君へ その後
2024年12月16日(Mon) 
放送が終わってあちらこちらの感想や考察を見て回って、そうだったのかと唸らせられたり、いろいろと感じ入ったり。

乙丸が『姫さま』と旅立つことについて、きぬさんはよく許したなと思っていたんですが、途中で彼が仏像彫ってるシーン、確かにありましたね。そしていとさんが痴呆になって、若様(惟規)を探している場面。優しく「そこにいるでしょ」と為時を示す、まるで本当の娘か孫のようなまひろという日常の背景が妙にボケていて、働いている下女がきぬではなかった。つまりきぬは乙丸より先に亡くなっていて、あの最後の旅立ちは乙丸にとってもすべてを後にした、最後の旅路だったのだと思うと、彼もまたあの時代の二人を最初から最後まで見届け続ける、紛れもない主役の一人だったのではないのかなあとか。

あと、最終話ラストの「嵐が来るわ」とうまひろの言葉は、第一話の冒頭「雨だ。大雨だ」から始まった安倍晴明の台詞と対になっているという考察に、なんで気付かなかった!? と物書き心が歯噛みしてみたり。

雨と言う名の世の乱れを、物語の最初から察知していた晴明。しかし道長という「民のための政」を願うイレギュラーがその寿命を削ってまで歴史に介入したことで、その動乱は先送りにされ平安の世が続いた。そして道長が死んだら、今度はその子供達(彰子や頼通)が兼家パパの跡を継ぐかのように「家のための政」を行い始めたことによって、再び嵐という名の動乱=武士の台頭、貴族社会の終わりが見えてくる。

つまり道長は「結局なにも変えられなかった」と嘆いていたけれど、実は変えなかった=悪い方へ向かおうとする時代の流れを押し留めて「平安」な世を保ち続けていたのだとすれば、それはどれほどの偉業だったのか、と。

戦乱の世となれば、民はもっともっと苦しんだだろう。直秀らや、まひろが字を教えようとして結局は疫病で死んでしまった子供のような民達が、もっとずっとたくさん存在していたはず。そんな未来を、たとえ数十年とはいえ先送りにした彼は、本当にものすごいことを成し遂げたのだと。

三郎はあの世で、直秀や散楽一座から笑顔で背中どつかれて、もみくちゃにしてもらって良い( T ^ T )

とか、そんな事を考えながら、ブックカバー縫っていた本日でした。

いやなんか父のゴタゴタとかで休みとっている間にまた注文が来たらしく、取り急ぎ在庫かき集めてなんとか3枚だけ納品したとかで……和柄かつ観光地の物産館とかに置いてもらっているせいか、外国人観光客の受けが良いらしいのですよ。ありがたい、ありがたいけど、本気で手と時間が足らん……っ(><)
No.4178 (映像)

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 プロフィール
神崎 真(かんざき まこと)
小説とマンガと電子小物をこよなく愛する、昭和生まれのネットジャンキー。
最近は小物作り(主にタティングレース)などにも没頭しています。

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