よしなしことを、日々徒然に……
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 2011年11月15日の読書
2011年11月15日(Tue) 
本日の初読図書:
4101276315レインツリーの国 (新潮文庫)
有川 浩
新潮社 2009-06-27

by G-Tools
社会人三年生のサラリーマン向坂伸行は、結末が衝撃的だったため半ばトラウマ化しているある小説について、ネットで検索してみた。そうして見つけたのは「レインツリーの国」というサイト。そこでは「ひとみ」という名の女性管理人が、理知的で興味深い、伸行とはまた違った目線での感想を掲載していた。
思わず感動してメールを送った伸行に、返事は即座に返ってきた。やはり熱い情熱の感じられるそのメールに、伸行もさらに返信する。読む本の傾向が似通っており、微妙に違った観点からそれらを見つめる二人は、濃密なメールのやりとりから、あっという間に親しくなっていった。
お互い都内に住むことが判っていたので、伸行は直接会って話がしたいと持ちかけた。ところがひとみは乗り気になってくれない。
何度も誘いをかけて、ようやく会うことにこぎ着けたものの、彼女の行動はどうも違和感を覚えるものだった。メールではあれほど聡明だったひとみなのに、会話のテンポがずれたり、映画は字幕しか見たくないとわがままを言ったり、エレベーターで重量オーバーのブザーが鳴っても下りようとさえしない。
やがてその理由が明らかになる。
ひとみは両耳の聴力が著しく低い、補聴器を必要とする難聴者だったのだ。
それでも彼女が好きだと思った伸行は、これからも付き合いを続けていきたいと望むが、健常者と障碍者の壁はなかなかに厚くて ――

正直に言います。
読んでいて、途中うっかり泣きかけました。
っていうか、出先じゃなかったら、本当に一粒ぐらいは涙がこぼれていたかもしれません。

……ここでも何度か書いていますし、サイトにもちょっとテキストなど載せていますが、私も難聴持ちです。左耳はほぼ普通で、右耳はほとんど聞こえないという中途半端な状態ですが。
とりあえず日常生活する分には、まあ不自由ありません。家族もほとんど意識していないでしょう。
でも、厳然として、私は難聴なのです。

この作品の文中に、こうありました。

> 中途失聴や難聴者は聞こえないくせにしゃべれるからずるい。

と。
これは生まれつき耳が聞こえず言葉を話せない聾唖者が、高校生になってから聴覚を失ったため、しゃべることはできるひとみを責めた言葉です。
同じハンディを持つ仲間なのに、どうしてそのレベルが違うだけで一方的になじられなければならないのか。自分だって大変なのにと、ひとみはひどく傷つきます。
……ここを読んで、直接私に言われたわけではありませんが、以前片耳だけが聞こえない人達の交流掲示板に出入りしていた頃、両耳が聞こえないという人に書き込まれた内容を思い出しました。

曰く、「片方聞こえるくせに贅沢言うな(要約)」と。

……彼らからしてみれば、たかが片方聞こえないぐらいでグダグダ言うな、俺達は全然聞こえなくて大変なんだと、そういう思いだったのでしょう。でもその時に掲示板を見ていた私達は、作中のひとみ同様とても傷ついたものです。
それこそ「障害者という免罪符を持っているお前達(両耳難聴/聾者)に、障害者に与えられる援助や周囲の理解ももらえず、さりとて健常者にも届けない我々の気持ちが判るか!?」と、言い返したかったぐらいに。

そんな思い出を持つ私に、上記場面で伸行がくれた言葉は身に染みました。ちょっと長いので引用は避けますが、「ああそうか、そう言う見方もあるんだなあ」とささくれた心が和らぐ思いでした。
他にもひとみに共感させられる場面、そして伸行に救われる場面は随所にありました。
うんうん、そうそう。
ページをめくりながら、ひたすらに頷いていました。
ひとみは補聴器の助けと唇を読むことで、一対一ならある程度の会話をする事ができます。これがまた身につまされて……
私はそこまでひどくはないのですけれど、雑音の多い場所、たとえば呑み屋などでは基本一対一(せめて二)じゃないと会話ができません。相手の『声』は聞こえても、それを『言葉』として解析することができないんです。これは日常生活にもあてはまって、ちょっとした周囲の物音とか、時には自分が食べ物を咀嚼している音さえ邪魔になり、相手の言っている内容が聞き取れないことがしばしば。
なので私が会話するときは、基本的に手を止めて相手の口元を凝視し、唇の動きと前後の発言内容を元に脳味噌をフル回転させて、補完作業を行います。そうしてどうにか言葉を組み立てられたと思っても、やっぱり間違いはあるもので。たとえば「正)馬がいる」→「誤)あまがえる」、「正)お釣りいる?」→「誤)映り良い?」など、それはもういちいち覚えていられないほど、頻繁にかつ脈絡なく聞き間違えます。もう疲れるやら、いたたまれないやら……

……昼休みにお弁当食べながら、一対多でおしゃべりする女子組の付き合いが苦手な理由は、ここにあるのですよね。いやもちろん、会話の内容が合わないことも大きいんですけど(苦笑)<お洒落とか流行のドラマとか興味なし
同様に電話・来客応対も苦手だし(口元が見えなかったり、脳内補完するための事前情報がなかったりするから)、お店で店員さんと会話するのも×です(まわりがうるさくて聞こえない。特にファーストフード店とか最悪)。ここまでくると、ぶっちゃけ日常生活に支障ありといえなくもないような。
だいたい家族である次兄ですら、しょっちゅう「そんな目ェ見開いてこっち睨むな」とか言って、ひそかに凹ましてくれますし_| ̄|○<唇読んでるんだよ!

つい話が逸れましたが、とにかくこの本はそれぐらい、聴覚障害者の経験や心理についてよく調べて書かれていると思います。端っこにいる私ごときでは、気づきもしなかったことを逆に教えてくれるぐらいに。
ああ、この話、もっとたくさんの人に読んで欲しい。
ハンディを個性として、あるものはあるものとして、そのうえで普通に恋をしていこうとする伸行さんがとても眩しく、そしてそんな包容力を持つにいたった彼の過去がまた切ないです。うー、こうして書いてるだけで鼻がツンとしてくる。

あとこの話に共感できる理由のもうひとつに、二人の出会いのきっかけとなる、「フェアリーゲーム」という小説の存在があるかもしれません。
いや本文読んでいるとき、「この作中小説って、アレに似てる。もうアレにしか思えない」という作品があったのですよ。小学生の頃に読んでその衝撃の結末に、それこそひとみと伸行のように半ばトラウマ化してしまった小説が。
で、脳内でそれを当てはめて読んでいたら、巻末の参考文献リストにまさしくそのものズバリのタイトルが(驚)
道理でぴったりと感情移入できたはずです。っていうかこれは、それを悟らせた有川さんがすごいのか、それだけ見事な小説を過去に書いた笹●先生がすごいのか……(汗)
この作中小説についての考察も、長年のモヤモヤに一石を投じてくれました。

とにかく、いろんな意味で心揺さぶられたお話だったと思います。
機会があったら、是非是非手にとって欲しい一作でした。




なおこれは蛇足ですが。
聴覚障害者にも健常者にも、どちらにも入ることができない片耳難聴者の抱えるあれこれについて、このあたりをご覧になっていただけると、ちょっと嬉しかったりします。

■【中途半端】片耳難聴【健常者or障害者】
 http://yomi.mobi/read.cgi/human5/human5_handicap_1124425438
■片耳難聴を理解するために
 http://yomi.mobi/read.cgi/human5/human5_handicap_1144207735

2chログなので、慣れない方にはちょっと判りにくかったり、極端な意見や荒らしも混じっていたりしますが。
こういう悩みや不自由を持つ人間も、世の中には存在するのだと知っていただけたらなあと、そう思ってURLを貼っておきます。
No.3483 (読書)



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 プロフィール
神崎 真(かんざき まこと)
小説とマンガと電子小物をこよなく愛する、昭和生まれのネットジャンキー。
ちなみに当覚え書きでは、
ゼロさん= W-ZERO3(WS004)
スマホ= 003P(Android端末)
シグ3= SigmarionIII です。

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