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昨日あとから考えてみていたのですが。 お医者様の待合室で、うっかり居眠りかましてしまったその後で、診察室に入ったとき、お医者様から「これくらいの声で聞き取れますか?」と訊いていただいたのですよ。その後、精算の折りの受付でも、いつもより気持ち大きめの声で、はっきりとした発音をして下さったのです。 ……もしかして私、耳が悪いせいで呼び出しへの反応が悪かったと思っていただけてましたか?(笑) いやまあ、確かにそれも理由の一端に、確実に含まれていたのでしょうけれど。
しかし嬉しかったのは、そのさりげないお気遣い。 どちらの方も、あくまで「気持ち」大きくはっきりとした発音で、強く押し付けるでもない、その場ではさらりと流してしまったような、その雰囲気。
最初にこのお医者さんに行った時も、問診中「聞こえなかったら、聞き返して下さいね?」とごく自然に言ってもらえて、思わず泣きそうになったものですが。
私の耳は、片方はごく普通に聞こえ、片方はほとんど聞こえないという、中途半端な代物です。普段は自分でもほとんど忘れているくらいの状態です。 けれど、やっぱり自分の中では消化しきれていないものが存在するのだなあと、こういうときにふと思ってしまうのでした。
ただ大きい声で話してもらえれば、それで良いというものではないのです。 それではかえって音が割れてしまって聞こえにくいし、きちんと聞こえる方の耳にとってはうるさくてたまりません。何よりも大声によって周囲にかけてしまう迷惑の方が、ずっと気になってしまいます。 雑音の多い場所(雑踏の中や、呑み会での会場だとか)において、話し相手の声を拾い上げることの難しさ。音としては聞こえているのに、それを言葉として認識できないもどかしさ。特に語尾の聞き取りにくさ(結局YESなのかNOなのか)は、会話をしていく中でとても不自由をする部分です。
前後の文脈や、相手の唇の動きなどを無意識の参考にしているため、いきなり話しかけられることにも弱いですし、一発ギャグなんて八割の可能性で聞き落とします_| ̄|○ また聞き間違いによる勘違いが怖いためか、確実に「自分に向けて話された確定情報」以外は、心に留めない習慣がついていたりするんですよね……これは最近自覚したんですが。
……でもこれらのことは、いわゆる「難聴者」の間では、ごく些細な問題らしいのです。 幾度か足を運んだ耳鼻科や、補聴器を扱っている店での検査結果では、「普通に日常生活ができているのだから、特に問題なし」という結果を出されています。 そりゃあね、静かな部屋の中で一対一に座り、「今から声をかけますよ。聞き取れますか?」という検査方法では、なんの問題も出てこないわけですから、仕方ないと言えば仕方ないんですけど。
けれど……実際の生活の中で感じてしまう、ごくちょっとした不自由は、やっぱり少しずつ心の中に積もっていたんだなあと。 些細な心遣いに、後からしみじみと感じ入った本日だったのでした。
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No.1961
(日常)
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プロフィール |
神崎 真(かんざき まこと)
小説とマンガと電子小物をこよなく愛する、昭和生まれのネットジャンキー。
ちなみに当覚え書きでは、
ゼロさん= W-ZERO3(WS004)
スマホ= 003P(Android端末)
シグ3= SigmarionIII です。
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