よしなしことを、日々徒然に……
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 2012年06月11日の読書
2012年06月11日(Mon) 
本日の初読図書:
4062007924写楽殺人事件
高橋 克彦
講談社 1983-09

by G-Tools
浮世絵を研究する世界には、現在大きく分けて二つの派閥が存在する。一方は版画絵に重きを置く「江戸美術会」、もう一方は肉筆画こそ浮世絵の原点とする「浮世絵愛好会」。前者は大学や美術館などが多く関わるアカデミックな集まりであり、後者は在野の有志から構成されている。両者の間には熾烈なまでの意見の対立があった。
西島教授は、「江戸美術会」の代表として、浮世絵研究界に名を馳せている。その専門は写楽についての研究だ。彼の影響力は全国の大学や美術館、出版業界にまで及んでおり、彼の意に逆らうことはそのまま浮世絵研究から追放されるに等しかった。
二十六歳になる津田良平は、そんな西島教授のもとで助手として、はや四年を過ごしている。彼はごく素直に西島を尊敬しており、やはり写楽についての論文をいくつか発表していた。
そんなある日のこと、「浮世絵愛好会」の代表である嵯峨英春が急死し、西島の代わりに津田が葬儀へ参列することとなった。嵯峨の死はおおむね自殺と見なされていたが、対立関係にあった西島について、なんらかの責任があるのではないかとする無責任な噂も流れているようだった。
そして津田はその葬儀の場で、かつて西島の怒りを買い破門同様の目にあった、十年ほど先輩の国府と再会する。国府はゼミから追われてもなお浮世絵への興味を捨てきれず、嵯峨と親しくしていたのだという。
もともと国府とは馬があっていた津田は、懐かしく旧交を温めた。
それから数日後 ―― たまたま訪れた古書市で、津田は嵯峨の義弟である水野から、一冊の古い画集を譲られる。明治時代に東北の旧家が自費出版したというその図録は、たいした値打ちもないように思われた。しかし津田はその中の一枚の写真を見て驚愕した。無名の作家による秋田蘭画に、「東洲斎写楽改近松昌栄画」という落款が書かれていたのだ。
写楽 ―― それは津田が専門としている、あまりにも高名な浮世絵師の名である。わずか十ヶ月の間に百八十枚もの浮世絵を量産し、忽然と姿を消した謎の絵師。その素性は未だ判らぬまま、別の作家が名を変えて描いていたとする別人説、多くの人間がひとつの名を共有していたという工房説など、多くの説が持ち出されては論議をかもしている。
もしかしたら、この無名の秋田蘭画師「近松昌栄」こそが、写楽の正体なのではないか。
これまで語られたことのない新たな説の予感に、津田は興奮を隠せなかった。西島に相談し許可を得た津田は、さらなる手がかりを求めて秋田へと向かった。画集を見せられた国府もまた協力を申し出てくれ、東京で別方向からのアプローチを試みる。
秋田でのフィールドワークでは、国府の妹である冴子が同道してなにかと力を貸してくれた。そうこうするうちに多くの裏づけ資料が次々と見つかり、津田は自説への確信を得るに至った。そうして論文を書き上げ、西島へと提出したのだが……それらの行動は、やがて恐ろしい殺人事件と、その謎を解くことへ繋がっていくのだった ――

途中で三毛猫(マンガ版)にそれつつ、四日かけてなんとか読了。
先日ドラマでやった『塔馬教授の天才推理(1)隠岐島の黄金伝説殺人事件』にご登場の、塔馬教授が出演する作品群……の1冊目です<彼の登場は2巻目かららしい
シリーズものは刊行順に読むべきだろうと、まず「浮世絵三部作」の1巻目である今作から手をつけてみました。
……中盤までが長かったです。ハイ、要するに浮世絵についてのうんちくが一段落つくまでです(苦笑)
誤解なきように言っておきますと、うんちく自体は非常におもしろかったですよ?
新たな学説を組み立てるため、文献をあさりフィールドワークへおもむき、同行したほぼ素人相手に噛み砕いた説明をして……その内容は、とても興味深く楽しめました。
ただいかんせん、浮世絵やその周辺まわり、当時の文化人の名前とか田沼政権の没落などに関する基礎知識が、あまりにも少ないもので……語られる内容を「ほーー」「ふーーーん」と感心しながら眺めるに留まってました。これ、基礎知識ある人だと、もっとワクワクしながら読めたんだろうなあと思うと、ちょっと悔しかったです。
ちなみに私は歌麿と北斎の見分けすらあやしく、そもそも写楽がそんなに短期間に大量の浮世絵を描いたのち、ぱたっと消えた謎の人物だと言うことすら知りませんでした。なんとなーく、別作家の別筆名だったという説もある、ぐらいは聞いたことがあった程度で。
そんな私をも引き込んでしまう、緻密に組み上げられた「写楽=秋田蘭画師説」。そして世紀の発見を手にしながらも、無名の助手と言うだけで、その手柄を恩師に奪われる津田の苦悩。浮世絵界の未来を思えば、たとえ発表者が誰であっても、新説を広く認められればそれで良いのではないかという思いと、弟子の手柄を奪おうとする恩師や兄弟子達への深い失望。
そして最後の最後で明らかにされる、津田が誰より信頼していた国府の遺した、衝撃のどんでん返し ――
いやはや、見事でございました。

新説を導き出すことについて、物的証拠の集め方とかが「その程度で良いの?」と思う部分はありましたが、実際の世界では案外こんなものなのかな、とも思ってみたり。
ミステリ部分についても、「ああ、そういうことね」と半ば舐めながら読んでいたら、国府さんの告白で驚かされて大満足。そのあたりを頭に入れて、もう一度読み返したいぐらいですよ。

あとこれは内容には関係ないのですけれど、三十年も前に書かれた作品と言うことで、ひどくツボにはまった文章がありました。
ワープロについての説明で、

「(中略)フロッピーって言うの? レコードのようなものだって聞いたけど(中略)肝心の機械がないと読みとれませんよって言われて……でも、文章だけなら印刷機で作れるらしいのね」
「うん。プリンターでね」

当時はまだあまり世間に知られていない、最先端の技術だったんでしょう(笑)<ワープロとフロッピー
実際、私が中学生の頃に両親からお下がりでもらったワープロなんて、記憶媒体がカセットテープでしたからね……(遠い目)

そんな時代に書かれたお話が、今なおこれだけの吸引力を持っていることにも、改めて感嘆するのでした。
No.3815 (読書)

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 プロフィール
神崎 真(かんざき まこと)
小説とマンガと電子小物をこよなく愛する、昭和生まれのネットジャンキー。
ちなみに当覚え書きでは、
ゼロさん= W-ZERO3(WS004)
スマホ= 003P(Android端末)
シグ3= SigmarionIII です。

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