呑み会
 ― Alice Arisugawa FanFiction ―
(2000/04/27 PM11:00)
神崎 真


 あたりには宴席特有の喧噪が満ちあふれていた。
 室内の空気をほの白く染める煙草の煙。酔漢達の吐く濁った息と、割れて聞き取りづらい、本人にとってだけは面白いことこの上ない与太話。
「食べてますか? センセイッ」
 機嫌良さげに顔を赤らめた男が、そう言いながら私の器に肉や野菜を放り込んできた。
「はぁ、戴いてますから」
 頭を下げながら、そっと皿をずらす。
 開会二時間を過ぎたいま、コップや杯の中身をそそがれて、鍋の中身は既に怪しい物体と化している。いい加減腹もくちていることだし、これ以上口にする気はちょっと起きなかった。
 空いていた逆側の席に、別の男が座り込んだ。手には半分ほどになったビールの瓶を持っている。
「さささ、一杯どうぞ」
 にこにこと笑って、瓶を傾けてきた。私のコップには既に上縁ギリギリまでビールが入っている。しかし彼は笑顔で姿勢を崩さない。私は仕方なくコップを手に取り、一口、二口中身を減らした。すかさずビールが注ぎ足され、コップはすぐに元の状態へと戻る。
 もう一度、と言われない内に手を伸ばし、ビール瓶を奪い取った。
「小田さんも、呑んで下さいよ」
「おっと、これはありがとうございます」
 注ぎ口を向けると、彼はきょろきょろと辺りを見まわした。近くには飲みかけで放置されたコップしかない。手近なものを取り上げると、無造作に中身を鍋へ空けた。それから差し出してくる。
 ……せっかくのうまい鍋がと勿体なく思うのは、私だけだろうか? ろくに食べもせずにこんな扱いをしては、店の人に対しても失礼だと思うのだが。
「ま、それくらいで、とと」
 大仰な仕草で泡をすする小田に適当に笑いかけ、私は席を立った。
「おや、センセイ、どちらへ?」
「ちょっとトイレに……」
 頭を幾度か下げながら、あちこちで座り込んでいるのの間を縫ってゆく。どうにか座敷の出口までたどり着いた。
 脱ぎ散らかされた靴の中から、己のものを探し出すだけでも一苦労だった。


 便所に入り、冷たい水で顔を洗うと、いくらか気分が和らいだ。我ながら、いささか苛立ってしまっているのを自覚する。
 今夜は、雑誌に載せるエッセイを依頼してきた、出版社主催の懇親会である。そことの仕事は初めてではないが、あまりなじみのある会社でもなかった。ここらでひとつ親睦を深めるためにもと、編集者や他の作家達十数名とで鍋を囲むことになったのだ。いわゆる社会人のおつきあいというやつである。
 ……酒の席というものは、けして嫌いではない。嫌いでは、ないのだが。
 ひとつため息をついた。
 あの騒ぎに今ひとつついていけないのは、既に年だということなのだろうか。あまりにも皆のテンションが高すぎて、今ひとつ楽しめない。
 いや、思い返してみれば、私は学生時代からそういうところがあった。常日頃友人のことを偏屈だの人間嫌いだのと評している私だが、実際は自分自身あまり人付き合いというものが得意ではないのだ。広く、浅く、あたりさわりのない人間関係というやつには、どうにもなじめないものを感じてしまう。
 同じ呑むのなら、気心の知れた少数の友人と、のんびり語りながらがいい。
「はぁ」
 戻るのは面倒やなぁ……
 そう言う訳にはいかないのだが、どうにも気が進まない。流しに両手をついて、がっくりと肩を落とした。
 と、その時。
 きぃと軋む音がして、廊下に続く扉が開いた。他の客が用足しに来たようだ。
 いつまでも洗面台を占領していては迷惑だろう。場所を空けようと顔を上げると、鏡に映っていたのは思いがけず見慣れた顔だった。
「アリス?」
「火村……」
 驚いた。ちょうどいましがた考えていた、偏屈で人間嫌いの友人である。むこうも意外だったのだろう。ちょっと目を見開いてこちらを見返してくる。しばらく鏡越しにまじまじと見つめ合った。
 そこまで酔っぱらっては、いない。
 自分に確認した。大丈夫だ。酒の見せている幻覚などではない。
「久しぶりやな」
 ようやく言うと、火村もうなずいた。
「そうだな……かれこれ半年ぶりか?」
「ああ、丁度それくらいや」
 身体を反転させ、後ろにいた火村と向かい合う。
 最近、私の締め切りや火村の出張などが重なって、会わない日々が続いていた。警察からのお呼びも ―― 少なくとも私まで同行するような興味深い事件の発生は ―― ないようで。……これは一応、喜ぶべきことなのだろう。
「なんや、女子大生に引っぱり出されたんか?」
「馬鹿言え。教授達とのお付き合いさ。そう言うお前は、出版社の接待とやらか」
「そや。紀陽社の御招待でな。正直ゆってクタクタや」
 思わず本音をこぼしてしまう。
「何でみんな、あんなに元気なんやろな?」
「まったくだ。あのバイタリティはどこからくるんだか」
 珍しく火村が同意した。その眉間に皺が一本刻まれている。どうやらそちらの座敷も、すごいことになっているらしい。二人してしみじみとうなずきあう。
 火村がポケットを探りキャメルを取り出した。一本をくわえ、そら、と私にも箱を差し出してくる。ありがたく貰うことにした。
 同じマッチで火をつけて、同時に煙を吐いた。疲れのにじんだ互いの吐息に、思わず笑みがこぼれる。いい年をした男共が、隠れるように便所でタバコを吸っている光景は、はたから見ればかなりおかしいものだろう。まったく、授業をさぼった高校生でもあるまいに。
 気がつくと、すっかり気持ちが落ち着いていた。ここで友人に ―― もっとも気心の知れた相手に出会えたことで、なんだか肩の力が抜けたようだ。
  ―― なんとも手軽な話である。
「なぁ、火村」
「ん?」
 頬に落ちた睫毛の影が動き、伏せられていた目がこちらを見た。
「明日の晩、空いとるか」
 問いかける。
「ああ。別に予定はないが」
「じゃぁ、呑みに行かへん?」
 提案すると、火村は驚いたように片方の眉を上げてみせた。
「なんだ、まだまだ余裕じゃねぇか。先生」
「ええやん。な、いこ」
 なんだかせがむような口調になってしまった。上目遣いに火村を見上げる。火村はしばし首を傾げて思案した。やがてその口元がふと笑み、開かれる。
 と、
「センセイ、大丈夫ですか?」
 突然扉が開いて小田が顔を出した。
「なかなか戻ってこないから、心配になって。気分でもお悪いんですか?」
 扉から半身を入れ、そう訊いてくる。飲み屋の狭いトイレに男三人は、さすがにいささか窮屈だった。
「大丈夫ですよ。ちょっと友人に会ったんで」
「はぁ。あ、こんばんは。紀陽社の小田と申します」
「どうも」
 如才のない編集者に、火村は軽く頭を下げただけだった。そして短くなったタバコを流しの水で消し、ゴミ箱に捨てる。場所を空けてくれるよう、小田に身振りで訴えた。
「もう戻るんか」
 出ていく背中に問いかけると、肩越しに答えが返る。
「探しに来られるのも面倒だしな。 ―― 明日また連絡を入れる」
 それだけ言いおいて、さっさと出ていった。


 彼の背中を見送りながら、私はくすりと微笑んだ。
  ―― つもる話は明晩、ということか。
「さ、我々も戻りましょうか」
 ふり返り、傍らの小田を促す。
 状況が判らず言葉を選びかねていた小田は、ほっとしたようにうなずいた。
 小田の後をついて座敷へと戻りながら、私は自らに気合いを入れた。
 酒の席でのエピソードほど、次に呑む時の笑い話になるものはない。せいぜい明日の話題のタネを仕入れてゆくことにしよう。

 さて、もうひと踏ん張りだ。


(2000/04/28 AM10:30)


 ……ええ、会社の呑み会が辛かったのです。ただ単にそれだけ。
 帰ってきて風呂から上がるなり、PCを立ち上げてしまいましたよ。
 あ〜あ、私も友人と呑みに行きたいなぁ。


本を閉じる

Copyright (C) 2000 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.