夏来たる
 ― Alice Arisugawa FanFiction ―
(2000/08/13 AM00:50)
神崎 真


 大学へ向かう駅のホームは、今日も蒸し暑い空気に満たされていた。
 じりじりと照りつけてくる真夏の太陽の日射しと、駆け抜ける車体の放つ熱気とが、日陰にいてさえこらえ切れぬほどの息苦しさを生産し続けている。
 午後からの講義に合わせて遅めに家を出た僕は、そのあまりの居心地悪さに、少々後悔をし始めていた。どうせたいした内容の授業ではなかったのだし、自主休講を決め込んで冷房の範囲内に転がっていれば良かったとしみじみ思う。
 首を伝う汗を拭い、上を仰ぐ。
 目に映るのは、青いペンキを塗りつけたような、のっぺりと平板な青空。とうの昔に使い古されたそんな言いまわしが、決まり文句になっているのも納得できる情景だ。
 ……あと半年、か。
 その空を見上げながら、不意にそんなことを思った。
 思い浮かべたのは、数人の先輩達の姿だった。特に、その中でももっとも僕が尊敬している『あの人』の。
 彼は、この春で大学在籍八年目を迎えた。頭脳明晰で、成績もけして悪くないあの人が、何を思って今まで留年を続けていたのか、それは判らない。だがその理由を斟酌しんしゃくされることなどなく、彼は来年には学生として認められなくなってしまうのだ。そして、同じ春には織田と望月も英都大を去る。……こちらは、順調にいけば、だが。
 ―― そうなれば、推理研に残されるのはもう、僕とマリアだけだった。
 伝統ある推理小説研究会を、僕らの代で潰してしまうかもしれないという、罪悪感も無論あった。だが、それ以上に胸を占める感情がある。
 望月や織田、そして江神さん。推理研で彼らと過ごした日々は、単純に楽しいものばかりではなかった。半ば自業自得とはいえ、様々な事件に巻き込まれ、危険な目も、辛い思いも幾度となく味わってきた。だが、それ以上にそれらの経験は、机上などでは学ぶことのできない、多くのことを僕に教えてくれた。この二年あまりは、僕にとって紛れもなく人生最良の時期だったと言っていいだろう。
 その日々が ―― もうあと半年あまりで終わってしまうのだ。
 そうなった時、僕はいったい何を思うだろう。たかが卒業と人は笑うかもしれない。今生の別れという訳でもあるまいに、先輩が居なくなるくらいで何を女々しいことを、と馬鹿にするに違いない。
 だが、笑うなら笑えばいい。なんて無知なヤツなのだ、と僕も彼らを嗤ってやろう。惜しむ日々を持たない人間達は、むしろ逆に哀れんでやるべき存在なのだから。


 ―― 熱い風を巻き、ホームに電車が入り込んできた。
 ようやく来たそれに乗り込み、冷房の心地よさにほっと息をつく。
 ふと窓の外を見ると、向かいのホームに止まった反対まわりの車両が目に入った。見慣れた姿が見えたような気がして、ちょっと瞬きする。身を乗り出して窓に顔をくっつけた。間違いない、江神さんだ。
 思わず手を振ってみた。気が付くはずなどないと判ってはいたけれど、ついそんな子供じみた真似をしてしまう。これから下宿に戻るのだろうか。何か ―― たぶん昨日買っていた文庫本だろう ―― 読んでいるらしく、軽く目線を伏せている。頬に落ちた睫毛の影すら見えるような気がして、何故かどきりとした。
 手を止めて、立ち尽くす。
 もうじき見られなくなるだろうその姿を、目に焼き付けるようにただ眺めた。
 向こう側の電車が動き始める。少しづつスピードを上げ、遠ざかっていく。
 首を曲げそれを追っていた視線の先で、ふと江神さんが顔を上げた。
 あ、と目を見開く僕の前で、彼は魔法のようにこちらを向く。そして……


 がたりと車体が揺れた。こちらの電車もホームを離れ、反対方向へと疾走し始める。
 その中で僕は、馬鹿のように首を曲げたまま、とうに見えなくなった電車の姿をいつまでも見送っていた。
 発作的な笑いがこみ上げてくる。おかしく見えるのは承知の上で、口元を押さえて肩をふるわせた。
 いまだ視界を占めるのは、ほんの一瞬だけ見えた、江神さんの微笑みだ。唇がかすかに動いていた。二枚のガラスと距離に隔てられ、何を言っているかなど聞こえるはずもない。
 けれど、まるで耳元で囁かれたかのようにはっきりと判った。

 ―― アリス。

「ああもう……かなわないなぁ」
 嘆息して、乗降口の窓枠に体重を預ける。
 たった一瞥。たった一言だ。それなのに僕は、何をこんなに楽しくなっているのだろう。さっきまでの陰鬱な気分が、跡形もなく吹き飛ばされてしまっている。
「ホントにもう……」
 こつんと額にガラスが当たる。
 目を閉じてため息をついた。
 もう半年。―― されどまだ半年。
 江神さんなら、きっとそう言うのだろう。
 そのまま目を開くと、眩い日差しが網膜を灼いた。見上げれば、視界の端に入道雲。青空とのくっきりとしたコントラストがとても綺麗だ。

 車内アナウンスが、次の駅への到着を告げてくる ――


(2000/08/13 15:06)


ものすごい久しぶりなパロディUPです。しかし……日付を見てもらえばお判りの通り、書いたのは遠くはるかな過去のお話……
諸事情により、UPできずにいたこのお話しが、さらなる諸事情によりUPできることとなり……そこで古い話だからとお蔵入りにせず、UPしてしまうあたり、私もとことん貧乏性ですね(苦笑)
いやなにしろ、このところめっきりパロディ離れが激しいもので、ここらで一作ぐらいUPしとかないとさすがにお客様にも悪いですし……

まあ、そういうことです(強引にまとめる)
元ネタは確か、某所のチャットで出てきました。あの頃チャット仲間だった人たちで、今でもこのサイトに出入りしてくださっているお方……二人ぐらいしか心当たりなかったり……(遠い目)


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