メディカルルームの自動扉が、音を立てて開いた。
反応してはっと顔を上げた003と、入室した002の視線が真っ向からぶつかる。
「あんた、なにやっ……」
てっきりまだ眠っていると思っていた相手が、起きあがり靴を履こうとしているのを見て、002は驚いたように足を止めた。その背後で、用を終えた自動扉が元の位置へと戻る。
その音で我に返ったのだろう。彼は顔をしかめると、大股にベッドへと歩み寄っていった。
「無茶すんじゃねえよ。まだ寝てろ」
不機嫌そうに投げつけられた言葉に、しかし003は小さくかぶりを振った。
ベッドに腰を下ろした姿勢で、もう一方のブーツへと手を伸ばす。
「大丈夫。ちょっと目眩がしただけだもの。戦いはどうなってるの?」
「001が目ぇ覚ました。いまはあいつの見張りでみんな休んでる。あんたも寝てろよ」
「あなたは?」
「 ―― え?」
「みんな休んでるんでしょ? あなたは休まないの」
「オレ、は」
見上げてくる碧色の瞳に、002は一瞬、返す言葉を奪われたようだった。
小さく息を呑み、そうして彼は床へと視線を落とす。
「オレは……いいんだよ。怪我もねえし」
「駄目よ、002」
しぼり出すかのような呟きに、003が眉を寄せる。だが002はその言葉を無視し、上目遣いに彼女を見返した。
「だいたいあんたは無茶しすぎだぜ。女は黙って男に守られてりゃいいんだよ。なのに、なにも倒れるまでだなんて……」
「そういう言い方って男女差別じゃない? 私だって00ナンバーの仲間なのよ。みんなといっしょに戦うわ」
「戦うなって言ってるんじゃねえよ。無茶するなって言ってるんだ」
互いに言い交わす声が、じょじょに高いものに変わっていった。
「無茶してるのはあなたじゃない。もしもあのまま見つからなかったら、どんなことになっていたか!」
「だからって、あんたがこんな……」
「ジェット!」
ぴしりと口にされた名に、ジェットは口をつぐんだ。
寝台に腰掛け彼を見上げてくるフランソワーズは、先刻まで意識を失っていたとは思えない、凛とした表情をたたえている。
強い光を放つ澄んだ瞳が、ジェットの青い目をまっすぐに見つめた。
「…………」
やがて。
先に視線を逸らしたのは、ジェットの方だった。
「……強ええな、あんたは」
ぽつりと。
小さな呟きがその唇から洩れた。
うつむいたその顔は長い前髪に覆われ、彼がどんな表情を浮かべているのか判らない。
だが……
フランソワーズは無言でそっと手を伸ばし、力無く垂らされた腕へと触れた。その身体を引き寄せるように、赤い袖を引く。ふりほどくこともできただろう、わずかな力でなされたそれに、しかしジェットは抵抗することなく、従った。
促されるまま上体をかがめたジェットの髪に、フランソワーズの細い指が伸ばされる。
「私が強くなったというのなら、それはあなたのおかげよ」
「 ―― オレの?」
ジェットが驚いたように目を見開く。
「そうよ、ジェット」
彼女は赤金色の髪を撫でていた指をすべらせ、そうして彼の首へと両腕をまわした。
抱き寄せるフランソワーズに、いつしかジェットは床へ両膝を着き、ひざまずくような姿勢になる。
「そう。あなたのおかげ」
下を向いたジェットの耳に、再び囁きかける。
「……BG基地での生活は、ひどいものだったわね」
低く押さえられた、哀しみの色濃く宿る声音。
丸められた背中に、彼女は手のひらを添えた。
「改造されて、目覚めたばかりの私は、与えられた能力に苦しんで、悲しんで……泣いてばかりいたわ」
「 ―――― 」
ジェットは、答えようとしなかった。
あの実験施設へと、ジェットの次に連れてこられたのが彼女だった。未だ年若い、ごく普通の家庭に生まれ、愛されて育っただろう、美しい少女。それが実験体としてむごい改造を施され、来る日も来る日も訓練と称した戦闘の中へと送り込まれ。
暴力や武器とけして無縁ではない暮らしを送ってきていたジェットですら、その日々は辛く苦しいものだった。まして彼女にとってはどれほどか……
だが、フランソワーズは言葉を詰まらせることもなく、先を続けた。
ジェットの背を撫で、乱れたその髪を優しく
梳いて。
「もしも、一人だったなら。私は泣きやむこともできず、あのまま死んでしまっていたかもしれなかった。でも、あなたがそんな私を支えてくれたわ。戦闘訓練で、身をもってかばってくれたこともあれば、こうして
―― 」
言葉を切り、その頭を抱きしめる。
「一晩中抱いていてくれたことも、あったわね。……あなたがそんなふうに守ってくれていたからこそ、私は004や他のみんなと出会うまで、生きていられたのよ」
まわした両腕に力をこめる。
そうして彼の背を見下ろすフランソワーズの横顔は、どこまでも優しいそれだった。
「だから、ね。ジェット」
「……なんだよ」
掠れたような声が、短く問い返した。
その響きに、フランソワーズはくすりと小さく笑みをこぼす。
「今度は、私があなたを守ってあげるわ。あなたや、イワンを……今度は私が」
ジェットの背が、小さく震えた。
「……へ」
やがて、自嘲するような声が、うつむいた口元から洩らされる。
「あんたが、オレ達を、ね……」
震える声で呟いて。
しかしジェットは動こうとしなかった。
ただじっと、フランソワーズの胸に上体を預けている。
しばらくして、その両腕が、おずおずと上げられた。
まるで壊れ物でも扱うかのように。ためらいがちな動きで、フランソワーズの腰へとまわされる。
床に両膝をついたその姿勢は、どこか、すがりつくかのような仕草にも似ていて
――
* * *
夜明け前の、空が青みを帯びてくる、黎明の時間。
ドルフィン号はひっそりとその姿を海面上へと現していた。
水平線を見はるかせば、黒々とわだかまる孤島の影が、空を切り抜いたかのように浮かび上がっている。
「そろそろかな」
甲板上で009が呟いた。
吹き付ける潮風に髪とマフラーとがたなびいている。
「だいたいにおいて、夜明け直後が一番、警戒の緩む頃合いだからね」
008が答えた。
長い闇の時間が終わり、新たな一日が始まるひととき。はりつめていた緊張が解け、次の者達との交代を間近に控えたこの時間帯こそが、もっとも志気の下がるものでもある。
009は小さくうなずいて、一同を見わたした。
「じゃあ行こう。みんな」
「ああ」
「まかせとけ」
それぞれが代わる代わる頷きを返した。
と……
004が傍らを振り返った。
「おい、今日はちゃんと打合せ通りにやるんだぞ」
「 ―――― 」
声をかけられた002は、ふてくされた表情でそっぽを向いた。
反省の色のうかがえないその態度に、一同が内心でため息をつく。しかし……
「002」
003が、小さくささやいてその袖を引いた。
穏やかな眼差しで、頭ひとつ半ほど上にある顔を見あげる。
002はあさっての方向を見たままだった。
だがやがて ―― ぼそりと低く呟く。
「……判ってる。ちゃんとやるさ」
その言葉を聞いて、003はにっこりと微笑んだ。
そうしてちょっと背伸びをし、その頭を軽く撫でる。
子供扱いするなと怒るかに思われた002だったが、特に何も言うことなく、黙ってその手を受け入れていた。
「…………」
一同は、しばしどう反応するべきか迷い、こっそりと視線を交わし合った。
やがて無言の内に、見なかったことにしようということで、意見が一致したようだ。
“ソロソロ行カナイト、夜ガ明ケテシマウヨ”
ギルモア博士の腕の中で、001が口を開いた。
その言葉に、みなはっと我に返る。
「あー、そんじゃぁ」
「出発するアルか」
007が頭を掻き、006がちょこちょこと舷側へと向かった。
「博士、001を」
「おお。気をつけてな」
手を伸ばした003へと、ギルモア博士が001を渡す。
「はい。博士も、なにかあったらすぐに連絡して下さいね」
「うむ」
うなずくギルモア博士に手を振って、一同は順繰りに甲板の手摺りを乗り越えていった。
押さえられた水音が、連続して上がる。
003に続いて飛び込もうとした002だったが、その背中をぽんと叩く手があった。あ? と振り返る彼を追い越し、004が甲板を蹴る。
一瞬見えたその口元に、かすかな笑みが浮かんでいたような気がして。
だが反射的に目で追った時には、もう水音と跳ね上がるしぶきが存在するばかりだった。
「…………」
002はしばしぱちくりと揺れる海面を眺めていた。が、はたと気づくと、既に艦上に残っているのは彼とギルモア博士だけになっていた。
「っと、ヤベっ」
掴んでいた手摺りを慌てて離し。
そうして彼もまた、宙へとその身を躍らせた。
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