時の虜囚
 ― CYBORG 009 FanFiction ―
(2002/6/23 21:20)
神崎 真


 細かい砂をはらんだ風が、丘の上を吹き抜けていた。
 縦横無尽に吹きわたる風の流れは、気まぐれにその方向を変え、高く時に低く、すすり泣きともとれるうなりをあたりへと響かせている。
 だが、あの不思議な形をした岩は、既にその形を崩してしまっていた。たとえどれほど風が共鳴音を響かせようとも、もはや黄金のピラミッドも、哀しく美しい王女も、二度とぼく達の前に姿を現すことはできないのだ。


 テントを出たぼくは、ゆっくりと歩を進め、丘の上へと登っていった。
 青白く降りそそぐ月の光が、あたりの様子を浮かび上がらせている。
 草木一本存在しない、荒涼とした岩肌。眼下に広がるのは、何百年も前にうち捨てられた、虚しい廃墟の町。
 ぼくは、顎に力をこめ、奥歯の横にあるスイッチを噛んだ。
 かちりというぼくだけに聞こえる音が響き、そうして ――
 世界から、音が消える。
 鼓膜を震わせていた風鳴りは途絶え、ひるがえっていたマフラーがばたつく音さえも聞こえなくなり。巻き上げられ、肌を刺していた砂塵の痛みも消えてしまった。
 凍った時間。
 ぼくの周囲にあるもの全てが、その動きを限りなく遅くし、緩慢な時の流れの中、ぼくだけがひとり違う世界へとたたずむ。


「 ―― イシュキック」


 ぼくは小さく王女の名を呼んだ。
 けれどその呼びかけを耳にする者はいない。誰ひとりとして。
 閉ざされた世界へと消えてしまった、あの女性ひとの耳にこの声が届くはずはなく、またこうして違う時間にいるぼくの言葉が、他の仲間達に聞こえることもない。
「イシュキック……」
 空を見上げれば、数え切れないほどの星が、夜空をびっしりと埋めていた。
 けれどその星々は、またたきもせず、ただ冷たい輝きを宿して凍りついている。
 圧倒的な静寂。
 動くものもなく、耳に届く音もなく、世界にただぼくひとりだけが存在しているかのような、怖ろしいまでの孤独感 ――


 王女イシュキック。
 今頃きみは、これと同じものを感じているのだろうか。
 いつ終わるともしれない、時間ときの虜囚。
 きみに黄金の番人という役目を与えた創造主とやらは、その孤独感を、どうして思いやろうとしなかったのだろうか。


 ぼくの姿を目にしたときに、涙を流したきみ。
 出会って間もないぼくに、側にいてくれとすがりついてきたきみ。
 唐突ともいえるその振る舞いを、どうしてぼくが拒絶できただろうか。
 みなが不審に思っていたのは判っていた。
 惑わされているのだと。正気に戻れと、仲間達はぼくをひきとどめた。
 けれど、ぼくは正気だった。
 ぼくは確かにぼく自身の意志で、きみに手を差し伸べようとしていたんだ。
 なぜならば、ぼくもまた、かつていつ終わるとも知れない、孤独の時を過ごしたことがあったから ――


 それは、みなにとっては瞬きするほどの間でしかなかった。
 けれどぼくにとっては、長い長い時間だった。
 それも終わるかどうかすら定かではない、あまりにも唐突に訪れた、孤独。
 いつもの定期メンテナンスが終わったあと、目覚めたときには世界が止まっていた。
 加速装置の暴走。
 故障した装置を修復できるただひとりの人さえもが、手の届くことない、止まった時間の向こう側に存在していて。


 ……幸いにも、ぼくはこうして元の時間に戻ってくることができた。
 けれどあの時のことは、いまでもたまに夢に見る。
 夜中にぽっかりと目が覚めて、いても立ってもいられなくなることがある。
 あの怖ろしい孤独の中に、再び放り込まれたのではないか、と。そんな恐怖に駆られ、ぼくはひとり部屋を飛び出す。そうして打ち寄せる波の音を聞き、頬を撫でる風の感触を確認して、ようやく安堵するのだ。
 ぼくはちゃんと、みなと同じ世界に存在しているのだ、と ――


 けれど、イシュキック。きみは……


 たとえどれほど風の音がその耳に響こうとも。
 流れる砂が、目の前で美しい模様をえがき出そうとも。
 きみのいるその世界には、きみの孤独を癒してくれる誰ひとりとして、存在しはしないのだろう。


 そんな孤独は、はたしてどれほどのあいだ、きみをさいなんできたのか。
 機械であった身体に、感情すら生まれてしまうほどの、長い長い時間。
 そして気の遠くなるようなその末に、やってきたぼくの姿。
 それは、果たしてどれほどの喜びを、きみに与えたことだろうか。


 きみが流したあの涙を、共にいてくれとすがりついてきたその言葉を、ぼくはけしておかしいとは思わない。
 もしもあの悪夢のような一月の間に、誰かがぼくの前に現れていたとしたら。
 たとえそれがどれほど醜い怪物であったとしても、ぼくは懇願していただろう。側にいてくれと。どうかぼくを救ってくれ、と。


 だから、ぼくは……


「ごめんよ、イシュキック」


 ぼくはうつむいて、呟きを落とした。
 誰の耳に届くこともない、呟きを。


 凍った時間の中、ただ月の光ばかりが白々と降りそそいでいる。
 無音の世界。美しいけれど、どこまでも寂しいこの光景。
 その中に、もうしばらくこうしてひとり、たたずんでいたかった。
 今のぼくにできることは、ただそれぐらいしか、思いつかなかったから ――


(2002/6/23 22:26)


平成版アニメ第35話「風の都」の後日談です。後日談……っていうか、むしろ自己解釈ですが。
原作を読んだときは、イシュキックのあまりの唐突な口説きぶり、そして島村さんのそれに揺れてるっぽい優柔不断さがいまいち気に入らなかったこのお話。しかし今回の平成版アニメで、「結晶時間」を数話前に持ってこられ、かつイシュキックの設定に幾分のアレンジを加えられたことで、かなり感情移入させられてしまいました。

私の解釈としては、やっぱりジョーのイシュキックに対する思いは、けして恋愛感情などではなかったと思います。そして彼は、イシュキックと一緒に行こうとしたわけでもなく、あくまで彼女をあの閉ざされた世界から連れ出そうとしていたのではないかなと、そんなふうに思っています。


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