「別に……なんでもねえよ。ほっといてくれ」
そう言って、毛布を引き寄せ背を向けてしまったジェットに、そのベッドの傍らに立ったグレートは、小さくため息をついた。
つるりとした頭を撫でながら、しばし次に口にするべき言葉を選ぶ。
「……イワンが、言ってたぜ。お前のおかげだったって」
その言葉に、ふとジェットが反応を見せる。肩越しに向けられた視線をとらえ、グレートは肩をすくめるようしてみせた。そうして彼は、ベッドの端へと腰を乗せる。その重さに、マットがきしりと音をたて沈んだ。
斜めにジェットを見下ろすようにして、彼は先を続ける。
「お前がジョーのもとに飛んでいってくれたからこそ、自分もあいつを補足できたんだって。そう、言ってたよ」
一言一言、確かめるように、言葉を落としてゆく。
* * *
―― 地下帝国、ヨミの滅亡。
数カ所に仕掛けられた水爆により消滅したそこから、彼らサイボーグの仲間達は、間一髪で脱出を果たしていた。危ういところで目を覚ました、イワンの超能力によって。
そして、逃げ出した魔神像もろとも成層圏へと飛び立ち、その爆発で虚空のただ中に放り出されたジョー。それを追い、彼と共に大気圏へ突入して重傷を負ったジェット。
大気との摩擦で発火し、燃えてゆく身体に意識を失った彼らを、イワンが救った。半死半生の状態で地上に
精神移動された二人は、ギルモア博士の手術をうけ
―― つい数日前に、ようやく身を起こせるようになったばかりだ。
一度は、失ったと覚悟した仲間達。
あのとき、平和のためには犠牲もやむなしという非情な言葉を聞かされて、悲しみにくれたのが嘘のようだった。
だが……
順調に回復している二人のうち、ジェットの様子がどこかおかしいと、フランソワーズが言いだした。ギルモア博士の診断では、どこにも異常は見られない。肉体的には、なんら問題などないはずだというのに。
だが、異常を疑い出せば、心当たりはありすぎるほどにある。あの戦いの中で経てきた様々な事象は、どれひとつとっても尋常ではなく。そのどれかが原因で何かがおかしくなったと言われても、充分うなずけるだけのものがあった。
心配し、言葉を交わしあう仲間達をよそに、グレートはつと席を立ち、ジェットの休む病室へと足を向けた。
なぜなら彼には、ジェットが何を想い、らしからぬ雰囲気を漂わせているのか、判るような気がしたからだ。
* * *
舞台で鍛えられたグレートの声は、小さな呟きであっても、はっきりと聞く者の耳に届く。
「 ―― いくらイワンが超能力を持ってるからって、万能な訳じゃぁない。あの時も、俺達をテレポートさせるのが精一杯で、とてもジョーの所在を追ってはいけなかったそうだ」
視線をはずし、足下の床へと落とす。ジェットは、それでもグレートの横顔を見上げたままでいた。
あのときイワンは、逃げ出した魔神像へとジョーを送り込み、そうしていまにも爆発しようとする地下帝国から、すかさず仲間達を救い出した。そのためにみなの意識を失わせ、一人一人を把握し、転移先の安全を確認して、座標を固定し
――
それはわずか一瞬の作業でしかなかったけれど、それでも必要とした集中力は莫大なものだった。だからこそ彼は、無事にみなを転移させ終えたときにはもう、魔神像の姿を完全に見失っていたのだ。
いくら意識の網を広げてみても、成層圏は遠くまた広く。そうしてイワンは疲れ切っていた。
『ひどい! ひどすぎるわ』
顔を覆い泣き伏すフランソワーズ。他の仲間達もみな、沈黙の内に哀しみをあらわし。もはやどうすることもできぬ喪失感に、為すすべもなく海上を漂っていた。
けれど……そんな中でただ一人行動を起こしたジェット。
仲間の死をだまって見ていられないからと、ロケットへ点火し、成層圏目がけて飛び立っていった彼。
その背中を、仲間達がどんな思いで見送ったことか。
「お前が飛び立って、あいつの所まで案内していってくれたからこそ、イワンはお前達が意識を失ってすぐに、地上へと移動させることができたんだとさ」
そう結んで、グレートは目を伏せて笑った。
手を伸ばし、ふくらんだ毛布を二三度ぽんぽんと叩く。
「 ―― ま、そういうことだ」
軽く弾みをつけて、立ち上がった。
そのままもう、振り向きすらせず扉へと向かう。
その後ろで、小さく身じろぎする気配がした。
「……サンキュ」
扉を閉める寸前に、かすかに聞こえた言葉。
グレートは肩越しに軽く手を振って、部屋を出る。
病室を後にしたその足で建物の外へ出ると、心地よい風が吹きわたっていた。
海のそばに立てられた研究所の周囲には、自然が多く、のんびりと散策するにはもってこいになっている。
柔らかな下草を踏み、ゆっくりと足を運ぶ。と、少し離れた場所から手を振る影があった。
手をあげ返し、そちらの方へと足を向ける。
「やるかい?」
出迎えたハインリヒは、そう言って封の開いた煙草のパッケージをさしだした。
彼の口元にも、半分ほどの長さになったそれが、くわえられている。
「もらおうか」
遠慮なく一本抜いたグレートの前で、無造作にライターが鳴らされた。
しばし、二人は無言で紫煙をくゆらせる。
黒い幽霊を葬り去ったいま、彼らはかつてない平穏の内に日々を過ごしていた。
この平和な時間がどれだけ続くものかは判らない。もう二度と戦いなどせずにすむのかもしれないし、あるいは明日にでも、再びどこかで何かが起こるのかもしれない。
だがいまこのとき、この瞬間。彼らはひとりの仲間も欠けることなく、ここにいる。
その、幸せがあるのは。
誰一人失うことなく、穏やかな気持ちで過ごすことができている。
その平穏を、もたらしてくれたのは ――
「……何もできなかったのは……俺達の方なんだよな」
ぽつりとグレートが落とした言葉を、煙と共に風がさらっていった。
己は無力だったと。イワンがいなければ何もできなかったのだ、と。そんなことを考えるべきなのは、けしてジェットではなかった。少なくとも、彼は、彼とジョーだけは、そんなことなど思いわずらう必要はなかった。
―― いっそ鮮やかなほどに晴れわたった、明るく広大な青空。その中を、まっすぐに飛んでゆくジェットの後ろ姿。
グレートでは、どれほど大きな鳥に変身したとしても、追いつくことなどできない。そしてそれは、他のどの仲間達も同じことで。
「…………」
傍らに立つハインリヒは、なにも答えようとはしなかった。彼はただ、薄い色の瞳を空へと向け、煙をたなびかせている。
そのまま、彼らは互いに何を言うでもなく、肩を並べていた。
やがて、そんな二人へと呼びかける声が聞こえてくる。
どうやら、いつの間にか姿を消していた二人を、みなが探していたらしい。
「 ―― いくか」
「ああ」
それぞれに煙草をもみ消して。
そうして彼らは、ゆっくりと歩きだした。
先ほどまで立っていたその場所に、小さな吸い殻だけを、ぽつりと残して
――
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