Wachet auf, ruft uns die Stimme
 ― CYBORG 009 FanFiction ―
(2002/1/4 23:53)
神崎 真


 乾いた口調で淡々と説明する009の様子は、誰の目から見ても、ひどく疲れているように思われた。
「それで、その子を母親の所まで連れて行ってから、戻ってきたんだ」
 そうしめくくって、彼は006が淹れてくれた飲み物へと口をつける。こくりと小さく喉が動いた。両手で包み込むように持ったマグカップ。手の中の小さな水面を見下ろす瞳が、深く、沈んだ色をたたえている。
「 ―― コズミ博士の、容態は?」
 ややあってから、彼はそう問いかけた。
 その言葉に、一同ははっと我へ返り、そうして互いに戸惑ったような視線を交わす。
「あ〜、ギルモア博士が、いま診察しておるのだが……」
 007がそう言って、閉じたドアの方を見やった。
“心配ナイヨ”
 001のテレパシーが頭の中に響いた。皆の目が003の腕の中へと集中する。
 脳を改造され常人とは異なった知覚を持つ赤子は、前髪に隠された瞳を淡く輝かせながら、先を続けた。
“年ガ年ダカラ、だめーじハアルケレド、特別ニ怪我ナドハナイヨウダ”
「そうか……」
 それを聞いた009の口元に、ようやく淡い笑みが浮かぶ。
「009も、休んだ方が良い」
 005が彼の肩へと手を置いた。
 誰もが思っていて口に出せずにいた言葉だ。普段ほとんどしゃべらない彼の言うことは、それだけ聞く者の耳に重く響く。
「そうだな。弾は防護服が防いでくれたとはいえ、痛みはあるんだ。少し横になっていろ」
 004もそう勧めた。
 なにか辛いことがあったらしいと、察しているようだった。だが、彼はそれを問いただそうとはしない。
 気遣うことはできても、まだ互いの内にまで踏み込めるほど、彼らは打ち解けていなかった。
「そら、よこせよ」
 横から手を伸ばし、002が空になったカップをひったくる。
「う、ん。そうする。何かあったら起こしてくれ」
「いーからさっさと行け! うっとおしい」
 怒ったように声を荒げる002に、小さくうなずき、009はドルフィン号のコックビットを出ていった。
 自動扉がなめらかにすべり、その後ろ姿を隠す。
「ったく ―― どうしちまったんだよ、あいつは」
 002が吐き捨てた。
 奪ったカップをもてあそびながら、閉じたドアを眺める。その様子は、怒っていると言うよりもいらだたしげなそれだった。怒りを見せようにも、事情がはっきりしないだけに、もどかしいものを感じているようだ。あるいは……彼もまた、彼なりに009のことを心配しているのかもしれない。もっともそんなことなど、この意地っ張りな若者は、そうそう認めようとしないであろうが……
「詳しいことは言わなかったけれど、たぶんその0013との間に、なにか通じるものがあったんじゃないかな」
 言葉を選ぶように、008が呟く。
「 ―――― 」
 居心地の悪い沈黙がコックピットを満たした。
 003が、物思わしげな瞳でひとり壁を眺めている ――


 小さなノックの音が、室内へと響いた。
 聞こえてはいたけれど返事をする気になれなくて。黙ったままでいると、ややあってためらいがちに扉が開けられた。
「眠ってなかったのね」
 防護服のまま、作りつけのベッドへ腰を下ろしている009に、003が心配するような声をかけた。
「何かあったのかい」
 問い返した009へ、小さくかぶりを振る。
「ううん。ただもうすぐ洞窟へ着くから、009はどうするかと思って。辛いようなら、このままここで休んでるといいわ」
 本当なら、コズミ邸のきちんとしたベッドを使った方が、身体には良いのであろうが。
「大丈夫。身体は何ともないんだ」
「009……」
「ゼロゼロナイン、か」
 うつむいた009が、持ち上げた手のひらへと視線を落とした。
「ゼロゼロナンバーサイボーグ……肉体のほとんどを機械に置き換えられた、9番目の兵器。その通りなんだね、ぼくは」
 003がはっと息を呑んだ。だが009は、それに気付くことなく、先を続ける。
「あんなに撃たれたのに、本当に怪我ひとつしちゃいないんだ。痛みはあるって004は言ったけれど、それだって、たいしたものじゃぁなかった」
 ぐっと拳を握りしめる。
「ゼ……」
 呼びかけようとした003は、コードナンバーを口にすることができず、言葉を呑み込んだ。だが、目の前で苦しんでいる彼を、放っておくことはできなくて。
 しばらくためらったのち、やがて彼女は、そっと手を伸ばして栗色の髪へと触れた。
 驚いたように顔を上げた009に、柔らかく微笑みかける。
「003 ―― 」
 優しく見下ろしてくる彼女を見る目に、やがて光るものが現れた。
 それを隠すように、彼は再びうつむいてしまう。
 かすかな……震えを帯びた声が、その口から漏れた。
「ぼくは ―― 最期に彼の本当の名を呼んであげることも、ぼくの名を教えてあげることも……できなかったんだ……」
 003の強化された耳には、押し殺そうとするすすり泣きがはっきりと聞こえていた。
 だが、彼女は気付かないふりをして、彼の柔らかい髪を優しく撫でていた。


 どのぐらいたっただろうか。
 いつしか窓の外の風景は、見覚えのある、コズミ邸近くのものになっていた。
 009の嗚咽はもう収まっていたけれど、彼はなかなか動こうとはしなかった。003も口を開きがたく、無言のままに立ち尽くしている。
 思っていたよりもずっと柔らかい009の髪が、暮れ始めた光を浴びて金色に輝いている。そんな様を眺めながら、彼女はとても綺麗だなどとぼんやり考えていた。
「本当の、名前……」
 009が、ぽつりと呟いた。
 え?と見直した003の前で、彼は下を向いたまま続ける。
「 ―― そういえば、君たちにも、言ってなかったっけ」
「そう……ね。そんな余裕すら、今までなかったわ」
 本当の、血の繋がった両親から与えられ、愛する人達から呼ばれ続けてきた、自分の名前。
 そんなものは、ブラックゴーストにさらわれ、改造されたときに失ってしまった。長い時間を眠らされて過ごし、もはや人間だったときの家族にも、友人にも会うことはできない自分。おそらくはこの先ずっとコードナンバーで呼ばれ続け、二度とその名を耳にすることはないのだろうと、そんなふうに考えていた。
 だから、仲間達に対しても、あえて名乗ろうと思いはしなかったのだ。本当は、告げようとすれば、そうする機会ぐらいはいくらでもあったのだけれど。
 自分はサイボーグ003なのだから。いまさら人であった頃の名前など、なんの意味があろうか、と。
 しかし ――
「訊いても、良いかな」
 問うてくる009の声は、ひどく心地の良いものだった。
 彼は、彼女が人間ではないことを知っている。それでもなお、人間としての名を、問いかけてくれるのだ。
 それは、他でもない彼自身が、人間でありたいと思っているがこそなのだろうが ――
 003は、ひっそりと微笑んだ。そこにたゆとう哀しみと、そして喜びは、009の目には映らなかったけれど。
「フランソワーズ……フランソワーズ・アルヌールよ」
 ささやくように、発音する。
「フランソワーズ」
 確かめるように、009が口の中で繰り返した。
 そうして、ようやく彼は003を ―― フランソワーズを見上げる。
 薄い色の瞳に夕陽が映りこみ、その中にフランソワーズの姿を浮かび上がらせていた。
「きれいな名前だね。ぼくは、ジョー。島村ジョーって、言うんだ」
「……ジョー?」
「うん」
 うなずいて、それからにこりと微笑んでみせる。
 まだどこかに寂しげなものを残した、けれどどこまでも穏やかで、優しい笑顔。
「ジョー……」
「フランソワーズ」
 互いの名を呼びながら、互いの姿を見つめ合う。
 髪に触れていたフランソワーズの手が、そっとすべった。頬へと落ちたその指に、ジョーが意外なほど温かい手のひらを重ねる。


 ノックの音とほぼ同時に、勢いよく扉が開かれた。
「おい! 009、生きてるか!?」
 荒っぽい口調で言いながら、002がずかずかと入ってくる。
「そろそろコズミ邸につくぜ。動けねえようなら俺が ―― って、あれ?」
 そこまで一気に言って、ようやく室内にもうひとりいることに気がついた。
「003?」
 きょとんとしたように首を傾げる。
 その後ろ、戸口から覗いていた006が、アワワという顔をして手足をばたつかせた。
「002……ああ、うん。大丈夫。一人で歩けるから」
「ほんとかぁ?」
 疑わしげに眉をひそめる002に、ジョーはほら、と立ち上がって見せた。
「平気だって」
「なら、良いんだけどよ」
 どこか憮然とした様子の002に、ジョーはにこっと笑いかける。
 それからフランソワーズの方を振り返った。
「さ、いこうか」
 促そうとして、ぱちぱちと目をしばたたく。
「どうしたの? ―― 顔が赤いけど」
「え……その、だって……」
 うっすらと上気した頬を押さえて、フランソワーズはうつむいた。
 よく見ると、耳たぶのあたりにまで血の気が昇っている。
「どうした? やっぱり009の調子、良くないのかい」
 戸口から、008がひょいと顔を出した。続いて007。
「ううん。大丈夫だよ。それより彼女が……」
 様子がおかしいんだけど、と言うよりも早く、フランソワーズはジョーを置いて歩きだした。
「なんでもないわ。さ、降りる支度しましょ」
「あ、ああ」
 戸口に固まっていた野郎どもを押しのけるように、彼女はさっさと廊下へ出ていった。
 思わずその後ろ姿を見送ってしまった一同だったが、やがて一人また一人と、再びジョーの方を見やる。
「ええと、ほんとに大丈夫なのかい?」
「うん。ありがとう」
 うなずくジョーは、まだどこかに疲労の名残があったけれど、無理をしているようには見えなかった。これならば心配することはないか、と008は一安心する。


*  *  *


 あの夕方、君がぼくに教えてくれた、君の名前。
 君に教えた、ぼくの名前。


 ―― フランソワーズ!
 ―― ……ジョー?


 降誕祭ににぎわうパリの郊外で。
 ぼくは君の名を呼ぶことができた。
 ぼくの声を耳にして、君はぼくを見つめ返してくれたね。


 あのとき、君の名を呼ぶことができて、本当に良かったと思う。
 君を呼び戻すことができて、ぼくは、本当に嬉しかったんだ……


(2002/1/5 13:20)


みーさまとのチャット中に浮かんできたネタでした。
ええと……93未満っていうか、むしろ39状態になっちゃってますが(汗)
この段階の彼らは、まだまだ恋愛以前、ということで。
それにしてもジョーが……ちょっと弱すぎますかね。平成版アニメを見ていると、どうもこんな感じになっちゃって。原作の方では、もっと芯が強いイメージがあるんですけど。
そして困ったときのジェット頼み ―― ごめんよジェット。きみが嫌いな訳じゃないんだが(苦笑)

タイトルの「Wachet auf, ruft uns die Stimme」はバッハのカンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」の原題です。別にこの曲が大好きと言うわけでもないんですが、全然題が思いつかなかったもんで(汗)


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