眠れぬ夜に望むのは
 ― CYBORG 009 FanFiction ―
(2003/08/19 21:17)
神崎 真


 ボクを抱き上げるその手のひらは、かすかに冷えて、震えていた。
 無言のままに寄せられる頬。
 触れあう皮膚の向こうから、流れ込んでくる思考。


 ―― それは、ボクが長い眠りから目覚めて二日目のことだった。
 一月を常人の一日として認識するボクにとっては、まだまだ朝早くでしかない、深夜の時間帯。
 日本時間では、ちょうど日付が変わった頃合いで。戦闘時でもない平和な現在、ギルモア邸内で起きているのは、ボク一人だけだった。ほんの、つい先刻までは。
 ボクは思考の網をゆったりと広げ、ギルモア邸のある地域一帯を包み込んでいた。そうすることで、周囲に異変が生じた場合にはすぐに察知し、いち早くみなに知らせることができるからだ。それに、みなが眠っている間、一人ゆりかごの中で天井を眺めているのは、なかなか退屈なものだ。もちろん、思索に耽る材料は幾らでもあったけれど、考えことばかりしているのも、時には飽きてくる。
 だから、二階の一部屋で突然彼が目を覚ました時も、ボクはすぐにそれを知ることができた。
 ベッドの上で身体を起こしたまましばらくを過ごし、そうして裸足の足を床へと下ろす。二歩、三歩。六歩目でドアへとたどり着き、廊下に出る。
 電気はつけぬまま階段を下りて、そうして向かう先はやはり暗いリビング。
 壁の向こう、廊下をまっすぐにやってきて ―― ドアノブが、かちゃりと小さな音をたてた。


◆  ◇  ◆


 ナイフが肉へともぐり込む感触は、何度味わっても慣れることはなかった。
 金属の刃が生きた肉を裂き、健をぶち切り、そうしてあふれ出る生温かい液体が、俺の手を濡らす。
 ぐえ、という潰れた呻き声が、耳朶に湿った響きを吹き込んで。


 目を覚ませば、そこは見慣れたギルモア邸の自分の部屋だった。
 毛布をつかみ、上体を起こし、壁に貼ったポスターを凝視している自分。
 荒い呼吸が耳障りだった。冷えた指先の、かすかに震えている感触が煩わしい。この身体はどこまでも作り物でしかないくせに、なんだって手のひらが汗で濡れたりなどするのだろう。
 夢を見ていたのだと、把握するのはわずかな時間。
 これだけ何度も同じことを経験していれば、いくら俺でもそれぐらい学習する。
 呼吸を整えて、冷たい指先を拳に握り込む。
 けれどそれは、いつまでたってもぬくもりもせず。
 小さく息を吐いて、床へと足を下ろした。かかとの噴射口がフローリングにぶつかって、こつりと固い音をたてる。
 廊下に出て、目指したのはリビングだった。
 暗い階段を下り、人気のない廊下をたどる。自動的に暗視モードへ切り替わっている視界に、ガラスをはめ込まれた飾り扉が映った。
 伸ばした手の先で、ドアノブがかちゃりと小さな音を立てる。


◆  ◇  ◆


 リビングは、月明かりがもたらす蒼い闇に包まれていた。
 昼間はにぎやかなざわめきと温かな陽光に包まれるそこは、夜半をすぎた現在、ひっそりとした静けさと、冷たい夜気とに満たされている。
 赤子の横たわるバスケットは、月光の降り注ぐテーブル上へ乗せられていた。
 冴え冴えとした月の光を浴びながら、計り知れぬ知能を持つ幼子おさなごは、目を閉ざすでもなく、ひとり空を眺めている。
 その脳裏を占めているのは、はたしていかなる思考・思索であるものか。
 無言のまま歩み寄ってくる赤毛の青年を、長い前髪越しの瞳で静かに見上げる。
「 ―――― 」
 つと手が伸びて、小さな身体を揺りかごから抱き上げた。
 指の長い、手のひらの広い大きな手は、いつも危なげなく赤子の身体を支えてくれる。けれど今宵、その身を抱き寄せる手つきは、どこか頼りなく震えていて。
 いったいどれほどの間、無言でいただろうか。
 何も言わず、ただ冷えた手で抱きしめる青年と、やはり何も言わぬまま、その腕の中に収まり続ける赤子と。
 やがて青年は、ふと小さく息を吐き、こわばっていた身体から力を抜いた。
 そうして彼は、ようやく思い出したかのように、傍らのソファへと目を向けた。大股に歩み寄り、そっと腰を下ろす。腕の中の赤子は片あぐらをかいた膝の上へと、乗せるように横たえた。
「……よ。悪かったな、いきなり」
 そう言って見下ろす瞳は、既に穏やかな光を取り戻している。柔らかな月の光を浴びて、ほのかにきらめく深蒼ダーク・ブルーのまなざし。
“別ニ、寝テイタ訳ジャナイカラ構ワナイヨ”
 肉声ではない“テレパシー”が、そう言葉を返した。
“ドウヤラ落チ着イタヨウダネ”
「ああ、おかげさんでな」
 青年は無意識の動きで赤子の銀髪を撫でていた。骨張った長い指が、無骨な ―― しかし慣れた仕草で髪を弄ぶ。
“ボクハ別ニ何モシテイナイヨ”
 ただ黙って青年のなすがままにさせていただけで。何を言ったわけでも、自ら手を伸ばし触れたわけでもなく。だから『おかげ』と呼べるようなことなど、してはいないのだと。
 率直に告げる赤子に、青年は小さく笑って見せた。
 だからさ、と返し、小さな頭を包むように撫でる。
 その答えは、赤子にとって納得できるような内容ではなくて。
“ヨク判ラナイ”
 率直に呟く。
 自他共に聡明と認められるこの赤子が、そんなふうな物言いをするのは、この青年の前でだけだ。判らないことなど何もないのではないかと、そう評されるスーパーベビー。その強大な超能力は、この世のあらゆるものを見通すことを可能とする。
 事実今も彼は、なぜ青年が目を覚ましたのか、それは訊くまでもなく知っているはずだ。
“キミガ人ヲ殺シタノハ、一度ヤ二度デハナイダロウ? 黒イ幽霊ぶらっく・ごーすとニイタ頃モ、ソレカラモ、キミハ ―― ボク達ハ、多クノ人間ヲコノ手ニカケテキタ”
 生きるため、平和のため、多くの命を奪い続けてきた。それを今さら悔やむことは無いというのに。自分と仲間を傷つける者を、排除してでも生き延びるのだと、かつての自分達はそう選択したのだ。そうしてあの島から逃げ出した。皆で、幸せになるために。
 それからの戦いは、あるいは避けることができたものも多かったかもしれない。自分達を守るだけに留まらず、目に付いた優しい人達を、無力な人達を救ってやりたいからと、あえて戦いに身を投じたこともある。それでも、それは自分達自身で選んだ道だったはずだ。
 ならば、何故今さら。
 それは、青年にとって、もっとも古い血の記憶。
 いまだサイボーグ化される以前の、下町で起きた出来事。
 青年の属するチームと、対立するグループとの、よくある小競り合いの中で、青年の持っていたナイフが相手の腹を深くえぐっていた。一瞬の沈黙と、それに続く驚愕。そして直後に鳴り響いたパトカーのサイレンに、場にいた人間はみな蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。それは赤毛の青年も例外ではなく。
 その相手が本当に死んでいたのか、それとも命を取り留めたのか、それさえも今となっては調べようのない、遠い遠い過去の出来事だ。
 それから随分の時が過ぎ、様々 ―― と、一言ですますにはあまりにも多くのことがあった。
 なのに彼が夢に見、うなされるのは、はるか昔の、本当に死なせたのかもはっきりしないたったひとりの男のことで。
 その夢も、覆い隠した内心の叫びをも感じ取ることのできる赤子は、それでも理解ができないでいる。
 なぜ、どうして今になってなお、そんなものを気にし続けるのかと。
「……良いんだよ、それで」
 青年はそう言って、赤子の身体を優しく揺すった。
 判らなくて良い。理解できなくて良い。
 自分は、そんなものを求めているのではないのだから。
「もしもお前が、俺の気持ちを理解して、同じように落ち込んだりしたら、それこそやってられねえよ」
“ドウイウ意味ダイ”
「だからさ、夜中に二人で真っ暗になってちゃぁ、それこそ救いがないだろ? お前は俺がなんで落ち込んでるのか知っちゃいるけど、理解はしてない。だから同情もしないし、引きずられてお前まで辛く思うようなこともない。だから、それで良いのさ」
 慰められたいわけではない。自分が辛いからと、仲間にまでそれを飛び火させたい訳でもない。
 ただ、
 こんな夜は、ひとりではいたくないから。
 すぐそばで、温かく息づく気配が恋しくなる、そんな夜だから。
“ナルホドネ”
 そういう考え方もあるのか。
 それは新たな見解だと、興味深くうなずく赤子に、青年はくすくすと含み笑いを漏らす。


 ―― そう。
 求めているのは、けして理解や共感などではなく。
 たとえどれほどちかしく大切な仲間同士であろうとも、お互いに別個の生き物である以上、すべてを理解し合うことなど、はじめから不可能で。
 まして、同じものを見て、同じように喜び、同じことで悲しみ、そして同じように苦しむのならば、二人でいる意味などないのではないか。
 ここにいるのは、愛しく大切な、自分とは違う存在。
 己とは違うものを見て、違うことに喜び、違うことで悲しむ。そして自分が苦しいときにも、揺らぐことなくそばにいてくれる。そんな仲間だから。


“ネエ、じぇっと”
「うん?」
“ボクハオナカガ空イテイルンダケド”
「ああ、ミルクだな。ちっと待ってろ。いま作ってやるから」
“ウン、頼ムヨ”


 眠れぬ夜には、言葉を交わそう。
 けして判りあうことのできない仲間と共に。
 優しくそして意味のない。そんな、言葉を ――


(2003/09/21 11:45)


唐突にこのコンビが書きたくなったのは良いですが、結局途中で引っかかって、しばらくほったらかしになってました(苦笑)

どんなに仲の良い人間同士でも、同じ人間ではない以上、真に理解し合うのは不可能だと、私はそう思っています。だからこそ、小説やマンガで、理解し合うキャラクター達に憧れるのですけれど。
でも、もしかしたら本当に大切なのは、互いに理解し合うことではなくて……理解できないことを判った上で、お互いにお互いの価値観を尊重しあうことなのではないかな、と。
最近、そんなふうに思うようになってきたのでした。


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