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 月の刃 海に風 5
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


「しっかしまあ、見事に人のきた形跡ってモンがないよな」
 自ら先頭に立ち道を切り開きながら、トルードがしきりとぼやいていた。足元の地面は比較的平坦だったが、いかんせん下生えが多い。遠目には密生しているように見えた樹々に思いのほか隙間があったおかげで、陽光が地面まで差し込んでくるのが原因かもしれない。
「虫が少ないのは助かるかな」
 そう言うジルヴァは、枝にひっかけないよう片手で髪を押さえていた。ガイが広い手のひらをそれに重ね、さらに頭を低くさせる。
 こんな探検など本来船長の、しかも足の不自由なジルヴァが同行するようなものではなかった。適材適所という言葉のとおり、こういったことは肉体労働担当者にまかせておけば良いのである。しかし前述したように、長い航海経験を持つ割にこういった島へはほとんど上陸したことのなかったジルヴァは、単純にいろいろな所を自分の目で見てまわりたいという欲求があった。そしてガイはというと、その子供のような好奇心を、できうる限りかなえてやりたいなどと考えている。
 まあそれでも本当に危険な場所であったなら、ガイも絶対に連れてはこないし、船の仲間達も口を揃えて引き止めただろう。なによりジルヴァ自身が、状況をわきまえないわがままなど口にするはずもない。
 ただこの程度の大きさの島であれば、さほど危険があるとは思われなかったのだ。大型の肉食獣を養えるほど、この島に獲物となる生き物はいないだろう。まあ野犬や狼の類ぐらいは生息しているかもしれなかったが、そういった相手から逃げるのはガイのお手のものである。
「できればなんか仕留めたいところなんですけど……」
 いないッスかねえ、とあたりを見まわしているのは、異様なほど白い肌をした若者だった。きょろきょろと木々の合間を透かしている目が、木漏れ日を受けて硝子玉のようにきらめいている。褐色をおびた緑の髪もかなり風変わりな色合いだ。
「ザギ、遅れてっぞ」
「あ、はいッ」
 トルードの呼びかけに、慌てたように小走りで駆け寄ってゆき、横に並んで手斧をふるう。
 普通の人間なら耳のある位置に魚の鰭のようなものが生えている彼は、亜人種の一種、有鱗人の出だった。長袖を着ているためぱっと見には判らないが、袖口や首の後ろなどに、数枚緑色の鱗がのぞいている。
 大陸でも内地の方に行くと珍しい亜人種は、沿岸や東部、南部の各諸島近辺ではそこそこ目にされる存在だった。現在ジルヴァの船に乗り組んでいるのは有翼人のガイと彼、ザギの二人のみだったが、別段これといって特別視されている訳でもない。それこそ適材適所として、いろいろな場面で頼りにされることはあるのだが。
 実際、見た目より腕力があり動きも素早いザギは、こういった探索のときなどに重宝されていた。
「こんだけ木や草があるんだから、小動物ぐらいいそうなもんだけどなあ」
 ある意味で一番仕事の少ないガイは、みなから数歩下がった位置でのんきにあたりを見まわしていた。船乗りは概して目が良いとされるが、中でもガイのそれはけた外れである。有翼人種の特性でもあるその鋭い視力が、今も少々変わったものを見つけ出した。
「なんか白い物があるぞ」
 そう言って進行方向を指さす。
 目の前の障害物にばかり注意していた一行は、指を追ってそちらの方角を見やった。
「白い物ッスか?」
 陸上では人並み以下の視力しか持たないザギが、淡い水色の目を細める。
「んー? あれかな」
 トルードや他の水夫達も、まだはっきりとは見えていないようだった。眉の上に手のひらをかざし目を凝らす。
「ま、行ってみるか」
 特にこれと行って目標があるわけでもない。ちょうど向かっている方向でもあったので、そのまま先へ進むことにした。
 そちらに近づいてゆくにつれ木がまばらになり、だんだん見える空が広くなってゆく。同時にあたりの空気に異臭が混じりはじめた。さほど強いものでこそなかったが、鼻をつくそれにみな思わず顔をしかめてしまう。
 やがて彼らは岩場に出た。少し手前で木立が途切れ、子供の頭ほどもある石がごろごろと転がっている場所だ。さらに先では岩肌が立ち上がり、またもや急な崖を形成している。
 そして、そこにあるのは岩ばかりではなかった。
「こいつぁ……」
 全員が言葉を失って立ち尽くす。
 おびただしい数の白骨が、そこには散らばっていた。
 ほとんどが、大型の動物のもののようだった。頭蓋骨にばらばらになった背骨、骨盤 ―― 長く太いものは大腿骨だろうか。あらゆる部位のあらゆる大きさの骨が、散乱するというよりも積み重なると表現した方が近いほど、あたりを埋め尽くしている。
 誰かが喉を鳴らした。
 乾いて白くさらされた骨は、周囲の岩が似たような色合いをしていることもあって、石かあるいは模造品であるかのようにも感じられた。ひとところに不自然なほど集まっている、そのことがまた、作り物めいた印象に拍車をかけている。
 だが風にのるかすかな腐臭が、これは現実の光景なのだと告げていた。
「お、おい。あれ ―― 」
 ひとりが震える指で一箇所を指さした。そちらを見れば、ちょうど片手で持てるほどの大きさの、白く丸いものが転がっていた。トルードがゆっくりと大股で歩み寄る。最初は足で転がそうとし、それから思い直したのか手斧の先でつついた。ごろりと転がって正面を向けたのは、明らかに人間の髑髏しゃれこうべだ。
「うわっ」
 ザギを含めた若い水夫達が跳びずさる。ジルヴァとガイも、息を呑んでそれを凝視した。
「無人島、だよな。ここ」
「うん……人の住んでる気配はないし、それらしき船も見あたらなかった」
 口元を手で押さえながら、それでもジルヴァは目をそらすことなく、岩場全体の様子を観察するように見わたした。
「だいたいこんな小さな島に、これだけたくさんの生き物が住んでるとは思えないよ」
「だな」
 同意してガイも足元にある骨を見下ろした。長さが伸ばした腕ほどもあるそれは、先の尖った形状から肋骨あたりだと想像できた。これほどの長さともなると、身体全体の大きさはかなりのものになるはずだ。たとえ草食動物だったとしても、この程度の島に繁殖が可能なほど食料があるとは思えない。肉食獣ならなおさらだ。
「じゃあ、どういうことです。ずっと昔に誰かが船で運んで捨ててったとでも?」
 気味悪そうにあたりの骨を見やりながら、トルードが疑問を提示した。
「割と新しいのもあるみたいだけど……」
 ジルヴァの視線の先にあるのは、ひからびた毛皮らしきものだった。この臭いのもとはそのあたりだろう。
「だいたい、わざわざそんなことする理由が謎だよな」
 うーむと全員で唸り声をあげる。
「けどまあなんだ、あんま長居したい場所じゃねえし」
 戻るか他の道をさがそうとトルードが言いかけた時だった。
 燦々と降り注ぐ陽の光を、なにかが遮った。前触れもなく落ちた影に、白いものを見続けていた目が一瞬順応できない。
 え? とそこにいた全員が顔を見合わせた。
 その耳に、バサリという聞き慣れたたぐいの音が届く。
 一呼吸おいて、彼らは同時に頭上を見上げていた。


 けたたましいわめき声と細い枝の折れる音を耳にして、コウは眉間にしわを刻んだ。普段あまり表情を変えない彼がそうすることで、あたりで作業していた部下達が数名、声もなく距離をあける。
 砂浜の中程で焚火の準備を見守っていたコウは、弓を持ちなおしながら崖の上をふり仰いだ。ほぼ同時にバキバキと下生えを突っ切って、トルードと他二名ほどが森の中からとび出してくる。
「 ―― どわぁぁああッ!?」
 勢いあまって崖から落ちそうになったトルードが、必死の面持ちでしがみついた。そんな彼を残り二人が慌てて引っ張り上げようとする。
「なにがあった!」
 砂浜から叫ぶコウに、若い水夫達は答える余裕もないようだった。なんとか這いあがったトルードが、四つん這いになってぜいぜいと息を切らしている。三人に続く者がいないことに気づいて、コウはさらに眉をひそめた。弓を握る手に力がこもる。
 次に口を開いたとき、その声は鞭のような鋭さを持っていた。
「船長はどうした」
 まさか置き去りにしてきたのではあるまいなと、鋼色の瞳が三人を睨みすえる。
「だ、大丈……オレら、囮……」
 まだ荒い息で、切れ切れにトルードが返答した。
 どうやら部下として言語道断な真似をしてきたわけではないようだった。連れていった水夫はもう二人ほどいたはずだから、彼らを護衛につけて、トルード達は目を引きつける役目を担当したということか。
 だが問題は、いったいなにに対してそんな真似が必要になったのかということで。
 矢をつがえ、なにが現れても対処できるよう森へと狙いを向けながら、コウは神経をとぎすまし異常を察知しようとした。あたりにいた部下達も、やっていた仕事を放り出し、おのおのの武器を手に異変に対する準備を整える。
 緊張した空気の下りた砂浜に、耳慣れた羽ばたきの音が聞こえてきた。
 ガイ達かと空を仰いだ彼らの視界を、次の瞬間、巨大な影がおおい尽くす。
「な……」
 さしものコウが言葉を失った。
 耳をつんざく金切り声が、空気をびりびりと震わせる。
挿絵5
 木々の梢を越えて現れたのは、信じられないほど巨大な大鷲の姿であった。


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