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 楽園の守護者  第八話
  ―― 南方の姫君 ―― (前編)
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2001/10/13 22:17)
神崎 真


 鬱蒼と茂る木々の枝葉を、時おり吹く風が低くざわめかせていた。
 木立に遮られ、まだらな光を地に落とす森の中を、うねるように街道が伸びている。後にも先にも他の人影の見受けられないそこを、いま数台の荷馬車がゆっくりと進んでいた。
 ごとごとと車輪をきしませながら進む周囲を、商隊の男達が取り囲むようにして動きまわっている。緩みかけた荷を直したり、足を止めそうになる馬をなだめたりと、誰もが忙しそうだ。
 さほど大規模な隊商ではなかったが、荷台の防水布の下に積み上げられた木箱の山といい、幌つきの馬車のきしみ具合といい、そこそこの荷を運んでいるようだった。
 道が上り坂へとさしかかり、男達はいっそう忙しげになった。ある者は、前にまわって馬をひき、ある者は後ろから荷車を押す。石を噛んで動かなくなった車輪へと、かがみ込む姿もあった。
「だいぶ道が荒れているようだな」
 呟くような声を聞きつけて、隊の責任者とおぼしき商人が、ふと顔を上げた。先頭を行く荷車の上で身体をねじり、並んで進む、馬上の人物の方を見やる。
「そうですな。なにしろここしばらく、通る者もほとんどいませんでしたから」
 その人物は、木立を透かすようにして、あたりの景色を眺めていた。
 商人の言葉に反応して、振り返る。
「きちんと整備するよう、後で申し上げておこう」
 穏やかな声で言う。
 その身なりは、明らかに周囲の者と異なっていた。
 あたりで働く男達は、みな質素で動きやすげな服装をしていたが、その人間だけは異質な空気をまとっている。
 厚い生地でできた詰め襟の上着に、麻の洋袴ズボン。馬の腹であぶみに掛けられているのは、革でできた長靴ちょうかだ。留め具に宝石をはめ込んだ剣帯から、細身の刀を下げている。
 革製の胸当てに象眼された紋章を見るまでもなく、貴族階級に属する人間なのだと判った。吹く風をはらんで、外套が大きくひるがえる。
「この森を抜けるには、どれくらいかかる?」
 問いかけに、親子ほども年上の商人は、丁重に答えを返した。
「おそらく、日が暮れるまでにはなんとかなるかと。……なにせ、こう見通しが悪くては、そうそう速度も出せませんし」
「なるほど……」
 さもありなん、とうなずく。無意識に動いた手が、剣の柄をそっと撫でた。口元に、小さく笑みが浮かぶ。
「レジナーラどの」
 商人が不安げな声をかける。とたんにすっきりとした眉が寄せられた。
「レジィと呼んでいただきたい」
 そう言って見返す眼差しは、冷たく鋭いそれだった。髪の色と同じ、漆の黒さを持つ双眸。右目の上を一筋の傷跡がよぎり、その視線をいっそう力のあるものにしている。
 そういった呼び方は、本来親しい間柄でなされるものだった。だが、この場合は親密さなど欠片も感じられない。
「は、はぁ」
 気圧されたように思わず口ごもる。
「 ―― 失礼」
 商人の反応に、我に返ったように謝罪した。
「その呼ばれ方は、あまり好きではないので」
「あ、ああ。そうですか」
 商人は納得したようにうなずいた。確かにその名の響きは、目の前の相手にいささか似つかわしくないそれであった。
 年の頃はだいたい二十歳前後だろうか。艶のある豊かな巻き毛を、胸元のあたりまで伸ばし、首の後ろでひとつに束ねている。さほど背は高くなく、身体つきもほっそりとしていたが、腰に下げた長剣がしっくりとなじむ武人らしさが感じられた。良く陽に灼けた面差しも整ったものだが、それでもレジナーラなどという、いかにも女性的な響きの名前を聞くと、違和感を覚えずにはいられない。
「それで、なにか」
 険のある物言いをした詫びのつもりか、レジィは声に柔らかいものを滲ませた。表情を緩めると、額から頬に掛けて刻まれた傷跡がわずかに歪む。
「いえ、その、ですな」
「はい」
「本当に、大丈夫なんでしょうな。その、つまり……」
 訊きにくいらしく、しきりに言葉をにごす商人に、レジィは安心させるように口を開いた。
 が、言葉が形になるよりも早く、荷馬車を操っていた男が、いきなり手綱を引く。がくりという衝撃と共に、乱暴に停止した。
「なにをやって……っ」
 御者を怒鳴りつけようと振り返った商人は、はっと息を呑んで身を強ばらせた。御者の男も、雇い主の様子に気付くことなく、凍りついたようにゆくてを眺めている。
 さほど広くもない道をふさぐように、丸木を組んだ柵が設けられていた。
 腕ほどの木が縄で縛り合わされたそれは、どうやら持ち運びができるらしく、地面に打ち込まれてはいなかった。が、尖った先端をこちらに向けて並べるように形作られており、ちょっとやそっとで突破できる構造ではない。
 そんな人為的な障害物の手前に、十数名の男達が立っていた。
 どいつも手に手に剣や棍棒と言った物騒な得物をぶら下げている。そうして貼り付いたような、不快感を誘う笑みを浮かべ、彼らを見返してきた。
 一台目の馬車が止められたことで、続く隊商も先をふさがれる形になる。彼らは後ろから抗議をしようとし、それから状況に気がついて言葉を失った。
「へっへっへ〜」
 男達が嫌な感じのする笑い声をあげた。
 明らかに、隊商が見せる動揺を楽しんでいる。
「ここを通る奴にはぁ、通行料を払ってもらうことになってるんだよな」
「な〜」
 いい年をした男達が、甲高い声を合わせておどけてみせる。
「通行料、か」
 震え始めた商人達をよそに、レジィが繰り返した。
「つまり ―― お前達が、最近この街道に巣くったという盗賊ども、と言うわけだ」
「そういうこと」
「なぁんだ。知ってたのかよ」
 盗賊達は、あざけるように馬上のレジィを見上げる。
「このところ名前が売れちゃってさぁ、なかなか獲物も現れなくなってたんだな」
「そうそう、あんたらが久々のお客さんってことさ」
「念入りにおもてなししねえとなぁ」
 最後の言葉に、どっと全員が笑った。
 その様子はふざけているようにしか見えなかったが、しかし彼らが手にしている武器は、けして飾りではなかった。離れたところからでも見ることができるほどの刃の曇り、ところどころ黒ずんだ持ち手など、それらが血を吸ったことが、一度や二度ではないと如実に示している。
 逆らおうとすれば、容赦なく刃を向けてくることは明らかだった。そして、荒事になど縁のない商人達が、盗賊達に抵抗する力など持ち合わせているはずもない。
「さ〜て、まずは荷物を見せてもらおうか」
 ろくに警戒もせず近づこうとする男の前に、そのとき巨体が割り込んだ。
「うぉっ?」
 すっとんきょうな声をあげた男を、馬上から見下ろす静かな眼差し。
「なんだ、てめえ」
「彼らの護衛だ」
 レジィは短く答えた。
 男達はきょとんとしたようにレジィを眺め、それから爆笑した。
「なんだ、兄ちゃん。ぼけてんのか」
「騎士サマかなんかしらねえけど、やめときなって」
「あんた一人で、こいつらを守る気かよ。ムリムリ!」
 ケガしたくなけりゃおとなしくしてな、と口々に言いたてる。
 そこには、年若く無鉄砲な世間知らずを、嘲笑する響きしかなかった。そこそこ腕は立ちそうだったが、この状況でこの人数を相手にまっこうから向かおうとするあたり、まともに相手してやる気すらも起きはしない、と。
 ひらひらと手を振って荷を下ろそうとした男の顔に、細い影が落ちた。
 ん? と視線を上げようとした次の瞬間には、血飛沫を撒き散らしてのけぞっている。
 驚愕に目を見開いた表情のままで、男は声ひとつたてることなく絶命した。
「汚い手で触れないでもらおうか」
 抜く手も見せず男を斬り伏せたレジィは、変わらぬ静かな口調で告げた。
 無造作に提げた片刃の長剣から、ぽたりと赤い雫がしたたり落ちる。
「な……てめえ!」
「ふざけてんじゃねえぞッ」
 仲間を殺された男達はいきり立った。先刻までのふざけた雰囲気を一変させ、レジィの周囲を取り囲む。
「この人数相手に勝てると思ってんのか!?」
 殺気をみなぎらせる盗賊達に囲まれて、レジィは小さく笑った。
「それは、こちらの言うことだ」
「んだと……」
 レジィの剣を持っていない方の手が、すっと挙げられる。
 その合図に、荷車に掛けられていた布が取り払われた。下から現れたのは、完全武装した兵達の姿だ。彼らはいっせいに立ち上がり、弓につがえた矢を盗賊達へと向ける。
「なッ」
 絶句する盗賊達の前で、幌つきの馬車からも次々と歩兵が降り立ってくる。そろいの鎧と剣を装備した彼らは、この地方の領主に仕える正規兵だ。 
「抵抗する者は容赦なく斬り捨てよ!」
 良く通る声に、兵は即座に従った。とどろくようなときの声をあげ、盗賊達めがけて襲いかかる。
 逆転した立場に、男達は悲鳴を上げた。武器を掲げて必死に迎え撃つが、既に勢いからして負けは見えている。
「ち、畜生ッ!」
 一人が自棄になったようにレジィへと向かった。間合いの長い槍を生かし、乗馬を狙う。
 的が大きいだけに避けるのは不可能だと判断したレジィは、即座に馬から飛び降りた。そうして、思惑どおりと標的を変えた槍を、にらみつける。
 右手の剣が閃き、槍の穂先が切り飛ばされた。恐ろしいまでの斬れ味に、男は目を見はる。次の瞬間、その首筋へと刃が走った。
 半円を描いた血飛沫は、一瞬あたりでの戦闘を止めさせるほどの鮮やかさだった。
 液体がぶちまけられる音を後ろに、レジィは刀を振って血糊をはじき飛ばす。
 避けきれなかった返り血が一滴、ぽつんと頬を汚していた。やいばの輝きを取り戻した長剣を手に、あたりを見やる。
「一度だけ言う」
 向けられるその瞳の、輝きの強さ ――
「降伏せよ!」
 勧告する言葉に逆らう者は、もはやその場に存在していなかった。


*  *  *


 大陸の東南部に位置するセイヴァン国の中でも、さらに南沿岸部、外海に面して大きく開いた形で広い湾が存在していた。内陸部にある湖、星の海ティア・ラザに端を発する大河が、外海へと流れ出す、その流出口である。半島に挟まれる形で広がった、パルディウム湾と呼ばれるそこは、穏やかに凪いだ良質の港を幾つもようしていた。ことにもっとも河口近く、コーナ公爵領にあるそれは、ティア・ラザ沿岸の王都と諸外国を結ぶ窓口となる、重要な交易拠点となっている。
 北部を険しい山脈に、また西部は砂漠によって近隣諸国とへだてられたセイヴァンは、外国との文化物資の流通を、ほとんど商船による貿易に頼っていた。船旅の危険は大きかったが、未開の陸路をゆくことは、常に妖獣に襲われる危険性をはらんでいる。セフィアール騎士団の活躍により、国内の安全こそどうにか保たれてはいたが、裏を返せば、彼らが守りうるそれだけの土地こそが、この妖獣が多数存在する地で人々が安心して暮らせる ―― 国としての形態を維持することができる領土である。
 国家として、セイヴァンの文化水準は非常に高い。自国民を養っていけるだけの、生産能力も有している。―― だが、彼らと他国との交流はきわめて少なかった。
 故にこの国は、時に閉ざされた楽園とも、称されている。


 コーナ公爵領の一角。パルディウム湾を形成する半島を横断する、山越えの街道の入口付近に、ドロケアという都市があった。半島は深い森をいだく山々からなっており、途中に幾つかの街はあるものの、完全に越えるには数日を必要とする。
 ところがそんな重要な街道の途中に、盗賊が巣くったという知らせが領主の元に届いた。しかも既に多くの被害が発生しているという。どうやら怠慢を指摘されるのを怖れたドロケア市長が、長らく報告を差し止めていたらしい。
 事情を知った公爵家は、ためらうことなく、配下の兵達を送り込んだ。
 そうして市長への叱責も懲罰も後へとまわし、まずは問題の賊に対処することを命じる。
 討伐隊の隊長を任じられたレジナーラ=エル=キエルフ=ロミュは、隊商に擬装した部下達を指揮し、捕らえた盗賊とその遺体を輸送、翌夕にドロケアへと帰還した。最初に捕らえた者達を尋問し、隠れ家に残っていた者や、奪われていた財貨も押さえている。兵達に死者はなく、負傷した者がいくらか出ただけに留まった。討伐は完全に成功したと言えよう。
「捕らえた者は即牢に入れよ。尋問と記録はここの者に任せて良い。負傷者発生の連絡はつけてあるな」
「はい。医者の用意は既に」
「すぐに連れて行け。バージェス!」
「はっ」
 壮年の男が振り返った。背の低い、がっしりとした体格の男だ。服装からして、隊の中でもかなり上位の立場にあるらしい。
「これまでにあった被害の記録を借りてきてくれ。押収した物と照合して、相応に配分する」
「直ちに」
 一回り以上年下の相手から命令されたことに、男は遅滞なくうなずいた。そうして即座にきびすを返し、指示されたことを実行しようとする。
 そのとき、兵と捕虜とでごった返す市庁舎の前庭へと、建物内から姿を現した一団があった。
 みな上等そうな衣服を身にまとっており、身分高い人間なのだと一目で判る。汗と泥と血に汚れ、慌ただしく動きまわる兵達に混じるには、いささか場違いな集団だった。
 特にその雰囲気の顕著なのが、彼らの中央に位置する少女だ。
 美しい。
 まだせいぜい十四、五と言うところだろう。まっすぐな癖のない黒髪を、結い上げもせず背中へと流している。きめ細かくなめらかな象牙色の肌は、こんな埃だらけの場所に置くことなど、冒涜としか思えないようなそれだ。繊細な刺繍を施された薄物の裾が、ふうわりと柔らかにひるがえる。
 まだどこかに幼さを残した、しかし気品に満ちた面差しを兵達に向け、歩みを止める。
「 ―― 控えよ!」
 思わず目を奪われた兵達の耳を、良く響く声が打った。はっと我を取り戻す彼らに、レジィが鋭く告げる。
「コーナ公爵家公女、フェシリア=エル・ディ=ミレニアナ=コーナ殿下なるぞ。控えよ」
 その言葉に、誰もが息を呑んだ。
 そして次の瞬間、場にいた全ての人間が石畳へと膝を折る。連行中の捕虜達もが、両側から押さえつけるようにして平伏させられた。
 コーナ公爵家次期継承者エル・ディ=コーナたるその少女は、ゆっくりとあたりを眺めわたした。銀を帯びた薄墨色の瞳が、ひざまずく兵達の姿を映す。
 うっすらと色づいた唇が開かれた。
「街道整備の任、誠にご苦労でした」
 高く澄んだ声は、喧噪の残っていたあたりの空気をも静めるような、穏やかな響きを持っていた。
「負傷者は出たものの、死者はなかったとのことで、わたくしも嬉しく思います」
 瞳を細め、わずかに笑みを浮かべる。そうすると、近寄りがたく感じられていた雰囲気が、どこか薄らいだ。花を思わせるような微笑みに、ところどころから小さくため息が漏れる。
「傷ついた者には、後ほど充分な補償を与えます。他の者達も良くやってくれました。今宵は存分に休むように」
「お心遣い、感謝いたします」
 レジィがおもてを伏せたままで返答した。公女はそれに反応して、膝をついている騎士へと目を止める。
「レジィ=キエルフ」
「は。我が君におかれましては、かような遠方までわざのお運び、誠にありがたく ―― 」
「のちほどわたくしの部屋へ。詳しい報告をするように」
「……かしこまりました」
 いっそう深く頭を下げるレジィからあっさりと視線をはずし、フェシリアは後ろに控えていた者達を振り返った。差しだした細い手を、一番近くに立っていた ―― ドロケア市の執政官をつとめる男が、丁重に取る。
 邸内へと戻ってゆく貴人達を見送ってから、ようやく彼らは再び動き始めた。
 わりあてられた仕事を手早くこなしていく兵達の表情は、どれも晴れやかなそれだ。
 自分達の働きを上に立つ者が認めてくれている。それもわざわざ公爵家の館から遠く離れたドロケアへとじきじきに足を運び、それどころかこのような現場にまで姿を現して、直接にねぎらってくれたのだ。嬉しくないはずがない。
 ―― もちろんそこには、相手が美しい姫君だったことも大いに影響している。
 時おり聞こえてくる興奮したような囁きには、間近で目にしたばかりの公女に対するものが数多く含まれていた。
 主家筋の人間のことを軽々しく口にするのは、あまり褒められたことではない。が、今回はレジィも大目に見ることにした。少なくとも、悪印象からなるそれらではない。礼を失するようなら問題だったが、当面は大丈夫そうだ。
 レジィはひとつ肩をすくめると、己も職務を果たすべく、改めて足を踏み出した。


 すっかり夜も更けた頃になって、ようやくレジィは割り当てられた宿舎へと戻ってきた。
 眠らずに待っていたバージェスが、素早く立ち上がって出迎える。
「ずいぶんと時間がかかったんですな」
 忠実な副官に剣を渡しながら、レジィは小さく笑ってみせた。外套の留め具をはずし、脱いだそれを椅子の背に掛ける。それから襟元を緩めて、ため息をついた。
「一足先に執政官がおみえでな。なかなかお目通りが叶わなかったんだ」
「ははあ」
 うなずいたバージェスは、さもありなんと頬を覆う髭を撫でた。
「今回、市長がヘマをやらかしたというので、執政官殿は張り切っているという話ですからな。公女様に取り入って、次期市長に任命してもらえるよう、口添えを願おうという腹なんでしょう」
「バージェス……」
 とがめるように名を呼ぶ上官へと、バージェスは盆に載せた果実酒の瓶と杯を差しだした。絶妙の呼吸で為されたそれに、レジィは思わず苦笑いする。
 良く冷やされた深紅の液体は、疲れた身体に心地よい活力を与えてくれた。
 ゆっくりと杯を干してから、改めて傍らに控える男を振り返る。
「その話、どこから仕入れた?」
「ここの兵達や下働きから、世間話で」
「なるほど。執政官殿は、ずいぶん開け広げな御方のようだ」
 己の野心を隠すつもりがないのか、それとも下々の者達のことなど目に入ってもいないのか。
 こういった働く者の多い大きな館 ―― ことに、身の回りの全てを召使いにさせるような貴人達の周囲には、常に誰かしらの目が存在しているものである。ことさらに意識して人払いをしない限りは。だからこそ、何かを為そうと考えているものは、その言動において気を配るべきだった。いつどこでどんな情報が、誰の口から漏れるやも知れぬのだから。
「もう少しつっこんで調べますか」
「そうだな……積極的に訊きまわる必要はないが、もう少し人となりを知っておきたい。それとなく注意しておくよう、皆に伝えておいてくれ」
「承知いたしました」
 短く首肯する。
「取り調べなどに問題はなかったか」
「ありません。負傷者もみな、後遺症など残るおそれもないようで。ただ、押収物の分配の方で、少しばかり ―― 」
 報告にうなずき、幾つか必要な指示を出したレジィは、二杯目を呑み終えた杯を盆へと戻した。
「……他には?」
「いえ、以上です」
「そうか。ならばそろそろ休むとしよう。さすがに今日は疲れた」
 部屋の隅にある寝台へと、いささか乱暴に腰を下ろす。
 ほとんどが平民からなる歩兵隊が寝泊まりする宿舎は、かなり質素なそれだった。それでも指揮官であるレジィと補佐のバージェスには、続き間になった一室ずつが与えられていたが、その部屋にしたところでむき出しの土壁にかこまれて、必要最小限の調度が置かれているばかりである。
 寝台も敷布こそ清潔なそれだったが、寝心地が良いとはお世辞にも言えなかった。
 少なくとも、ロミュ侯爵家の一員であるレジナーラ=キエルフには、市庁舎内にもっとましな部屋を与えられてしかるべきであった。実際、フェシリアの口添えがあれば、部屋を替えさせることは簡単だっただろう。
 だが、レジィはあえて部下達と同じ屋根の下で過ごすことを選んでいた。
 そしてそんな上官に対し、バージェスを含めた指揮下の者達はみな、親愛の情にも似た強い敬意を抱いている。
「明日は公女さまが市内を視察されことになった。私はお側で護衛する。その間、隊の指揮は任せるぞ」
「 ―― はっ」
 バージェスはかちりとかかとを合わせて敬礼した。


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今回登場の新キャラ「バージェス」のネーミングについて。
以前、たけ☆やまじんさんより戴きましたオリジナル小説「焦がれし過去への先導者達よ」のキャラクターと名前が被ってしまいました。
同じ名前を使うことを快諾下さったやまじん様、誠にありがとうございました。

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