<<Back  List  Next>>
 楽園の守護者  第六話
  ―― 風の吹く谷 ――  第八章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 まったく予想外に現れた二匹目との戦いは、最初よりもはるかに苦しいものとなった。
 よもやもう一匹が存在するだなどとは夢にも思わず、力を尽くして戦っていた彼らは、既に余力も少なく、剣を振るう腕も重くなりがちだった。そもそもいったん解いてしまった緊張を、即座に元の段階にまで引き上げることは至難の業で。
「ぐッ」
 鈎爪を胸元にくらい、カルセストが吹っ飛んだ。地面に叩きつけられ、ごろごろと転がる。
「生きてるか!?」
 とどめを刺そうと向きを変えた妖獣と、倒れた身体の間に、ロッドとアーティルトが割り込んだ。
「な、なんとか……」
 地面に手をつき、懸命に身体を起こす。輝いていた鎧はとうに砂にまみれ、あちこち傷だらけになっている。胸部に残された爪痕からは、細かいひびが四方へ走っていた。息は完全に上がり、細剣の光も力無いおぼろなものだ。
 残る二人も、ほとんど大差のない状態である。
 アーティルトがくっと唇を噛み、剣から片手を放した。数度その指が動かされる。
 ロッドが汗を拭いながら呟いた。
「賛成だ」
 互いに目と目を交わし、うなずき合う。
 そうして彼らは同時に地を蹴った。
 くるりと向きを変え、カルセストのもとへと走る。
「来い!」
 立ち上がりかけた身体を両側から掴み起こし、そのまま妖獣に背をむける。途中、奇跡的に無事だった角灯を拾い上げた。
「に、逃げるのか……?」
「体勢をたて直すんだよッ」
 ロッドがそう怒鳴り返すが、言いまわしが違っているだけのことだ。
 半ば引きずられていたカルセストも、我に返ると自分の意志で走り始める。それを確認した二人は、手を離すとさらに速度を上げた。
「けど、いったいどこにっ」
 問いかけながら背後を振り返ったカルセストは、ぞくりと背筋が寒くなるのを感じた。
 追いかけてきている。それはいい。あのまま自分達を無視して村へと向かわれては、破邪騎士として面目が立たないというものだ。しかし……
「は、速いっ」
 思わず悲鳴のような声をあげた。
 数十対に及ぶ節足を器用にうごめかせる妖獣は、その巨体からは想像できぬ速さで間近に迫っていた。再生しきれず長さのそろわない脚のおかげで、多少釣り合いが悪いようだったが、それでも追いつかれるのは時間の問題である。
「もうちょっと行ったところに、崖を登れる場所がある! そこから山ん中に入れば、あの図体だ。動きも鈍る」
 昼間子供達に教わった抜け道のことだ。山林へと誘い込めば、あの巨体がかえって妨げになるはずだ。そうなれば勝機も見えてくる。
 闇雲に逃げているのではないことを示すロッドの言葉に、カルセストはくじけかけた気持ちを再度奮い立たせる。
「そこの岩を右だ」
 この闇をどうやって見通しているのか。ロッドが行く手を指して叫んだ。カルセストの目にはどれが当の岩なのかまるで判らなかったが、ロッドが先を走っているので、さほどの支障はない。岩の欠片を踏みにじり、向きを変えて岩陰へと飛び込んだ。
 と、ロッドがいきなりたたらを踏んだ。走ってきた勢いを殺しきれず、まともに体勢を崩す。狼狽した声は二つ重なっていた。
「子供!?」
 かろうじて身をかわしたロッドの足元に、小さい影が丸まっていた。
 怯えたようにむけられたのは、目ばかりが大きい、痩せこけ薄汚れた少年の顔だ。ぼろをまとい暗がりでうずくまっているその身体もまた、痛々しいまでに細い。引きつけるようにちぢこまった腕には、途中で引きちぎられた縄の切れ端がからみついている。
「まさか生け贄の? 生き残りがいたのか!?」
 驚きの声をあげた。
 そういえば。
 村長達は十人以上が妖獣の餌になったと言っていた。それはすなわち、それだけの人間を縛りあげ、谷に置き去りにしてきたということだ。そして妖獣の活動がその後もおさまらず、次の生け贄を連れていった時、場に死体が残されていないということから、喰われたのだと判断しているのである。その人間が本当に妖獣の腹におさまったのかどうか、その目でしかと確認しているわけではなかった。
 とはいえ、ほとんどの者が餌食となっていることは、遺体の断片や流された血の痕などから明らかだった。自由を奪われた状態で妖獣に出会い、命を拾うことは僥倖ぎょうこうと言って良い。
 突如目の前に現れた大人達の姿に、子供は恐怖心も露わにあとずさった。
 無理もない。この少年は言葉巧みにこの村へと連れてこられ、恐ろしい妖獣の餌として谷に放置されたのだ。いったいそれがどれほど以前のことかは判らなかったが、かろうじて助かったのちも村に戻ることはできず、さりとてどこか遠くへ逃げようにも、この谷は村を通らなければ外界に出てゆけぬ閉ざされた場所だ。
 ろくに食べるものとてなく、村人に見つかれば再び捕らえられてしまうだろう恐怖と、いつ現れるかも判らぬ妖獣の影に怯え続けてきた少年。戦いのさなかで殺気立つロッド達を見て、恐慌状態におちいったとしても、それは当然だ。
 このまま放って置くわけにはいかない。
 とっさに伸ばした手をどう思ったのか。子供は金切り声を上げて逃げようとした。小さな身体を懸命に動かし、つかまえようとする手をすり抜ける。そうして走り出した。
「馬ッ……そっちは……」
 少年が向かったのは、よりにもよって川沿いの道だった。しかも上流側だ。
「おい、戻れッ!」
 いま曲がったばかりの岩角から、少年を追って飛び出す。
 そして息を呑んだ。

 ぎちぎちぎち

 可動式の大あごが、間近からきしむような音を立ててきた。
 上体を持ちあげた妖獣が、立ち尽くす少年を威嚇するように甲高い叫びをはなつ。少年は、凍りついたかのように動けない。その肉体を串刺しにするべく、大あごが振り下ろされる。
「んっの、クソガキがぁッ」
 ロッドがつっこんでいった。しかし子供が邪魔になって、剣を振るうことができない。飛びつくようにしてその身体をひっさらった。それが精一杯だった。
 わずかに狙いをはずした妖獣は、大地を叩いて岩をうがったのち、横ざまに首を振った。鋭い棘を生やした大あごが、ロッドの背中をまともに捕らえる。
「……ッ!」
 分厚いものが引き裂かれる、鈍い音がした。
 圧倒的な質量の差に、踏ん張ることすら叶わない。たまらずはじき飛ばされかけた二人の身体は、しかし外套が大あごにからみついたおかげで、かろうじて叩きつけられることを免れた。が、その代わり、固い岩肌を乱暴に引きずられる羽目になる。
「ロッド!!」
 カルセストもアーティルトも、細剣を構えて突進した。己の身を守ることなど、完全に頭から消えている。二人の手元から目映い光芒が生み出された。
 カルセストの剣が大あごを切断する。さらに返した刃が巨大な複眼へとたたき込まれた。
 いっぽう地を蹴り側面から妖獣に向かったアーティルトは、一瞬で魔法陣を描き出していた。振り下ろした剣の切っ先を中心に、破邪の光が爆発し、複数の体節を脚もろとも半ばまで粉砕する。
 さしもの巨体が衝撃で振りまわされた。半身をもたげ不安定になっていたのが災いし、横倒しになる形で崖へとぶち当たる。異臭を放つ赤茶けた粘液が、肉片と共にあたりへ飛び散った。
 すさまじいその威力に、カルセストは一瞬目を丸くする。が、すぐにそんな場合ではないと気がつき、ロッドの元へと走り寄った。


 あの状態でもなお、ロッドは子供を手放さずにいた。胸の中に抱え込むようにして倒れている。
「しっかりしろ!」
 ぼろ布になった外套をさらに裂き、傷を確認しようとする。と、呻き声がしてその身体がわずかに動いた。どうやらまだ意識があるらしい。剣をおさめたアーティルトが、ふらつく足取りで近づいてきた。カルセストを押しのけるようにして、背中のあたりに手をつっこむ。乱暴なその仕草に、ロッドは唸り声をあげて身をよじった。
「……ゃ、め……ッ」
 その口から意味のある言葉が発せられるのを聞いて、アーティルトの表情がふっと和らぐ。
 それからいっさいの反応を無視して、無理矢理抱き起こした。力のはいらない身体へ強引に肩を貸し、立ち上がらせる。それからカルセストに対して目くばせし、子供を連れていくよう促した。
 よろめきながら歩き出した二人に、月の光が当たる。ロッドの背中にきらめくものを認め、カルセストは目をしばたたいた。服の裂け目から覗いているのは、細かい金属片の連なりだ。どうやらロッドは、服の下に着込みと呼ばれる防具をつけていたらしい。小さな金属の輪を幾重にも組み合わせて作るもので、服や鎧の下に着ていても、動きの妨げになることなく防御力を上げることができる。
 だが意外に重さがあるのと、刃物は防げても衝撃を緩和することができないのとで、あまり好んで使う者はいなかった。実際ロッドも、肉を裂かれることは免れたようだが、骨や内臓にかなりの打撃を受けたらしい。なんとか足を動かしてはいるものの、前に進む役にはあまりたっていない。
 子供の方はと言うと、どうやら新たな怪我はないようだった。衝撃で自失してしまったのか、今度は逃げようともせず、手を引くと素直についてくる。
 妖獣はまだ生きていた。傷ついた部分をかばうように、ぐるぐると丸くなっている。時おり節足が痙攣するように動いた。このまま休眠に入ってくれればいいのだが、アーティルトの表情を見るとそれは楽観がすぎるようだ。おそらく小半時もすればまた動き始める。ルファルスの再生の早さは、昼間切断した脚がほぼ生えそろっていることでも明らかだ。
 いまのうちにとどめを刺そうにも、そんな余力は残っていない。とにかく時間を稼ぎ、体勢を立て直さなければ。
 崖を登る急斜面は、負傷者を連れてはとても上がれなかった。来た道は妖獣がふさいでいる。逃げ場がなくなることは承知していたが、下流にむけて進むしかなかった。
 時おり立ち止まって休みながら、無言で足を動かす。
 やがて、ぎいぎいという耳慣れない音が聞こえてきた。闇を見透かすように、アーティルトが顔を上げる。両脇を崖に挟まれた狭い夜空を、定期的によぎる長い影が目に映った。どうやらくだんの風車小屋までたどり着いたようだ。
 思わず足を止めて見上げる。
 漠然と予測していたものより、だいぶしっかりとした造りをしている。長年にわたり村の生命線として使用されてきたのだから、当然と言えば当然だが。
 三階建てほどの高さがあるそれは、彼らの背丈あたりまで切り出した石材を積んだ構造となっていた。その上に木造の建物が乗っている。建物とほぼ同じだけの長さを持つ長大な羽根が四枚。格子状の骨組みに帆布を貼った部分へ風を受け、ゆっくりと回転していた。内部で石臼が動いているのだろう。重いものがこすれるような音がしている。
 強い風に体温を奪われつつあった一同は、とりあえず入口を捜した。石段を登り、きしむ扉を引き開けて、建物の中へと転がり込む。
 中は案外狭かった。天井が外から見るよりもかなり低い。下の石積み部分を倉庫として使用しているのか、むき出しの床に跳ね上げ式の石蓋があった。建物内の空間は、ほとんどが石臼とそれを動かすための構造で占められている。ひと抱えもある円盤状の石臼が、歯車で方向を変えられた力で、水平方向に回転を続けていた。
 粉を挽く者が訪れない現在、臼の摩耗を防ぐためにも羽根の帆布をはずし、歯車にも心張りを噛ませておくべきだった。が、どうやら製粉の途中で作業が中断されたらしく、臼のまわりに白く粉が飛び散り、部屋の隅の方に布袋に入ったままの穀物が投げ出されていた。挽き終えた粉を詰めた袋も幾つかある。仕事をしていた人間は、よほど慌てて逃げ出したのだろう。
 カルセストが角灯を床へ置いた。アーティルトがそっとロッドを下ろし、やかましい臼をひとまず止める。ロッドはつめていた息を吐き出すと、挽き上がった粉が落ちる桶へと身をもたれさせた。明かりのもとで見ると、顔にびっしりと脂汗を浮かべている。相当に辛いのだろう。浅い呼吸を何度も繰り返す。
 だが、開いた口から発せられるのは、苦痛を訴える言葉でも弱音でもなかった。
「お前、さては、こいつを喰ってしのいでたな」
 床を汚す粉を指でこする。
 白くなった指をつきつけられ、少年がびくりと肩をすくめる。その反応にロッドは小さく喉を鳴らした。
「責めやしねえよ。……良く生き延びたな」
 生の粉など、半端な気持ちで口にできるものではない。製粉前の穀粒に至っては、固い外皮のせいで噛み潰すことすら困難だ。
 それでもこの少年はしけった粉を無理矢理呑み込み、もみがついたままの穀粒をかじり、生きることを選んだ。その生命力を、生きる意志の強さをどうして否定できよう。
 あたりを物色していたアーティルトが、ため息をついて首を振った。どうやらめぼしいものは見つからなかったらしい。粉を入れるために用意された、布袋だけを持って戻ってくる。カルセストにそれを渡し、細く裂くよう手真似で告げた。そうして自分はロッドの着衣へと手を伸ばす。
 今の状況ではろくな手当てもできないが、傷を固定するだけでもかなり楽になるはずだ。
「手前ら、力が回復するのに、どれくらいかかりそうだ」
 時おり苦痛に言葉を途切れさせながら、ロッドはそれでも話し続けた。アーティルトは骨の状態を探りながら、巻きかけの包帯を挟んだ指で文字を作る。それからカルセストに視線を投げた。それを受けたカルセストは、唇を噛んで首を振る。
 二人とも力を使いすぎていた。セフィアールの術力は、けして無限のものではない。消費すれば再び使えるようになるのに時間がかかったし、ある程度以上消耗してしまっては、回復に王族の助けを必要とした。そして彼らの場合、既に自力での回復は難しい段階に達している。おそらく一番力が残されているのはロッドだったが、この状態の彼がまともに剣を振るえるはずもなく。
「ルファルスが相手じゃ、神経節を全部潰すか、全身バラバラにするぐらいやらねえと、何度でも再生してくるぞ。クソッ、せめて奴がまともなでかさだったなら……」
 標準的なルファルスは、せいぜい人間が横になった程度の長さだ。大きいものでも、その倍どまりである。それぐらいの相手であれば、切り刻むこともそう難しくはなかった。今回は規格はずれの大物だったわけだが、それでもまだ、一匹であれば充分に対抗できたものを。
「どうにかして休眠させられないだろうか」
 夕方のうちに、救援を要請する手紙を持たせたザンを、アスギル目指して出発させている。アスギル市長を受取手とし、セフィアールの紋章で封をされた書状は、先日騎士団員が宿泊したばかりでもあることだし、優先的に上層部まで届けられるはずだ。街までの距離を計算に入れて、まず三日。そこから王都へ連絡がゆき、応援が出発するのにさらに一日。王都からこの村までは三日の道のりだ。ざっと見積もって一週間。それだけの間、彼らだけで村を守り続けるのは、まず不可能といっていい。
 だが、深手を負った妖獣が、再生のための休眠に入ってくれれば ――
「再生するためには栄養が必要だ。しかもいまならすぐ近くに餌が山ほどいるんだ。となると、眠る前に二三人は喰っていくぞ。それじゃあ意味がねえ」
 妖獣を眠りにつかせるため、生き餌を投げ与える。それでは今までこの村がやってきたことと同じである。ならば完全に動けなくなるほどの重傷を負わせればいいのだが、それができるようなら最初から悩みなどしない。
「……まてよ」
 うつむいたロッドがくっと笑った。傷に響いたのかその眉がひそめられるが、それでも口元の笑みは残っている。
「俺達三人を喰えば眠ってくれるかもしれないな。最悪、それでいくか」
「おいッ」
 まんざら冗談とも聞こえない言葉に、カルセストが目をむいた。
 確かに、この男は村長に対しても同じことを言っていた。負ければ自分達も妖獣の餌になる。それだけ村人の被害が減るのだから安心しろ、と。だが、それはあくまで方便だったはずだ。いくら命をかけて国民を守ることこそ騎士団の務めだとはいえ、自ら妖獣の腹に入るをよしとするだなど考えられない。まして、よもやこの男がそんな馬鹿な真似をするだなんて。
 馬鹿な、真似を……
『 ―― 馬鹿な男が、いたのさ』
 ごくりと息を呑んだ。
 笑みさえ浮かべて目を伏せるロッドを、まじまじと見下ろす。
 包帯の端を縛り終えたアーティルトが、立ち上がって窓の方へと向かった。板張りの開き戸をほんの少し開け、闇の向こうを透かし見る。その肩が、ぴくりと動いた。
「来たか」
 ロッドが床に手をつき、立ち上がろうとする。噛みしめた歯の間から、小さな呻きが漏れた。
「無茶だ」
 とっさに止めようとした手が振り払われる。
「そいつを、開けろ」
 指差したのは、床の跳ね上げ蓋だった。規則的に組まれた石組みの中、そこだけが取っ手のついた一枚石だ。有無を言わさぬ口調に、戸惑いながら持ち上げた。重い。かなり分厚い石が使われている。
 中は黒々と闇に沈んでいた。角灯の明かりもその中には届いていない。かろうじて中に降りてゆけるよう、はしごが掛けられているのが見えた。
 部屋の隅で小さくなっていた少年を招く。
「小僧。お前はこの中に入ってろ。静かになるまで出てくるな」
 いくら妖獣でも、この石組みまではそうそう崩せまい。だいいち中に子供がいると予測する知能さえ、あるものかどうか。少なくとも目の前に三人も餌がいれば、そこまで嗅ぎまわるようなことはしないだろう。
 ロッドの意図を呑み込んだカルセストは、とまどう少年の手を引っ張った。半ば無理矢理地下室へと押しやる。
「早く隠れろ!」
 叱咤するカルセストとロッドを、少年は困惑したように見返した。
「あ……あんたら、は?」
 その口から、はじめて意味のある問いかけが向けられる。
「ガキが人の心配してんじゃねえ」
 ロッドがぐいっとその頭を押さえる。少年はほとんど押し込まれるような形ではしごを下りていった。
「少し我慢してろ」
 そう言って、石蓋を戻そうとする。
 と、横からそれを止めるものがあった。振り返れば、いつの間に戻ってきたのか、アーティルトがその肩に手を置いている。
「もう来たんですか」
 カルセストの問いに、アーティルトはうなずき、それから首を振った。連続する肯定と否定に、その意味するものをくみ取れない。どうしたのかと問いかけようとしたところに、激しい衝撃が襲ってきた。
 どんっという腹に響く振動と共に、風車小屋が大きく揺れる。
「体当たりかっ?」
 カルセストがあたりを見まわしながら叫んだ。窓も扉も閉まっていて、外の様子はまったく見えない。耳を澄まし気配を探ろうにも、幾度も繰り返される揺れに振りまわされ、それどころではない。
 ぎしぎしと音を立てて、建物全体がきしみを上げる。角灯の薄暗い明かりの中でも、板壁がたわみつつあるのが見てとれた。
「……巻きついてやがる」
 ロッドが唸る。
 妖獣がその長大な身体を生かし、風車全体に巻きついて締め上げているのだ。岩をも砕く力の前では、こんな建物など長くは保たない。
「くそっ、開かないぞ!」
 扉に飛びついたカルセストが、数度がたつかせて叫んだ。木枠が歪んだのか、あるいは向こうから押さえられているのか。どちらにせよ逃げ道がなくなってしまった。
 窓を破るか。歯を食いしばり立とうとするロッドの目前に、アーティルトが手を出した。そちらを見ると、再び首を振ってみせる。そして短剣を抜いて振り上げた。
「何を……ッ」
 鈍い音と共に深々と刺されたのは、粉を詰めた袋だった。
 穀物を臼で挽きつぶしたきめの細かい粉が、床へと大量にぶちまけられる。白い煙がもうもうとたちのぼった。アーティルトはさらに数度、短剣を突き立て、最後には手を突っ込んで大きく引き裂いた。
 激しく粉塵が舞い上がり、一同は思わず咳き込んだ。
「ア、アートさん!?」
 いったい何のつもりなのか。
 視界を覆う白煙をかきわけようと、しきりに手を振る。が、そんなものではとても追いつかなかった。ただよう粉に、たちまち全身が白くなる。
 まさか妖獣への目くらましかとも思ったが、そもそも建物内にいるのにそんなことをしても、まったく意味がない。とにかく近くへ行こうと足を踏み出したが、この狭い風車内でさえ、たちこめる煙に方向が定かでない。
 と、鋭い声がカルセストを呼んだ。
「来い! 早く!」
 緊迫感に満ちた声に、反射的にそちらへ向かった。伸ばした腕をぐいととられ、ものすごい力で引き寄せられる。
「入れっ」
 そう言って突き飛ばされた先に、黒々と口を開けた穴があった。とっさに踏みとどまることもできず、地下室へと転がり落ちる。続いてロッドが穴に身体を入れた。梯子の途中で振り返り、石蓋に手をかける。
「アーティルト!」
 裂けた袋を振りまわし、なおも粉を振りまいていたアーティルトは、その声でようやく袋を投げ捨てた。床の角灯を拾い上げ、ロッドが身体をずらした隙間へと飛び込んでくる。
 ひときわ大きく建物がきしんだ。これ以上は保たない。
 アーティルトが角灯を投げた。高く天井へと弧を描いたそれが落下するより早く、ロッドが支えていた石蓋から手を離す。重い石の板は、ごとりと床の穴をふさいだ。途端に真っ暗になった地下室へ、二人は先を争うように飛び降りてくる。
「伏せろッ」
 叫びと共に、ロッドが少年を、アーティルトがカルセストを押し倒した。そして ――
 次の瞬間。
 木造の風車小屋は、ぐるりと外壁を取り巻いていた妖獣もろとも、轟音をたてて吹っ飛んでいた。


<<Back  List  Next>>



本を閉じる

Copyright (C) 2001 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.