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 楽園の守護者  第六話
  ―― 風の吹く谷 ――  第二章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 裏通りからさらに何本か路地を入った、暗く、小汚い一角で、どさりと荷物を落とすような音が響いた。続いて盛大に舌打ちする、若い男の声。
「ったく、何食ってやがんだか知らねぇが、クソ重てぇにもほどがあんぞ」
 そうぼやきながら、重荷を下ろした肩を押さえ、腕をぐるぐるまわしている。
「…………」
 その傍らに立つ影は無言だったが、肩の線がわずかに動き、何らかの意志表示をしたと判った。果たして男 ―― ロッドが腕をまわすのをやめる。
「手前ぇなんざ指笛吹いただけだろうが。そのズダ袋だって……」
 顎をしゃくり、アーティルトが下げた髭面の荷物を示す。
「どうせろくなモン入っちゃいないんだろうが」
「…………」
 その通りとでも言いたいのか、アーティルトはロッドへと袋を差し出した。が、彼は受け取ることはせず、袋の口をほどきにかかる。しばし遠慮なく他人の荷物をあさっていたが、やがて小さな巾着を取り出した。
「悪く思うなよ。こいつは迷惑料だ」
 気を失っている男に向かって言い、金属音がする巾着を数度手のひらで弾ませる。どう見ても強盗の現行犯だった。が、アーティルトもあえて止めようとはしない。
 ロッドが立て替えた酒場への弁償金は、単純に壊れ物だけでも、完全に男の所持金を上まわっていた。半殺しになる前に助けてやったうえ、身ぐるみ剥がないだけ、むしろ感謝してもらいたいぐらいである。おまけにこうして、役人にも突き出さずに放免してやろうというのだ。
 一応あたりの気配をうかがってみる。このあたりは入り組みすぎていて、こんな時間帯には人っ子ひとり通ることはなかった。たとえ朝まで気を失っていたところで、身の危険を心配してやる必要もない。
「さ、いくぜ」
 巾着を懐にねじ込み歩き出す。アーティルトも荷物を髭面に抱えさせてから、その後を追った。すぐに肩を並べる。
「くそ、酔いがさめちまったな。どっかで呑み直すか」
 もともとたいして酔ってもいなかったくせに、ロッドはそんなことを言って視線を宙に飛ばした。どこか良い店はなかったかと考えているらしい。
 しかし、明日の道程を考えると、そろそろ休んだ方が良い頃合いだった。そう指摘しようと両手を持ち上げる。
 と ――
 ぴたりとロッドの足が止まった。
「……おい」
 促されるまでもなく、アーティルトもそれに気が付く。
 酔漢の上げる罵声と、甲高い子供の泣き声。
「ッ、面倒臭ぇな」
 顔をしかめて唾を吐く。
 心底からと聞こえるその声が消える頃には、彼は既に走り出していた。


「やかましいぞ、クソガキッ」
 罵りと共に飛んだ乗馬靴の爪先が、少年のすぐ横にあった木箱を粉砕した。
 すさまじい破壊音と飛び散った木片に、泣きじゃくっていた子供は引きつったように声を呑み込む。そして涙と泥でぐしゃぐしゃになった顔で、覆い被さるように睨み付けてくる男を見つめ返した。全身ががたがたと小刻みに震えている。
 静かになった子供を、ロッドは満足そうに見下ろした。路地の片隅に縮こまってはいるが、どうやら怪我などはしていないらしい。
「ったく、いつまでもピーピーうるせぇんだよ」
 言いながら残骸から足を引き抜く。先端に金属が仕込まれた革製の長靴ちょうかには、傷ひとつついていない。ぽんぽんと叩いて付着した埃を払う。
「…………」
 少年の連れとおぼしき老人を助け起こしていたアーティルトは、あまりに強引なその黙らせ方に、思わずこめかみを押さえてため息をついた。
 あたりには数人の男達が意識を失い倒れている。いずれも地方から出てきたばかりの子供連れをからかったあげく、金品を巻き上げようとしていた破落戸ごろつきどもだ。
 子供の泣き声を耳にしてその場へ駆けつけ、瞬く間に悪漢をのしてしまった。ただそれだけならばじゅうぶん素晴らしい働きなのに……どうして彼はこう、素直じゃないというか、むしろ己の欲求に忠実すぎるというか……
「そっちはどうだ。生きてるか?」
 訊いてくるのにうなずく。
 老人はまだ意識がはっきりしないらしく、しきりに頭を振っていたが、動けなくなるような傷は負っていないようだ。
「ガキ連れでこんなとこ歩きまわってんじゃねぇよ、この田舎モンが。カモにしてくれっつってるようなもんだぜ?」
「う、うぅ……」
 額に当てたその手に血が付いてくるのを見て、アーティルトはロッドを振り返った。無言の訴えに、ロッドが深々と嘆息する。
「……宿はどこだ」
 いかにも不機嫌そうなその声に、子供が再びひきつったすすり泣きを洩らした。


 老人の名はザンといった。連れの子供は孫のテオ。二人ともほんの数刻前、日暮れ寸前にこの街へ着いたばかりだという。
 あちこちすり切れつぎがあたった野良着といい、節くれ立った手指や荒れた肌といい、どう見ても、地方から出てきた農民だった。
「出稼ぎでもあるまいに、こんなとこまで何しに来やがったんだ」
 安宿の雑魚寝部屋 ―― 金のない者が泊まる、寝具も何もないところに入るだけ人間を詰め込んだ、ただ壁と屋根があるというだけの場所である ―― の一隅にどっかりとあぐらをかいたロッドは、いちおう小さく潜めた声でそう問いかけた。今宵の同室者達は、既にみな部屋のそこここで横になったり座ったり、あるいは丸くなったり……それぞれの格好で寝息を立てている。こんな部屋に泊まるのは、よほどの貧乏人か後ろ暗い人間だけだ。下手に大声を上げて起こしでもしては、刃傷沙汰にすらなりかねない。慣れない旅と先程の騒ぎで疲れたのだろう。テオももう、老人の横で眠ってしまっている。
 彼らのようなほぼ自給自足の農民達は、滅多なことで生まれ育った土地から出ることはない。必要な物は定期的に訪れる行商人から買い入れ、それで手に入らない物は、仕方ないから必要とはしない。村落という限られた世界で生まれ、育ち、そして死んでゆく。そういった人種だ。
 アーティルトに傷の手当てをしてもらいながら、ザンはぽつぽつと事情を語った。
「わ、わしらには、どうしても、助けが必要なんですじゃ……」
 老人の言葉は訛りがきつく、内容も整理されているとは言い難かった。物事を秩序立てて説明するという行為に慣れていないのだ。だが、話が進むにつれて、二人は徐々に真剣な表情で聞き入り始めた。
「 ―― 妖獣が村を襲ってるだと?」
「へえ。そりゃぁ、でっかくて。もう何人も食い殺されとりますだ。わしらではよぅ相手できませで。都の騎士サマにお願いサこいと思ぉまして……」
「…………」
 思わず目と目を見交わす。
「何匹いる。多いのか?」
「いんや、一匹です。けんど、こぉがでっかいですだ。山みてぇにおっきゃンくて、手に負えねぇんです」
 その説明を整理すると、妖獣が現れ始めたのはこの春頃かららしい。
 長かった冬が明け、固く凍り付いていた畑の土も、ようやくくわを受けつけるようになり始めた時期だった。
 最初に被害にあったのは、村はずれにある風車小屋へ粉引きに行った農夫である。家族及び隣近所で使う数日分の穀物を粉にするべく、家畜に車を引かせて出ていった男が、日暮れになっても戻ってこようとしない。不審に思った村人達が、手に手にすきくわを構えて様子を見に行くと、果たして小屋に行く途中で、破壊された荷車とおびただしい血痕、そして既に原形をとどめぬ、生き物の残骸をわずかに発見した。
「ありゃぁ、まともな生きモンの仕業じゃあぁませんだ」
 青ざめたザンの脳裏には、おそらくそのとき目にした光景が焼きついているのだろう。喉仏が二三度上下する。こみ上がってくる吐き気をこらえているのだ。
 それから幾度か同じことが起きた。
 風車小屋は風が強く吹きぬける谷のはずれにある。そこへ行くには、どうしても両脇を高い岸壁に挟まれた、その部分を通るしかなかった。ほぼ自給自足で生きる村にとって、粉を引けぬということは即座に死活問題となる。
「いまじゃ道端の石で穂を叩いて、ちょっとづつ潰して喰っとります。けんど、そんなモンじゃ、とても腹一杯ゆう訳にはいきません」
 他の物を食べようにも、山間の狭い土地にひっそりと暮らす小さな村だ。得られる物といえばわずかな野菜と、川でとれる小魚程度。家畜も幾らかは飼ってはいるが、それらは貴重な労働力だ。
「このままじゃ、わしらぁ飢え死にですわ。刈り入れまでもうすぐですけんど、収穫したところで、それが引けんのじゃぁ、どうしようも……」
 ごつごつとした手が眠る孫の髪を撫でる。
 まだ十に満たないだろう少年の頬は、気の毒なほどに薄かった。粗末な衣服から伸びる両手足も、骨の存在がうかがえるほどに細い。
「…………ッ」
 ロッドががりがりと頭をかきむしった。額にはめた幅広い銀環が、灯明を受けて光を跳ね返す。
「あぁもう! 何で今なんだよッ」
「へぇ? 今ぁ言いますと」
「手が足んねぇんだよ、手が!」
 怒鳴る。一瞬、声を抑えることを忘れていた。
「いま王都に連絡ついたところで、寄越せる人員は残っちゃいねぇ。タナトスに向かった連中は今頃破邪の真っ最中だろうし、王都は王都で手一杯だ。と、なると……」
 苛立たしげに爪を噛む。アーティルトも眉をひそめて考え込んだ。
 そんな二人を、老人は目を丸くして見比べる。
「あんたら、何でそげんこと知っちょうなるかいね?」
 首を傾げながら問いかける。
 そして、彼はそこで初めて二人の身なりに気が付いた。
「あ、あんたら、もしか……」
 指差した姿勢で絶句する。
 上等そうな服を着ているから、それなりの身分にある人間だとは思っていた。いちおう危ういところを助けてもらったことだし、事情を話せば役所に連れていってくれるぐらいはしてくれるかもと、期待もしていた。だが……よもや……
 驚愕に震える指の先で、セフィアール騎士団のはぐれ者は、ふと手を止め皮肉げに口の端を上げてみせた。

*  *  *


 セフィアール騎士団副団長、ゼルフィウム=アル・デ=ドライア=ルビスは、読み終えた書類から顔を上げ、正面に立つ青年を見上げた。
「確かにこれは重要な報告だ。ご苦労だったな」
 早朝、ろくに身支度も整わぬ刻限に押しかけてきた部下の非礼を、その一言で容認する。
 癖のない銀灰色の髪が前に落ちてくるのを、掻き上げて背中に払った。束ねるどころか、まだ櫛を通してもいない乱れ髪である。羽織った上着のボタンも、上の二つがはずれたままという、いささかみっともない姿だ。
 既に一線を退いた騎士団長に代わり、騎士団の直接指揮は、ほとんど彼がとっていた。まだ三十を越えたばかりで、一見ほっそりとした文官のような見た目をしているゼルフィウムだったが、実際は十二の年に騎士見習いとして入団して以来、妖獣を相手に剣を振るってきた生え抜きの戦士である。その剣技の冴えは無論のこと、常に冷静を失わない明晰さと物事を公正に見る平等な人格とで、団員達からは深い信頼を寄せられていた。
 昨夜、館に戻るなり老人の話を文書にまとめ、夜明けと共に扉を叩いたアーティルトも、そんな上役の気分を害さなかったことに、まず安堵した。
 寝台に腰かけたゼルフィウムは、さらに書類をめくり何度か読み返している。
「この街から北に二日……かなりあるな。徒歩か。騎馬でならだいぶ早い……しかし……」
 口の中で呟く。
 最後の一枚に目を落とし、ため息をついた。そこには隊を二つに分け、一方をその村へと向かわせて欲しい旨、したためられている。
「気持ちは判るが、これは無理だ」
 きっぱりと言い切った。アーティルトがわずかに身じろぎする。
「人手が足りない。ガリアスでの破邪すら、今の人数でも危ういんだ。このうえ隊を分けるなど無謀に過ぎる」
 十三名を半分にすれば、わずか六、七名に過ぎない。そんな人数でいったい何ができるというのか。ガリアスにおいても、この村においても。みすみす力を分散させどちらでも敗北を喫するぐらいであれば、先に一方を片付けたうえで、もう一方へと転ずるべきだ。それが兵法の道理というものである。
「…………」
 淡々と説くゼルフィウムに、アーティルトは目を伏せて唇を噛みしめた。
 彼もそれぐらい判ってはいるのだ。ただ、それでも訴えずにはいられなかっただけで。
 ゼルフィウムはいちど言葉を切った。灰色がかった青いその目を、わずかになごませる。
「あまり気に病むな。一刻でも早くガリアスの破邪を終えて戻ってくればいい。王都にも知らせを出しておこう。そうすればタナトスから帰った者達がすぐにやって来れる」
 アーティルトも自身が直接耳にした件だけに、責任を感じるところが強いのだろう。それに確か、彼が王宮に来る以前に住んでいたのも、こういったたぐいの貧村だった。それだけに同情してしまうのも無理はない。
 寝台から立ち上がり、その肩に手を伸ばす。
 自らの非力さを嘆くことは、けして悪いものではない。その無力感を足がかりとして、いっそう強くあろうと努力ができる。
 沈む部下をいたわろうとするゼルフィウムだったが、しかしそのとき邪魔が入った。
「悠長な話だな」
 突然予想外の方向から聞こえた声に、とっさに剣を取り上げていた。細かい彫刻の施された柄に手を置き、素早く身体ごと振り返る。
 そして絶句した。
 振り向いた先にいたのは、窓枠に腰を下ろしたロッドの姿だった。
 人の背丈ほどもある両開きの窓を開け放ち、片方の枠に手をかけた姿勢で皮肉げな笑みを浮かべている。
 彼の入室など許可した覚えはなかった。だいたい寝台をまわりこまなければ、窓の方には行けないのだ。横を通られればいくらなんでも気付くはず。となれば、あとは外からやってきたとしか考えられない。だがここは館の三階で、真下は石畳を敷きつめた中庭である。落ちれば命はない。
「タナトスとガリアスじゃ、タナトスの方が行き帰りに時間がかかる。戻ってこれるのはおっつかつだ。早くて半月……場合によっちゃ一月。その間そっちはほっぽらかしかよ」
 ロッドは相手の驚愕など無視して ―― いや、判っていてなお気遣いもせず ―― 先を続ける。ゼルフィウムも、さすがに立ち直りは早かった。咳払いして気を静め、改めて相手を見返す。
「仕方がないな。それが順序というものだ」
「村じゃ死人が出てる。それでも順番は守れってか?」
 ガリアスでの騒ぎは規模こそ大きいが、未だ死人は出ていなかった。襲われた人間は数多いが、みな急激な失血による瀕死の状態でこそあれ、生きてはいるのだ。だがザンの村では既に数名の死者が発生している。そもそもの被害が起き始めたのも、ガリアスより早い時期だ。
「 ―― それでも、だ。我々はガリアスからの正式な要請により出動した。途中で任務を放り出す訳にはいかない」
「だから隊を分けろっつってんだろ。お前らはガリアスに行きゃいい」
「勝手なことを言うな」
 さしもの副団長も声を荒げた。
「戦力を分散する訳にはいかんのだ。そもそもお前は、王命をなんと心得る!」
 指揮者の考えなどろくに判りもしないくせに、好きなことを言いおって。だいたいこいつは、自分がその村を気に掛けていないとでも思っているのか。
「そんなに行きたくばお前ひとりで行くがいいッ」
 吐き捨てた。
 この男にそんな気概などあるはずがなかった。多少腕こそ立つものの、いつも戦場では一歩退いて皆の戦いを見物しているような男なのだ。この要請にしたところで、自分の決定に逆らいたいが為の方便としか思えなかった。もしくはガリアスでの任が面倒そうだから、より楽そうな村の方に行きたいからか。
 これで議論は終わりだとの最後通牒に、しかしロッドはにやりと笑ってみせた。
「言ったな。その台詞、忘れんじゃねぇぞ」
「……おい、まさか!」
 気付いた時には既に遅かった。
 とっさに呼び止めようとするのも無視し、ロッドは窓から外へと身を躍らせた。無造作とさえいえるその動作に、ゼルフィウムは別の意味で言葉を失う。目の前で見せられた自殺行為に、さしもの彼も一瞬自失した。それから慌てて窓へと走り寄る。身を乗り出して下を見た。
 目を疑った。
「な ―― 」
 見えたのは、無惨な墜死体などではなく、悠然と石畳を歩いてゆくその後ろ姿だ。傷を負っているどころか、息ひとつ乱している様子もない。視界からはずれていたのはほんの数秒の間だったというのに、身の丈の何倍もある高さから降り立って、まるで何事もなかったかのように歩み去っていく。
「化け物か、あいつは……」
 呆然と呟いた。
 あの男の前身は、実を言うとはっきり判ってはいなかった。なんでも身につけた技を金で売るような、卑しい稼業についていたらしいが。それだけではなく、場合によっては大きな声では言えぬ非合法な真似もしていたらしい。おおかた盗人の真似事などで鍛えた体術だろうが、とんでもないにも程がある。
 どうしてまた、あんな男を騎士団に迎え入れたのか。陛下のお考えを疑うつもりはなかったが、それにしてもつくづく解せなかった。
 嘆息するゼルフィウムの横で気配が動いた。
 はっと振り向けば、アーティルトが傍らに来て、共にロッドの姿を見送っている。
 ゼルフィウムが自分の方を見たのに気付くと、姿勢を正してむき直ってきた。そうして、深々と一礼する。
「アーティルト?」
 丁寧すぎるその仕草に、引っかかるものを感じた。眉を寄せて呼びかける。
 顔を上げた彼の表情は、固く引き締まり、何かを決意した色をたたえていた。片方しかない焦茶色の瞳が、静かに光ってゼルフィウムを見つめ返す。
「…………」
 己の胸に手を置いてみせた。ゆっくりとうなずき、そして指を一本立てる。もういちど胸元を押さえた。
 まさか。
「一人で行く気か!?」
 思わず叫んだ。応じてはっきりとした肯定が返される。
 行きたければ一人でゆけ。
 その言葉に甘えさせてもらう、と。
 意外な成り行きに絶句した。よもやこの青年までそんな無茶を言い出すとは思わなかったのだ。理を尽くして説得すれば、聡明な彼のことだ、必ず理解してくれると判断したというのに。
 まったくあの男といい彼といい、こちらの立場も考えず、勝手なことばかり……
 物分かりの良い上司でとおっているゼルフィウムも、さすがに限界だった。そもそも部下のわがままを全て受け入れているようでは、騎士団の頭など務まらない。
「……好きにしろ」
 低い声で吐き捨てる。
 ただし命令に従わず、任務を放棄した責任はとってもらう。その処罰を怖れぬというのならば、どこへとなりと行ってしまえ。
 これ以上聞く耳はないと背を向けてしまったゼルフィウムに、アーティルトはただ再度、深く頭を下げた。


 支度はすぐにできた。もともと移動の途中なのだから、荷物は既にまとまっている。結局使わなかった寝台はそのままに、軽く室内を片付けた。外套マントを羽織り、鞍袋を肩に掛け、うまやへと向かう。
 彼の馬には既に鞍がつけられていた。手綱や蹄鉄も整えられ、外庭へと引き出されている。あとは出発するばかりだ。
 やはり外套を身につけ、準備一式整えたロッドが、自分の馬のくつわをとって待っていた。
「遅ぇ」
 不愛想に言ってくるのに、軽く会釈して謝罪する。
 人通りの多い街中で馬を走らせる訳にはいかないので、それぞれ手綱を引いて門をくぐった。足早にザン達が待つ宿屋へと向かう。彼らと合流し、街を出てから相乗りして飛ばせばいい。
 やってきた二人を見て、ザンは複雑な表情になった。
 こんなにも早く破邪騎士達と連絡が取れたのは喜ばしいことだったが、その結果派遣されるのがたった二人だけとは、かなり心もとないものがある。いや、彼らの実力を疑う訳ではなかったが、それにしても相手はあの巨大な妖獣で ――
 老人の葛藤は目に見える判り易いそれだったが、ロッドは鼻を鳴らしただけで黙っていた。この上、彼らが命令違反で飛び出してきたのだと知ったなら、この老人は絶望のあまり道案内すら投げ出しかねない。
 とまどい固辞する二人を無理矢理馬に乗せ、彼らは街の外へと向かった。老人や子供の足に合わせていては、城壁にたどり着くだけで、相当の時間がかかってしまう。
 妖獣の出没しやすいこの国では、ある程度以上の規模と財力を持つ都市は、すべて周囲を高い石壁で囲んでいた。出入りは数ヶ所に設けられた門からのみ行われ、それも日暮れと共に閉ざされてしまう。閉門に間に合わなかった者は、仕方なく城壁のそばで夜明かしするしかなかった。薄情なようではあるが、それが破邪の力を持たぬ一般人達の、妖獣から身を守るひとつの方法なのだ。
 今頃は夜明けを待って開かれたそこに、昨夜入りそこねた者や、朝市に出す作物を持った近隣の農民達などが列を作っていることだろう。街を出ていく者が動き始めるのは、もう少し日が昇ってからだ。
「お〜いるいる」
 ロッドが伸び上がるようにして人の向こうを透かし見た。城門周辺に、多数の人間がうごめいているのが見える。街に入るのには特に手続きを必要としないが、それでも風体によっては見張りの役人に止められることもあった。さほど広い門でもないので、どうしても混雑が起こってくる。
「お前ら良く止められなかったな」
 ロッドが鞍上のテオに問いかけた。見上げてくる彼に、少年はびくりと身をすくませる。直接には何をされたという訳でもないのだが、やはり昨夜の乱暴な振る舞いが効いているらしい。
 そんな子供の反応を、ロッドは不快に思うどころか、むしろ面白がっているようだった。にやにやと嗤いながら、意地悪く視線をはずさない。落馬せぬよう鞍の前の部分を掴んだテオは、だんだん身を小さく縮めてゆく。
 と、すぱんという音をたてて、いきなりアーティルトがロッドの後ろ頭をはたいた。何の前触れもなかったその仕草は、力のこもっていない軽い動きだっただけに、まともに決まる。
「……っ、てめッ」
 振り返ったロッドに、アーティルトは視線も向けず前方を指差した。
「ぁあ?」
 いぶかしげに眉を寄せて、それでも素直にロッドは指先を追った。そしてむっと唇を引き結ぶ。
「アーティルトさん!」
 城門のすぐ脇で、手を振っている若者がいた。雑踏の中でもひときわ目立つ、青い制服。傍らには、同じ格好の青年がもう一人立って、ともにこちらを見ている。
 やがて若者は、待ちきれなくなったのか連れの青年をその場において、人混みの間を駆け抜けてきた。
「アートさん! 良かった。見つけられたっ」
 いかにも嬉しそうな、満面の笑顔。
 つられるように、アーティルトも口元を緩めて彼を迎えた。
 まだ破邪騎士に叙任されて間もない若者 ―― カルセスト=ヴィオイラは、その緑がかった灰色の目に純粋な尊敬の光をたたえてアーティルトを見上げてくる。首の後ろで結んだ亜麻色の髪が、動作のたびにぴょこぴょこと弾み、まるで子犬が尻尾を振って懐いているような印象を周囲に与えた。
 ルウム伯爵家の三男アル=ルウムである彼は、れっきとした貴族階級出身者でありながら、平民であるアーティルトに対してもまるで屈託がなかった。むしろ見習いの時期から何かと世話を焼いてもらっただけに、他のどの騎士に対してより心を許している部分がある。
 アーティルトの方も五つ近く年が離れている彼を、まるで弟でも相手にするかのように扱い、しばしば共に時を過ごしていた。
「行き先が北の方だっていうから、絶対ここの門を使うと思って」
 カルセストは目を輝かせてそう説明してくる。
 どうやら下町に寄ってザン達を拾っている間に先まわりしたらしい。
 納得する彼らのもとに、遅れてもうひとりが歩み寄ってきた。彼もそしてカルセストも、アーティルト達と同じように旅装を整えている。
「間に合って良かった。先に街を出られては、追いつけるかどうか判らなかったからな」
「ああっ、すいません!」
 置いてきた馬を引いてきてもらったカルセストは、慌てて頭を下げた。先輩に小者の真似事をさせてしまうなど、言語道断にもほどがある。
 急いで手綱を受け取る彼に、先輩騎士は苦笑しただけだった。まだかなり危なっかしいカルセストだったが、その素直な気性は皆から愛されているのだ。
『共に?』
 石板と白墨を取り出したアーティルトは、そう書きつけて彼らに問いかけた。
 応じて二人がうなずく。
「副団長の命令だ」
 その答えに、アーティルトはわずかに目を見開く。
「妖獣が現れているというくだんの村へ赴き、状況を調査。倒せるものならば早急に倒し、力が足らぬようなら村人達の避難などしかるべき処置を施した上で、一行の後を追うように、とのことだ」
 説明しながら、ゼルフィウム直筆の命令書を取り出す。
 受け取り目を通したアーティルトは、最後に書かれた署名を確認して息を吐いた。しばし目を閉じ、副団長に感謝する。ここに彼の署名があることは、この破邪が彼の判断により行われたものだという証明になる。すなわち後日命令違反で糾弾されたとしても、それは命令を下したゼルフィウムに対して為されるものであって、実際に動いたアーティルト達が責任を追及されることはないということだ。
 自分達は彼の面目を潰して飛び出してきたというのに、こうして貴重な戦力を二人もさいてくれただけではなく、正式な任務となるよう手配してくれたのだ。これを感謝せずしてどうしよう。
 命令書を丁寧にたたみ直して返す。
「さ、行きましょう!」
 促したのは元気のいいカルセストの声だ。
 ぐずぐずしていてはどんどん人が増えてきてしまう。街道の人通りが少ない内に出発するのが吉である。うなずいて一同は手綱を引きそれぞれの馬にまたがった。
「危ないぞ! 道をあけろ」
 よく通る声に振り返った人々が、彼らを見て道路脇へと身を寄せた。馬の腹を蹴る。威勢のいい、いななき声があがった。
 そうして、破邪の一行を乗せた四頭の騎馬は、次々と門外へと駆け出していった。


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