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 楽園の守護者  第十六話
 ― 受け継ぎしは ―  第六章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 本来であれば、と。
 その想いは常にコーナ公爵セクヴァールの心中にあり続けた。
 国王カイザールの第二王女をその妻に娶り、生まれた男児を後継者として持つコーナ公爵家は、この国のどの貴族よりも王室にちかしい存在であった。
 何代にもわたり王家の血を受け入れ続け、セクヴァール自身にも母方から数代前の国王の血が引き継がれている。
 故に王家の王子王女がすべて若くして命を落としたその時、新たな王太子として立つべきだったのは、彼の息子であるロドティアス=アル・デ=ティベリウス=フォン・コーナであったのだ。
 セイヴァン王家の王位継承は、厳密にその血筋によって行われる。
 本人の資質や男女の区別もそこには存在せず、ただより濃い『セイヴァン』の血を継ぐことのみが要求される。
 少しでも強い術力を、破邪騎士セフィアールを生み出し、その心身を癒すすべを保つことこそが、最優先事項であるが故に。
 だからこそ ―― 第四王女の息子たるエドウィネルなどよりも、第二王女の子供であるロドティアスこそが、王位を継承するべきであったのだ。まして父である己だとて、コーナ公爵。二大公爵家と並び称されるアルス公爵に、なんら劣るところなどないはずであったのに。
 それなのに ――
 もしも彼がその時、存命していたのであれば。
 たった一年の差であった。
 嵐によりロドティアスがその消息を絶ってから、王太子が妖獣の爪にかかり、そして第三王子フィラルドが病死するまで、わずか一年。
 その一年の差によって、王太子はアルス公爵家の世継ぎだったエドウィネル=ゲダリウスと定められたのである。

 ―― 本来であれば。

 王太子を輩出したことで、アルス公爵家はコーナ公爵家より一歩先んじた。
 同じ二大公爵家と謳われながらも、コーナ公爵家は常に一歩、アルス公爵家に道を譲らざるを得なかった。

 ―― あの日、ロドティアスが波になどさらわれなければ。

 ほんのわずかな運命の差が、コーナ公爵とアルス公爵の立場を定めてしまった。
 ほんのごく些細な、それは入れ替わっていたことの方が、よほど可能性の高かったはずの出来事で ――

 ―― 何故。

 と。

 ―― どうしてあの場に立っているのが、ロドティアスではなく、アルス公爵家の若造なのだ、と ―― !


*  *  *


 張りつめた空気の四阿あずまやの中で、ただひとりロッドだけが、どこか道化じみた言葉つきで獲物を追いつめ続けている。
 胸元に突きつけた指を上下させ、下からのぞき込むようにして嘲りの笑みを刻み。
 彼は毒のある言葉を公爵へと投げかけ続ける。
「自分の息子であるロドティアスであれば、『あれ』がなんであるかなど、説明するまでもなく判るはずだ。なのにこの王太子はなにも知らない。おやおや、そんな愚か者など、王太子として認めてなどなるものか。さっさと王都に戻って陛下に泣きつき、そうして失望されるが良い。おおかたそんなことを考えてたんだろうよ」
「だ……黙れ……っ」
 うなるようなセクヴァールの言葉も意に介することなく、ロッドは楽しげに先を紡ぐ。
「そうしてあんたは真相を隠し、王都に戻る王太子を見送った。まさか国王が病に倒れているなんて事は考えもせずにな。一子相伝の秘密は、国王が倒れることで王太子に伝えられることなく、あわや秘密は闇の中。かろうじて国王がおっ死ぬ寸前に意識を取りもどしたから継承の儀は無事に為されたものの、そうでなけりゃあ、さて、どうなってたことかねえ?」
「黙れと、言うに……ッ!」
「おまけにあんたが口をつぐんだことで、本来なら未然に防がれるはずだった妖獣の大発生は、見事に公爵領を襲ってくれた。てめえの領地だ。口を出すななんてほざくなよ。領民の命もその財産も、すべては領民それ自身のものだ! てめえなんぞの持ち物なんかであるものか!!」

「黙らぬかぁッ!」

 その瞬間、コーナ公爵は腰にいた剣を引き抜いていた。
 反射的とも言える動きで切りつけられたその動きを、ロッドは予測していたかのように軽く後ずさることで避けた。
「……おまけにあんたは、そのまますべてを忘れてただろう」
 低い声が、何事もなかったかのように続けられる。
「国王の危篤に、王太子への隠し事なんかすっぽり忘れ去って。たかが『舟』のひとつやふたつ、何ほどのことかと、何の対策もしないままに公爵領を離れ、王都でただ時間を浪費していた」
 その間、公爵領をどれほどの苦難が襲い、フェシリアや官僚や兵士達、街の人々がどれほどの辛酸を舐めていたかなど、なにひとつ考慮することなく。
 セクヴァールが剣を抜いたことで、エドウィネルは席を蹴って立ちあがっていた。四阿あずまやの外から飛び込んできたレジィがフェシリアをその背後へ庇い、カルセストとアーティルトはエドウィネルの前に立って佩剣はいけんの柄に手をかける。
 武官ではないフォルティスとラスティアールは、四阿の入口で足を止め、どう対処するべきかを迷っているようだった。
 そんな中でロッドだけは、自身の剣に手をかけることすらせず、いつしか背筋を伸ばし、静かな眼差しでセクヴァールを見すえていた。
「なあ、知ってるか?」
 穏やかな、優しいとさえ言える口調で、彼はそう言葉を綴った。

「そういうのをな、『国王への裏切り』、『領主として不適格』って言うんだぜ?」

 言葉にならない怒号と共に、セクヴァールがその剣を振りかぶった。
 すさまじい勢いで振り下ろされたその前で、ロッドは動こうともせぬまま、ただ白刃を見つめているかに見えた。
 激しい金属音があたりに鳴り響き、鮮やかな血が四阿の床へ天井へと散りしぶく。
 ぐらりと平衡を失って崩れる肉体。
 悲鳴と怒号が幾重にも重なり、短くしかし激しい格闘がその場で演じられる。

「 ―― ッ!」

 誰のものとも知れぬ悲痛な叫びが、四阿の空気を切り裂いていった。




 ―― やがて。
 壊れたような奇声をあげ続けるコーナ公爵が当て身を入れられ、怪我人と共に四阿から運び出されていったのちのこと。
 未だ血の跡が残る四阿には、ひとときフェシリアとエドウィネルだけが残されていた。
「……あるいは、正気を失ったやもしれぬな」
 血濡れた刃を手にしたまま、アーティルトによって取り押さえられたセクヴァールへと、一言ささやかれたその言葉。それが彼の精神に残された最後の糸を断ち切ったかに見えたのだった。
 それは、ごくごく短い、ほんのたったひとつの問いかけ。

『……ご満足……です、か……?』

 父上、と。
 苦痛に乱れた息の中、低く掠れたとぎれがちの声が、公爵へと小さく囁きかける。
 そうして間近から見上げるのは、深い深い、夏の海の色の瞳。
 南方の血を色濃く引き継ぐすらりとした長い手足に、細い体つき。なめした皮革のような濃い褐色の肌の中にはめ込まれたその瞳の色は、混血の多いコーナ公爵領では、稀有というほどの取り合わせではなかったけれど。
 けれど、鮮血にまみれたその姿は、改めて眺めてみれば、コーナ公セクヴァールの面影をはっきりと宿していた。
 普段の粗暴な物言いや立ち振る舞いから、誰もがそのような可能性など考えてもみなかっただけで。改めて注視してみれば、この二人はあまりにも良く似すぎていた。
 生きていたのであれば、何故、と。
 その問いに繋がる答えを、はたしてコーナ公爵は理解しえただろうか。
 彼が喪失を嘆き続けた後継者たる少年は、けして屋敷へ戻らなかったわけではなかったのだと。ただ、屋敷へ戻った彼を、公爵自身が後継者として認めなかった、それだけのことだったのだと。
 何故ならコーナ公爵にとって、垢と埃にまみれ襤褸ぼろをまとった少年など、視界に入れることすらいとわしい、下賤の存在だとしか考えられなかったのだから。
 飢えと渇きに掠れ果てた声へと、耳を傾けようとすらしなかったそのおごりが、彼から何よりも執着していた後継者を奪い去る結末を招いたのだと ――
 それらのことどもを、はたしてコーナ公爵は理解できたのだろうか。
 ともあれ自ら振るったやいばによって、自らの妄執にも似た想いの根源を斬り捨てる結果となったセクヴァールの精神は、そこで限界を超えたように思われたのであった。
「同情は……せぬ」
「 ―― 無論のこと。どうぞお気遣い下さいますな。陛下」
 視線を交わすことなく佇む二人は、共に石造りの床に散った、血飛沫を眺めていた。
 セクヴァールが剣を振りあげた、あの瞬間。
 確かにロッドは、動こうとしなかった。
 もしもアーティルトがとっさに投じた剣がわずかでも白刃の軌跡をそらしていなかったならば、破邪騎士であったとしても命に関わる、取り返しのつかない事態になっていたかもしれない。
 あるいはそれは ―― 彼なりのけじめだったのだろうか。
 自らの手で陥れようとしている相手に対しての、それは。
 いや、それとも……
「もしも ―― ロッドが公爵をまったく信頼していなかったならば……あの男はわざわざ公爵領に戻ることなど、はじめからしなかったのだろうな」
 エドウィネルは誰に言うともなく、そう呟いた。
 もし公爵が正当な理由なく王都に連絡を送っていないと、そう確信していたならば、ロッドは迷うことなくその場でエドウィネルに全てを打ち明けていただろう。彼は連絡の有無やその理由を知ることができる立場にこそなかったが、それでもある程度の事情には通じていたからこそ、予感を抱き、そうして確証を得るべくわざわざ公爵領に戻り、セクヴァールへと面会を申し込んだのだから。
 そして、今もまた。
 あるいは彼は、心の底でわずかにでも思っていたのではなかったか。
 果たして公爵が、最後までその剣を振り下ろしきるものかどうか、それを確認してみたいのだと ――
 だからこそ、エドウィネルらは公爵に同情することはできなかった。
 幾度も与えられた分岐点の、そのすべてを選択したのは公爵自身であるが故に。その結果に対する責任もまた、公爵自身の上にあるに他ならぬのだから。

「……妬ましいと。そう申し上げても、よろしゅうございますか」

 フェシリアの問いかけに、エドウィネルは無言でただ、わずかに口の端を上げたに留まった。
 それほどまでに、あの男の気にかけられていた公爵が、ひどく羨ましいだなどと。
 仮にも一国の主たる彼が、容易く口にするわけにはゆかない内容であったが故に……


*  *  *


『コーナ公爵の過ちは、国王というものに対して、憧憬を抱きすぎたことにあるのだろうな』
 王位継承の儀の為、再び王都に集まったフェシリアやロッドら一同と情報を交換し、今後の計画を練りながら。エドウィネルはふと、そんなふうに呟いたものだった。
『貴族も王家も、所詮は祖先が為した偉業のおこぼれを預かってこそのものだ、と。これは、お前の持論であったな』
 部屋の隅で大剣を抱えて座り込んでいるロッドに対し、エドウィネルが苦笑いを向ける。
 地位も名誉もクソ食らえ。高貴な血筋なんざ、先祖がちっとばかり要領良かっただけのことで、その人間自身にはなんの価値も保証なぞするものか、と。誰に対してもそう言い放ってはばからなかった青年は、それに応じてひょいと肩をすくめてみせるに留めた。
『だが……はたしてセイヴァン王家が為してきたことを、偉業と評しても構わぬものか……それがそなた達が書簡で送ってきた、王家に対する問いかけであったな』
 続いたエドウィネルの言葉に、ロッドとフェシリア、そして同じく近侍として室内にいたフォルティスとレジィが姿勢を正す。
 後者二人は詳しい書簡の内容までは知らずとも、その言葉のはらむ不穏さに、表情をひきしめたものにしている。
『かつて、三百年を数えるほど遥かな昔 ―― この大陸を訪れた、移民達が存在したらしい ―― 』
 そうしてエドウィネルは、彼らに語り始めた。
 本来であれば王家の、それも王位を継承する者にのみ知らされるはずの、その秘め事を。
 あの不可思議な装置によって、無理矢理脳内に流し込まれたその情報を、そのまますべて言葉で表現することなど、到底不可能ではあったのだけれど。
 それでも一言一言、叶う限りの言葉を尽くして、説明してゆく。
 かの移民達に、悪意などはなかったのだろう。彼らは彼らなりに必死で自分達のよって立つべき大地を求め、それをこの地に定めようとしたのだ。
 だが実際に彼らが行ったことは、大地に多くの荒廃を呼び込み、妖獣という名の化け物を数多く生み出す結果となった。
 あまりにも異なる生態系の生き物を移植しようと試み、さらにまたその為に、多くの薬物を散布したその代償として ――
 それでも彼らは、少しでも自分達がやったことを補うために、更なる手立てを模索した。
 そうして彼らが選んだその道は。
『毒を以て、毒を制すること』
 妖獣を ―― この地の生態系に適応せぬ化け物を駆逐するために、新たなる化け物を、今度こそ完全に制御下における、新たなる化け物を野に解き放つこと。
 幾種類もの妖獣を捕らえ、その生体を分析し、己らが制御可能な生き物へと、それに対抗できるだけの能力を植え付けてゆく。
 その、制御可能な生き物とは……新たなる化け物とは……


*  *  *


 ほんのつい先刻、コーナ公爵の手によって大きく斬りつけられた、ロッドの肉体。
 肩口から深々と食い込んだ白刃は、肉を割り、骨を削り ―― そうして引き抜かれたのち大量の血飛沫をあたりへとまき散らしていた。
 だが……出血があったのは、ごくわずかな間のことだった。
 通常であれば即座に止血を施さねば、全身の血潮が流れ出しても不思議ではないほどの重傷が。
 呆然と見守る皆の目の前で、非現実なほど急速にその出血を少なくしてゆく。
 そうして、むき出しになった傷口の、はぜ割れた肉の奥から現れたものは。
 みしり、みしり、と。きしむかのような音を立てながら。傷口の奥から少しずつ姿を現してきたそれは。
 誰かの喉の奥から、言葉にならないうめき声が洩れた。
 血まみれの傷の中から現れたそれは、不自然なほどに血曇りひとつない、白銀に輝く木の根に見えた。
 石床に膝をついて歯を食いしばり、右手で傷を押さえたロッドのその手の甲にも、襟の奥から見える首筋にも、まるで血管が膨張したかのような、網の目状の盛り上がりが生じ始めている。
 だがそれは、血管などではないのだろう。
 いま、その傷口から根を伸ばそうとしている、白銀色の樹木。
 破邪騎士団セフィアールの、そして国家セイヴァンの紋章にも描かれている、枝を広げた白銀の大樹セフィアが。
『……ッ……あッ!』
 ロッドが、痙攣するかのように激しくその身をのけぞらせた。
 途端にびきりと、根が大きく生長する。
 首筋から伸びた網目状の怒張が、顎を伝い顔面の半ばにまで広がり始めていた。


『 ―― この地に元より住まう、制御可能な知性を持つ生き物。そこへ妖獣に対抗できるだけの能力を開発し、植え込んだ。それこそが、セイヴァン王家の始祖とも言うべき ―― 』


 とっさにエドウィネルはロッドへと駆け寄ろうとした。
 いま『それ』を制御できる存在が、己しかいないことを知っていたからだ。
 しかし ――
『来る……な……ッ! お前も、食われ……』
 枝分かれして伸びゆこうとするその根を血塗れの指で握りしめながら、ロッドが絞り出すように呻いた。
 その手を汚していた赤い鮮血が、みるみる内に中指の指輪へと ―― そして同じ輝きを放つ銀の根へと吸収され、跡形もなく消えてゆく。
 セイヴァン王家の血を継ぐ者は、皆がこの植物 ―― 否、金属をも思わせるそれは、むしろ植鉱物と呼ぶべきか? ―― の餌となりうるのだから。
 今や唯一の王位継承者となったエドウィネルまでもが、この『セフィア』の餌食になるわけにはいかないのだと。
 息を呑んで足を止めたエドウィネルは、その言葉の正当性を認めずにはいられなかった。悲しいかな彼は、この期に及んでなお、そこに思い至れるだけの冷静さを持ち合わせていたのだ。
 唇を噛んで立ち止まったエドウィネルは、しかし次の瞬間、乱暴な仕草で額にはめた宝冠を抜き取った。
『カルセスト! これを!!』
 一連の出来事に呆然と立ち尽くしていた若者へ、押しつけるようにして差し出す。
 さらには右腕からは、銀の腕環をも引き抜いた。はめ込まれた宝珠は、既に鮮やかな紅色に染まっている。
 とっさに受けとったカルセストは、一瞬びくりとその身を震わせた。が、次の瞬間、全速力でロッドへと走りより、その額から鉄の環を抜き取って、代わりに国王の証である銀環をはめ込んだ。さらには銀の根を握りしめている右手へと ―― その中指にはまる、抜けもまわりもしない銀の指輪へと ―― 腕環の宝珠を押しつける。

『 ―― ッ!』

 額環の宝珠の青く透きとおった内側で、ちらちらと幾つもの光がまたたき揺らめいた。
 真紅に染まっていた腕環の宝珠が、みるみる内にその色を失い、透きとおった輝きを取り戻してゆく。
 食いしばられていたロッドの顎が、わずかずつその力を緩めていった。大きく見開かれていた両目が、少しずつ理性の色を宿し始める。
 だがその深蒼色の双眸には、代わるかのようにすさまじいまでの苦悶が現れていた。
 銀の根をつかんだ右手が、ぶるぶると大きく震えている。
 やがて ―― 終わりは唐突に訪れた。
 握りしめられていた銀の根に、少しずつ細かい亀裂が入り始める。そして大人の親指ほどの太さにまで成長していたそれは、まるで飴細工かなにかのようにもろく崩れ落ちた。
 細かな欠片となった銀の破片は、床や服にこぼれ落ちると、砂のように細かく砕け、その輝きを失ってゆく。
 いつしか肌を覆っていた網目状の怒張も、収まりを見せていた。
 大きくはぜ割れていた傷口が、その奥からゆっくりと肉を盛り上げ、塞がってゆく ――

 深々と大きく息を吐いて、ロッドは今度こそ完全にカルセストの腕の中へと崩れ落ちていった。
 王位継承者のみが扱えるはずの宝冠をその額にいただき、破邪騎士セフィアールのみが持つ銀の指輪をその右手に。
 荒々しく息をつき、びっしりと肌に汗を浮かべたそんな姿は、あるいは伝説に語られる祖王エルギリウスの姿にも似て ――

 何よりも雄弁にその身の由来をあかす、それは光景だったのかもしれない。
 セフィアールの技と、祖王の血を継ぐ、まごう事なきそのあかし。

 だが、その姿は。
 常人には理解不能な、そして一歩を間違えれば死よりも恐ろしいのではないかと、嫌悪の情すら抱かれかねないその有様は。


『毒を以て、毒を制すること』


 即ちそれは、化け物を以て、化け物を制する所行に他ならぬのだと ――

 その光景もまた、コーナ公爵の狂気に一役買っていたのだろうと、四阿に佇む二人にはそう予測ができていた。
 なによりも憧れ、至高の座として夢見ていた王位という存在が、けして羨むべきそれではないのだと。妖獣となんら変わらぬ、化け物のそれにも等しい存在なのだと、彼はその目ではっきりと確信したのだろう。
 祖なる王エルギリウスが、何故にセフィアールの力を二つに分けたのか、今ならばよく判った。
 強すぎる力を持つことは、常に両刃の剣であることを意味している。
 それぐらいのことは、最初から理解しているつもりであった。けれど、しかし目の前でロッドの惨状を見た今、エドウィネルは自身が同じようにセフィアールの術力を手にし、祖王にも並び立つ存在になりたいだなどとは、到底考えられなかった。
 祖王エルギリウスより続くセイヴァン王家に連なる者の『血』には、かの移民達の手によって付加された、植鉱物『セフィア』を活性化させる因子が潜在している。
 その因子によって、ある時は指輪の形をとって体表面に現れた ―― そしてそれに接する細剣という形状に削り出されたその組織に ―― 触れた妖獣を滅し去る破邪の術力を帯びさせる。
 そしてまたある時は、宿主たる生物 ―― すなわち体内に植鉱物『セフィア』を植え付けられた、破邪騎士達の負傷を癒す効力をもたらす。
 それは、一種の触媒といっても良いだろう。
 ほんの十数滴ともいえるわずかな血液が、破邪騎士達の失われた術力を爆発的に甦らせ、またそこなわれた血と肉を生み出してゆく。奇蹟とでも呼ぶべき、その作用。
 しかし ―― 重ねて言うが、それは両刃の剣だ。
 王族自身の肉体に植え付けられた場合の『セフィア』は、その血を糧に、破邪の力を生み出し、癒しの奇跡を行う。
 すぐそこにあるその血液を源とするが故に、その術力の発動には際限がない。根源となる血液がわずかでも残されている限り、その力は発動を可能とする。
 そしてまた、癒しの力は。
 わずかな血液で済まされている間は良い。
 消耗した血液を埋め合わせるだけの癒しを、その鉱植物はもたらしてくれるのだから。
 しかし、それにも限度がある。
 もしも、破邪の術力を使いすぎたならば。己の力を過信し、許容量以上の傷をその身に負ってしまったならば。
 度重なる破邪と負傷とに力を消耗し、身の内に巣くう植鉱物『セフィア』が宿主の安否よりも、自身の生存本能を優先させようとした、その時には。
 ……王位継承者の血肉を糧に、その力を発揮するその半生物は、本能の赴くままに宿主の生命を食らいつくし、そうして自らもまた滅び去ってゆくのであろう。
 故にこそ、祖王エルギリウスは、自らの子孫に破邪の力を継承させることを ―― あの植鉱物セフィアを植え付けることを ―― 禁じたのではなかったか。
 ごく普通の人々の肉体に宿った状態でさえあれば、たとえ力を使い果たしたその時にも、静かにただ自身のみが枯死してゆくだけであると。そう、判断したが故に ――


*  *  *


『……化け物であるのは、我ら。祖なる王と、彼に連なる実験体達。それらを生み出すべく多くの人体実験を行った、かの『移民』どもへと反旗を翻し、荒野に追放して施設のみを奪い去ったのも、また我らならば、果たしてなにが、祖先の偉業であるものやら……』
 かの『移民』によって生み出された、いわば人為的な『妖獣』が、祖王と実験体たる初代破邪騎士達。
 そして移民達の所行に反発し、数々の技術なくしては無力な彼らを、妖獣ひしめく荒野へと追いやりさった、裏切り者の末裔がセイヴァン王家。
 すべての妖獣をこの大陸から滅し去る。ただその目標だけを心の拠り所とし、立ち働いたその果てが、民衆達より王家として祭り上げられる結果となり。
 星の海ティア・ラザの底に残された『船』を利用して、様々な記憶と技術を受け継ぎ続け、また年に一度の建国祭の折りなどには、宮殿みやどのから『船』へと入り、各地に墜落した他の『移民船』の残骸を監視することも行っていた。そうして、もし何らかの要因で内部に残存する生き物 ―― すなわち妖獣が放出される兆候を察したならば、先回りしてその機能を凍結させる。
 三百年にわたり続けられてきた、それこそが、セイヴァン『王家』の為してきた事業だったというのならば。
 なんという、欺瞞。
 誇るべき尊き血筋どころか、自らこそが化け物に他ならず、裏切りの果てに得たのは、自己満足を善意的に解釈されたが故の、至高の玉座。

 知りたくなど、なかった。

 祖父が最後まで教えてくれようとしなかったのも、よく判る。
 こんな真実など、どうして告げることができるだろう。王太子としての誇りを胸に、気高くあろうと前を見る、若々しい後継者に。

 けれど、自分は。

 生涯においてただ一度、破邪騎士団長ダストンにのみその胸中を語ったカイザールは、ついにその理解を得ることはできなかったという。
 けれどエドウィネルは。
 とてもこの秘密を一人で抱えてゆくことなど、耐えられなかった。
 彼にはどうしても、それに耐えることなど、考えられなかったのである。
 まして彼は。
 ただでさえ心身に強い負荷をかける記憶の継承とほぼ同時に、パルディウム湾で活動を始めた『船』をも止めなければならなかった彼は ―― そのあまりに大きすぎる負担故に、重大な失態を犯してしまったのだ。
 妖獣を放出しようとする『船』を凍結させるその際に、射出寸前だったいくつもの『舟』を、ついに止めることができなかった。
 そのことこそが、かの未曾有の妖獣大発生の真相なのだ、と。
 もはや懺悔すら許されぬだろうその秘密を胸に、祖先達のそれまでをも抱え続けることなど、彼にはどうしてもできなかったのである ――


*  *  *


 その年。
 新王エドウィネル=ゲダリウスが即位して間もなく、コーナ公爵家では代替わりが行われた。
 公的な記録によれば、即位の儀の際、王都を訪れていた当代公爵セクヴァール=フレリウスは、急な病に倒れその後の責務を急遽、同道していた世継ぎの公女フェシリア=ミレニアナに代行させたという。その後も彼の病状は回復することなく、公爵領のなかでも北部に位置する季候の良い土地の別荘で、数年後生涯を終えるまで療養の時を送ったと伝えられている。
 たとえその実質が軟禁と呼ばれるものに近かったとしても、公式の記録にそれが残されることはついになかった。
 国王の目前で剣を抜き振りまわしたことは、たとえ即その場で取り押さえられたにしても、乱心と評されて当然の所行である。もしも公にされたのであれば、公爵家自体が取りつぶしの憂き目にあっても不思議のないところを、これまでの功績と、その場にいあわせた後継者たるフェシリアの的確な対処をもって、事態は秘密裏に伏されることが決定したのだ、と ――
 それは、宮廷内でもまことしやかに、あくまで単なる噂として流れたに過ぎない風聞であった。しかし事実、まだ当主としては熟年期にあったセクヴァールが突然に隠居を果たし、年若い姫君であるフェシリアがその後を継いだことについて、貴族社会内では確かな根拠を求めようとする風潮があり。その話はいかにもそれらしい事実として、ひそやかに受け入れられていったのである。


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