それは、ある意味最悪の巡り合わせであったのだろう。
王太子の公爵領への視察、謎の『舟』の漂着、国王の崩御、そして妖獣の大量発生。どれかひとつでも、わずかなりと時期を
違えていれば、その結果は大きく異なったものになっていたに違いない。
いや ―― ごく一部の人間にしてみれば、それはある意味
僥倖とも言える、最高の時宜であったのかもしれない。
だがやはり、失われた多くの人命や資源を思えば、それは最悪の一致だったのだろう。
しかし、国王が健在で、そしてかの『舟』の漂着を知っていたならば ―― と。
その仮定は、けして虚しいそれではなかったはずだった。
事実、『舟』の発見から間をおかずして王都にその知らせを送ってさえいたならば、カイザールはそれを受けとり、ふさわしい対処を為すことができていたはずなのだ。
そしてその過程において、後継者たるエドウィネルに対しなんらかの
訓誨を贈ることもまた、できていたはずなのだ。
それが、叶わなかった理由は。
ロッドによって提出された報告書を読めば、それが公爵家の地下に秘蔵された品と同種のものであることは、明らかだっただろう。少なくともコーナ公爵当人にとっては。
にもかかわらず、公爵はそのことについて口を閉ざした。
同種のものが現れた際には、可及的速やかに国王へと連絡を送るべし、と。代々に渡る密命として、受け継がれてきていたのにも関わらず。
そんな、たった一つの行動が、あまりにも多くの被害を生んだことを、果たしてコーナ公爵は自覚していたのだろうか。
* * *
「邪魔してるぜ」
当面の必要な差配を終え、いったん執務室へと戻ったフェシリアを出迎えたのは、意識を失い病床にあるはずの、破邪騎士の姿だった。
もはや
繕っても繕いきれなくなりつつある、ほころびだらけの青藍の制服を身にまとい、執務机にある書類をかき回している青年に、フェシリアは不覚にもしばしの間、扉をくぐった位置で立ち尽くしてしまう。
「そなた……」
言葉を失う彼女の後ろで、やはり書類を手に後を追ってきていたラスティアールもまた、大きく口を開けて元気そうな青年を眺めている。
そんな二人の様子に、ふんと小さく鼻を鳴らすと、ロッドは顎を動かし開いたままの扉を指し示した。慌ててラスティアールが扉を閉じ、フェシリアは我に返ったように、ゆっくりと青年の元へと歩み寄ってゆく。
「そなた、身体はもう、良いのか?」
まるで確かめるのを怖れるかのように。言葉を切りながら問いかけるフェシリアに、ロッドはひょいと軽く肩をすくめてみせた。
そうしていつものように直接執務机に腰を下ろしていた、その膝上に載せていた包みをとりあげる。
「こいつ、預かっててくれ」
唐突に胸元へと放られた包みを、フェシリアはいぶかしげに見下ろした。彼女の両手にすっぽり収まるほどのそれを反射的に受け取り、幾重にも包まれた布を剥がしてゆく。
そうして、ひゅっと息を呑み込んだ。
「こ、これは」
そのまま言葉が続かないらしい。
そんな彼女へと、ロッドは何でもないことのように続けた。
「お前んとこの腹心に、エドウィネルが預けてよこしやがったらしい。……宝珠に力を込めた状態でな」
破邪騎士を癒すために使用される、王家伝来の腕環。そこにはめ込まれた宝珠は、通常透き通るような水色であるのだが、王位継承者の手によって癒しの
術力を帯びる時のみ、鮮血を思わせる真紅に染まるのだという。
いまフェシリアの手の中で、宝珠は美しい水の色をたたえていた。ならば込められた力は使い切られたのであろう。なんの ―― 誰のために?
否、問うまでもあるまい。その答えは、いま目の前に存在している。
「俺が持ってると、いつ誰が見つけちまうか判らねえからな。お前が持っててくれ」
ロッドやアーティルト達が使用しているのは、基本的に客用の続き部屋である。不特定多数の使用人が朝夕頻繁に出入りしては、常に掃除や室内の片づけを行っている。そんな場所にこんな包みを置いていては、遠からず確実に誰かが中身を見てしまうだろう。
いまこの公爵家の邸内で、誰の目に止まることもない安全な隠し場所を求めるとしたならば、それはフェシリアのもとより以上はありえなかった。
もっともそれは、フェシリア当人に対しては、秘密を保持できないという事実にも繋がるのだが。
「私で、良いのか」
フェシリアが低い声で問いかける。
「ここの流儀じゃあ、他言無用ってやつは、お前を避けて通るらしいからな?」
なら最初から教えておいた方が、事の次第も単純だろうよ、と。
そう言って、ロッドはにやりと口の端を上げてみせた。
それはすなわち、アーティルトの傷を癒した前後のいきさつについて、フェシリアがバージェスから報告を受けたことを把握している、と。それを告げる言葉であった。
そしてまた、その報告から推測される事実に彼女がたどり着いているのであれば ―― そのことをロッドが承知しているのであれば ―― この腕環の存在を明らかにする行為は、彼らにとって重大な意味を持ってくることとなる。
「……そなたが王都に戻るその時まで、私のもとで保管しておればよいのだな」
「ああ、とりあえずな」
答えながら、ロッドは再び書類をかき回し始めていた。自分が倒れていた間の状況を早く把握したいのだろう。手早く目を通しては、乱暴に脇へ落としていっている。
「そなた……少しはこちらの都合というものも考えぬか」
ため息をついてフェシリアは、混ざってしまった書類を処理済のものとそれ以外とに仕分けしていった。
それから彼女は、腰につけていた鍵束からひとつの鍵を選び出すと、執務机の一番下の引き出しへと差し込んだ。そうして中から両手のひらに乗るほどの、寄せ木細工の小箱を取り出し、今度は首にかけている鎖から小さな鍵を外し、蓋を開けた。
中に入っていたのは、何通かの書簡と、数枚の書類だ。
「そなたが寝ている間に、なかなか面白いことが判ったぞ」
「へえ?」
興味深げにのぞき込んでくるロッドへと、箱ごと手渡す。
そしてさっそく中身をあさり始めるのを待たず、端的に内容を告げた。
「どうやらファリアドルは、父上の実子ではないということだ」
西の方が産んだというフェシリアの異母弟の名に、ぴくりとロッドの眉が反応した。
「かの西翼に住まう御仁は、なかなか奔放かつ情熱的なお方らしい」
「……ついでに迂闊ってやつも付け加えとけ」
小箱に収められていた、不義の相手へのいわゆる艶書の内容を流し読みながら、ロッドは短くそう呟いた。
「その相手とはもうとっくに切れてるらしいな。よく手紙なんざ残ってたもんだ」
「だからこその迂闊というものよ」
「まあおかげで、尻尾が掴めたって訳か」
くつくつと喉を鳴らすフェシリアに、ロッドもまた同調する。
放っておけば自然に転がり込んでくるはずの、
コーナ家次期継承者の母親の座。それを手にしようとわざわざ危険を冒してまでフェシリアの命を狙い続けた、その理由が、よもやこんな所に転がっていようとは。
公爵当人が、このことを知っている可能性は低い。あの男が、たかが側室一人の不義を許すほど寛大な性格だとは思えないし、自身の血を引かぬ子を嗣子として認めてやるだけの必要性も見あたらない。
なればこそ、一刻でも早く、自身と息子の立場を正当なものにしたかった、と言う訳か。だがそれ故に焦り、かえって尻尾を出す羽目になってしまったというのは、愚かと評するより他ない。
「こいつを公にすれば ―― あるいはしなくとも、公爵の耳に入れれば、とりあえずお前の地位は据え置きになりそうだな」
たとえそれがふさわしい娘婿を捜すための、暫定処置であろうともだ。エル・ディ=コーナの地位はフェシリアのもとに残る。問題はその婿がねをどう扱うかということに移ってゆくわけだが、それでも一歩前進することは確かである。
「と、なると……あとは時期だな。このごたごたが片付くまで待つべきか、それとも次に公爵と顔を合わせるその時か……」
楽しげに書類をめくるロッドは、鼻歌でも歌いだしそうな調子だ。その時のことを想像して、今からなにやら面白がっているらしい。
そんなロッドをよそに、フェシリアはフェシリアでまた、何か別のことを思案しているようだった。扉脇で控えているラスティアールも、なにやら微妙な表情を見せているのだが、上機嫌なロッドはそれに気が付いていない。
「うし、そんじゃ後は到着した野郎共がちゃんと働いてるかどうか、見に行ってみるとするか」
読み終えた書類を小箱へと戻し、ロッドは執務机から腰を上げた。
ぽいと小箱をフェシリアへと返して、自身は扉に向かって歩き始める。
……あるいは、窓から出ていかないだけ、まだ本調子ではないのかもしれない、などと。
そんなことを考えつつ、フェシリアはその背中を見送ったのだった。
* * *
寝台に横たわったカルセストは、まだ半ば夢の中に片足を突っ込んでいるかのような、どこか頼りない心持ちで、ぼんやりと視線をさまよわせていた。
薄く開いている目は、自分でも本当に開けているのかどうかすらはっきりとはせず。焦点の合わないぼやけた視界が、うっすらと感じられるばかりである。
ただ、右の手に ―― 中指にはめたセフィアールの指輪に、温かな感触を覚えていた。
とくり、とくり、と。
脈打つようにゆっくりと、温かな何かが全身に染みわたってくる、この感覚。
破邪騎士として、幾度も経験してきた、なじみとも言えるその感覚は ――
「……で、ん……か?」
掠れた声が、無意識のうちに言葉を形作る。
途端に、持ち上げられていた右手が下ろされるのが判った。
そっと上掛けに戻された腕から、温かな手のひらが離れてゆくのを感じる。
「待……」
引き留めようとする声は、まるで喉の奥に貼りついたかのように、思うように発することができなかった。
はっきりとしない視界の中で、ほのかに赤い宝珠がはまった銀色の腕環と、そして濃い褐色の腕が見えたような気がして ――
がくりと落下するような感覚を覚えて、カルセストは医療室の寝台で意識を取り戻した。
慌ててあたりを見まわせば、室内には自分の他に誰一人としていはしない。上体を起こそうとして、くらりと視界がまわった。
とっさに額を押さえ、背中を丸める。わん、という耳鳴りが脳内を襲った。貧血に近い症状に喉の奥でうなり声をたてる。
「うー」
しばらくそうやって眩暈をやり過ごし、再びそろそろと面を上げる。
室内には、やはり自分一人しか存在してはいなかった。
「…………」
カルセストは思わず呆然とあたりを見まわしてしまう。
寝起きという事もあってか、しばらく状況が把握できない。そもそも自分がなぜこの部屋で寝ているのか、そのことがまず思い出せない。
そう、自分は確か、セフィアールの救援が到着したことに安堵して、現状の説明をどうにか終えたあと、半ば倒れるようにして医師の元へ連れてゆかれたのではなかったか。そうして疲れが取れるという薬湯を与えられ、寝台へと身を横たえた記憶がうっすら残っている。
そして、深い眠りについた、その後には ――
窓の外へと目をやってみれば、世間はまだ明るいようだった。夏の盛りのこの季節、南国のこのあたりでも陽はずいぶんと長い。どれほどの時間寝ていたのかの手がかりには、なりそうになかった。
部屋を出て、誰かに話を聞いた方が早いかもしれない。
そう考えて寝台を出ようとしたカルセストだったが、ふと手のひらに目を落とし、そうして動きを止めてしまう。
―― 温かな、ゆっくりと全身に染みこみゆくかのような、その感触。
セフィアールの一員として身になじんだそれが、まだそこに残っているような気がした。
事実、落ち着いてみれば身体の方は、眠りにつく前よりもだいぶ楽になっているように思われる。今すぐ剣を取れといわれれば、それも全くの無茶ではないように感じられた。
しかし ―― それはありえないことだろう。
国王陛下が既に崩御なされたことは、フェシリアや到着した騎士団員達から聞かされていた。体調を崩し、また唯一の王位継承者となったエドウィネルが、王都を離れることを許されず、今回の破邪に同道していないことも知っていた。
なればこそ、酷使しきった肉体と術力が、回復していることなどありえないのだ。
本来で、あれば。
だが ――
ぼんやりとした、曖昧な記憶の底に残るのは。
王太子の持つ銀の腕環と、そしてそれを身につけた褐色の肌をした腕。
それは果たして夢か、
現か。
無論、誰にも判らないことではあるのだけれど。
むしろ幻であったということの方が、はるかにありうる話では、あるのだけれど ――
「…………」
ぐっと拳を握りしめたカルセストは、意を決して掛けられていた上掛けをはねのけた。
そのまま寝台を出ようとして、自分の身につけているのが、肌着と下穿きだけであることに気がつく。
慌てて周囲を見まわすが、枕元にもどこにも、脱いだはずの制服は見つからなかった。どうやらあまりにもひどい有様に、洗濯するか繕いに出すかされたのだろう。
さすがに下着姿で部屋を出るわけには行かない。しかしこのまま寝台で安穏としていることも彼には耐え難かった。
いっそのこと、
敷布を巻きつけて……?
などと考えていたその耳に、天の助けとも言える音が届いた。
控えめに扉を叩く存在へと、カルセストは助かったとばかりに
応えを返す。
扉を開けて入ってきたのは、眠る前、彼に薬湯を与えてくれた年配の医師であった。カルセストがもう起き上がっているのを目にして、驚いたように立ち止まる。
だが相手の反応にかかずらっている余裕など、この時のカルセストにはなかった。
「あ、あの! すまないが ―― 」
第三者の目で見れば、その声はどこか必死とさえ呼べるそれであったかもしれない。
しばしの問答の末、どうにか騎士が身につけるのにふさわしい程度の衣服を都合してもらったカルセストは、間もなく事情の判りそうな人物を求めて邸内を歩きまわり始めた。
とはいえ破邪騎士達も、一般の兵士らも、ほとんど全員が妖獣を倒すため出払ってしまっている。公爵家内に残っている人間で現在の破邪の状況が判っており、かつ気軽に声をかけられそうな人物となると、なかなか該当しそうな人物は見つけられなかった。
しばらくうろうろとさまよっていたカルセストだったが、やがて二階の窓から、前庭を歩くアーティルトの姿を目に入れる。
救援にやってきた騎士達から、予備のものを譲り受けたのだろうか。負傷した際に切り裂いて除かれたはずの彼の衣服は、見慣れた青藍の制服に戻っていた。
「アートさん!」
とっさに呼びかけると、すぐに反応してこちらを見上げてくる。
「ちょっと待って下さい」
そう声をかけて、カルセストは片足を上げると窓枠に乗せていた。そうして残った足で強く床を蹴る。
下は頑丈な石畳だったが、深く膝と足首を曲げて衝撃を吸収した。軽くよろめきながらも立ちあがって、ぱたぱたと埃を払う。
どこかきょとんとしたようにその動きを眺めていたアーティルトだったが、つい洩れたというように、口元を押さえて笑った。え? とその表情を見返すカルセストに、まだ笑みを残しながら、指文字で短く告げてくる。
『まるで、ロッド』
その文章を読みとった瞬間、カルセストは顔面が熱くなるのを感じた。
確かに騎士、しかも国家セイヴァンの誇る破邪騎士団セフィアールの一員ともあろう自分が、まるでそこいらの子供かなにかのように、窓枠を乗りこえてくるなどとは、いったい何事だろうか。しかも余人の目のない場所でよほど急いでいたというのならばともかく、ここは屋敷の前庭で、そこここを使用人や出入りの商人などが行き交いしているというのに。
完全に、感化されている……ッ
全身に汗を浮かべながら、カルセストは己に悪影響を与えただろう不良騎士に、脳内で全力の罵倒を浴びせていた。この際、影響を受けた己の染まりやすさについては、触れないことにしておく。
『身体、平気』
言葉もなく固まってしまったカルセストに、アーティルトはそう問いかけてきた。
疑問形とも、断定するかのようにも思えるその言葉に、カルセストはようやく我に返る。
そうして……ためらいがちに、小さくうなずいた。
彼の前に立つアーティルトもまた、考えていたよりはずっと元気なように見うけられた。少なくとも、つい今朝方その姿を目にしたときには、まだ寝台から離れたばかりの疲労感がありありと浮かんでいたというのに。今の彼は、確かにいつもほどの生彩こそないものの、やはりカルセストと同じように、破邪の場に立つことも不可能ではないように思えてならない。
しばらく無言で、二人はその場に向かい合った。
言葉を選ぶように。
はたしてこの相手に、どれほどのことを話して良いのか、そのさじ加減をはかるかのように。
やがて、カルセストが口を開いた。
「夢を……見たんです」
と。
『ゆめ?』
指文字でそうくり返すアーティルトに、こくりとうなずいて肯定を返す。
そうして彼は、ぎこちない動きで両手を胸の前へと引き寄せた。
『銀の……うで、わ。……褐色の、手』
たどたどしく綴られる指文字は、たとえどこからか目にする者が存在していたとしても、まずその内容を悟られることはない、いわば一種の
符丁だ。
銀の腕環は王太子のそれ。けれどかの王子の肌は、良く陽に焼けてこそいるものの、白色人種に部類されるそれだった。けしてこの地の人々のような、濃い褐色のそれではありえない。ましてあの王位継承の証が、いまこの場所に存在しているはずもない。
どう考えても夢の産物だとしか思えない、ありえないその取り合わせ。
けれど、それは。
自分と、この青年と、そして『あの場』にいあわせたバージェスの三人にとって、それは。
「……あなたは?」
再び声に出して、カルセストは問いかける。
「……あなたは、夢を……見ましたか?」
言葉を選び、とぎれがちに。まるで答えを怖れるかのように為されたその問いを、アーティルトは正面から受け止めた。
やはりこの地に住まう人々のそれに似た、濃い焦茶色の隻眼が、見上げてくるカルセストの姿を宿している。その映りこんだ表情は、どこか頼りないとすら言えるもので。
つい、と。
アーティルトの右手が持ち上がる。
常になめらかな動きで指文字を綴り、その意志を伝える右手が。
「 ―――― 」
息を呑んで立ち尽くすカルセストの前で、アーティルトはただ、立てた人差し指を唇に触れさせただけだった。
その視線はそらされることなく、しかし返された答えはあまりにも曖昧なそれ。
「……ッ、アートさ……!」
思わず声を荒げかけたカルセストを制するように、アーティルトは人差し指を立てたまま、すっと右手を伸ばす。カルセストの肩を越え、斜め後ろを指し示すその指先を追った彼は、あ、というように言葉を切った。
公爵家の前庭から堀を渡って街へと続く跳ね橋に、見慣れた青藍の制服の集団が姿を現していた。その後ろには、やはりこの数日ですっかり顔なじみとなった、公爵家の兵士達が列を作って続いている。
夜を徹しての破邪は必要ないと、ある程度の人員を残して引き上げてきたものらしい。
現在の市街地の状況を尋ねるのに、これほど適した相手は存在しないはずだった。
いわば当初の目的に立ち返って、カルセストはしばし判断に迷う。
このままここでアーティルトを問いつめるべきか、それとも彼らに話を聞きに行くべきか。アーティルトの方は、なんというか、このまま話を続けていてものらりくらりとはぐらかされてしまいそうな気配が濃厚に存在している。それに比べれば、同僚達と情報交換する方が、ずっと話も早く有意義な時間を過ごせるであろう。だが、しかしこのことについて、なし崩しにしておく訳にもいかないように思える。
カルセストの葛藤をよそに、アーティルトは口元に穏やかな笑みを浮かべながら、さっさと仲間達の方へ歩みを進めてしまっていた。
しかたなくカルセストもその背を追い、足を踏み出すしかできない。
ただひとつ判ったことは。
アーティルトもまた、『判って』いるのだということ。
そうしてそれを口に出す ―― もちろん慣用句的な意味合いでだ ―― つもりがないということも。
カルセストの問いの意味を理解し、そしてそれに答えるつもりはなく。
おそらく、カルセストのように動揺の色を少しも見せぬそれは、今よりもずっと以前から知っていた ―― 少なくとも、疑念には感じていたことなのだろう ――
自分には、まだまだ足りていない。
経験も、それによって得られるのだろう、心の強さも。
前を行く背中を眺めながら、カルセストは深く心にそう感じた。
疑惑を抱えて、ひとりそれを胸の内に留めおくことも。何も周囲に悟らせることをせぬままに、穏やかに笑ってみせることも。
どちらも今の自分には、とうてい叶わないふるまいで。
「二人とも、起き上がったりして大丈夫なのか!?」
遠くから二人を認めた仲間達が、口々にそんな言葉を投げかけてきてくれる。
それらへと手を振って返しながら、カルセストは自身の表情が笑みと呼べるものに見えていることを、痛切に願っていた。
誰にも話すことが許されぬ疑惑を、その胸中に秘めながら。
前を歩む先輩騎士と、そして今はこの場にいない不良騎士の胸の内を思いながら。
なぜか、目頭が熱くなりそうな、そんな感覚を覚えながら、カルセストは力一杯その手を振って、同僚達の元へ駆け寄ってゆくべく、石畳を蹴ったのだった ――
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