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 楽園の守護者  第十六話
 ― 受け継ぎしは ―  第一章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 脳裏に映し出されるのは、見たことも聞いたこともない、想像を絶する情景だった。
 広い星空に浮かぶ、巨大な構造物。鈍い銀色を放つ金属で形作られたそれは、『船』と呼ばれるものであるらしい。だがエドウィネルが知る水上を航行するそれとは異なり、その『船』は空中を ―― それも星空を旅するものだという。
 映像は、夜空を彩る数多ある星々、その中のひとつから『船団』がやってきのだと伝えてきた。見わたす限りの夜空を埋める『船団』が、じょじょにこちらへと近づいてくる。
 だが……整然とした隊列を組んでいた『船』の一部が、突如その動きを乱した。不自然に進路を変え、隣を進んでいたものと接触する。音こそ伝わってこなかったが、衝突した『船』はきらきらと細かな破片をまき散らしながら、半ばからへし折られるようにして破壊されていった。やがて両者を包み込むようにして巨大な火の球が生まれ、大きく広がってゆく。
 炎の尾を引きながら、幾つもの『船』が、蒼い弧を描く地表へと落下していった。
 その多くは、地上へとたどり着く前に燃え尽きるか、粉々になって消えてゆく。だがいくつかはある程度の形を保ったまま、地面に激突していった。衝撃と炎が地上を吹き荒れ、大地を穿ち、山を崩してゆく。
 ある場所では、何十という集落が一瞬にして消え去っていった。ある場所では広大な森が焼き尽くされ不毛の荒野と化し、またある場所では海が煮えたぎり、一帯すべての海中生物が死に絶えた。
 あまりといえばあまりな光景に、しかしエドウィネルは声一つ発することもできず、ただ与えられる映像を見つめ続けるしかできないでいた。
 ―― 悪夢のような情景が過ぎ去ったとき、残されていた『船』はわずか一隻に過ぎなかった。
 だがその『船』もまた、まったくの無事にはすまなかったらしく。先に落下したものが穿った巨大な窪地へと、半ば墜落するようにしてその身を横たえる。


 ―― この『船』に乗っていたのは、いったい何者だというのか。そしていったいなにが起きたのか。


 エドウィネルの疑問に答えたのは、映像と同じように、脳裏に直接伝わってくるものだった。声ではなく、言語としての形も取らぬそれが、ただその持つ意味だけを無感動に流し込んでくる。
 彼らは『移民』であったのだと。新天地を求めて旅立ち、そしてこの『世界』を見つけ、そこに根付こうとしたのだと。
 だが ―― 予期せぬ『事故』が発生し、彼らはほとんどの仲間と物資を失ってしまった。それでも遺された者達は、生きることを望んだ。わずかに残ったものを利用して、叶う限り満足のいく生活をおくろうとしたのだと。


 ―― 満足のいく、生活?


 それはこの地を『豊か』にし、『文化的』な生活を営めるようにすること。
 そのために彼らは、自らが運んできたものを利用しようとした。事故によって荒廃した地上を『復興』させるべく、『植物』を地に植え、『動物』を野に放つ。『農作物』を移植し、『家畜』を飼い、その生長を促進させるため『肥料』や『農薬』を散布した。
 それらが、この世界にもともとから存在する生き物達と、どれほど相容れぬものであるかなど、想像すらすることなく ――


 彼らが気づいたとき、すでに秩序は失われていた。
 本来、まったく異なる生態系で進化してきた生き物達は、この新しい土地に、空気に、海原に根付かせるには、あまりにも異質すぎたのだ。
 大地は力を取り戻すどころか、更なる荒廃の道をたどった。移植された動植物達はすさまじい繁殖力で他の生き物達を駆逐し、やがて自ら必要とする餌となるものをも滅ぼし尽くし、自滅の道をたどってゆく。未知の成分を含んだ土や水に影響された結果、生き残ったものの多くも、奇形を伴った変異体と化していった。
 そしてそれらの動植物の死骸や分泌するものもまた ―― 同様に土着の生物たちを異様な姿へと変質させてゆく。
 歪みきった生態系をこのまま放置すれば、遠からずすべてが滅び去ることは目に見えていた。
 しかし、いったん定着したそれらの生き物や変異体は、もはやそう簡単に排除することなどできなくなっている。強力な兵器を使用すれば、わずかに残された有益な生き物達までもまとめて殺してしまうし、下手な薬物を使用すれば、それがまたどんな予想外な結果を引き起こすか知れたものではない。


 ―― 彼らは一体、どうするつもりなのだ?


 息を呑み、拳を震わせるエドウィネルの脳裏に、その答えが届けられた。
 その時、『移民』たちが選んだ、その手段とは……


*  *  *


 目を閉じ、微動だにせず座っていた王太子が、前触れもなく大きく息を吸った。
 そうして時間をかけて深々と吐き出す。
「…………」
 ゆっくりと上げられた目蓋の下から現れたのは、どこか茫漠とした光を宿す瞳だった。
 目の前の光景ではなく、いずこか遠くの場所を眺めているかのような、そんな表情。
「 ―― 殿下?」
 傍らに控えていたダストンは、静かに問いかけた。
 だがエドウィネルは聞こえていなかったかのように、ふたたび目を閉じると玉座の背もたれにぐったりと身を預ける。


 そこは、奇妙な部屋だった。
 王太子をここまで案内したのは他でもないダストンだったが、彼にしてもここにあるものがいったい何であるのかは、まるで理解できていなかった。
 さほど広い空間ではない。床も壁も天井も、のっぺりとした金属質の材質で覆われており、ひどく寒々しい印象を感じさせる。室内にあるのは、現在エドウィネルが腰を下ろしている玉座と、その傍らにある金属の台座だけである。
 腰丈ほどのその台座には、この施設の随所に存在する、モザイク状の装飾が施されていた。ゆるく傾斜した広い背もたれと肘掛けを持つ玉座にエドウィネルを座らせた後、ダストンは定められたとおりの順序でモザイクに指を触れた。それが彼の主君たる現国王カイザールに指示された手順だったからだ。
 ダストンが初めてこの『船』に足を踏み入れたときの衝撃は、筆舌に尽くしがたい。
 施設の規模も、場所も、材質も様式も、すべてがダストンの理解を越えていた。カイザールはそれらについていくばくかの説明を加えてくれたが、ダストンには到底その内容を理解することはできなかった。ただ彼は国王に抱く忠誠心のままに、『船』の存在を丸ごと受け入れ、教えられる通り必要な幾つかの手順を記憶しただけだった。
 セフィアール騎士団の団長となって十数年が過ぎるが、ダストンがこの施設について知っていることは、その当時からほとんど増えていない。それでも良いのだと、国王は穏やかな表情で鷹揚にうなずいてくれた。
 お前はただ、その場所に王太子を連れてゆけばいいのだと。セイヴァン王家の血を継ぐ王太子であれば、それだけで己が為すべき事を知ることができるのだから。 ―― やはりなにも知らぬまま、当時の騎士団長によってその場に導かれた、かつてのカイザール自身がそうだったように、と。
 椅子に身を沈めたエドウィネルは、その額に宝玉がはまった額環サークレットを戴いていた。幾何学的な彫刻が施された銀細工の中央に、透きとおるような水色の石が輝いている。
 それは、国家セイヴァンの王たる証。
 破邪騎士達を癒すため、国王と王太子が身につけている幅広の腕環と、同じ意匠で作られた王冠だ。ダストンは寝台で意識を取り戻した国王から、じきじきにそれを託されていた。『その時』がきたならば果たすよう、かねてより言い含められていた、王位継承者への導きを実行する為に。
 だから、
 ダストンは自身にとって謎でしかないこの『船』へと、エドウィネルを導いた。
 王家の血を引く者にしか開くことのできぬ扉を、国王ではなく王太子の手によって開き、かつて幾度もカイザールの先導で歩んだ道を、教えられたままに進んだ。ティア・ラザ沖の小島を見せることで、『船』の場所と規模を伝えた後、再び施設内へと戻り、『継承の間』だと教えられたこの部屋へと足を踏み入れる。
 そうして彼は床へとひざまずき、エドウィネルに王冠となる額環を差し出した。
 それを額に戴き、玉座に身を預け ―― そうすることで、王位継承者アル・デ=セイヴァンセイヴァン国王アル・ディア=セイヴァンとなるのだと告げて。
 それが破邪国家セイヴァンにおける、真の王位継承だった。
 後日催される壮麗な式典も、列席する貴族達から浴びせられる祝福や称賛もそこには存在せず。
 国王が崩御するその時に、ひっそりと行われる継承の儀式。その場に立ち会うのはたった一人、セフィアール騎士団の長のみ。
 祖なる王、エルギリウス=ウィリアムより数えて三百有余年、代々の王位はこうして引き継がれてきたのだと、そう口にして。


 エドウィネルは無言で額環を受け取ると、しばし静かに目を落としていた。それからそっとその至高の証を持ち上げ ―― 額にはめた。そうして彼は玉座へとゆっくり身を預けたのだ。そう呼ばれるにはひどく質素なその背もたれに体重をかけ、両の目を閉ざす。
 ダストンはそれを確認してから、台座のモザイクに指を這わせたのだった。
 わずかに仰のいたエドウィネルの額で、額環の宝石がほのかな光を放つ。青く透きとおったその内側で、ちらちらと光るものが幾つも揺れ動くのが見える。
 そのまま、はたしてどれほどの時間が過ぎたのだろうか。
 深い吐息とともに目を開いた王太子は、長い間、何も言おうとはしなかった。
 その眉間には、苦悩するかのような深い皺が刻まれている。
「でん……」
 再度声をかけようとして、ダストンはしばし逡巡した。
 継承の儀式は終わったのだ。彼はもう、王太子ではない。ならば呼びかける言葉もまた、改めなければならなかった。
 一つ息を吸い、彼はその言葉を唇へと上らせる。

「陛下」

 ―― と。
 呼びかけに応じて、エドウィネルはゆっくりと首を巡らせた。そうして傍らに立つダストンを見上げてくる。
 濃い翠緑色の双眸が彼の姿を映しだした。
「…………」
 その瞳の色に、老騎士団長は我知らず息を呑み込んでいた。
 星の海ティア・ラザの湖面を思わせる、深い蒼色だったカイザールの目とは異なり、エドウィネルのそれは萌え出づる若葉にも似た翠緑をたたえている。まるで異なった印象を与えるはずのその瞳が、しかし今は驚くほどに、重なって見えた。
 深く、静かな ―― それでいて、どこか胸をつかれるような光をたたえた、その眼差し。
 なにかを悲しんでいるのか、思いわずらっているのか。かの国王はいつもダストンには理解できない、なんらかの理由に心を捕らわれているようだった。至高の玉座にあり、すべての家臣と国民くにたみから、偽りのない忠誠と尊信を捧げられた名君でありながら、かの王は常に何かに思いをはせ ―― 苦悩の内にあった。それがこの『船』に関する何かであろうと察することはできたものの、それ以上の理解を及ぼすことは、ダストンにはついぞできなかった。
 その同じ眼差しを、いま新たに王となった青年もまた、たたえている。
 つい先刻までは異なった。
 病床にある祖父を失うことに対する悲しみ、王位を継ぐ事への不安、そして王家に対する疑惑 ―― それらのものに翳らされてこそいたものの、それでもその瞳にこんな光は宿していなかった。
 それなのに……
「あなたは……知っていたのか」
 静かに為された問いかけに、ダストンはかぶりを振っていた。
 彼には、いま一体何を問われているのか、それさえも理解できなかったからだ。
「私は何も、存じません。私はただ、陛下が ―― 先代さきの陛下が御命令下さったそのままに、貴方様をお連れ申し上げたに過ぎませぬ」
「だがあなたは、陛下と共にセフィアールとなる者達へと、破邪の力を与えてきたのだろう」
 ならば、どうしてその力が与えられることになったのか。その源となるものも、その理由も、知っているのではないかと。
「確かにカイザール様は、それらのことを私にも御説明下さいました。ですが私には、陛下がなにをおっしゃっておられるのか、どうしても理解できなかったのです。……そう申し上げれば、陛下も強いてそれ以上を求められることはございませんでした」
 理解できない言葉を、そのままに記憶し続けることは困難だ。語り終えられたその直後でさえ、ダストンの脳裏にはろくに意味を為さない切れ切れの単語が幾つか、残されていたにすぎなかった。そして二度と聞くことのなかったそれらの内容は、十数年を経た現在、完全に記憶から抜け落ちてしまっている。
 故に彼が知っているのは、どうすればセフィアール達に破邪の力を与えられるのか、その方法だけで、何故そんなことが可能なのか、どうしてその技術がセイヴァン王家だけに伝えられているのか、そのことについては他の家臣や国民達同様、まったく無知なままだったのである。
「理解できなかった、か」
 エドウィネルは手のひらで目元を覆った。背中を丸めて両手に顔をうずめたその仕草は、深い苦悩を現している。
「いっそ、私もそうだったら……」
 しばしの間、彼はそのまま動こうとはしなかった。
 ダストンもまた、どう声を掛ければいいのか判断できぬまま、無言で傍らに控え続ける。
 しかし、エドウィネルはいつまでも己の内面にとらわれ続けてはいなかった。震える両手が拳を形作り、やがてそれは膝へと下ろされる。
「こんなことをしている場合では、なかったな」
 ぽつりと呟いて、彼は顔を上げた。
 膝についた腕で己を支えるようにして、玉座から立ち上がる。
 ばさりと落ちかかる外套を無意識の仕草で払った。
 瞳に懊悩を残しながらも、まっすぐに前を向いて顔を上げた、その姿は。
「…………」
 ダストンは、胸の内から震えるような、深い感動がわき上がってくるのを感じていた。


 いま、己は確かに国王の誕生に立ち会ったのだ、と ――


 エドウィネルの唇が動き、呼びかけてくるのを、ダストンは胸に手を置き、深くこうべを垂れて待ち受けた。
「この『船』の中枢部へ向かいたい。道は判るか」
「 ―― こちらでございます」
 新たな主君から下された最初の命令を、老騎士団長は丁重な仕草で拝命したのだった。


 ―― 足を踏み出せば、その先には次々と明かりがともった。
 彼らが日常使用する灯火とは一線を画した、熱を伴わない白光。天井から降り注ぐむらのないその光は、さながら真昼の屋外であるかのように、あたりを明るく照らし出す。
 先を歩むダストンの背を追いながら、エドウィネルはあたりの様子に隅々まで目を配っていた。未知の存在に驚嘆するばかりだった先程までとは異なり、そこには既に見知ったものを再確認するかのような、冷静な観察眼がある。
 天井に存在する発光物体を見上げ、そこここに点在するモザイク状の飾りを通り過ぎざま軽く撫でる。壁に描かれた記号のようなものを眺め ―― 小さく頷いた。
「そこが、騎士達に力を与えるための部屋か」
 ダストンへと問いかける。
 老騎士団長は、扉の前で足を止めると恭しく頷いた。
 そうして扉脇にある飾りを操作する。
 もはや聞き慣れたさえずり音と共に、扉が壁に吸い込まれた。一歩足を踏み入れれば、室内はたちまち光に満ちる。

「…………」

 あたりに広がった光景を、エドウィネルは静かに受け止めた。
 そこには、幾つもの『舟』が横たわっていた。
 実物を目にするのは初めてだったが、彼は既にそれがコーナ公爵領に漂着した ―― また、公爵邸の地下室に安置されていた ―― それと同種の物体であることを『知って』いた。
 銀色の金属で形作られた、人の身の丈を幾分越える長さの円筒。その一部にはモザイク状の飾りが施され、また上半分にはめ込まれた硝子状の部分から、内部をのぞき込むことができる。
 腰丈ほどの高さがある台座に据えられたそれらは、周囲に人がすれ違えるほどの隙間だけを残し、広い室内を埋めつくしていた。中央の、わずかに幅広になった通路を歩みながら、エドウィネルは左右へと視線を投げかける。
 棺を思わせるその中は、ほとんどが空になっていた。だがいくつか、横たわる人影の見えるものがある。
 ―― 否。
 それはけして『人』ばかりではなかった。
 薄紫や黄色、淡い水色といった液体が満たされたその中に、眠るかのように沈んでいるその姿は、老若男女、さまざまな人間と ―― そして妖獣達のそれだったのだ。
「これはジギィだな……こちらはルファルスか。ノグート、セラン、ガーデイル……ああ、ヴェクドもいるな」
 濃紫の鱗を持つ半人半魚の生き物を見つけ、冷たい表面に手を乗せる。目蓋のない両目を虚ろに開いた妖獣は、目の前で動くエドウィネルにもなんら反応を返そうとはしなかった。
「 ―― この光景がおおやけにされたなら、セイヴァン王家の威信は地に堕ちるだろうな」
 呟いたエドウィネルに、ダストンが愕然とした表情を浮かべる。
「何をおっしゃって……これは、妖獣の弱点を探るため、捕らえたものの死骸を保存しているのではないのですか」
「弱点を探るため、か……」
 エドウィネルは自嘲するかのように繰り返す。
「妖獣を倒すための研究材料という点では間違いないが、単に妖獣を調べるためだけであれば、人間まで含まれているのはおかしいと思わないか?」
 ずらりと並ぶ金属製の棺を、掲げた右手で指し示す。
 物言わぬ亡骸達の割合は、あきらかに人間の方が数多かった。妖獣を調査するために、どうしてそのようなものが必要なのか。
「こちらは、かつて祖なる王、エルギリウス陛下の御代に、共に戦われた初代破邪騎士の方々の御遺体だとうかがっておりますが」
 騎士団長の声は戸惑いが色濃い。
 エドウィネルはその答えに否定も肯定も返しはしなかった。一度室内すべてを見わたすと、改めてダストンをふり返る。
「行こう」
「……はっ」
 困惑の色を隠せぬまま、それでもダストンは首肯して先に立った。
 そこには答えを返されても理解できないのだという、あきらめにも似た許容が感じられた。もちろんそこに至るまでには、エドウィネルやカイザールへの ―― すなわちセイヴァン王家への忠誠心が大きく影響しているのだろう。彼は、敬愛する主君に対し奉り、疑惑を抱くことなど以ての外だと考えている。
 無論のこと、それが臣下としてあるべき姿だと言えた。
 主君に対する無条件の信頼と忠誠。それはとても得難く、そしてありがたいものだ。
 けれど ――
 エドウィネルはその心の奥底で、思わずにはいられない。
 もしも『彼ら』が、いまここにいたならば、と。
 向けられるのは、けして優しい許容や、慰めの言葉ばかりではなかったろうけれど。
 それでも、己がこの世に一人であるかのような、こんな気持ちにはならずにすんだだろう。
 カイザールは数十年の間、ただ一人でこの秘密を胸に秘め続けてきたのか。せめて後継者である自分にぐらいは、うち明けてくれていても良かっただろうに。
 そう考えながら、しかしエドウィネルは、なぜ祖父が自身にも何も告げようとしなかったのか、それさえも理解できていた。
 もしも自分が同じ立場にあったなら……やはりためらったであろうから。
 いずれ知らねばならぬ真実なら、せめてわずかな時間でも、知らぬままにいさせてやりたいから、と。


 ―― くだらねえ自尊心だな。


 ふ、と。
 そんな言葉が耳の奥をよぎった気がした。


 ―― そんなに王家の威信とやらが大切か? てめえらが優れた尊い存在だったと思っておきたいって?


 馬鹿馬鹿しい。
 吐き捨てるその表情までもが見えたように思えて、エドウィネルは思わず口元に苦い笑みを刻んでいた。
 もしも、いまこうしているのが自分ではなく、『彼』であったなら。
 それはけしてありうべからざる仮定ではなく ―― むしろ、本来であればよほど可能性が高かったはずの現在で。


 部屋の一番奥、通路の尽きる場所に、ぽつりとひとつ離れて『舟』があった。
 他のものと異なり、その周囲には円を描くようにいくつもの台座があり、『舟』をのせた台座との間を、太い紐状のもので繋がれている。
 内部は空だった。人影も、そして液体も入ってはいない。空虚なままだ。
「新たに叙任されるセフィアールは、睡眠薬を飲まされ意識を失った後、この施設へと運び込まれ、この中に入れられるのです」
 ダストンがそう告げた。
 破邪騎士達はその術力ちからを与えられる際、王宮の奥深くで眠り続けると言われている。一ヶ月の長きにわたるその眠りの中で、彼らはゆっくりとその力を全身に浸透させていくのだと。王宮内にあるその部屋は、叙任の間と呼ばれており、騎士として任じられる者と騎士団長、そして国王のみが足を踏み入れる。そして儀式を終え、騎士団長と国王が部屋を出た後は、厚い扉に鍵が掛けられ、一月後、新たな騎士が目を覚ますまでの間、何人たりとも入ることは許されないのだ。
 だが……閉ざされたその部屋の内部には、実のところ誰もいないのである。その部屋にもまた、国王の私室に存在したのと同様の抜け道が存在し ―― この施設へ繋がっているのだ。
 眠りについた騎士候補は、この『舟』の内部へと収められ、室内にある他のものたちと同様に、液体の中に沈められる。そうして一月が過ぎると再び運び出され、何事もなかったかのように王宮内の叙任の間へ戻されるのだった。儀式の終了を待つ他の騎士団員達は無論のこと、意識のない騎士候補自身にすら、なにひとつ知らされることのないまま行われる、王家の秘め事 ――
「最後にこれを使ったのは、カルセスト=ヴィオイラだな?」
 金属の表面に手を滑らせながら、エドウィネルは最年少の破邪騎士団員の名をあげた。
 セフィアール騎士団の定員は、ごく少ない。通常の騎士団や近衛兵団と比べれば、小隊ひとつにも満たないほどだ。少数精鋭といえば聞こえは良いが、要は国王と王太子の二人がかりで維持できる、ぎりぎりの人数がそれだけなのである。故に新たに任命される数もそう多くはなかった。せいぜい年に一人か二人。ここ数年は負傷による死者や前線を退く者が出なかったこともあり、カルセスト以降新規に叙任された者はいない。
「そろそろ、新たな者を任命しなければな」
「 ―― 御意」
 ダストンの返答は低い。
 うつむいたその姿にちらりと目を向け、エドウィネルは『舟』のそばを離れる。
 彼の現在の目的は、この『舟』ではなかった。
 奥の壁の一隅に、また扉が存在している。ゆっくりそちらへと歩み寄ったエドウィネルは、一番最初に目にした ―― 王宮の地下深くに存在したそれに付属していたものと同じ、黒い硝子板へと手をかざした。
「陛下、そちらは……」
 訝しげなダストンの言葉を背に、エドウィネルはさらにモザイク状の飾りへと手を伸ばす。
「先代の陛下は、この扉を開いたことがなかったのか?」
「は、はい。私の知る限り……必要なとき以外は入る必要がないのだと」
「そうか」
 では祖父は、その時を迎えたことはなかったのだろうか。あるいは単にそれをダストンに知らせていなかっただけなのか。
 コーナ公爵の振る舞いを思えば、前者こそ正しいのかもしれない。たとえ代々伝えられてきた王命とはいえ、長きにわたり果たされることのなかったそれであれば、有名無実のものとして軽視されたとしても不思議はない。


 ―― 数年、あるいは数十年ぶりに果たされることとなったその時が、よりによって王位継承と重なる結果となったのは、皮肉としか言いようがなかったが。


「今こそその、必要の時なのだ」


 エドウィネルがそう口にするのと同時に、金属製の扉が動いた。
 なめらかに横滑りしたその向こうに、ダストンにとっても未知の光景が現れる。瞬く間に室内に満ちた光に照らされて、エドウィネルの姿は逆光に黒く切り取られたように見えた。


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