<<Back  List  Next>>
 楽園の守護者  第十二話
 ― 縺れゆく糸 ―  終 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2004/01/03 17:27)
神崎 真


 目が覚めたのは、いささか穏やかならぬ喧噪のせいだった。
 波に絶えず揺れる寝台での眠りは、とうてい穏やかなものとはなりえず、昼間これといって運動をしているわけでもないのに、カルセストは日々疲労が蓄積してゆくのを感じていた。だがそれも今宵をしのげば終わりだと、昨夜眠る前には心底安堵したものだったというのに。
 この船旅は最後の最後までゆっくり眠らせてくれないのかとうんざりしつつ、カルセストは皺だらけの敷布に潜り込もうとした。だがそんな彼を責めるかのように、騒々しい足音が暗い船室へと駆け込んでくる。
「寝てる場合じゃありやせんぜ!」
 胴間声が耳元でがなりたて、毛布を乱暴に引き剥がされた。カルセストは反射的に唸り声を上げ、寝具を取り返そうとした。が、半ば閉じかけていたその瞼も、続く言葉に大きく開かれる。
「妖獣が現れたんです。目ェ覚まして下せえ!」
 いくら眠かろうとも、それはセフィアールとして聞き捨てにできない知らせだった。勢いよく起き上がり、とっさに細剣を探す。
「どこだ!?」
 問いかけるカルセストに、バージェスはまず上着を突きつけた。脱いで椅子に掛けていたそれに腕を通しながら、カルセストは危うい足取りで寝台から下りる。なかなか動かない指で襟元を留めている間に、断りもなく荷をあさったバージェスが細剣を探し出していた。
「どうぞ。こっちでさ」
 布袋に入ったままのそれを押しつけて、くるりと背を向ける。船室を出る彼のあとをカルセストは大急ぎで追いかけた。
 甲板上では、早起きの水夫達が舷側にしがみつくように並び、口々に言葉を交わしたり水面を指差したりしていた。その中にアーティルトの姿を見つけ、カルセストは顔を出した跳ね戸から下半身を引き抜く。
「アートさん!」
 けして小さいとは言えないその声に、しかし顔を向けたのは呼びかけられた当人だけであった。
「妖獣が現れたって、聞いて」
 せわしなく問いかけてくるカルセストに、アーティルトは小さくうなずき水面を見るよう顎を動かした。
 知らせを受けるより早くから目を覚ましていたのだろう。上着をひっかけただけのカルセストとは異なり、彼はひと通りの身支度を整えていた。上着の襟まできちんと留まり、髪に櫛も通っている。やはり布袋に納めたままの細剣を片手で提げていた。
 抜刀していないということは、まださほど危急の事態ではないらしい。
 休暇中という触れ込みのため、今の彼らは制服姿ではなかった。目立つ青藍の外套も脱ぎ捨て、二人ともそれなりの仕立てではあるが、ことさら縫い取りや飾りがあるわけでもない、ごく簡素な旅装束をまとっている。それなりの訓練を受けた人間だということは身のこなしから察せられるが、それでもこの年若い二人が破邪騎士の一員だなどとは、誰一人として思い及びもしないだろう。
 もちろん妖獣が襲ってきたり、船員達が恐慌をきたすようであれば、身分を明らかにする必要があった。が、今のところはまだそこまでの事態には達していないようだ。
「あれは……ゾルバ? それともジギィかな。この角度からでは、ちょっとはっきりしませんね」
 カルセストは手すりから身を乗り出して目を凝らした。
 眼下で漂うように浮かんでいるその姿は、ほとんどが水面下に没していることもあって、詳しい特徴までは見て取れなかった。ひとかかえもある巨大な水母くらげか、あるいはアメーバのような半透明の塊が、流れに任せて頼りなく揺れている。あちらに一体、こちらに二体というように、ぽつりぽつりと波間に浮かんでいるが、いまのところこちらに関心を示しているようには見えなかった。
 幸いこの船は水面から甲板までそれなりの高さがあった。それもあってみな落ち着いているのだろう。だが相手がゾルバだったなら、たとえ垂直の壁でも蛞蝓なめくじのように貼りつき登ってくる。そして強酸性の体液で捕らえた獲物を溶かし、その肉を啜ろうとするのだ。
 逃げ場のない船上で、こちらは二人。襲ってこられればかなり苦しいことになるだろう。
 剣を握る指に力がこもった。
「アートさん」
 まわりを刺激せぬよう、声を潜めたカルセストに、アーティルトは指文字で告げる。
『今は、様子、見る』
 そう綴って、それからバージェスへと視線を向けた。
「相手にはしないんで?」
 やはり声を低くしているバージェスに、小さくうなずいてみせる。
『下手に、刺激、興奮する。二人、では、守れない』
 今は襲ってこない以上、様子を見て素通りできるようならその方が良い。幸い見える範囲に他の船や人の住んでいそうな場所は存在していない。ならばいま最優先するのは、妖獣を殺すことよりも、この船を無事目的地までたどり着かせることである。
「船長達にお二人のことを説明しますか。安心させた方が良いんじゃないですかい」
『倒せ、言われる、厄介。今は、まだ、必要ない』
 セフィアールだと明らかにすることで、逆に目の前の妖獣をなんとかしてくれと要請されるかもしれない。そうなった場合、下手に断っては、逆に混乱を招くこともありえる。幸い船員達もまだ落ち着いているようだし、このまま行けるのならその方が良い。
「なるほど」
 カルセストとバージェスは共に了解すると、あたりの様子をそれとなくうかがうことにした。
 混乱が生じたり妖獣が動きを見せるようならば、すぐに反応できるよう、それぞれ離れた場所へと散ってゆく。
 アーティルトもまた、勢い良く水を切る船首の方へと足を向けた。持ち直した布袋の中で、細剣がかすかに音を立てる。


 ―― あるいは。
 漂う妖獣の群を眺めながら、アーティルトは一人もの思いにふけっていた。
 これこそが殿下の危惧なさっておられた、『起こりうる何事か』なのであろうか、と。
 それとも、これはただの先触れなのか、あるいはまったく何の関係もない、単なる偶発事に過ぎぬのか。
 今の段階で己が何を考えたところで、それが判明するはずもないけれど。
 ともあれ、
 今回彼らが公爵領に遣わされたのは、全くの無駄足に過ぎなかった、と。後にそう評されるような事態にだけは、陥らずにすむようであった。


― 了 ―


(2004/01/03 21:57)
<<Back  List  Next>>



本を閉じる

Copyright (C) 2006 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.