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 楽園の守護者  第十二話
 ― 縺れゆく糸 ―  第二章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/08/15 12:19)
神崎 真


 予兆は確かに存在していた。
 最初に異変を感じたのは、もっとも海辺近くに住まう、漁業を生業なりわいとする者達だった。
 まず顕著に現れた漁獲高の減少。だがそれだけであれば、獲物の少ない年はそう珍しくもなかった。今年が豊漁なら、昨年はまったくの不漁。彼らの生活など、しょせんはそういった不安定な環境の上に成り立つものなのだから。
 だが、今年のそれはいささか雰囲気が異なった。
 網に魚が入らないわけではない。食用となる貝や藻類の、生育が悪いわけでもない。網を打てば充分な手応えがあり、砂浜では大ぶりの貝類が幾らも見られた。遠浅の海では海草の揺れる様を、澄んだ水越しに眺めることができる。
 しかし ――
 日が高くなると共に朝の漁から戻ってきた男達は、ふてくされたような表情で仕掛けていた網を浜へと投げ出した。
「畜生、またやられてるぜ」
「お前んとこもか。ったくどうなってんだ」
 口々に言い交わしながら、彼らは今朝の収穫を舟から降ろす。
 水揚げされたばかりの生きの良い魚達は、常であれば魚籠びくから飛び出さんばかりに暴れているのがあたりまえであった。しかし細い枝で編まれた篭の中で、色とりどりの魚達はぴくりとも動かないか、せいぜい弱々しくもがく程度だ。よく見ればそのほとんどが傷を負っていたり、あるいは半身を無惨に食いちぎられ、とうに息絶えてしまっているという有様だ。沿岸部の岩場で潜る海女あま達も、乱暴に引きむしられた海草や散乱する貝殻などを眺め、虚しく空手で戻ることが増えている。
 最初はさめたぐいでも沿岸に迷い込んだのか、と漁民達は口々に噂していた。だが、やがて彼らはもっと恐ろしい生き物の存在に心当たり、ふと唇を閉ざす。まるで噂話を口にすることで、その存在をより近く呼び寄せてしまうのではないかと、そう恐れるかのように。
 ―― しかし。
 予兆のもたらす未来は、既に現実のものになろうとしていた。


*  *  *


 妖獣出現の報は、迅速にフェシリアの元へと届けられた。
 近い内にかくあろうことを予測し、兵達への事前訓練と入念な配備を手配していたことが功を奏した。知らせを受け即座に屋敷を出たロッドだったが、彼が現場へと到着した折りには、大蛸を思わせる無数の触手を持つ妖獣が、いまだ港内で所在なく波間に身を漂わせていた。
 数隻の船が周囲を取り囲み、銛や投網を準備している。長い触手が時おり鞭のように波間から伸ばされたが、舵を操る者達は冷静に間合いを計り、充分な距離をとっていた。
「こっちの損害は」
 こまわりのきく小型の帆船に乗ったロッドは、舳先に立ち前方の水面をにらみすえていた。揺れる波の合間から、吸盤の並ぶ太い触手がちらちらとかいま見える。
「最初に襲われた商船が一隻、船腹を破られ航行不能になりました。幸い乗員はすべて救出できましたので、それ以降はご指示の通り周囲の船を待避させ、こちらからは手を出しておりません」
「上等だ」
 ロッドはにやりと口の端を持ち上げた。そうして一瞬だけ傍らの船長をみやる。
「潜られると後がやっかいだ。ここで片付けるぞ」
「はっ」
 船長は姿勢を正して敬礼した。素早い身ごなしできびすを返し、部下達に指示を出してゆく。
「他船に信号を送れ! 近づいて退路を断つ。浮きをつけた銛と油壺を用意せよッ」
 矢継ぎ早の命令に、部下達がはじかれたように動き出した。
 旗による信号に従い他の船達が進み始めるのを、ロッドは満足そうに眺める。腰に下げたセフィアールの細剣レピアをさりげない仕草で撫でた。
「いいか良く狙えよ。下手に外して潜られると、こっちからは追いかけようがねえからな」
 ロッドの言葉に、銛を用意した船員達が緊張した面もちでうなずく。
 警戒させぬようじりじりと包囲を狭め、触手が届かない限界まで近づいた。ロッドの手が肩の高さに掲げられる。
「 ―― えッ!」
 勢いよく振り下ろした手と共に、何本もの銛が放たれた。一拍遅れて他の船からも次々と発射される。大型の海棲生物を狩るための銛は、腕ほども太さがある、重く長い代物だ。むろん手で投げるのではなく、発条ばねを利用した仕掛けで発射するようになっている。
 後部に丈夫な縄を長く引いて、銛は妖獣の身体につき刺さった。的をはずしたものもかなりあったが、数が数だ。針山のように幾本もの銛を生やして、妖獣は大きくのたうった。太い触手が水面を叩き、激しい水しぶきをまき上げる。
「早く浮きを落とせ! 引きずり込まれるぞ」
 指示に従い甲板から次々と樽が投げ落とされた。ふくらんだ胴体に幾重にも巻かれた縄が、妖獣に刺さる銛へと繋がっている。一度海面に没した樽は、しかしすぐに浮かび上がった。中身は何も入っていない、空の樽なのである。
 痛手を負わされた妖獣は、相手に攻撃が届かないと気付くと、水面下に潜ろうとした。船の下をくぐって包囲を抜けようと考えたのだろう。しかし樽の浮力に邪魔をされた。さらにはうごめく触手に縄がからみつき、ますます動きを封じられてゆく。
 むなしくもがく妖獣の上へと、油をつめた壺が投じられた。わざと蓋を緩めてあるそれらは、次々と内容物を妖獣の身体へとぶちまけていく。もともとぬめっている表皮が、油を浴びていっそうてらてらと光った。
 とどめに射手達が火矢を射かける。
 揮発性の高い発火油が爆発的に燃えあがった。水上にも関わらず、海面を覆う油を舐めるように、炎が燃え広がる。
 妖獣の悲鳴は上がらなかった。そもそも発声器官など備えてはいないのだろう。その代わりのように触手が激しくのたうった。炎の中で舞のようにあやしくうごめき、幾度も水面を叩く。そのたびに水と炎の欠片が飛び散った。
 距離を見誤ったのか、何隻かが船腹に燃える触手の一撃を受ける。飛んだ火が帆に移り、慌てて消火につとめる船もあった。
 だがそれも、しょせん最後のあがきにすぎない。
 燃えさかる炎の中、ゆらめく影はじょじょに小さくなり、やがてまったく動かなくなる ――


「ったく、臭えったらねえぜ」
 眉をひそめて唾を吐くロッドの言葉は、波止場で作業している人間全員の意見を代弁するものであった。
 桟橋の方へと目をやれば、もはや原型も定かではない、消し炭となった物体が引き上げられつつある。焼けただれ縮みながらもなお巨大なそれからは、油と肉が燃える煙と妖獣の体液が放つすえたような悪臭とが入り混じって立ちのぼっていた。
「あのまま捨ててしまうべきだったのでは?」
 船長が忌々しげにつぶやく。浮き代わりの樽もそれに繋がる縄もほとんどが燃えてしまい、海の底へと沈もうとしていた妖獣の死体を、わざわざ回収してくる。そんな行為を命じたロッドの意図をはかりかねているようだ。
「そうは言うけどよ、下手にほっといてあのまま腐ってみろ。魚やら海草やら、みんなやられちまうぞ」
「……そういうものなのですか」
「ああ」
 うなずく。
 種類にもよるが、妖獣の死骸や体液は、たいていなんらかの毒素を含んでいる。触れただけで皮膚を焼く強力な酸性の血や、ひとみで大型の獣をも絶息させる猛毒を持つ肉、あるいはさほどではないにせよ、じょじょに土や水を汚染し動植物を蝕んでいく類のものもいる。放置すれば疫病や荒廃のもとともなりかねず、妖獣の死骸は手順に従って確実に処理する必要があった。
「お前ら、仕事が済んだら全身しっかり洗っとけよ」
 あと回収した銛と矢は、熱湯に浸けて消毒するように。
 指示を出しておいて、ふとロッドは唐突に顔を上げた。首を捻り港湾から町中へと向かう街路を眺める。
 この近辺は、既にほとんど使う人間もいなくなった、寂れた倉庫街の一角である。そこならば周囲への影響も少なかろうということで選んだ場所だった。よって近づいてくるような野次馬の姿も、まったく存在しなかったのだが。
「よう、早かったじゃねえか」
 まるで友人を迎えるかのような気さくな態度に、船長も誰がやって来たのかと振り返った。
 そうして思わず息を呑む。
 彼の目に映ったのは、とてもこのような場所で目にするなど信じられぬ、見目麗しい貴人の一団だったのだ。
 簡素ながらも一目で上質とわかる、長く裾を引く衣服に身を包んだ女官達。さらさらと衣擦れの音を立てながら歩む彼女らは、あるいは日差しを遮る傘を掲げ、あるいは露払いとばかりに、あたりの人間をさりげなく脇へと導いた。そうして一歩身を引き、主人を迎えるべく控える。
 開かれた空間に現れたのは、いまだ面差しに幼さを残す、黒髪の少女。
 南方生まれにしては淡い色彩の、しみひとつない象牙の肌に、銀を帯びた薄墨色の瞳。対するかのように深い漆黒の髪は、極上の絹糸を思わせる艶やかさだ。薄物を透かしてうかがえる肉体の線は、いまだ成長途中の華奢で細いものだったが、それでもなおすらりと伸びたその手足の一挙一動に、人々は目を奪われずにいられない。
 気品に満ちた柔らかな微笑みを向けられて、作業中の船員達は思わず動きを止め、嘆息した。
「無事お戻りになられたとうかがい、安心いたしました」
 澄んだ声がロッドへと語りかける。
「お怪我などは ―― ?」
 二歩、三歩。歩み寄って手を掲げる少女 ―― フェシリアに、ロッドは小さく鼻を鳴らして答えた。
「あの程度で手こずるわけもねえだろうが」
 荒っぽく言いながら、出した右手でフェシリアの手を取る。そうして彼女を引き寄せ、妖獣の死骸の方へと向き直らせた。
 丁重とはとても言い難いその仕草に、女官や船員達は目をむく。いかに破邪騎士の一員とはいえ、公爵家の姫君、しかも次期継承者たるフェシリアに対し、なんというぞんざいなふるまいをするのか、と。
 しかしロッドを知る者が見れば、これでも破格の応対だと別の意味で目をむくだろう。
「だがまぁ、おかげさんで俺は船に乗ってただけだし、褒めるんならあいつらの方だな」
 親指で船員達を示すロッドに、フェシリアは穏やかな微笑みを浮かべる。
「この地の人間がお役に立てたのならば、幸いでございます。それもこれも、騎士さまが事前にこう動くようにと、ご指導ご訓練下さったからこそ」
 そうして視線を見交わした一瞬、二人の間にはなんとも言えない沈黙が下りる。
 しかし周囲の目からすればそれは、親しげに言葉を交わした二人が、目と目で合図しあい、そうして共に足を踏み出したようにしか見えなかった。
「あ、あの、姫さま、そちらは……」
「大丈夫ですわ、ティティス。貴女達はそこで待っていて下さい」
 言い残して離れてゆくフェシリアを、女官達は困惑した面もちで見送った。本来ならば主人のそばから離れず付き従うべき彼女らではあったが、異臭を放つ妖獣の死骸へと近づいてゆくなど、良家の出身である女官達にとって、さすがにためらわずにはいられないことだった。
 もちろんフェシリアとて、けして好んで歩み寄りたい代物ではなかったのだが。
 肩から羽織った薄布の端で鼻を押さえながら、フェシリアは焼けただれた肉塊を眺めやった。
「ったく、いちいち出ばってくんじゃねえよ」
 お前が顔なんざ出すと、兵どもが変に意識して手が遅くなりやがるんだからよ。
 周囲には聞こえぬよう、ひそめた口調でロッドが吐き捨てた。
「こうすることで志気が上がるのだから、結果としては早く終わろうよ」
 目先のことしか見えぬのは愚か者の証拠だぞ?
 やはり同じく耳目をはばかり、それでもなお辛辣にフェシリア。
「だいたいこういうものは、人づてに見聞きしては、どうしても情報に漏れが生じるものだからの」
「信用できるのはてめえの目と耳だけってことかよ」
「否定はできぬ」
「そりゃまた正直なことで」
 だが言葉ほどには気分を害した様子もなく、ロッドもまたフェシリアと並んで妖獣の死骸を見下ろした。
「ざっと十日の間に二匹か。多いといやぁ確かに多いが……」
「正確を期すならば、あの蛇のような妖獣が現れたのが一昨日なのだから、三日で二匹とするべきでは?」
「それを言うなら、ヴェクドの襲撃も入れるべきだろうよ。そうすると一ヶ月に伸びるぜ」
「それだけ数も増えようがの」
 ロッドがこの地に滞在するようになって、はや十日が過ぎる。その間に現れた妖獣は、これで二体目だった。
 一体目についてはつい先日、コーナ家の屋敷がある公爵領の中心部から馬で半日ほど離れた漁村で、大人の身長ほどもある蛇に似た妖獣が網に掛かったとの報告があった。幸いにも被害は少なく、網の魚を食い荒らされただけで、駆けつけた兵達の手により叩き殺されたとのことだ。そしてつい今しがた、ロッドの指揮のもと退治された、この触手を持つ巨大な生き物と、先月のエドウィネル滞在時に現れた、半人半魚が十数匹。
 いかにこの国が妖獣の数多く生息する土地柄だとはいえ、同じ地域でこれほど短期間に出現が確認されることはごく稀であった。
 しかし ――
「同じ地域と判断するには、いささか場所が離れておるの」
「ああ。それに種類も違う。ヴェクドを除けば数もそうたいしたことはねえ」
 同じ公爵領内とはいえ、ヴェクドと水蛇の現れた場所は全くの反対方向。船を使えば一日ほどでたどり着ける距離だが、陸路をゆけばそうもゆかない。そしてこの大蛸が姿を見せたのは、海上でのことだ。もしも妖獣発見時には即座に通報する旨、フェシリアとロッドの名で通達が出されていなければ、商船が一隻事故で沈んだというそれだけで終わっていたかもしれない。
 つまりこれを常ならぬ不自然な状況と判断するべきかそれとも否か、非常に微妙なところなのである。
 そもそもどちらの妖獣に対しても、既に対処はできている。破邪騎士ロッドがこの地に滞在し、大きな被害も出さぬままに事態を収容している以上、ことさら王都へ知らせを送る必要があるのかどうか。
 ことに現在王都では、カイザール危篤という大事に伴い混乱が続いているはずだ。そのような折りに、すんだことで王太子の手を煩わせることは、臣下としても望ましくない。
 無論、起きたことは起きたこととして、報告するべきではあろう。だが……
「セフィアールの助けを求めるには、根拠が弱すぎよう」
「そうだな」
 現実何かが起きてからでは遅すぎるとも言える。だが確たる根拠もないままに、闇雲に助けを求めることは、一領地を預かる臣下として、あまりに無責任だと言えた。ましてこの地はセイヴァンでも屈指の名門、コーナ公爵家の領内である。己の地を己の力で守る能力なくして、どうして領主だなどと名乗れようか。
「だがまぁ、なんらかの異変は起きると考えるのが順当だ。となると」
「その兆候を見逃さぬことこそ、肝要よの」
 たとえどれほど些細な事柄であれ、常と異なるものはないかと、情報を収集すること。それらを分析し、わずかなりとも今後の手がかりとできるならば。
 鋭い視線で妖獣の死体を検分する彼らは、ふと同じ場所でその目を止めた。
 炭と化し、ぼろぼろと崩れ落ちてくる表皮のその下から、鈍いきらめきが覗いている。眉をひそめ、二人はそのあたりへと顔を近付けた。
「おい、誰か」
 ロッドが手近にいる人物を呼び寄せる。何事かと近づいてきた船員に、顔も向けず片手をつきだした。
「銛貸せ」
 愛想の欠片もないその仕草に、しかし船員は問い返しもせずあたりを見まわし、所望された品を探す。そこへ別の男が銛を持って駆けつけた。
「どうぞ」
「ん」
 短い言葉で受け取って、ロッドはその切っ先を妖獣の死体へ突き立てた。炭化してもろくなった皮膚をこそげ落とすように動かす。
「これは ―― 」
 じょじょに現れてきたものに、フェシリアが小さく声を漏らす。
 油と煤にまみれその輝きこそ薄れていたが、それは確かに金属の質感を備えていた。


*  *  *


 報告を終えた文官が退出していったのち、フェシリアは小さくため息をついて、手元の紙片を見下ろした。報告書に添付されていたそれは一枚の絵図である。稚拙な筆致で描かれたものだったが、それでも海草や貝殻などで覆われた、岩の固まりのようなものを表現しているのだと察せられた。
 しばらくそれを眺めていた彼女は、やがて一言一言確かめるように言葉を発した。
「【流れ星の窪地シス・ティア・トゥラン】という話を、知っておるか」
 その呟きに応じたのは、部屋の脇に控えていた別の文官 ―― ラスティアールだった。
「確か、祖王の説話のひとつでしたか?」
 うなずいて、フェシリアは素描を卓上へと戻す。
「さほど知られている話ではないのだがな。私はけっこう気に入っている。祖王が新たな街を建設するために力を尽くす説話で、あまり有名ではないせいか、時代や土地によってずいぶん異なる語られ方をしているものだ」
「はぁ」
 それがいまどうしたというのか。
 公女が何を言いたいのか推し量ることができず、実直な文官はただ曖昧な答えを返す。
「……金の卵から生まれた炎の鳥。銀の卵から生まれた白銀しろがねの大蛇。巨岩に封じられていた翼持つ竜に、丘を割って現れた大さそりの群 ―― 」
 ほっそりとした指を折り、フェシリアは数え上げた。
「ドガ村に漂着したという赤銅色の木の実、シテ島の砂浜に埋まっていた半球形の金属片、ナバロ岬沖に漂っていたという貝殻に覆われた内部が空洞と思われる物体に、イブナ村のはずれに放置された、妖獣の抜け殻と伝えられる筒状の岩塊」
 それは数日前、ドガ村の村長よりもたらされた報告をきっかけとして、収集された情報の数々であった。
 当初は発見された『舟』について、これまで同様の物体を見た者はいないかと、そういった目撃証言を探していたのだが。しかし形状は異なるが、やはり見たこともない異様な漂着物を見たことがあるという、ドガ村からの報告を得て、情報収集の方向を少々変更してみたのだ。
 条件は、正体不明の物体。ことに金属を思わせる材質をしているものという条件のもと、情報を集めさせたのだが。
 結果として、わずか数日でこれだけのものが報告された。
 無論その情報源は、また聞きや噂の域を出ないものがほとんどで、見かけたというその物体そのものなどは実際に確認されることなく、信憑性の低い情報ばかりである。
 しかし……
「ふん」
 腕を組み壁により掛かっていたロッドが、ひとつ鼻を鳴らした。
「そいつに大蛸が抱え込んでた金属の壷と、ヴェクドの体液が付着した舟 ―― いや、ひつぎを付け加えると……なかなかおもしろいものが見えてきそうじゃねえか」
「そうだな」
 よく似た思考を持つ二人の男女は、それだけで了解したようにうなずきあった。
「は、あの、いったい……?」
 取り残されたラスティアールは、ひとり意味が判らず、ただせわしなく両者を見比べる。
 そんな彼へと、二人は同時に視線を向けた。
 先に口を開いたのは、何事にも容赦のない青年の方だ。
「これだけ材料が揃ってて、まだ判らねえのかよ」
 口元に浮かぶのは嘲りの笑み。顎を持ち上げるようにして見下してくる瞳の色に、ラスティアールは思わず一歩身を引いた。
「あくまで推論だがの」
 そう前置きして、フェシリアは卓上の絵に指をつく。
「すべての妖獣が、とは言えぬが……それでも一部のそれについて、出現になんらかの ―― 人の意志の様なものが介在しているのではないか、と。そう推測できるのだ」
「はあ……」
 主人の言葉に無意識にうなずきかけ、それからラスティアールは裏返った声を上げた。
「はぁっ!?」
 目をむき口を開閉させるラスティアールを、しかしフェシリアとロッドの二人は軽く目を細めただけで放置した。そうして二人だけで言葉を重ねてゆく。
「相手は妖獣。我らの常識では到底はかり得ぬ習性を持つ生き物だ。それだけに金属質の生体をそなえる場合も、もちろん考えられよう」
「ああ。ことが一件二件なら、単純な卵だの鱗だのってえ話なら、そういう生き物だっていうのも『あり』だろうよ」
「そうだな」
 互いに視線を見交わす。次の言葉は二人同時だった。
「だが ―― 」
 彼らはそこで言葉を切った。
 二人の脳裏に浮かんでいるのは、この屋敷の地下深く、秘められた部屋へと保管された構造物の姿だった。
 あれはどう考えても、生き物の自然な営みから作り出される物体ではなかった。たとえ妖獣であろうとも、それが生き物である限り、生み出されるものにはどこかしらに生体的な雰囲気というものが感じられるものだ。たとえば浜辺で採れる貝殻などを見ても判るだろう。とても生き物が作り出すとは思えぬ石灰質のそれでさえ、よく吟味すればなんとなく単なる石くれなどとは違うように見えてくるものだ。
 しかるに、あの『舟』は。
 磨き上げられたその表面も、はめ込まれたモザイク状の欠片も、どこにも生物の持つ柔らかさは感じられなかった。かわりに伝わってくるのは、綿密な計算と冷徹な技とによって組み上げられた、人工物の臭い。
 あの金属や、硝子に似て非なる色とりどりの欠片は、これまで彼らが見聞きしてきた中にはまったく見られない材質であった。そしてコーナ公爵家のフェシリアと破邪騎士セフィアールのロッド=ラグレーの二人にとって未知の物質であるならば、それはこの国の誰にとっても同様であると、そう表現して構わない。しかしそれでもなお、あれは確かに何者かの手によって作り出された、人造のものとしか考えられなかった。
 そして、その構造と付着した物質からして間違いなく、内部には妖獣が ―― ヴェクドが入っていたのだろう。
 つい先刻ロッドが口にした、『棺』という言葉のその通りに。
 すなわち。
 何者か……まさしく予測すらできぬ『何者』かが、容れ物を作り、その中に妖獣を入れ、そして放出しているのではないか、と。
 伝説の伝える金の卵、銀の卵、妖獣を生んだ巨岩も丘の割れ目の奥に埋まっていただろう『何か』も、すべてはその『容れ物』に他ならぬのではないか、と ――
「…………」
 しばし、室内にはなんともいえない沈黙が横たわった。
 ラスティアールはまだ話の意図がよく掴めていない。フェシリアとロッドは、それぞれに目を伏せ、あるいは宙を眺め、自らの思索の内にある。
 やがて、口を開いたのはロッドの方が先であった。
「こいつは、すべて推測だ。いわば戯れ言に過ぎねえ」
「……その通りだ」
 フェシリアがうなずいた。
「だがもしも『誰か』が『何らか』の意図を持って妖獣を野に放っているのだと仮定するなら、それを可能とする存在は、ごく、限られてくるはずだ」
「そうだな」
 やはりうなずいて、フェシリアが手元に視線を落とした。
「そしてもし……もしもだ。その『何者』かの目的がなんであるにせよ、明らかなる『故意』によって、妖獣を解き放っているのなら……」
 ロッドの声は、そこで一度途切れた。
 が、彼はすぐに先を続けた。
「もしもそうなら、俺はその『何者』かを ―― 許さねえ」
 きっぱりと告げるその口調に、フェシリアがはっと顔を上げた。
 壁に背をつけ胸の前で腕を組んだロッドは、まっすぐその視線を受け止める。
「そいつが何者だろうが、何を考えてんだろうが、そんなものは俺の知ったことじゃねえ。俺は俺の仕事として、妖獣をぶっ殺すし、他人の迷惑かえりみず妖獣をばらまこうなんて考える野郎がいるなら、同じように ―― ぶっ倒す」
 破邪騎士セフィアールとしての、それが俺の仕事だ、と。
 宣言するかのようなその瞳には、己の意志を既に定めた者の、強い光があった。
 この先、はたして誰を敵にまわすことになろうと、けして退くことはない。そう明確に告げる、そんな意志が。
 そしてこの青年がそうと決めたのであれば、その意志が翻されることはない。そう、たとえ『誰』が敵となることになったとしても。
 それを理解できるが故に、フェシリアはふと視線を卓上へと落とした。
 願わくば、と ――
 一瞬その心を、祈るようによぎる想いがある。
 そうして改めて目を戻し、彼女は口を開いた。
「全ては、いまだ推論に過ぎぬ」
 その言葉で、ふと張りつめたもののゆるむ気配がした。
「何者かの意図が介在していることは確実にせよ、それが本当に故意によるものなのか、あるいは過失からに過ぎぬのか。そしてことは既に成し終えられたのか、それとも現在行われている最中さなかなのか。我々が ―― 現在打てるなんらかの手だてはあるのか」
「……まだなにも、判っちゃいねえ、か」
 確かなことは、なにひとつとして。
「その通りだ」
 だから、先走る必要はない。けして。
 言葉にされなかった思いの、どれほどを互いに読みとり、受けとったのか。
 同じ場にいたラスティアールにはまるで理解できぬやりとりを彼らは交わし、そしてどのような結論に至ったのか。
 困惑し立ち尽くすラスティアールの存在をようやく思い出したかのように、彼らはそろって振り返った。
「書く物をよこせ」
「は」
 素っ気ないロッドの言葉に、ラスティアールはとっさに反応できなかった。そんな彼へとフェシリアが横から補足を入れる。
「王都のエドウィネル殿下へ書簡を送る。便箋と封筒を用意せよ」
「は、ならば執務室に専用のものが……」
「あれには全部ここの紋章が入ってるだろうが」
「え、ええ。それは」
 公爵の名で出される書類、書簡には、すべて透かしや箔押しでコーナ家の紋章が入れられている。それは署名と並び正式文書であることを示す、当然の証だ。
「ぐずぐずぬかすな。さっさとしろ!」
「はいっ」
 びくりと直立して部屋を飛び出す文官を、しかし彼らは見送ろうともしなかった。
 それぞれに卓上の書類や宙を眺める二人は、これからしたためるべき書簡の内容を、心の内で組み立てつつあった。
 紋章もなく署名もなく、仮に誰の手に落ちたとて、差出人を特定できぬ形で作成されるだろう、その文書の内容は ――
 あるいは弾劾とも呼べる、そのようなものになるやもしれなかった。


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