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 楽園の守護者  第十話
 ―― 予 兆 ――  第一章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 本格的な夏を間近に控えたコーナ公爵領は、日々強さを増しつつある陽光に、まばゆく満たされていた。
 今年最初の嵐が行き過ぎたのが、つい昨夜のことだそうで。洗われた大気のおかげで、空の青さがいっそうのこと鮮やかさを増している。
 石造りの建造物が、軒を重ねる街並み。夏の酷暑の折りには、ほうぼうで打ち水をする光景が見られるものだが、今の時期にはまだそれほどの暑さは感じられない。むしろ日陰などに入れば、ひいやりとした冷たさが肌に心地よい、そんな時節だ。
 空気に入り混じる、独特の潮の香り。建物の間からは、パルディウム湾をゆきかう貨物船の姿をのぞむことができた。道行く人々の姿は、人種的にも風俗的にもどこか異国の香りを感じさせる、目新しいものが多い。
 この街は、国家セイヴァン屈指の交易港。遠く海を隔てた東や南方に位置する諸島国家、あるいは砂漠や山脈によって行き来を妨げられた沿岸諸国との貿易を一手に引き受ける、コーナ公爵家の中枢が居をかまえる土地である。
 二つの半島に挟まれたパルディウム湾には、大小さまざまな港が存在し、そのほとんどを公爵家が管理している。それらの中でも星の海ティア・ラザと湾とを結ぶ河の流出口に設けられたこの港町は、王都と諸外国とを結ぶ中継地として重要視されていた。その地を拠とするコーナ公爵家は、西方平原の穀倉地帯を管理するアルス公爵家と並び、セイヴァンの片翼を担うとさえ評されている。
 事実、王都から遠く離れたこの地を治める公爵家を、王家は代々重用してきた。姻戚関係は数代おきに幾重にも結ばれ、系図をひもとけば、王家との関わりがひどく深いものだと知れる。
 特に現コーナ公爵セクヴァール=フレリウスは、妻として現国王の第二王女、セルマイラをめとっていた。彼自身はあくまで王家の臣下にすぎなかったが、その息子として産まれたロドティアス=ティベリウスは、母を含めた国王の実子達に次ぐ王位継承権を備えていた。
 ―― もしも、
 コーナ公爵家の館から街並みを眺めつつ、エドウィネルは思った。
 ―― あの悲惨な事故で、ロドティアスが行方知れずになどなっていなければ。
 仮定、それも既に起きてしまった過去についてのそれなど、なんの意味もないものだと判ってはいる。それでも、そのことで狂ってしまった未来について、彼は思いをはせずにいられない。
 慢性的な出生率の低さに悩まされていたセイヴァン王家。祖王エルギリウスの血を少しでも濃く伝えようと重ねられた近親婚が、その原因のひとつだったという。また、破邪騎士たるセフィアール達にその力を与えることで、代々の国王は文字通り命すら削っていった。そして危険な破邪の場に身を置くことは、王太子達の夭折ようせつをも招く結果となり ――
 現国王カイザールは、正妃や側室との間に四人もの子を為した。だが、その生涯が終わりに近づいている現在、健在でいる血族は末王女の息子であるエドウィネル、ただひとりきりだ。
 十七年前。王都で行われた国王生誕の宴に参加したコーナ公爵の一行は、その帰途でときならぬ嵐に見舞われた。大海のただ中ではなく、広いとはいえ河をゆく船だ。冷静に対処し接岸すれば、無事にやり過ごすことができただろう。だが、揺れる船内で灯りが倒れ、火災が起こった。深夜の嵐と炎により、船内は収拾不能なほどに混乱してゆき……
 やがて長い夜が明けたとき、半壊した船に残されていた人数は当初の半数にも満たず、後日周囲をゆく船や岸辺で、波にさらわれ溺死した者の遺体が幾つも回収された。第二王女セルマイラも、その内の一人となり……ロドティアスもまた、亡骸なきがらこそ発見されなかったものの、今日こんにちまでその消息は明らかとなっておらず、とうに生存は絶望視されていた。
 それからまもなく、当時の王太子であったディルシオが、破邪の任中、妖獣の爪にかかって死亡。その翌年には、第三王子フィラルドが立太子直後に病没した。残る一人、末の姫たるエリシアは、その事故よりはるか以前 ―― エドウィネルを産んですぐに、没している。
 本来であれば、コーナ公爵家を継いでいたはずのロドティアスと、アルス公爵家を継いでいたはずのエドウィネル。王家を介在した母方の従兄弟同士であった彼らは、年齢もわずか二つしか違わなかった。
 エドウィネルのロドティアスに関する記憶は、当の宴において父の影からかいま見た姿に留まる。当時のエドウィネルは十になるかならず、ロドティアスもわずか八歳。互いにまだ子供の域を出ることなく、おおやけの場で口をきくことなど思いもよらぬ年齢だった。
 褐色の肌と癖のある柔らかな焦茶の髪。南方の血を濃く引いた、ほっそりとした身体つきをしていた。やはり濃い色合いの瞳は、穏やかな光をたたえてエドウィネルを映していた。
 もしも、ほんの少し運命が道をたがえていたならば、現在王太子として銀の腕環を授かっていたのは、彼の方であったというのに。
 エドウィネルは小さく息を吐いて視線を室内へと戻した。
 そこでは、王都より共に公爵領を訪れた従者や騎士達が、それぞれにそれぞれの時間を過ごしていた。
 ―― だが、
 胸の内で、エドウィネルは己へと確認する。
 現実には、第一王位継承者アル・デ=セイヴァンを名乗るのは彼の責務だった。そしていま現在において、それを代わることができる人間など、誰一人として存在しはしない。
「ロッド」
 エドウィネルは、部屋の隅に立つ青年を呼んだ。
 腕組みして壁に背を預けていた男は、それに反応してふいと顔を上げる。
「少しつきあってくれ」
 その言葉に、ロッドはあからさまに顔をしかめた。組んだ腕を解き、あさっての方向を見る。
「いやだね」
 きっぱりとなされた拒絶に、部屋にいる者達がそれぞれの反応を見せた。ほとんどは驚きのそれだったが、幾人かはまたかというような呆れととがめの表情を浮かべている。
「おい、殿下のお召しだそ」
 たまたま近くにいたカルセストが、小声でささやきかける。しかしロッドは完璧にそれを無視した。
「お前はこのあたりに詳しいのだろう? 予定より早く到着したおかげで時間があいたことだし、少し街を見ておきたい。案内してくれ」
 重ねて乞うエドウィネルの言葉にも、ロッドはそっぽを向いたままだ。
「別に詳しかねえよ」
「だが、この街はお前の ―― 」
 言いかけたエドウィネルを、ロッドは鋭い視線でふり返った。無言で睨みつけるその瞳の、光の強さ。蒼い炎にも似た眼光に、一瞬室内にいた人間がみな息を呑んだ。
「……あいにく、俺がいたのは下町でね」
 やがて、再び目をそらした彼は、歯の間から押し出すように呟いた。
「それもガキの頃の話だ。てめえを案内できるような場所なんざ知らねえよ」
 言いながら、壁から身を離して背を向ける。
「案内が欲しいなら、ここの人間でもつけてもらうんだな」


 後ろ手に扉を閉ざす音が、室内の空気を大きく揺るがせた。
 完全にそれが消えてから、一同はようやく詰めていた息を吐き出す。
「 ―― まったく」
 騎士のひとりが、呆れ果てたというようにかぶりを振った。
「なんだってあのような男を一行にお加えになったのですか、殿下」
「そうですとも。確かにあの男とてセフィアールの端くれなれば、破邪の折りには役立つこともあるやもしれませぬ。ですが、此度こたびの随行員としてなど、とても……」
 口々に漏らす騎士達の言葉を、エドウィネルはさりげない表情で受け流した。
「できれば第三者の目でこの街を見てみたかったのだが、いたしかたない。誰か公爵の元へうかがって、人を借りてきてくれぬか」
 エドウィネルの言葉を受けて、召使いのひとりが部屋を出ていこうとする。
 が、
 戸口をくぐろうとして、召使いはふと動きを止めた。そして慌てたように室内へと戻り、扉を全開にする。
 いぶかしんだ一同だったが、入室してきた人物を目にして、彼らもまた姿勢を正した。エドウィネルが窓際から離れ、相手を出迎える。
「これは、フェシリアどの。お久しぶりです」
「ようこそ、コーナ公爵領へお越し下さいました。殿下」
 侍女達を戸口に残し歩み寄ってきた姫君へと、エドウィネルは親しげな笑みを見せた。腰をかがめて礼を取る彼女に近づき、ごく自然な仕草でその手を取る。そして細い指先へ唇で触れた。フェシリアも慣れた様子でそれを受け入れ、高い位置にあるエドウィネルの瞳を見上げる。
「桟橋にはコーナ公しかおいでにならなかったので、御不在かとばかり」
「 ―― 申し訳ございません。てっきり、お着きになられるのは夕刻だと思っておりましたもので」
 王太子が館を訪れるというのに、次期女公爵エル・ディ=コーナたるフェシリアが出迎えを怠るなど、不敬と取られても仕方ない。目を伏せて詫びる彼女に、エドウィネルはかぶりを振ってみせた。
「予想以上に追い風が吹いたおかげで、ずいぶん早く到着してしまいました。こちらの方々には、手はずを狂わせてしまい、私のほうこそ申し訳なかったです」
 王都のあるティア・ラザ沿岸からここコーナ公爵領までは、船旅でざっと三日ほどの時を要する。それを天候の関係とはいえ、あらかじめ知らせておいた刻限より半日近くも早く着いてしまったのだ。予定が合わなくなるのも無理はない。
 今回エドウィネルがこの地を訪れたのは、諸外国との交易状況を視察するためであった。ことに、最近になって輸入品目に加わるようになった、東方諸島からの織物について、検品に立ち会うのが目的である。
 セイヴァンはもともと、諸外国との交流が極めて少ない土地柄だった。それには国としての立地条件が大きな要因となっている。セイヴァンの国土は大陸の南東部に位置し、北方と西方をそれぞれ山脈と砂漠地帯とで隣国と隔てられている。その結果としてこの国は、一種の閉ざされた土地として存在していた。ほとんどの交易は商船によって行われているが、この時代、未知なる部分の多い海路をゆくことは、極めて危険が大きい。もともと、自国民を養えるだけの国力は備えていただけに、食料などを輸出入に頼る必要がなかったのも、ひとつの理由となっているだろう。
 故にそれらの危険をおかした上で持ち込まれる物資文化は、極めて高価かつ、贅沢な嗜好品が大部分を占めていた。東方諸島の珍しい茶や香、練り絹、あるいは南方の鮮やかな色合いをした刺繍や宝石。その他沿岸諸国、ことにメルディアの自由貿易都市に拠点を持つ交易商人達などは、豊かな資金と冒険心をもって無謀ともいえる航海を繰り返し、各地のさまざまな名品珍品をあきなっている。
 逆に諸外国から見れば、セイヴァンの文化こそが目新しいそれであり、わずかな雑貨でも持ち帰ればそれなりの利益を上げられるだけに、彼らもまた危険を顧みることなく、こぞって舳先へさきをパルディウム湾へと向けていた。
「飲み物など用意させましたが、おつき合い下さいましょうか?」
 フェシリアの申し出に否やはなかった。うなずくと、控えていた侍女達が廊下へと下がり、茶器や菓子などを載せた手押しの卓と共に戻ってくる。
「お前達も、夕食まで自由にしていると良い」
 エドウィネルに促され、騎士達はそれぞれに割り当てられた部屋へと退出していった。護衛として背後に立つひとりと、身のまわりを世話する召使いだけが室内に残る。
 手際よく場が整えられ、良い香りのする茶が淹れられた。鮮やかな濃紅色のそれを、エドウィネルは嬉しそうに持ち上げる。
「これはガーナ産の葉ではないですか?」
「ええ。殿下がお好きだとうかがいましたので」
 あっさりと肯定される。
 大陸内奥部に位置するガーナ国に産するものは、当然ながら滅多に海路に乗ることはなかった。いかに貿易港たるこの地でも、そうそう手に入るような品ではない。
 だがそれよりも問題なのは、その滅多に口にすることができぬそれを、エドウィネルが好んでいると、何故この姫が知っているのかということで。
 ―― だが、エドウィネルはそれを問いただそうとはせず、ただ礼を言って茶に口をつけた。
 フェシリアもまた、受け皿を手に取り、上品な仕草で茶器を持ち上げる。
「明日の予定は、どのように?」
 しばし焼き菓子をつまみながら歓談していた彼らだったが、やがて話題は自然と、今後の視察に関することへと移っていった。
「いまのところ、入港している船にはさほど重要な品はございませんので、ひとまずは湾岸倉庫に保管されている物をご覧いただくことになるかと存じます。殿下は、このあたりの地理をどの程度……?」
「大まかな地名ぐらいなら、どうにか」
「そうですか。では」
 フェシリアが合図すると、侍女の一人が出ていった。そして間もなく、巻いた大きな紙を持って戻ってくる。近くの卓を借りて広げられたのは、この街の詳細な絵地図だった。
「この館の建っているのがここ。殿下のお着きになられた桟橋がここですわ。そして、主に南方からの物資を陸揚げするのに使用しているのが ―― 」
 ほっそりとした指で示しつつ説明するのに、エドウィネルは真剣な面もちで耳を傾けた。
 飲み干した茶器を重石おもしに使い、卓一杯に広げた地図へと肘をつく。
「……なるほど、だいたいは判りました。それにしても、やはり旧市街のあたりは、ずいぶん使われていない建物が増えつつあるようですね」
「ええ。どうしても老朽化が進んでしまいますから。特に海辺に近いあたりは、潮風による浸食も激しく、なかなか修復の手もゆき届かないのが、正直なところでして」
「三百年も経てば、どれほど建固な構造物も風化するものです。いっそ区画整理を兼ねて、大々的に建て直すことができれば良いのでしょうが」
「それも考えてはおりますけれど……」
 言葉を濁すフェシリアに、エドウィネルはうなずいてみせる。
「予算もあるでしょうし、使用頻度が低いとはいえ、それでも住まう民達がいる以上、その補償もしてやらねばなりません。そう簡単にはいかぬでしょう」
「まことに ―― 」
 二人して小さくため息を落とした。
「王都の方も、中心部はかなり古くなっておりましてね。ですが手を入れようにも、あのあたりは祖王エルギリウスが設計し、建造したということで、民や家臣達もなかなか同意してくれぬのですよ」
「建物は建物。怪我人が出てからでは遅うございましょうに」
「そういった人心の拠り所もまた、必要なものだと判ってはいるのですが、ね」
 そう言って、二人はほのかな苦笑を交わしあった。
 互いに己の意図するところを、最小限の言葉であやまたず伝えることができる。口にする内容をいちいち飾る必要がない。
 わずか一月前に初めて顔を合わせたばかりの、年齢も性別も異なる相手は、しかし彼らのどちらにとっても、同席していてひどく気持ちの良い相手だった。


「……祖王と言えば」
 茶を淹れ直させたフェシリアが、ふと思いついたように話題を変えた。
「以前から不思議に思っていたことがあるのですが」
「なんでしょう」
「初代セイヴァン国王エルギリウス=ウィリアムは、セイヴァン王家の祖であると同時に、最初の破邪騎士セフィアールでもあったということですわね」
「ええ、その通りですが」
 エドウィネルはうなずく。
 セイヴァンの初代国王にして、現在は祖王とおくりなされるエルギリウス=アル・ディア=ウィリアム=フォン・セイヴァン。この地に様々な文化をもたらし、国家という名の生活共同体を構築しえた彼は、同時に破邪の技をもって民衆を救った英雄その人でもあった。
 彼がいつ、どのようにして妖獣を滅する力を手に入れたのか。それはまったく記録に残されていない。その生涯においてエルギリウスがそれを口にすることはなかったし、公式非公式を問わぬ一切の文献、民間伝承、詩人の語る英雄譚に至るまで、その点に関して触れているものはない。
 ―― 伝説は語る。
 ある日、ある場所で、どこからともなく現れた英雄の姿を。
 その前身を知る者はなく、その力の所以ゆえんを知る者もなく。
 ただ民達は、彼の強さを、破邪の力をもって民達を救ったその優しさを、声高にたたえた。
 恐るべき妖獣達によって明日をも知れぬ生活を余儀なくされていた彼らにとって、男の過去や力の由来など、どうでも良かったのであろう。民達はただ、彼のもたらしてくれたものを受け入れ、そして彼によってその訪れを信じることができるようになった、未来を形作ることで精一杯だったのだ。
「当時ただひとり破邪の力を備えていた祖王は、同時に唯一セフィアールの身を癒すすべをも心得ていた。のちにそれらの力は、それぞれセフィアール騎士団と彼の子孫たるセイヴァン王家に伝えられたということですが ―― 」
 フェシリアの語る内容は、この国の人間であれば、言葉を覚え始めたばかりの幼子でさえ知っていることである。
 物心つく頃より、幾度となく聞かされ続ける、セイヴァン建国時の昔語り。地方や時代によって語る言葉の端々、音節のひとつひとつは異なれど、その本筋はほぼ変わらない。
「ですが、なにゆえにかの王は、力を二分して継承なさったのでしょうか」
 その問いに、ふとエドウィネルの動きが止まった。
 彼は焼き菓子に伸ばしていた手を引き、フェシリアを見つめ返す。濃い翠緑色の瞳が、その刹那、わずかに色を深めたように思えた。
「 ―――― 」 
 しばし彼は沈黙した。言葉を選んでいるかのようなそのを、フェシリアは妨げることなく、待つ。
 やがて、低い声が彼の唇を割った。
「祖王は……とても優れた人間でした」
「はい」
 それは今さら確認するまでもない事実だ。
「特殊な能力の有無を抜きにしても、その群を抜いた知力、体力、判断力、精神力 ―― そういったものは、彼が優秀な統治者であったことからも明らかです」
 いかに稀有かつ強大な特殊能力を持ち合わせていたとしても、それだけで人心はついてなどこない。その力を有効に使いこなし、多くの民衆を救い導いたからこそ、彼は『王』として立つことができた。
 ただ力を振りかざすだけの存在には、けしてひとつの国を興すことなど、成しえるはずもない。
「 ―― ですが」
 エドウィネルは一度言葉を切った。
「優れた人間の子が、必ずしも優秀だとは限りません」
 そう言って彼は、相手の反応をうかがうように、その目をのぞき込む。
「…………」
 フェシリアは、無言で彼の視線を受け止めた。
 エドウィネルの言葉は、安易に相づちを打つことなどできぬ内容を含んでいた。
 それは、つまり。
 言葉に出すことはせず、ただ薄墨の瞳が問いを返す。
 強大な力を持ち、そしてなおそれを使いこなすだけの器量を備えていた祖王エルギリウス。だが、その血に連なる子孫達は、必ずしもその優秀さを受け継ぐとは言い切れないというのか、と。
 それはすなわち、セイヴァン王家の人間でさえ、愚かな人間は存在するのだと。そう断言するにも等しいことで。
 もしも、余人がそんなことを口にしたならば。
 たとえ公爵家の人間であろうとも……否、もっとも王家にちかしい血を持つ者であればこそいっそうに、軽々しく言葉にしてはならない事柄がある。
 公爵家の一員たる者が、王家を軽んじているなどと。たとえ噂が立つだけであっても、それは致命的となるだろう。
 唇を閉ざし、ただ見つめ返すフェシリアの前で、エドウィネルは長く形の良い指を組み合わせた。そうしてその両手を、口元に押し当てる。
「 ―― 過ぎたる力は身を滅ぼすもと。そして祖王に比肩しうる器量を持つ人物など、いかに王族といえども、そうそう現れるものではないということです」
 そう結んで、エドウィネルは安心させるようにふと表情を緩めた。
「かの御方の力は、ひとりの人間に継承させるには強大に過ぎた。ただそれだけのことですよ」
 だから、二つに分けたのだと。
 ひとつはおのが血を引く子らに、もうひとつはその目で才覚を見極めた若者達へ、と。
「……たとえ、殿下でも叶いませぬか?」
 小さくフェシリアが呟いた。
 その声はごくごく抑えられたもので。そば近くに控えた侍女達ですらも、聞き取ることはできない低さだった。間近から彼女の唇の動きを見ていたエドウィネルだけが、辛うじてその言葉を拾う。
 予想しなかった問いに、エドウィネルはわずかに目を開いた。それからフェシリアを見返し、その浮かべられた表情に気づく。
「己の分は、わきまえておりますよ」
 答える口のには、穏やかな微笑みがたたえられていた。
「……ご謙遜を」
 フェシリアの顔にもまた、どこか悪戯っぽい笑みがある。
 エドウィネルが望むのは、けして祖王の再来と呼ばれるような、強大な力を得ることではない。また王太子たる己は、欠陥などない完璧な人間であると、奢りなどすることもなく。
 みずからの能力と望むものを自身で着実に把握すること。統治者として、それこそがまず第一に為すべきことなのだと、彼は知っているのだ。その上で、いま自身が必要とするべきものは何なのかを見すえ、それに向けて努力してゆくこと。
 目の前にある栄光や判りやすい讃辞に飛びつくことなく、着実に己の道を定め、歩む ――
「よろしければ、少しご足労願えませぬか?」
 フェシリアの言葉に、エドウィネルはわずかに首を傾げた。
「以前、戯れにですが、新たな市街の図面を引かせてみたことがございますの。無論、絵空事ではありますけれど」
「……面白そうですね。拝見させていただけますか」
 うなずいて椅子を引こうとしたフェシリアを制し、エドウィネルが先に立ち、右手を差し出す。
 フェシリアもまた、自然な動きで手のひらを重ねた。


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