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 楽園の守護者  番外編
 ― 義務 ― 前編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2012/08/30 15:22)
神崎 真


 重厚な石の扉が、ゆっくりと開かれていった。
 枝を広げた大樹と交差する細剣を浮き彫りにした分厚いそれは、ちょうど一月前より、一人の騎士見習いを中に残した状態で閉ざされ続けてきたものである。
 セフィアール騎士団に所属する、全ての者が通過してきたその儀式。
 破邪の能力を得るために必要とされる一ヶ月間の眠りが、いま終わりの時を迎えようとしていた。


 新たな破邪騎士の任命は、エドウィネルが王位について以来初めてのことである。最も年若いカルセストが十七才で叙任されてから、すでに三年あまりが過ぎていた。
 もともと少数精鋭を誇るセフィアールの数は、わずか三十名余にすぎない。それが国王と王太子の二人で維持できる、限度の人数だったのだ。
 とは言え、一度任命された破邪騎士は、原則として生涯その名を冠され続ける。老いや傷病を得、あるいは政治に携わる立場となって一線を退いた者達も、予備役の名のもとに、死ぬまで白銀の指輪と細剣を身に帯び続けるのである。それらの人間を除き、実際に前線で妖獣に相対している面々が、実質的な構成員として三十余名の内に数えられるのだ。
 幸いにもこの数年間、破邪の折りに命を落とす者も、再起不能の傷を負う者も出なかった。故に新たに任命される者もいなかったのだが ―― それでも時は確実に過ぎゆき、世代交代が訪れ始めていた。
 先代国王カイザールの崩御に伴い、己の老いを改めて自覚する者、あるいは新王の補佐に就くべく現場を離れる者、彼らの抜けた穴を埋めるべく指導者の立場に上がる者などなど……停滞気味だった人員の異動は加速度的に行われ、新たな人材を補充するべき時期が来ていた。
 そうして、エドウィネルが即位して三ヶ月が過ぎた、激動の年も暮れようとする頃。
 ダール男爵家の次男ベルセリウス=トゥーリッキが、破邪騎士セフィアールに任命されることが決まったのである。
 儀式には長い時間を必要とする。選ばれた破邪騎士候補は、厳重に閉ざされた叙任の間で特殊な『薬物』を飲み、眠りにつくのだ。一ヶ月間にもわたるその眠りの中で、破邪の力と驚異的な回復力が、その肉体へとゆっくり浸透していくのだとされている。
 新年が明けて間もなく叙任の間へ籠もったベルセリウスが、目を覚ます今日この時。
 王宸ノいる騎士団員は、みなが扉の前に集まり、新たな仲間の誕生を待ち受けていた。
 しわぶきひとつなく整列する彼らの前で、ゆっくりと扉が開かれる ――


 ぺたり、と。
 はだしの足が冷たい石の床を踏んだ。
 脚衣ズボンの上に薄い肌着一枚の姿は、この儀式に臨むにあたり定められている服装だ。
 一月もの間、飲むことも食べることもしなかったその姿には、隠しようのないやつれの色がうかがえる。足運びもどこかしら頼りない。
 しかし、まっすぐに上げられた顔に浮かぶのは、輝くような、誇らしげな笑顔だった。
 国家セイヴァンの根幹を担う、破邪の騎士団。その一員に加えられた緊張と喜び、そしてこれから訪れるだろう未来への希望にあふれた、満面の笑みである。
 待っていた騎士達は、みなが覚えのあるその様子を内心でましく思いながら、表向きは真面目な表情で新たな仲間を迎え入れた。
 扉の前に立っていた国王エドウィネル=ゲダリウスが、傍らへと視線を向ける。控えていた騎士団長ダストン ―― 彼はこの儀式を最後に副団長ゼルフィウム=ドライアに後を譲り、隠遁することが決まっている ―― が、畳んだ外套を捧げるように持ち上げた。それを受け取ったエドウィネルは、深い濃紺の布をばさりと広げる。

「ベルセリウス=アル=トゥーリッキ=ダール。そなたを破邪騎士の一員として迎える。国のため、民のため、その術力ちからを存分にふるうが良い」

 むき出しの肩を覆うように外套を着せかけ、おごそかに告げる。
 まだ少年の面差しを残す若者は、興奮に頬を紅潮させながら、その場にひざまずいた。
 次の瞬間、歓呼の声が石造りの広間にこだまする。
 この日、一人の若き破邪騎士が新たに生まれたのだった。


*  *  *


「そら、脇が甘い。右下っ、今度は上ががら空きだ!」
 威勢の良い声と共に、金属がぶつかり合う高い音があたりに響きわたっていた。
「足元ふらついてるぞ! 腕が上がってないっ」
 剣を手に打ち合っているのは、叙任されたばかりの新人騎士ベルセリウスと、亜麻色の癖っ毛を首の後ろで束ねた若者 ―― カルセスト=ヴィオイラだ。今年二十歳になったカルセストは、気にしていたそばかすもほとんど消え、心なしか身長もいくぶん伸びたようだった。以前に比べるとずいぶん大人びたなどと、周囲からは評されていたりする。
 そんな彼は現在、ようやくできた後輩の存在に、嬉しさ半分で先輩風を吹かせているといったところであった。
 破邪騎士の標準装備である白銀の細剣レピアではなく小剣ショートソードを使った手合わせに、相手を務めるベルセリウスは、すっかり息があがってしまっている。なにしろ小さいとはいえ、それでも鋼鉄の塊だ。これまで金属とはとても思えないような、軽くて丈夫なセフィアールの細剣を想定して訓練されてきた腕には、いかに小剣といえども、文字通り荷が重すぎた。
「……あ、あの……なんで、わざわ、ざ、普通の、剣、なんか……」
 切れ切れに問いかけるベルセリウスに、数歩引いて間合いを取ったカルセストは、したり顔で答えた。わざわざ刀身の腹で肩を叩きなどして、いかにも余裕があるような素振りを見せている。
「いざって時に、普通の剣だって使えないと困るだろ? 細剣が折れたりとか、妖獣じゃなくて人間が相手だったりした場合とかにさ」
 偉そうに並べてみせるカルセストだったが、実のところはどれも身をもって経験した……というか、そんな目にあった際、先達ロッドに怒鳴られいたたまれない思いをした実体験である。
 ちなみに騎士団内で現実にこれを実践しているのは、今のところカルセストとアーティルト、そしてロッドの三名だけだったりする。破邪騎士の相手はあくまで妖獣。そして妖獣に対して普通の剣では、ものの役に立たないというのがまだまだ一般認識なのだ。
 しかし実際には狙い所さえ間違えなければ、通常の剣でも充分に痛手を与えられると、これまでの戦いで幾度も実証されていた。
「備えあれば憂いなし。覚えておいて無駄はないんだから、訓練訓練」
 さ、続きやるぞ、と再び剣を構える。ベルセリウスは眉尻を下げながらも、かろうじて息を整え、それに相対した。
「カルセストの奴、ずいぶんはりきってるな」
「やはり後輩ができて嬉しいんだろう」
「今回はだいぶ間があいたからなあ」
 再び剣を合わせる二人を、遠巻きに他の騎士達が眺めている。彼らも細剣を手に型をさらったり、素振りや手合わせなどの鍛錬を行っていたが、あまり身が入っているとは言えなかった。いわば若手二人の様子を微笑ましく見守っているというていだ。
 カルセストのあとに続く騎士がなかなか任命されなかったのは、先にもあげた通り、近年めっきり死者や重傷者が出なかったためである。が、しかしそこに公にされなかった理由 ―― すなわち王太子不在の折りには、密かに代理を務めて負傷者を回復させていた男の存在があったことを、知る者は皆無に近かった。
 ともあれ、自分達が後輩を得た頃のことを懐かしく思い返しつつ、騎士達はのんびりと雑談に興じていた。
 と ――
 半ばふらつきながら振り下ろしたベルセリウスの剣を、カルセストが受け止めた時だ。度重なる衝撃にこらえかねたのだろう。汗に濡れたベルセリウスの手のひらから、革で巻きしめた柄がすっぽ抜けた。宙を飛んだ剣は中庭の石畳に落ち、そのままカラカラと回転しながら滑ってゆく。止まったのは乗馬靴のすぐそばだ。
「あ……」
 汗だくになったベルセリウスは、とっさに謝罪の言葉も出なかったようだ。大きく肩を上下させながら、呆然としたように立ちつくしている。
 乗馬靴の主は、手を伸ばして小剣を拾い上げた。そうして踵を鳴らしながら、ベルセリウスの方へと近づいてくる。
「おら」
 無造作に目の前へ柄が突き出された。しかしベルセリウスは受け取る元気もないようで、ただ荒い息をつくばかりだ。その様子に、フンと小さく鼻が鳴らされる。
「てめえの場合、抜き身なんざ振りまわす前に、まずは体力つける方が先だろうよ」
「……は、ぁ」
 鈍い反応を待つこともなく、その腰にある鞘へと無造作に剣がつっこまれた。それからおもむろに二の腕をわし掴みにされる。
「なんだよ、このクッソ柔らけえ腕は。剣をやろうってんなら、せめて素振り五百回ぐらいはこなせるようになってからにしな」
 そう言って、呆れたようにぽいと放り出された。
 短く刈り込まれた褐色の髪が、冬の陽差しを受けて鈍く光を反射している。切れ長の目蓋から覗く深蒼の瞳が、カルセストを流し見た。
「お前も下っぱ卒業できて嬉しいんだろうが、ちったぁ加減してやれや」
 潰しちまっても知らねえぞ、と。
 相変わらず辛辣な物言いをする青年 ―― ロッドに、カルセストは頬を膨らませた。
「下っぱって言うな!」
「はッ」
 短く失笑される。
「素振り三十回で泣き入れたあげく、筋肉痛で動けなくなったお坊ちゃまは、さてどこのどなたさんでしたっけ?」
 二年以上も前、己も真剣を使おうとし始めた頃の話を持ち出されて、途端にカルセストの顔が紅潮した。確かに最初の時分は、彼もずいぶんとひどい姿をさらしたものである。
「……ッ」
 沈黙したカルセストをほったらかして、ロッドはちらりとベルセリウスを見やった。まだあえいでいるその姿に、なにかを言おうとしたのか。開きかけた口をしかし思い直したように閉じ、そのまま視線を逸らして背中を向ける。
 歩み去ってゆく後ろ姿を見送って、カルセストは腹立たしげな表情ながらも、剣を鞘に収めたのだった。


 日だまりにある石造りの長椅子ベンチに腰を下ろし、カルセストとベルセリウスは並んでしばし休憩することにした。風は冷たいが陽差しはほのかに暖かく、火照った身体にはちょうど良い具合である。
「……まったくあの男ときたら、もうちょっと言いようがあるだろうにさ」
 ぶつぶつとこぼすカルセストに、手拭いで汗をふきながらベルセリウスが話しかける。
「あの、さっきの、その……」
 ロッドのことを何と呼べばいいのか迷ったらしく、非常に曖昧な言い方になる。
 見習いとして数年間、騎士団内で雑用をこなす小者を務めていたベルセリウスは、当然ながらロッドのことも以前から見知っている。その噂も評判も、小者仲間や騎士達から散々に聞かされていた。いわく平民出身の、教養もなければ礼儀もわきまえぬ、セフィアールの厄介者。王宮内の場違いな異端児、と。
 将来は騎士団入りすることを見越して送り込まれる見習い達は、たとえ小者といえども全員が貴族に連なる名門の子弟達だ。氏素性も定かではない野蛮人のことなど、みな裏では見下みくだし陰口を叩いていた。上司である破邪騎士でさえ同じような状態なのだから、その下について働く小者達が、そんな認識を持つのはごく自然な流れである。
 しかし仮にも同僚となったいま、先輩であるカルセストに対し、同じく先達である男のことを悪し様に言う訳にもいかなかった。小者であった頃はそれでも、表向きには『様』づけで呼んでいたが、今は一応同じ騎士団員である以上、格下の平民相手にそれはおかしいだろう。かと言って年上の先輩を呼び捨てるのはもっとまずいし、さりとて『さん』づけでは馴れ馴れしすぎる。
 困惑して口ごもるベルセリウスに、カルセストはああ、と納得したようにうなずいた。
「名前で呼びにくいなら、『あの人』とか言えば良いんじゃないか? どうせ直接話したりなんて、ほとんどしないだろ」
「はあ」
 そう言うカルセスト自身、年下の後輩の分際で『あの男』と呼んでいたりする。さらに言えば、本人を相手にする時など『お前』呼ばわりである。……もっとも最初の頃に比べれば、そこに含まれる微妙な意味合い、感情は、ずいぶんと変化してきているのだが。
「えっと、じゃあ……あの人、の、言ったこと、なんですけど」
 それでも言いにくそうに発音する後輩を、まあそのうち慣れるだろうと、カルセストは黙って促した。
「素振り五百回って、本当にやらないと駄目なんですか?」
 問いかける声が半ば泣きそうなのは、けして気のせいではないだろう。
 ……確かにカルセストも、最初に言われた時はてっきり冗談だろうと思った。そして本気だと知った時には、なんて意地の悪い嫌がらせだろうと、相手を恨む気持ちにもなった。
「んー、それはなあ」
 一度言葉を切って、空を見上げる。
 なにかを思案する時、つい上を見てしまうのは何故なんだろう。そんな関係ないことに意識を割かれつつ、脳裏で言いたいことを組み立てる。
「俺も最初は、とても無理だったよ。さっきあの男も言ってたけど、三十回でヘロヘロになって、次の日は全然腕が動かせなかった」
 無様だった己の姿を懐古する。
 人を殺す覚悟もなしに、剣なんざぶら下げるな。どうせろくに扱えもしないくせに、と。そう馬鹿にされたのが悔しくて悔しくて、半ば意地になって訓練を始めた。剣筋の基礎だけはそれなりにできていたから、最初はすぐに上達するだろうと高をくくっていた。けれどいざ実際に始めてみれば、腕力や体力が決定的に足らなくて、すぐに剣に振りまわされるばかりとなった。そこでまずは身体を鍛えた方が良いとアーティルトから助言されて、基礎中の基礎である素振りからやり直すことにしたのである。
 破邪騎士の細剣と異なり、小さいとは言え鋼鉄製の剣は重かった。それでも始めたからには後に退けず、かろうじて三十回を振った。しかしそれ以上は指が震えて、柄を握っていることすらできなかった。
 こんなことが五百回もできるはずがない。悔し涙にくれながら、そうあの男を呪ったものだ。
「ただなあ……」
 思わずため息を落とす。
「あの男はあのでっかい大剣で、普通に五百回やるんだよ」
 冗談のような、本当の話である。
 通常は両手で持つ段平だんびらを片手で軽々と振りまわすあの男は、両手でまっすぐ振り下ろすだけならば、五百回が六百回でも平然とこなすのだった。もちろん汗はかくし息も切らしはする。だがそれでも、まだまだ余裕を残しているのがはっきりと見てとれた。
 正規の訓練中にはまずやらないので、他の騎士も小者達も知らないのだろう。だが人気のない場所で黙々と剣を振るっている姿を、カルセストとアーティルトは幾度も目にしていた。
「あとアートさんもな。あの人が長剣で素振りしてるのは、お前も見たことあるだろ。前に聞いてみたら、やっぱり朝夕に五百回はやってるって」
 もちろんその他に型もさらうし、日によっては二人で手合わせしている場合もある。
 ロッドの大剣ほどではないが、アーティルトの長剣もそこそこの重量があった。それらをきちんと使いこなしている彼らの背景には、日々それだけの修練をこなしているという、れっきとした下地が存在しているのである。
「口は悪いけど、実際、言うだけのことはあるんだよ」
 まあ、すぐに五百回できるようになれとは言わない。第一そんなことをしては、本当に身体が壊れてしまう。
「最初は数十回から始めて、だんだん数を増やしていくことだよ。うん……さっきは悪かったな。俺もつい、調子に乗っちゃって」
「え? いえ、そんな……」
 慌てたように両手のひらを向けて振っている。そんなベルセリウスの頭に手を伸ばし、カルセストは赤銅色の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜてやった。まるで磨いたばかりの金属のような、美しいきらめきを放つまっすぐな髪だ。それが鎖骨のあたりで綺麗に切り揃えられている。身長はカルセストと同じぐらいなはずなのに、何故か見上げているような印象を与える瞳は、針葉樹の森を思わせる濃い深緑。年齢のせいもあってか、身体つきはまだまだひょろりとしていて、どこか頼りなげだ。自分も叙任された当時はこんな感じだったのだろうかと、カルセストはくすぐったい気持ちになる。
 顔立ちがかなり整っているうえに肌の色も抜けるように白いためか、どこか中性的な少年の雰囲気が未だに残っていて。なんだかまるで小動物のように見えてきてならない。なんというか、男の目から見ても充分にかわいいのだ。これは社交界に出たならば、きっと女性に囲まれてさぞ苦労することだろう。
 今もくすくすと笑うカルセストの手を逃れ、なんとか乱れた髪を整えようとしているその仕草が、妙にあどけなく感じられた。
 ああ、自分が騎士になりたての頃、やたら先輩達に構われた理由が少し判った気がするなあ、と。
 なんだか胸の奥が暖かくなるような気持ちで、カルセストはそんなふうに思うのだった。


*  *  *


 ひと通りの訓練が終わり、冬の寒さがじわじわと身にしみてきはじめると、一同は室内へと場所を移動した。
 一人前の騎士として覚えるべきことは、山のように存在している。剣術を磨くだけではなく、数々の破邪の技や妖獣の習性に弱点のたぐいはもちろんのこと、筆記に算術、古典文学、踊りや礼儀作法といった一般教養から、国内の政治構造、現在の情勢に宮廷内の人間関係などなど、国家の根幹に関わる者として学ぶ必要のある内容は、それこそ列挙しきれないほどにある。
 そんな座学にも毎日多くの時間が割かれているのだが ―― しかし最近はもっぱら新人を囲んでの談話会と化すのが常であった。
 それはベルセリウスの現在の力量を把握するという意味合いもあったが、突き詰めてしまえば、新人に対する好奇心を満たしたいだけの話である。
 今日もまた数名が、ベルセリウスを取り囲むようにして座り、彼を質問責めにしていた。今回の議題はどうやら、『何故セフィアールになりたいと思ったのか』に落ち着いたようだ。
「それは……」
 問われたベルセリウスは、答えを探すようにしばらく考えこむ。
 この部屋にいるほとんどの者は、幼い頃から破邪騎士 ―― それも主に祖王エルギリウスの英雄譚を何らかの形で見聞きし、その雄姿に憧れを抱いたことが現在の道を選ぶきっかけとなっている。それはカルセストもまた御多分に洩れず。子供の時分に読んだ物語集に心を踊らされ、十二になった年、セフィアールの見習いに推薦してほしいと、子爵である父親に懇願した口である。
 もっとも、現実的な話をするならば、破邪騎士団の団員はその多くが家の跡取りではなく次男三男などで占められている。それは継ぐべき爵位もなく、そのままでは部屋住みの冷や飯食いになる他ない未来を厭うた若者達が、分家や跡取りのいない貴族に養子入りするといった手だての他に、なんとか出世できる数少ない方法として路を模索した結果、という側面もなきにしもあらずだったりする。
 だがまあ、それはさておき。
 ようやくベルセリウスの考えがまとまったようだった。
「あの、オレには叔父さんがいたんです」
 そんなふうに話し始める。
「確か二十……二か三か、それぐらいだったと思うんですけど。母のすぐ下の弟で、まだ子供のオレと、いっしょになって楽しそうに遊んでくれた人です。とても優しい叔父さんで、オレはその人のことがすごく大好きでした」
 訥々とつとつと語るその言葉に、みなはふむふむとうなずきながら聞きいった。
「その叔父さんが、破邪騎士だったんです」
 一同は思わず驚きの声を上げていた。
「何ィ!?」
「誰のことだ?」
「ダール男爵の奥方は、どこの家の出だったっ?」
 急に騒然となった室内に、ベルセリウスは怯えたように首をすくめて小さくなってしまう。それに気が付いた一同は、慌てて声を低くした。そうしてつとめて落ち着いた口調で、続きを促す。
 しばらく萎縮していたベルセリウスだったが、繰り返しせっつかれて、なんとか先へと進んだ。
 それによると、ベルセリウスの母方の叔父は、破邪騎士の一員として名を連ねていたのだという。いつもは王宮に詰めていたのだが、それがあるとき地方で大規模な開墾を行うことになり、数ヶ月にわたって開拓団の護衛として同行することになった。そしてその地方というのが、姉の嫁ぎ先であるダール男爵家の領内であったのだそうだ。仲の良い弟が領地内に長期滞在すると知って、正室であった姉は男爵家の屋敷に宿泊することを勧めた。そもそも貴族の一員たる破邪騎士が、開拓者らとともに仮設小屋で寝泊まりするなど考えられない。はじめからどこか近くにある、それなりの家屋敷に世話になることが想定されていた。そして開墾地と男爵の館はさほど距離も離れておらず、馬を使用すれば充分に通える位置関係にあったのだ。
 そういった次第で彼は、まだ幼かったベルセリウスと、しばし起居を共にすることとなったのである。
 別の場所に宿を取った同僚の騎士と、交代で不寝番をこなす叔父は、毎日きちんと戻ってきたわけではなかった。それでも屋敷にいる間は疲れた様子を見せることもなく、いつでも機嫌良く相手をしてくれたものだった。
「叔父さんが聞かせてくれる破邪の話は、すごくおもしろくて、ワクワクしました。いつも着ていた青い制服も、キラキラする白銀の指輪も細い剣も、とても格好良くって。それに時々、現場に連れて行ってくれることもあったんです」
 森を切り開く際に妖獣が現れるかもしれないから、護衛として周囲を警戒しなければならない任務だった。しかし実際にはいたって平和なもので、何週間も何事も起こらず時ばかりが無為に過ぎていっていた。そうすれば緊張が緩んでくるのもしかたがないし、毎日毎日他人が働く同じような光景を眺めていれば、退屈のひとつもしようというものだ。
 そんな時、無邪気に慕ってまとわりついてくる元気な子供が身近にいれば、それが子供好きの人間なら、つい連れて歩いてみたくもなるだろう。まして彼は現場で無理を言える、上位の立場にいた。
 そして好奇心旺盛だったベルセリウスは、木々を倒したり大岩を動かしたりする土木作業に、目を輝かせて夢中になった。肉体労働者の荒っぽい男達からもそれなりに可愛がられ、楽しかった記憶ばかりが残っている。
 しかし ――
 開墾も終わりに近づいた頃、事件は起きた。
 子供の腕ほどもある長大な牙を持った、雌獅子に似た大型の妖獣が出現したのだ。その背にはおぞましいことに、猿を思わせる三対六本の腕が生えていた。長い尾は先端が球状に膨らみ、鋭い棘をびっしりと生やしている。あれで一撃されれば、人間などそれだけで命を落としてしまいそうな、恐ろしくも不気味な生き物だった。
 身がすくんで動けなくなったベルセリウスを、叔父は手近な人間に預け、みだりに泣き叫んだりしないよう言い含めた。少しも慌てたところのないその行動に、浮き足立っていた開拓者達も落ち着きを取り戻し、叔父の指示に従って遠巻きに妖獣から距離を取っていった。
 そして、ベルセリウスは見た。
 叔父が細剣一本で妖獣を斃すのを。
 その輝く切っ先には、複雑な光の魔法陣が描き出され、凶暴な妖獣は鋭い爪も牙も尾も、なにひとつ叔父に届かせることなく、あっけなく滅ぼされていった。
 あの雄姿こそが、ベルセリウスの将来を決めたのだった。
 その事件があって以降、やはり危険だからと、二度と現場には同行させてもらえなくなった。しかし叔父が白銀の細剣レピアを振るうその姿は、幼いベルセリウスの脳裏に鮮明に焼きついていた。けして時と共に色褪せなどしないほどに、くっきりと。
「普段は穏和で、優しくて。子供のつまらない話とかにも辛抱強くつきあってくれるような、親しみやすい叔父さんだったんです。それが妖獣を前にした途端、ピンと張りつめた感じになって……でも静かに落ち着いているのは変わらなくって。えっと、うまく説明できないんですけど、本当にものすごく格好良かったんです」
 それまでの印象は、単におもしろい話をしてくれて、いっしょに楽しく遊んでくれる、子供好きで人の良い叔父さんに過ぎなかった。
 それがあの事件で、根底からひっくり返された。
 悪い方にではない。ただ好きだと思っていた叔父さんが、もっともっと大好きな、憧れの英雄に変わったのだ。
「あんなふうになりたいって、そう思ったんです。オレもあんなふうに、強くて格好良くて、子供から憧れられるような、そんなすごい人間になりたいって」
 それが、オレが破邪騎士になりたいと思ったきっかけです。
 ベルセリウスはそう締めくくって、周囲の反応をうかがうように上目遣いになった。
「…………」
 しばらく誰も、口を開かなかった。
 その空気にベルセリウスは、不安げに濃緑の瞳をまたたかせる。
 やがて、
 絞り出すようなため息が、誰からともなく発せられた。
「 ―― 素晴らしいな」
 ぽつりと、一人が口火を切る。
「幼い頃に本物の破邪を目の当たりにできたとは、なんて羨ましい」
「しかもそれが血の繋がった叔父御の技とは……」
「お一人でクスィフォスを倒されるなんて、本当にお強い方だったのだな!」
 堰を切ったように、次々と言葉が投げかけられる。その表情はみな、いま聞かされた話に興奮を隠せないでいた。
 もともとが、破邪騎士になりたくてなりたくて、厳しい修練と選抜をくぐり抜けた末にようやくこの地位へとたどりついた者達だ。セフィアールという職業に対する誇りも、それに憧れる気持ちも溢れるほどに持ち合わせている。
 そこに聞かされた、まさに物語のようないきさつだ。思わず胸が躍るのも当然だろう。
「しかし、その叔父御とはどなたのことなのだ?」
「セフィアールは生涯セフィアールだ。たとえ一線を退かれたとしても、破邪騎士に変わりはない。まして、そう昔の話でもないだろう」
 一同の視線が再びベルセリウスへと集中する。
 しかし彼が浮かべた表情は、先程までの憧れを語る興奮とは裏腹に、暗く沈んだものだった。
「……ずっと、過去形で話してたよな」
 カルセストが、最初から気になっていたことを、呟くように口にした。
 その意味するところを察し、湧いていた周囲の空気が徐々に重くなってゆく。
 ベルセリウスは、こくりと小さくうなずいた。そうしてうつむいたまま、小さな声で続ける。
「開墾の護衛が終わってからも、叔父さんは休暇をもらって何日かうちに残ったんです。いっしょに任務に就いていた同僚の人は、先に出発して、叔父さんは後から一人で王都に戻りました。……いえ、戻ろうと、したんです。だけど、戻れなかった」
 さらさらと揺れる赤銅色の髪が、左右から垂れ下がって、その表情を覆い隠した。
「しばらく経って、王都から早く帰れって、そう連絡があったそうです。叔父さんはもうずっと前に、こっちを発ってたのに」
 たとえ徒歩であっても、とっくに到着しているはずの時間が過ぎていた。まして騎士の一員である叔父は、立派な馬に乗っていた。ゆっくり歩ませても、五日とはかからないはずの道のりだったのに。
 それでも叔父は、王都にたどり着かなかった。
 もちろん調査は行われたらしい。たとえ若い騎士の一人とはいえ、それは国家セイヴァンの誇る破邪騎士団の一員である。選ばれ抜いた、わずか三十余名の中の、貴重な一人。叶う限りの人員を動かして、探し尽くされたはずだ。
 それでも彼は見つからなかった。
 その時も、それからも、そして現在も。叔父の行方は判らないまま、時は無情に過ぎ去っていったのである。
 おそらくもう、生きてはいないだろう。それはとうの昔に判りきっていた。何か事情ができて連絡が取れなくなったのだとしても、時間が経ちすぎている。たとえそれがどのような事情であったとしても、これほど長い間、継続するとは考えられない。
 だから、
 あの優しかった青年は、きっともうこの世にいない。
「たぶん……破邪騎士として誰かを守って、それでだったんだって。母も祖父母達も、そう信じています。だって叔父さんは誰よりも、セフィアールとして人を守ることを、誇りに思ってましたから」
 妖獣と戦って倒れたならば、死骸が残らなかったのもうなずける。
 乗っていた馬もろとも喰われたか、あるいは崖の下にでも落ちたか、はたまた湖沼の底に引き込まれたか。なんにせよ、妖獣が相手ならば、何が起こっても不思議はなかった。
 だから、せめて家族である自分達は信じていたい。彼は『誰か』を『守る』ために、戦って勇敢に果てたのだと。
 そしてその『誰か』は、きちんと救われて、今も無事に生きているのだと。
 ももの上で組んだ両手の指に、ぐっと力が込められる。
 あの人は破邪騎士として生き、破邪騎士として死んだ。それはとても素晴らしいことで、甥であり後進である自分は、それを誇らしく思うべきだ。
 そしてあの人の甥にふさわしい騎士に、なりたいとそう思う。それがあの人の背を見てこの道を選んだ、自分の目指すべき未来だなのだと。
 顔をあげたベルセリウスの瞳には、うっすらと涙の膜が張っていた。それでも雫がこぼれることはなく、浮かぶ光は強く強く、透明に澄んでいる。
「オレは、あの人みたいな破邪騎士になるんです。誰かを守って、誰かのために命をかける、そんな騎士に」
 噛みしめるように、ベルセリウスは宣言した。
 その言葉と決意を秘めた表情に、居並ぶ騎士達はみな、心を打たれたようだった。
 声もなくただうなずきあう彼らの、はるか後ろ。ぽつんとひとり離れた場所で。いつもは寝ているかすぐに余計な茶々を入れてくるだろう男が、やはり無言のまま椅子の背によりかかり、両足を投げ出しただらしない姿勢で窓の外を眺めている。
 その存在を気にかける者は、その時その場には誰もおらず ――


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