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 不帰永眠かえることなきとわのねむり  骨董品店 日月堂 第二話
 終 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


「安倍……結局来なかったな」
 友弘がぽつんと言った。押している自転車の荷台には、山のような荷物が積みあげられている。
 本日はめでたくも一学期の終業式だった。あの蛇神騒ぎの土曜日から、すでに五日が過ぎている。
 あの ―― 蛇神が霊矢に宿り、四人が無事に元の空間に戻った ―― あと、晴明はその足で一也の家を出ていっていた。お茶を持ってきた何も知らない一也の母が、もっとゆっくりしていけばいいのにと引き止めるのにも、首を振って。一刻でも早く蛇神を安らがせてやりたいからと主張する彼を、三人はただ見送るしかできなかった。
 そして週が開けた月曜日。丸一日半たっぷりと睡眠をとって回復した一也ともども、ことの結果を聞きだそうとしていた友弘と直人の前に、晴明は姿を現さなかった。担任の話によれば、風邪をひいたので休むとの電話があったらしい。もともと目立つ方ではなく、かなり休みも多い人間なので、教師は別段不審を抱いている様子はなかった。だが、一也達にしてみれば、風邪などという理由を信じられるはずもない。放課後日月堂の方に出向いてみても、『都合につきしばらく休店致します』という札がかかっているばかり。次の日も、そのまた次の日も。
 直人の話から、晴明が実家に帰っているのだろうと予測はついた。恐らくは陰陽師とかいうものである実家の人間や、弟の力を借りているのだろう。あのあと調べてみたところによると、かつて安倍晴明あべのせいめいという人物は京都に住んでいたのだという。だから多分、晴明の家も京都のあたりにあるのだろう。が、それにしても遅すぎる。
 もしかして何か手違いでもあって、蛇神が暴れだしたのだろうか。それとも力が足りなくて蛇神を封印できなかったのでは。まさか晴明の身に何か。などといった様々な不安が、日を経るごとに大きくなってゆく。
 そんな三人の思いを知ってか知らずか、ついに晴明は終業式にも顔を見せることをしなかった。受け取り手のない休み中の課題やプリントなどで、机の中が満杯になる。
 そんな物や成績表、ついでにロッカーの中身や上靴などをまとめてやって、今日も三人は日月堂へと向かっていた。晴明が休んでいるのも、元を正せば自分達のせいなのだし、せめて荷物運びくらいしなければ申し訳が立たないではないか。今日もまだ晴明が帰っていないようなら、それぞれで手分けして預かっておけばいい。
 だが、日月堂の前まで来た時、三人はぴたりと行き足を止めた。出窓風のショーウィンドウからのぞく店内に、人影が見えたのだ。しかも扉からは、この五日間というものかけられっぱなしだった、休店の札が消えている。
「あっ安倍!?」
 最初に店内に飛びこんだのは、ひとり徒歩の一也だった。続いて慌ててサイドステップを下ろした直人と友弘。手荒な開閉に扉のベルが騒々しい音をたてた。
 晴明はにっこりと微笑んだ。ずいぶんな勢いで駆けこんできた三人にも、まるで動じていない。穏やかな声でいらっしゃいませ、と応対する。それからようやく相手に気が付いたのか、もう一度にこりと笑った。
「やあ、元気そうだね」
 いかにも嬉しそうにそんなことを言ってくる。
「げ……元気そうって、お前……」
 それまでいだかれていた不安感も何のその。思いきり外した応対に、三人は膝が砕けた。今の言葉は、少なくともあの状況で5日間、連絡ひとつよこさなかった人間が口にするべきものではない。
 しかし晴明はあくまでマイペースだった。手近な卓に手を付いて身を支える一同をよそに、悠然とお茶を淹れ始める。今日は日本茶。香り高い本物の玉露だ。お茶うけには広島名物もみじ饅頭。
「だって黒川くんは相当体調崩してたでしょう? もしかしたら、しばらくは寝こむことになるかもしれないと思ってたからさ」
 言いながら湯呑みを差しだす動きは、まさに優雅そのものだ。どう考えても洋的な店内や服装にも、まるで違和感を感じさせない。ちなみに学校帰りではない本日の出で立ちは、薄いオリーブ色のツータックパンツに、綿のワイシャツ。渋い琥珀色のネクタイをきっちりと締めて、タイピンは紅玉だ。おそらく珊瑚か瑪瑙だろう。……どう見ても高校生には見えない。
 晴明に促されてとりあえず席に着いた。お茶やお菓子を口にしているうちにだんだんと落ち着いてくる。
「玉露って話にゃ聞いてたけど、初めて飲んだぜ」
 感心する友弘の湯呑みに、すかさず二杯目を注ぐ。
「そう言ってもらえると、ご馳走しがいがあるな」
 あ、これお土産ね、ともみじ饅頭を示す。
「え、お前ン家って広島なんだ」
「は? どうして」
 意外そうな友弘の言葉に、晴明がもっと意外そうな声を上げた。
「どうしてって、もみじ饅頭って広島のだろ。違ったっけ?」
「違わないけど……それでなんで、俺の家が広島になるの?」
「だってお土産だろ? 実家に帰った」
 その問いに、晴明は複雑な表情で直人をふりかえった。直人の目配せで経緯をさとったらしい。再び友弘の方へ顔を戻す。
「実家になんて帰ってないよ」
 一瞬、全ての物音が消えた。
 全員があるいは湯呑みを口に運びかけたままで、あるいは饅頭を取ろうと手を伸ばしたその体勢で、凍り付いて動きを止める。晴明だけが、何事もなかったかのように、お茶を含んだ。湯呑みを置く音が奇妙に響く。
「あー……っと……」
 直人が呆然としたままで口を開いた。もっとも、まだ頭が働かないのか、口から洩れるのは意味のない音の連なりだ。
「だから……その……お前、あの蛇神を実家に連れてってたんじゃなかったのか?」
 何とか質問の形になったそれを、しかし晴明はあっさりと否定してのけた。
「違うけど」
「じゃ、じゃあ、おま、お前……ッ!」
「今まで何やってたんだッ!?」
「へ、蛇神はッ?」
 てんでにわめき始めた三人を、晴明はしばしあっけに取られたように見ていた。湯気を上げる湯呑を両手で包み、首をかしげて黙っている。
 数分が経過。反応のなさにようやく問いが途切れると、やっと晴明は口を開いた。
「えっと、まず蛇神の事だけど、あの方なら土曜日の内に実家へ送ってあるから、心配しなくても大丈夫」
「……送った?」
 わめきすぎてかすれた声で、直人が問い返す。
「そう。宅急便で」
 あっさり。
「た、たっきゅぅ……?」
 唖然。
 い、良いのかそれで。
 あれは仮にも自分達を祟り殺そうとした存在で……いや実際、非はこっちの方にあった訳ではあるのだけれど、それにしても危険なものには変わりがない訳で。そんなものを宅急便なんかで送ってしまったりして、もしもの事があったりなんかしたら……!
 言いたい事は山のようにあるのだが、残念ながら、もはやそれを言葉にする気力など誰にも残っていなかった。
 あぁ、そう。と力無くつぶやく。
「でも、だったらなんで学校休んだんだよ。5日も」
「ああ、それは……」
 仕事が入ったから。と、これもまた簡単に言ってのけた。
「し、仕事?」
「そう。先日、大阪の方で骨董品のオークションがあったんだけど、そこにいわくつきの絵画が出てたんだって。今までそれを買った方々が、皆さんその絵に描かれている人物の幽霊を見たとおっしゃられて、持ち主が転々としてる物だとか。で、今回それを買われた方の所にうかがって、譲っていただいてきたんだ。その方が広島に住んでおられたんだよ」
 そう言って、壁の一角を見やる。そこには木彫りの額縁に入った母子像が飾られていた。直人達には骨董品の年代など皆目見当がつかないが、相当古そうな、ヨーロッパの方の物だとは判った。
「うちの店はこういったいわく付きの品物を集めるのが仕事だからね。この絵もうちにあれば、他人に迷惑をかけずにすむ」
 にこにこといかにも嬉しそうに絵を見上げている。最初あっけに取られていた直人は、しかしいつしか拳を握りしめていた。
「……お前」
 地を這う低音でつぶやかれた声に、晴明は振りむいた。なに? と訊いてくる。その表情からして、こいつには何も判っていない。頭のどこかで何かが切れた。
「そーいうことなら!」
 拳を振り下ろし、卓をぶったたく。かなり派手な音がした。
「どーして一言連絡入れてから行かないんだッ! あんな事があった後にいきなり行方をくらましてッ、5日も学校休んでッ、俺達がどんだけ心配したと思ってるんだよッ! えぇッ!?」
 怒鳴りつける。ついでに襟首を両手でひっつかみ、ぶんぶんと揺さぶった。
「し、心配……? 俺を?」
「そうだよッ!!」
 まだ言い足りないと息を吸った直人だったが、自分を見返してくる晴明の目に、ふと言葉を切った。吸い込まれるような錯覚すら覚える射干玉ぬばたまの瞳が、驚くほどに澄んだ、邪気の無い色でまっすぐに見つめてくる。
「俺を……本当、に?」
 ためらいがちの言葉。その響きは半信半疑どころか、疑の方がずっと大きかった。
 なにしろ彼は、他人に ―― 人間に心配してもらったという経験がほとんどないのだ。
 他人、つまり晴明が陰陽師の血を引いており、実際にそういった超常的なことに関わりがあると知った人間、は、みな彼を心配などしてくれなかった。人は己と違う部分を持つ存在を、努めて排斥しようとする生き物であったから。京都で通っていた小中学校では、教師を含めたほとんどから、敬遠されるか気味悪がられるかのどちらかだったのだ。家族とて母は物心つく前に亡く、父親は晴明とも清明とも顔を合わすことすらほとんどなかったまま、三年程前にやはりこの世を去った。その他の親戚の者達は、術力を持たぬ晴明を役たたず扱いし、見むきもしない。
 晴明にとって自分を心配してくれるような人間は、ただ双子の弟、清明くらいしかいなかったのだ。
 それに晴明は、彼らに対して相当きついことを言ったり、したと自覚している。そんな自分などを心配してくれた? 本当に?
 しかしその疑念に答えたのは、直人だけではなかった。一也と友弘の二人もが、きょとんとした顔でうなずく。
「当たり前じゃないか。元はといえば俺のせいでもあるんだし、何かあったりしたらって心配にならない訳だろ」
「そーだよ。心配されたくなかったんなら電話のひとつでもよこせってんだ」
 どうやらこの二人には話が通じていないらしい。答えの論点がどこかずれている。直人の方に視線をやると、こちらは判っているのか苦笑いしている。
「ん、まあ、そういうことだな」
 言って、ぽんぽんと晴明の肩を叩く。
 晴明はしばらく目を見開いていた。三人の顔をかわるがわる何度も見やる。まだいまひとつ信じることができないでいるのだ。
 が、その心の中に蘇ったやりとりがあった。半年前にできた、初めての『人間』の友人と交わした会話。彼は風霊を友とする風使いの青年だった。確かに彼もまた、普通の人間とは言い難い、むしろ化け物と呼ばれる事すらあり得る存在だった。だがそれでも彼は晴明にとって、初めての『同じ』人間の友人だった。その彼は言ったのだ。友人くらいこれからいくらでも作れるさ、と。そして自分は答えたのだった。せっかく学校に通っているのだから、友人くらい作らなければ、と。
 だから……
 ふわりと、
 溶けるように微笑んだ。
 それはその服装にもかかわらず、年相応の、十七才の少年の笑顔であった。それでいて、普段学校で見せているような、奥の見えない曖昧なものではなくて ――
「お土産、漬け物もあるんだ。食べる?」
 ごそごそと小さな樽をひっぱり出してくる。
「食べる食べる。腹へってたんだ」
 友弘が真っ先に手を出した。箸も使わずぽりぽりとやり始める。
「お、うまいうまい」
「どれ、俺も」
 一也も横から首を突っ込む。
「あ、そうだ、安倍」
「何?」
「学校に置いてあったお前の荷物とか課題、持って来といたぜ。表にあるから後で取っとけよ」
「ああ、ありがとう。助かったよ。明日にでも取りにいかないとって思ってたんだ」
「な〜に、命の恩人にこれっくらい、お安い御用さ。な、な」
 友弘が左右に同意を求める。
 と、晴明はぽんと手を打った。そう言えば……と、またあたりをごそごそやり始める。今度は何だ? と見守る前で、晴明は一枚の紙を取り出した。
「はい」
 卓に置かれたメモ用紙程のそれを見た瞬間、一也は飲みかけだった日本茶を吹き出した。まだ熱いそれを思いきり膝へぶちまけてしまう。が、そんな一也をよそに、直人と友弘は絶句して晴明と卓の上を交互に見ていた。驚きのあまり何も言葉が出てこない。
『納品書』
 紙の上半分に書かれた文字の下には、六個の数字が行儀良く並んでいる。
「あ……あああ、安倍……!?」
「あの矢、仕入れた時、高かったんだよね。重さがあるから、送料もけっこうかかったし」
 しれっとした顔でそんなことを言う。
「だ、だからってお前……ッ、20万も30万も稼いでんだろ!?」
「あれは店のお金だから。これとは別」
「で、でも、いくらなんでもこんな……ッ」
「無理って言うんなら仕方がないけどね。でも一応、三人で割り切れるように値引きしたのに……」
挿絵6  ため息をつくその表情には、悪気だとか儲けてやろうとかいう感じは全く無い。純粋に必要経費を払ってもらいたいだけのようだ。実際、これだけの値段がする品物を使わせてしまった以上、こちらも知らん振りして踏み倒す事はどうにもできない。
「ま、しかたな ―― 」
「……判った」
 納品書を取りあげようとする寸前、直人がそれをひっさらった。
「分割払いでいいよな」
「え、うん。それはかまわないけど ―― いいの?」
「いいんだよ。そこらの悪徳霊感商法より安いしな。それより、何か拭くもん貸してくれよ」
 膝に茶をこぼした一也を示す。どうやら晴明は気付いていなかったらしく、慌てて席を立った。店の奥へとふきんを取りに走ってゆく。
 そんな晴明を見送った後で、三人は大きく肩を落としていた。
「かずやぁ、なおとぉ……」
 友弘が情けない声で友人を呼ぶ。とはいえ、二人にどうするすべがあるはずもない。あの時あんな祠なんて放っておけば良かったなどと、今さら思ってもむなしさが漂うだけだ。
 三人はいっせいにため息をつくと脱力した。
 かくして、彼らと晴明との交友は、当分の間切れることはなくなったのだった。


― 了 ―


(1992/12/14 14:04)
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