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 紅 玉 残 夢こうぎょくのゆめ  骨董品店 日月堂 第十話
 終  章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


「……結局のところさ、美しさとかものの価値基準なんて、時代や場所でころころ変わっちゃうものなのよね」
 沙也香の澄んだ高い声が、雨上がりの湿った空気を震わせていた。
「だいたい昔は『引き目かぎ鼻下ぶくれ』が美人の条件だったんでしょ? 中国の纏足とかだって、今から見ればなにソレって感じだし」
 車のトランクに荷物を積む譲の横で、彼女はそんなふうに先を続ける。
 美醜の判断基準など、しょせんは人間がその時その時で勝手に定めるもので。かつて平安の貴族達は、美しくなれるからとおたふく風邪にかかるのを歓迎していたというし、また中国では小さい足を好むあまり、骨を砕き布で固め、ひとりでは満足に歩くことも難しい美姫を人工的に作り上げていた時代がある。その頃を生きる人間達からすれば必死だったのだろうそれらの行為も、異なる時代、異なる場所から見る目には、なんとも異様に映ってしまうものだ。
 そしてそれは、不変の輝きをたたえられる宝石ですら変わることなく。
 かつてはルビーと呼ばれ、目の飛び出るような金額であがなわれていた赤い宝石は、いまや価値ない石ころとして、ごく安い価格で売買されている。その石そのものには、けしてなんの変化もありなどしないというのに。
 まして女の顔立ちの美醜ともなれば、たとえ同時代の同じ場所で生まれ育った人間であったとしても、個人の好みというものが多岐にわたって生じてくる。
「だからさ、どんなに美しくなりたいとかこだわってみたところで、どうせは限界があるのよ。特に誰をも魅了する不変の美、なんてあたりまでなってくると、もうどうあがいたところで絶対に不可能なのよねえ」
 そうしめくくって肩をすくめる沙也香は、和馬の知る限り何年ものあいだ変わることない姿で生きている存在だった。だがあるいはそんな彼女であるからこそ、思うところがあるのかもしれない。
「まあなんにせよ、あの頑固者の意見をひるがえさせるなんて、なかなかやるじゃないの」
 くるりと晴明の方へ向き直った沙也香は、小さなポーチをごそごそと探りはじめた。
「はい、これ」
 取り出したものを突き出す。
「名刺、ですか」
 名前と連絡先が書かれた小さな紙片を、晴明は受け取ってしげしげと眺めた。
「そ。言っとくけど、そうそう滅多な相手には渡さないんだから」
 下手な人間に洩らしたりしたら承知しないわよ。
 立てた指など振りつつ可愛らしくウインクしてみせる沙也香だったが、もしもの場合になされるであろう報復は、想像するだに恐ろしいものがあった。
「では、私も」
 晴明も自分の名刺を取り出して渡す。彼の場合は日月堂の名前が入ったものだった。
「なにか骨董に関することがありましたら、御相談いただければ幸いです」
「覚えとくわ」
 鷹揚な仕草でしまい込む沙也香を、伯爵が羨ましそうに見る。そんな彼へも晴明は差し出した。
「伯爵も、よろしければ」
「あ、ああ。いただこう」
 途端に顔を輝かせた彼は、受け取ってさっそくあれこれ眺め、ひっくり返したりなどしはじめる。
「じゃ、アタシらはこれで」
「ええ」
 沙也香はあっさりと手を振って、譲が開けたドアから車に乗り込んでいった。譲も一礼すると運転席へと向かう。
「さて、そんじゃ俺らも帰るか」
 晴明を促した和馬は、しかしそこでふと伯爵を見やった。
「そういえばあんた、車は?」
 ロータリーを見まわすが、あと駐車されているのは和馬の国産車と、この屋敷のものとおぼしき箱バンだけだった。
 しばらく沈黙していた伯爵が、やがて複雑な表情で口を開く。
「……来るときは、松本夫婦に同乗してきたのだが」
 どうやら帰りは忘れられていたらしい。
 立ち尽くす伯爵をよそに、譲の運転する車がロータリーを出ていった。低いエンジン音がみるみる遠ざかってゆく。
 この男も、なんでいままで気づかないかな。
 深々とため息をついた和馬は、きびすを返して自分の車に向かいつつ、晴明と伯爵に声をかけた。
「とりあえず駅までで良いな」
 心配げに見守っていた晴明が、伯爵と同時に明るい顔になる。
「ああ! 助かる、秋月の」
「良かったですね、伯爵」
「うむ」
 それぞれに手荷物を持ち上げ、和馬の車にむかって歩きはじめる。




 ―― ちなみに、伯爵の屋敷は晴明の住む場所からそう離れていなかったそうで、結局彼は日月堂まで同道し、しっかり茶まで相伴してから帰っていった。そしてどうやらそののちも、和馬に劣らぬ頻度で店を訪れては、楽しげに語り合っていく間柄になったらしい。
 また沙也香の方からもちょくちょく連絡が入っては、なにかと引っ張り出されることとなった晴明は、そのつてで様々な術者、異能力者達と顔を合わせ、その間で名を知られてゆくこととなる。




 安倍家の晴明としてではなく、骨董品店日月堂の晴明として。





 ― 了 ―

(2005/03/01 10:45)
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