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 影 見 影 待かげをみかげをまつ  骨董品店 日月堂 第九話
 終  章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2004/11/07 13:50)
神崎 真


 重ねられた数葉の書類に目を通し終えて、安倍家の頂点に立つ青年 ―― 安倍清明は丁寧に紙の端を揃えた。
「他に緊急を要する問題はないようですね」
 文机に戻された紙束を手に取り、向かいに座した男が小さく頷く。
「葬儀の方については、手が必要そうなら人をやって下さい。あそこの跡取りはまだお若いですし、なにかと大変でしょうから」
「手配しておきましょう」
 つい昨夜のこと、数多い分家のひとつで家長が急死し、清明らは朝早くから対応に追われることとなっていた。死亡した当人はまださほど高齢というわけでもなかったのだが、突然の脳梗塞で手の施しようがなかったらしい。跡を継ぐ息子はやっと十九になったばかり。それなりの教育は受けているだろうが、それでもあまりに急すぎる父親の死に、そうそう対応ができるとも思えなかった。
 そんな判断を下す清明自身はというと、その長男よりもひとつ年下だったりするのだが。しかし本人もまた周囲の者も、彼を保護されるべき未成年の範疇には数えていなかった。
 その正面に座り指示を受けている男は、彼よりもずいぶんと年上で、そのためか清明も丁寧な口調を崩そうとはしない。だがそれ以上に男の方が、丁重なうやうやしい態度で接していた。
 さらに死亡した人物が担当していた幾つかの事項について、延期の期日や代わりに振り分ける対象などを指示されると、男はそれを実行に移すべく退出してゆく。
「 ―― それでは、私もこれで」
 それまでずっと沈黙し、部屋の隅でやりとりを見守っていた男が、畳に手をついて一礼した。
 一言も口を開かぬまま、しかし揺るぎない存在感を持って控えていたのは、先代当主の弟にあたる壮年の男、安倍孝秀あべのたかひでだった。
 年齢は四十半ば。がっしりとした身体つきと鋭い光をたたえる両の瞳が、相対する者に強い威圧感を感じさせる人物だ。数年前先代当主が没した折り、安倍家の人間の誰もが彼を次代にと押した。その術力の強さも、また一門をとりまとめるのに必要な能力の高さも、彼に勝る者は存在しないと、満場一致で認められていたからだ。
 だが孝秀自身は周囲の期待と裏腹に、未だ年若かった甥清明を当主とし、自身はその後見人として補佐するだけの道を選んだ。己の器量はけして甥に勝ることなしと、そう宣言して。
 以降、彼はその言葉の通りはるかに年若な甥の側に付き従い、けして必要以上の口を挟むことなく、その仕事を補佐し続けている。いまも孝秀は無言でやりとりを見守り、甥の成長ぶりに満足したかのように、ただ鷹揚な笑みのみを口元に浮かべていた。
「叔父上も、お疲れさまでした」
 清明もまた、そんな叔父に感謝するように頭を下げる。
 そうして孝秀もまた先の男のように部屋を辞した。叔父が襖を閉じるまで、清明は背筋を伸ばしたまま見送る。
「…………」
 襖が閉ざされ叔父の姿が視界から消えると、清明は席を立ち、反対側の庭に面した広縁へと向かった。
 開け放された障子をくぐりかけたところで、襖が再度静かに引き開けられる。
「あ、清明さま?」
 一息ついたのを見計らって茶を出しに来たのだろう。盆を前に、若い娘が驚いたような声をかけてくる。清明は部屋から出かけていた身体をいったん引き戻すと、そちらの方へと向き直った。そうして申し訳なさそうに微笑みかける。
「すみませんが、私は一度部屋の方へ戻りますから、なにかあったらそちらに知らせてもらえますか」
 丁寧な口調と柔らかな笑顔を向けられて、いなむ理由などない娘は、かすかに頬など染めつつうなずいた。
 小さく一礼をそこに残して、清明はその足を離れの方へと向ける。
 清明が寝起きしている私室は、母屋と渡り廊下で繋がる離れのひとつにあった。ちょっとした一軒家ほども広さのあるそこには、静けさを好む彼の意向で、必要なとき以外はできるだけ誰も立ち入らないよう配慮されている。
 その人気のない離れの一室へと足を踏み入れ、清明は後ろ手に障子を閉ざした。
 塵ひとつない畳の面に、障子を通してほどよく和らげられた陽射しが、淡い格子状の影を落としている。背後から光を受ける清明の姿は、室内側から見ると、まるで切り取られたかのようにくっきりと浮かび上がっていた。
 だが影になったその顔の表情は、逆にはっきりと見て取ることができない。
「 ―――― 」
 しばし、彼はひとり立ち尽くしていた。
 やがてその口元が、ほのかにほころぶ。
「……都築つづき
 静かな声が名を呼んだ。
 その瞬間、室内の空気が変わる。
 それまで確かに清明一人分の気配しか存在しなかったそこに、何者かの息づかいが生じた。だが仮にあたりを見まわしたとしても、その気配の持ち主はどこにも見うけられないのだ。
 ―― いや。
 先刻まではなかったものが、ひとつだけ存在している。
 視線を畳へと落とした清明の足元。かすかに映る影の隣に、もうひとつ、わだかまる黒影があった。
 光を遮るものなど、そこにはない。
 そんな形の物体は、どこにもありなどしないというのに。
 しかし淡い光のなか畳に映る影は、清明のそれよりもはるかに濃く、はっきりとしていた。持ち主の存在しないその影は、同じく誰のものともしれぬ息づかいにあわせるように、かすかに輪郭を上下させている。
「ご苦労さま。どうやら首尾良く始末をつけてきたようですね」
 静かに落とされる言葉に応じ、影がわずかにその身を小さくした。どうやら頭を垂れたらしい。
「証拠は残さなかったでしょうね?」
 言いながら、清明はつとその手を伸ばす。低い位置へとさしのべられた手指の影が、黒影と重なり、すぐに引き戻される。
 うわむけた手のひらに、小さな紙片が乗っていた。白い和紙を切り抜いたそれは、単純な人の形を模しているようだ。それに目を落とした清明は、墨で記された名前と年齢を確認する。
「 ―― まったく、好き勝手な真似をしてくれるものです」
 口元に浮かぶ、ほのかな微笑み。
 それはつい先刻、家人に対して見せたそれとは似ても似つかぬものだった。柔らかさやあたたかさとは正反対の印象を与える、むしろ酷薄とすら呼べるような ―― 冷たい笑み。
 清明は人形ひとがたを口元へと近づける。
 薄い唇を尖らせふっと息を吹きかけると、人形は手のひらから浮き上がった。ふわりとひるがえり宙を舞った紙片は、畳へと落ちる途中で、前触れもなく炎をあげる。
 薄い紙片はわずか一瞬で燃え尽きた。
 そこに記されていた、安倍晴明という文字ともども、かけらひとつ残すことなく。
挿絵6
 畳に散った灰を冷めた目で見下ろして、清明は障子へとその手をかけた。すらりと引き開けると、明るい陽射しと風が室内に入り込んでくる。
「……人を呪わば、穴二つ」
 庭の方を眺めやりながら、清明は誰にともなく呟いた。
「呪いたければいくらでも呪えばいい。どんな呪詛も蠱毒こどくも、けしてあの人までは届かないのだから」
 その言葉の向けられる先が、昨夜急死した分家の長を含む一派であることを、知る者は誰ひとりおらず。
 清明は障子にかけたままの手にはめた飾りを、いとおしむようなまなざしで眺めた。兄のそれと対をなす紅瑪瑙の勾玉は、陽の光を受けてまるで鮮血のような色に輝いている。
 足元に寄り添う影はいつしか姿を消し、清明はただひとりいつまでも立ち尽くしていた。
 わずかに過ぎなかった灰は風に吹き飛ばされ、もはや室内には塵ひとつ残されていなかった。




 ― 了 ―

(2004/11/23 18:43)
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