<<Back  List  Next>>
 かくれおに 終 章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 学生食堂の中は、今日も生きの良い生徒達が発する多くのざわめきと人いきれ、時々上がる元気の余ったわめき声などの入り混じった、活気のある喧騒に満ちていた。昼もずいぶん過ぎた頃。ようやく諸々もろもろの雑事に一段落つけた俊己は、遅くなった昼食を摂るべく、トレイを抱えて空席を探した。土曜日の昼過ぎともなると、次に授業がないせいか、食事が終わってもなかなか席を立たない者が多い。生徒達の間を歩きまわって食堂を一周した俊己を、手を挙げて呼んだ者がいた。
「今岡君! ここ空くわよ」
 立ち上がったのは生徒会の副会長だった。三年生の石井由真いしいゆま。さらさらとした直毛を胸のあたりまで伸ばし、一部バレッタで留めている。すらりとした身体つきの、華奢なお嬢様タイプの女生徒だ。もちろん、見た目通りの性格であったなら、この学園で生徒会などやってはいられない。
「じゃ、よろしくね」
 向かいに座っていた二人に念を押して、足早にテーブルを去っていく。どうやら彼女は、食事のために来ていたのではなかったようだ。
「……彼女、なんだって?」
 空いた席にトレイを置きながら、残っている二人に訊いてみる。
 定食の味噌汁をすすっていた明は、読んでいたレポート用紙をそのままの姿勢で差し出した。受け取って、ざっと目を通す。
「うわ、嘘だろ」
 それだけ言って絶句する俊己に、オムライスを食べているいずみが乾いた笑いを見せた。
「もう笑うしかない、ってカンジですよね」
「どうしろって言うんだよ、これ。今さら手配したって間に合うかどうか」
「会長のお達しだからな。やるしかないだろ」
 わんから目だけ上げて、明が言った。俊己は反論しようとしばらく頭を巡らせていたが、やがて諦めてため息をついた。やたらと無理を通したがる生徒会長にも困ったものである。
 ……もっとも、たいていそうした方が良いと思える提案をしてくれるだけに、通りにくいものもなんとか通してやろうと、つい努力してしまうのだが。
「昼食の内容を変更して、それから見学順路も見直しか。タイムテーブルが完全に変わってるから、一から練り直しだぞ」
「そっちは任せた。俺は女子寮の方に打ち合わせに行くから。とりあえず朝までには目鼻をつけといてくれ」
「俺はどうしましょうか」
「こっちのプリントを頼む。清書して各方面に持っていけばいい」
「はい。俊己さんの方はいいですか?」
「俺にしか判らんものばかりだからな。自分でやる」
「そうですか」
 しばらくせっせと食事を続ける。さっさと終わらせて仕事にかからないことには、時間が足りなかった。
「……ったく、夕べは大変だったってのに、すべて世はこともなし。いらん仕事ばかりが増えやがる」
 思わずぼやいた。
 あれだけひどい目にあっておきながら、結局俊己はろくに睡眠もとれてはいないのだ。それで朝も早くから書類作成と会議、生徒の本分であるところの学業はおろそかにできないし、今日も今日とて騒ぎは起こりまくる。さらに明の人望があついおかげで、管轄違いのもめ事までが舞い込んできて……
「まぁまぁ、そんなにくさらなくても。ほら、鏡の件はあっさり片付きそうじゃないですか」
 いずみがフォローをいれた。しかし俊己は憮然とした顔になる。
 俊己達が戻ってきたのは、もう夜明けに近い時間帯であった。疲れたし朝は早いしで、まっすぐ寮に帰って寝てしまったのだが、そのころ校舎の方ではちょっとした騒ぎになっていたらしい。
 旧校舎の一角から眩い光が発生し、一時あたりを明るく照らし出したのが 夜半過ぎのことだった。そこが西棟の南端、つい二日前に騒ぎが起きたばかりの場所なこともあり、宿直教師は即座にその場へと駆けつけた。しかしそこに人の気配はなく、ただ姿見の全面に、びっしりとひび割れが広がっていたそうだ。誰かのいたずらかと教員は校内を探しまわったが、人っ子一人見つからない。そして問題の姿見は、夜が明ける頃に再び閃光を放ち、今度は粉々に砕けてしまったという。
 砂原や舟木、佐倉などいたずらの有力な容疑者宅に所在確認の電話を入れたり、登校して異常に気づいた物見高い生徒を追い払ったり、緊急会議を開いたりと、学園側はかなりばたついていた。しかし、一般生徒に対しての公式説明は、何もなされなかった。
 学園側としてはむしろ、鏡が壊れたのはありがたかったらしい。誰が割ったのかという問題は残るものの、生徒達が七不思議だ何だとうるさく騒ぐ姿見を、問答無用で撤去できるのだから。
 彼らは鏡を取りはずし、何もなかったことにするつもりなのだ。行方不明になった生徒は、鏡とは何の関係もなく ―― すなわち家出か、何らかの事件に巻き込まれるなりして、『学外で』姿を消した、と。学園側はそもそも森口鈴香がいなくなったことなど家族から伝えられてはいないし、明らかになっている楠木奈々子の失踪にしても、一緒にいたという友人達は、馬鹿げたつじつまの合わないことをわめき散らしてばかりいる。そうなれば……
「揉み消しですね」
 軽い口調でいずみが断じた。その横で明が皮肉な笑いを浮かべる。口の端をわずかに上げたそれは、姿こそ違え、昨夜の鬼が浮かべた傲岸な嘲笑そのものだった。
「…………」
 俊己は一度視線をそらした。が、すぐに元に戻し、そして夕べからずっと訊きそびれていたことをたずねた。
「結局……あそこは一体なんだったんだ。姿見が割れてしまったってことは、やっぱり鏡の内部世界か?」
「違うな」
 きっぱりとした答えが返る。
「姿見は単なる通り道にすぎない。あれは鏡を通路として繋がった異世界との狭間はざまに、人の心が作り上げた、虚構の校舎だ」
「……もう少し素人にも判るように説明してくれ」
 本人は簡潔にまとめたつもりであろうその解説は、理解するのにいささか専門知識を必要とする代物だった。特に、一言でごく簡単にすまされている、その『異世界との狭間』とは何なのか。
「狭間って言ったら、狭間ですよ。異世界との間にある空間」
 いずみがスプーンでテーブルに丸を描いた。
「俺達のいる世界が、ここのところにあるとしますよね。で、その隣に……」
 少し離れた位置に三角を描く。
「異世界。そこがどんな場所かっていうのは、俺達も知りませんよ。おとぎ話に出てくるような、剣と魔法のファンタジー世界か、あるいはここからは想像もつかない、文字通りの『異世界』か。どんなにしろ、そんな世界は山ほど存在してるはずです」
 かちゃかちゃといくつもの図形を描いていく。続きを明が引き取った。
「あそこはそういった世界と世界の間の空間だ。言ってみれば、惑星と惑星の間に広がる、宇宙空間のようなものかな。人類は銀河に無数の星が存在することを知っているし、宇宙空間がどんな場所かという知識も、多少は持っている。けれどはるか彼方の惑星まで、実際に行ってみたことはないだろう? 『我々』も同じだ。あそこがどんな空間であるのかはある程度知っているし、すぐ近くなら何度か行ってみたこともある。が、実際に異世界までなんて、とても行けたものじゃないな」
 俊己はしばらく、そのたとえを頭の中で整理した。
 この世界を地球とするならば、異世界とはその他の ―― 太陽系を構成しているそれらより、もっと遠くに存在している未知の惑星。そしてあの灰色の虚空は、それらを内包する宇宙空間。宇宙が見上げる空の向こう、どこにでも存在しているように、あの空間もこの世界をとりまいているのか。そしてその彼方には、文字通り『星の数ほど』の異世界がある。
 あの校舎は、その異世界との狭間に存在していた。ひとつの世界と呼ぶには、あまりにも小さく、脆かったそれ。明の言葉によれば、人間の心によって出来上がったという存在。
「つまり、だ……」
 自分なりにまとめた考えを、慎重に述べてみる。
「そのたとえで言うならば、あの校舎は人工衛星……スペースコロニーにあたる訳か」
 宇宙の真空に浮かぶ、紛い物の居住空間。地上のそれに少しでも似せようと努力された、人工の箱庭。
 俊己の言葉に、いずみは破顔して手を打った。
「うまいっ。さすが、いいたとえしますね」
「まったくだ」
 明もうなずく。
「あの空間には、人の想い ―― 想念というやつが強く作用するらしい。特にこの学園は、建っている位置が悪いらしくてな、やたらと空間が歪みやすいんだ。ここでの七不思議に実話が多いのも、そこらへんが原因だろうな」
 人間の持つ強い想いが、時として空間をほころびさせる。そして繋がった先の虚空に、架空の小世界を構築するのだ。
 人間というものは何故か、恐怖だの憎悪だのといったマイナス方面の感情ほど成長させやすい傾向にある。当然のことながら、そんなものの影響で生まれた小世界もやはり、恐怖や悪意に満ちたものとなる。
「長年にわたり代々語り継がれてきた七不思議。それを信じた多くの生徒達の想いがあの校舎を作り上げ、森口鈴香や楠木奈々子の抱いた恐怖が、そこへの『道』を繋いだんだ。鏡はその恐怖の媒体として働いただけだな」
 姿見それ自体に特別な力があった訳ではない。怪異を生み出したのは、鏡を特別な物と見なしていた生徒達の心の方だ。
「……想像そうぞう創造そうぞうに通じるってことか」
 七不思議を信じる多く心が、ただの姿見を魔鏡まきょうと化さしめた。そしてそれを恐れた心によって、怪異は発動した。昨夜俊己が考えたことは、しくもそう的はずれではなかったことになる。森口鈴香も楠木奈々子も、誰より不思議の存在を信じ、恐怖していたのだ。それ故、自らの命を失ってしまうほどに。
「げに恐ろしきは人の心、女の想念っていうやつですね」
「 ―― ことに砂原陽子の想いは、よっぽど強かったらしいな。あの姿見ではなくただの窓ガラスを、ただひとりの力で『人喰い鏡』にしてしまったんだから」
 しかも空間を歪めやすいこの学園内でではなく、自宅の私室で。
「彼女がそう信じたから、あの場に鬼が現れたのか」
「ああ。しかもそれに引きずられてこっちの姿見まで発動したから、話がややこしくなったんだ」
「……なるほど」
 他でもない、彼女自身の思い込みこそが『陽子』を生み出した。鬼が自分を襲いに来る。次は自分が殺される番だ。そんな想いが空間を歪め、本来なら通じるはずのない場所にかよを開いた。
 あるはずのないものを、実際に生み出してしまうほどの想い。自分の恐怖に自身が喰われてしまうくらい、彼女は怯えていた。
 あの鬼は、紛れもなく彼女の ―― 彼女の心の『影』だったのだ。
「罪悪感、かな」
 七不思議を言いふらしはしながらも、彼女は心底から不思議を信じてはいなかったのだろう。そうでなければ、どうして深夜の学校に忍び込みなどできるものか。なのに、信じていなかった怪異を目の前で見せつけられ、結果的に友人を失ってしまった。自分がした、中途半端でいい加減な考えのために。
 自分のせいで友人を死なせてしまった。そんな想いが彼女を責め立てたのだろう。自分は悪いことをした。悪いことには必ず相応の報いがある。次は自分の番だ、というように。
「自業自得とはいえ、哀れな話だな」
「そうか?」
 しみじみとつぶやいた俊己に対し、明は不可解そうに首をかしげてみせた。
「俺は馬鹿な話だと思うけどな」
「まぁ、確かに。そこまで気にするんなら、最初からやるなとは思いますよね」
 いずみも同意する。昨夜からそうだったが、この二人はどうも陽子に対して冷たいところがある。
「ずいぶんな物言いじゃないか? 確かに彼女のやったことは愚かだったかもしれないが、まさかあんなことになるとは考えてもいなかっただろうし……」
 明達の影響で、俊己はこのたぐいのことにかなり注意深くなっている。しかし 健全な一般人が超常現象に対して抱いている認識は、うさん臭いという言葉に尽きるだろう。写真の後ろに光が写った。誰もいない音楽室でピアノが鳴った。そんなことでやれ本物だ、イカサマだと大騒ぎできる者達。いくら伝説があるからといって、夜中に鏡を見に行ったぐらいで命を落とす羽目になるなど、予測しろという方が無理な話だ。
 それに、そもそもその時点で鏡を発動させたのは、奈々子の恐怖だった。もしも彼女がいなければ、陽子達は単なる鏡を見物して帰ることになった可能性が高い。その意味では、奈々子こそが自業自得と言えないこともない。
「違う」
 明が手を振って言葉をさえぎった。
「俺達が言ってるのは、砂原陽子が楠木奈々子を見殺しにした件さ」
「見……殺しだって?」
 思わず大声を上げかけて、慌てて低く押さえた。いずみがこくんとうなずく。
「俺が駆けつけた時、ホントならちゃんと楠木を助けられたんですよ。なのに一瞬早く、砂原が楠木の手を振り払ったんです」

『……伸ばしたいずみの手は虚しく宙をきった。驚愕に目を見開く奈々子の姿が、『はじかれる』勢いで陽子からもぎ離される……』

 身ぶりを交えて再現する。
 仲の良かった幼なじみを、彼女は自らの手で鬼に引き渡した。そうすれば奈々子の命はないであろうと知りながら、我が身かわいさに救いを求める手を振り解いた。
 何よりもそのことこそが、彼女の罪悪感の根源だったのだ。
「そんなことがあったのか……」
「無理もないですよ。あそこで俺が現れるなんて思いもよらなかったろうし。自分と他人の命を秤にかけたら、普通は自分の方が重いでしょ」
 あっさりと陽子の肩を持ついずみは、そのことに関しては特にこだわりないらしい。
「他人じゃないだろ」
 奈々子は陽子の幼なじみだったと聞いている。
「人間なんて、たいていの相手は他人ですよ。自分の命をかけてもいい存在なんて、それこそ一生にひとりでも見つけられれば御の字でしょう?」
「偽善はらしくないぞ。お前だってクラスメートや単なる顔見知りのために、ほいほい死んでやれるか?」
「それは……」
 口ごもる俊己に明は朗らかに笑った。
「それでいいのさ。生き物なんてつきつめれば、自分の遺伝子を残すために存在しているようなものなんだ。守るものが自分の命とその子孫である限り、誰を殺そうが喰おうが、生物として当然のことだ。それを責める人間の方がおかしいんだよ」
 すべての生き物の存在意義は、ただ生きのびることだ。明はそう言い切る。そして食物として摂取する形にしろ、それ以外にしろ、生き物が生きていくために他者の命を奪うのは必然。罪悪でも何でもない、自然の理だ。
「砂原も、そこまで気に病むことはなかったろうに。挙げ句の果てに自滅しては、楠木も無駄死にだな。もったいない」
 あきれた口調は、昨夜鬼に対して言ったものと同じだった。どうやら彼等が陽子に対しいまひとつ冷淡なのは、奈々子の死に責任があるからなのではなく、その死を無駄にしたからという点にあるらしい。
 俊己は黙って視線を落とした。
 二人が言っていることは、確かにある意味で正論だった。人の心はお世辞にも綺麗なものだとは言えない。誰の心の中にも、汚いものは存在している。建前や虚飾をはぎ取った本音の部分では、やはり自分こそが一番かわいいものなのだろう。 ―― 事実俊己とて、面倒な関わりあいになるを恐れて、二人の遺体をほったらかしにしてきたのだから。
 けれど、
 それで全てを納得していてはいけないのではないか。
 自分の醜さ、汚さから目をそむけろと言うのではない。ただ、それらを直視し、その存在を認め受け入れた上で、せめてここまでは譲らないと自分なりの一線を引くこと。生き物の本能にただ従うのではなく、愛する人やもの ―― 守りたいと思う『何か』を見つけられるよう努力したい。
 たとえほんの少しづつでもそうしていくことこそが、獣ではなくなった、 知的生命体として一歩を踏み出した生き物のあるべき姿であり、人間が人間として目指すべき道ではないか。
 そう、誰の心の内にも隠れている『鬼』。しかしそれは、できる限り表に出してはいけないものなのだ。
 ……と、そんなふうに自分が考えても、彼等には理解できないのだろうか。
 彼等が語るあまりにも薄情なその論理は、人の持つ情けを否定し、全てを生存本能へと還元してしまう。
 そう……しょせん彼等には判ってもらえないのか。眠らせておくべき……『それ』そのものである、彼等には……
 俊己の沈黙をどう思ったのか。明は手を伸ばしてその肩を叩いた。顔を上げると、安心させるように微笑みかけてくる。
「もしもお前が死んだなら、ちゃんと俺が喰ってやる。間違っても無駄死ににはさせないさ」
 だから心配するな。
 にっこりと笑って請け合った。その横ではいずみが口を尖らせる。
「ずるいですよ。俊己さんなら、俺だって喰いたいのに」
 独り占めはなしですよ、と主張する。
 半分とは言わないが、せめて四肢と目玉ぐらいはとか、きもはともかく心臓は譲れないとか、そんなことを話し始めた二人の前で、俊己はがっくりとテーブルにつっぷした。
「お前ら……」
 大江山の酒呑童子を初めとして、鬼が人を襲う伝説は数多い。この二人がその点で潔白かと訊かれれば、大いに怪しいと俊己も答えるが……いくらなんでも当の本人を目の前にしてする会話ではないだろう。
「……そういうことは、せめて他人を話題にしてくれ」
 かろうじてそう言った俊己に、二人は交渉を中断して振り向いた。ぐったりと脱力しているのを、きょとんとした顔で見下ろす。
「他の人間なんて、喰いたいとは思いませんよ」
「そんなものまずそうだしな」
 口々に言う。
「なら俺はうまそうなのか、俺は」
 二つの顔が同時に上下した。
「俺、俊己さん大好きだし。やっぱ食べるなら、好きな相手じゃなくちゃ」
「ああ。火葬にするなんてもったいない。お前の血も肉も、骨まで全部、俺達のものにしてやる」
 な、と視線を合わせて合意する。その時が楽しみだと言わんばかりだ。
「……せいぜい残さず喰ってくれ」
 疲れた声で言ってやると、笑顔でもちろんと、無言でうなずくとの二通りの答えが返ってきた。俊己は何とか身体を起こし、だるそうに頬杖をつく。

  ―― そうして喰らわれた身体は血肉に溶け、彼等の肉体の一部となるのだ。食物連鎖とは、命を他者へと渡すこと。受け継がれた命は継いだ相手と一体になり、その命を支えてゆく。

「ったく、この学校もとんでもないよな。変人は多いし、七不思議は現実になるし、とどめに鬼まで通ってるときた」
 ぶつぶつとぼやく。
 ……その程度には、俺のことを想ってくれている訳だ。
 などということを考えているあたり、俊己も立派に変人の内のひとりであった。もっとも本人に自覚はない。
「さて、そろそろ行かないと」
 話をしながらもしっかりと定食を片付けた明が、口元をぬぐった。いずみもやはり、いつの間にか皿を空にして、最後のお茶をすすっている。
 のびきってしまったラーメンを見下ろし、俊己はため息をついた。ぐるぐると箸でかきまぜる。話の内容が内容だっただけに、食欲はほとんど失せていた。が、食べないのももったいないし、後で絶対腹がすくに決まっている。
 時計を見て、急いで箸を口に運んだ。冷めてしまっている分、早く食べるのには好都合だ。明といずみも、つい長話ししてしまった時間を取り戻すべく、素早く席を立った。
 と、いきなりとんでもない騒音があたりに鳴り響いた。
 腹にくる低い振動と、耳に突き刺さってくる高音。どよめく生徒らをよそに、それはさらにボリュームとテンポを上げてゆく。
「あれ……角田?」
 いずみが窓の外を指さした。校庭のど真ん中。数十人の生徒達が集まった中にお立ち台ができ、その上でマイクを握ってしゃべっている少年がいる。小柄な身体とちょこまかした仕草は、離れたところからでも間違えようがなかった。
「なんだなんだ」
 初めはあっけにとられていた生徒達が、どやどやと窓の周囲に集まっていった。三人も遅れず一番前へと陣どる。物見高い人間が集まった学園のこと、ここから見える他の窓も、見物人で埋まりつつある。
 校庭の人垣の周りには、いくつものアンプが並べられていた。そこから流れ出している騒音は、どうやらロックか何からしい。
 最大音量にセットされたマイクに向かい、角田守は叫んだ。
「準備はいいかーっ?」
 片手をつき上げる守に、人垣は歓声で応えた。
 にっぱと笑った守は、マイクを逆の手に持ちかえ、さらにポーズを決める。
「Ladys and gentleman! 記念すべき『第一回岩城学園カラオケ王座決定戦飛び入りデスマッチ』っ。本日これより開催だぁっ!」
 今度の歓声は、見ている全員から上げられた。あちこちからかん高い口笛が鳴り響き、どこから現れたのかクラッカーがリボンを飛ばす。上の階からは紙吹雪が降って来た。
 お祭り野郎の名前は誰もが知っている。またも彼がイベントを決行したとあって、騒ぎ好きの生徒達はあっという間に盛り上がりをみせた。
「ルールはいたって簡単! 歌いたい人はリクエストをかけてステージへ。我と思わん人物はいつでも乱入可能だっ。並みいる強豪を踏み倒し、蹴散らかし、最後に立つのは彼か彼女か。親子の縁さえここでは無用! かっとばしていってみようっ!!」
 その口上が終わらない内にイントロが流れた。すさまじい勢いでマイクの争奪戦が始まる。狭いお立ち台上にも関わらず、守は器用に争いを避け実況中継を行っていた。
「……やられた」
 俊己は窓枠に身体を預け、頭を抱えた。奴がこんなイベントを企画していたとは、全く気が付かなかった。機材の手配や搬入など、けっこうな手間暇がかかっていたはずなのに。
「やるなぁ」
 感心している明を横目で睨む。それに気付いて明は肩をすくめた。
「別にいいじゃないか。寮でやってる訳じゃないし、俺達は管轄違いだろ」
 それとも、これだけ盛り上がっているものを止めさせるつもりか?
 こぶしを振り上げていっしょに歌っている者、窓を乗り越え校庭に出ていく者、誰が優勝するのかトトカルチョを始める者など、食堂でこの騒ぎに参加していないのは彼等三人だけだ。
「そこまで野暮をする気はない」
 首を振って否定する。ただ不覚をとったのが悔しいだけだ。いかにこの数日ばたばたしていたからとはいえ、悔しいものは悔しい。
「返り討ちにしてやればいいじゃないか」
 意味ありげに校庭を指さす明に、俊己は嫌そうに顔をしかめた。反対にいずみが、手を叩いて喜ぶ。
「いいですね! 早く行きましょうよ」
「……打ち合わせはどうする気だ?」
 俊己の方にも仕事は山盛りである。明朝までにやれと言ったのは明本人だ。
「三十分やそこらは大丈夫さ。お前だってその程度は平気だろ?」
 あっさりととんでもないことを言ってくれる。こう言われては意地でも後には引けなかった。努力すれば不可能でもなんでもないことだったが、またも疲労を蓄積する羽目になりそうである。
「……ちゃんと履きかえろよ」
 あちこちの窓からわらわらと出てくる生徒達を横目で見つつ、俊己は一言注意した。二本の足は、歩き出した二人の後を追っている。
 その頭にあるのは、既に今後のことをどう処理するかという考えだけだった。この数日間にあった非日常的な出来事は、日常という名の最も重要な事柄によって、意識の外へと追いやられてしまっている ――


*  *  *


『ねぇ、聞いた?』
『うん、あの姿見のことでしょ?』
『月の光が差し込む時』
『夜中の十二時じゃなかったっけ』
『七不思議の人喰い鏡』
『誰かがイタズラで割ったのよね』
『うそうそ。本当は変な噂の元になるって、学校側がはずしちゃったんだ』
『あたしが聞いた話では、変なものが映るからだって言ってたけど』
『鬼に殺された女の子』
『血まみれの顔が助けを求めるところ』
『たたりが怖くてはずしたの』
『でも効果はなかった』
『夜になると、ないはずの鏡が壁にかかってる』
『現れた姿見からは、悲鳴が聞こえるんだって』
『聞いた人は早く逃げないと』
『助けてもらおうとした子に引きずり込まれちゃう』
『西棟の南階段、中二階の踊り場』
『夜中の十二時には絶対行っちゃダメ』
『あるはずのない鏡に、死んだ子が引きずり込もうとするから』
『近寄ってはいけない』
『あるはずのない鏡に』
『引きずり込まれてしまうから……』


  ―― 想像は創造に通じる。
 七不思議を生むのは怪異を期待する人の心。そして怪異を生むのもまた、強く想う人の心。
 空間が歪んでいくことに、気が付く者はいない。
 今は、まだ…… 。


― 了 ―


<<Back  List  Next>>

NEWVEL


本を閉じる

Copyright (C) 2000 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.