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 かくれおに 第一章
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 学生食堂の中は、生きの良い生徒達が発する多くのざわめきや人いきれ、時々上がる元気の余ったわめき声などが入り混じった、やかましくも若々しい活気に満ちていた。昼休みも半ばを過ぎた時分。ようやく諸々の雑事に一段落つけた今岡俊己いまおかとしき は、遅くなった昼食をとるべく、トレイを抱えて窓際の席へと陣どった。まずはお茶を一口。喉を湿らせてからスプーンを取り、カレーをすくう。
「おい、副寮長」
 絶妙のタイミングで声がかけられた。口へ入れかけたスプーンを渋々戻し、声の方を見上げる。
「なんですか?」
 がっしりとした体格の、高校生とはとても思えない大人びた ―― 言い方を変えれば老けたとも表現できる ―― 男に問いかける。
「寮長の奴はどうした。今朝から探しとるんだが、いっこうに見つからん。学校には来てるんだろう?」
「ええ、八木先輩。もしかしてバイクの止め場の件ですか」
「そうだ。早く話をつけんことには、俺のハニーが埃だらけになってしまう」
 愛用のバイクを恋人同様に扱い、身も心も捧げつくすぜと公言してはばからない最上級生は、ごつい顔をしかめながらうなずいた。
「……大変ですね。明なら、さっき生徒会室に呼び出しかけられてましたよ」
「そうか。邪魔したな」
 軽く手を上げると、八木は体格に似合わぬ素早い動きで人の間をすり抜けていった。人波からひとつ分上につき出した頭も、すぐに見えなくなる。
 ひとつ息をつき、俊己はようやく食事を始めた。しかしほんの数口食べたところで、またも声がかかる。
「ねぇ、今岡君。ちょっといいかな?」
 おどおどとした、気の弱さを感じさせる口調。相手はその印象を裏切らない、内気そうな雰囲気を持つ小柄な少女だ。くりくりと巻いた前髪の下で、大きな目が小動物のように俊己を見ている。
「あのね、こんど男子寮と合同でやる親睦会のことなんだけど。その、こっちの要望、これに書いといたから。香月君と読んでおいてくれる?」
 言いながら、持っていたバインダーを両手で差し出した。
「判りました。こちらで検討して、明日にでも感想を出しますので」
「うん。お願い」
 ぴょこんと頭を下げて、逃げるような足取りで駆けていく。それを見送ってから、陰鬱な表情でバインダーに目を落とした。彼女 ―― 女子寮の寮長を務める小森由宇こもりゆうは、あの通り内気で気弱そうなタイプに見えるのだが、その実、外見にだまされるとえらい目を見さされる相手なのである。人を使うのが絶妙にうまく、また一度決めたことは頑としてひるがえそうとしない芯の強さを持っている。おそらくこのバインダーの中には、丁重で下手したでな表現を使いつつも、さぞかし遠慮のない要求が書かれていることだろう。はっきり言って食事中に目を通したい代物ではなかった。すぐにでも読まなければと思うのだが、ついつい横に置いたノートやプリントの束へと重ねてしまう。
 と、机の傍らを、食べ終えた食器を手にした下級生が通りがかった。ちょこまかとした動きをする、背の低い少年。首の後ろで束ねられた天パの髪が、兎の尾のようにくるんと丸まっている。岩城学園付属の男子寮『葵荘』107号室在住の角田守すみたまもるだ。
「ちょっと待て、そこのお祭り野郎」
 呼び止めると、ひょいと上半身をひねって顔だけがこちらを向いた。よく動くどんぐり眼が俊己を見る。
「なんすか、センパイ。俺、用事あるんすけど」
「ほぅ? 用事ねぇ」
 俊己の眉がわざとらしく上がった。声は逆に芝居ががった調子で低められる。
 『お祭り野郎イベンター』の異名を持つこの少年は、入学わずか半月にして寮史にも残る『激闘! 第一回葵荘対抗腕相撲バトルロイヤル』を立案企画運営し、付随して様々な騒動・ドラマを生み出しながら盛況の内に成功させたことで、学内に広くその名を轟かせていた。その後も二週間に一回は何らかのイベントを計画し、月に一度は実行までこぎつけて寮、あるいは学園全体を大騒ぎさせるという辣腕ぶりだ。一般生徒達にとっては得難い娯楽源であり、そして管理職の立場にある人間には、やっかいな頭痛の種という存在であった。
「……言っておくが店の方には、さっき俺からキャンセルの電話を入れておいたからな。今晩までに資材を都合してくれるような所は、今さら探しても見つからないだろうよ」
「えーっ!? うそッ、本気マジッ?」
「マジだ」
 きっぱり言い切ると、守はがああんっとわめいてトレイを持ったまましゃがみこんだ。どうやら今夜の計画を悟られていたとは、思ってもいなかったらしい。そんな今さらぁっとか何とかひとしきり叫んでいたが、やがて恨みがましげな目で床から見上げてきた。
「何も勝手にキャンセルしなくてもいいじゃないですか。それって犯罪っすよ、犯罪。せめて前もって警告するとか、話し合いを持つとか、そーゆー穏便な手段をとるのが民主主義国家のありようってモンでしょぉお?」
「何かしら行事を計画する時には、あらかじめ届け出て許可を取れという警告なら、何度もしたはずだが」
「だって届け出たって、いっつも許可してくれないじゃないですか」
「できないようなことばかり、やろうとするからだ」
 あっさり切って捨てる。オニ、アクマ、人でなしっ、などとブーイングが飛んだが、俊己は気にせず食事を再開した。守はしばらくしゃがんだままで騒いでいたが、そんなことをしていても何の効果もないことに気が付いて、不承不承立ち上がった。しかしまだ諦めきれないように、ブツブツとつぶやいている。
「……ちぇ。これが明センパイだったら、もっと優しいのに。協力だってしてくれたかもな。あの人、こういうことにも理解あるしさ」
「その寮長あきらの留守を狙って計画したんだろ。自業自得だな」
 もっとも寮の屋上で花火を打ち上げようなどという計画では、いくらあいつでも許可などするまいが。
「 ―― っ」
 苦し紛れの憎まれ口まで完全にやり込められて、守は真っ赤になって言葉に詰まった。唇を噛んできっと俊己をにらみつけると、オーバーな仕草で見得を切る。
「おぼえてろよっ。いつか絶対、あんたらをアッと言わせるイベントを成し遂げてみせるからなっ」
 一度言葉を切り、右手を胸にあてて天井をあおぐ。
「この、イベンターの名にかけて!」
 高らかに宣言し、ばさりとありもしないマントをひるがえして走り去っていった。ドッと周囲がわく。
 パチパチと拍手する見物人に笑いながら手を振り、まかないのおばさんに食器を返す守を、俊己は脱力した表情で見送った。
「なんだかなぁ……」



 岩城学園は、自由な校風と県下で一、二をあらそう高い偏差値とを売り物にする私立の学園である。中等部と高等部を合わせて三千人程の生徒が通っており、うち一割程度が寮に入っている。市街地をいささか離れた場所に位置するその敷地は、私立ならではの広さだった。多少古い部分もあるがしっかりとした造りの校舎が立ち並び、プールや図書館、体育館といった設備の充実も申し分ない。周囲にろくに建物や商店がない代わりに、雑木林や裏山といった自然にも ―― うんざりするほど ―― 恵まれている。校則もそう厳しくはないし、通学に利用できる公共交通手段がバス路線一本のみだということを除けば、まずまず快適な学校だといえるだろう。
 もっとも寮生達にしてみれば、下手に外出をすると消灯までに戻るのだけで一苦労しかねない環境でもあった。
 そこで彼らは、もっぱら充実した学内の施設を有効に、かつ楽しく利用することに情熱を燃やしていった。一生一度の青春時代は楽しまなければもったいない。出歩くことができないならば、あとはその籠の鳥の生活を、いかに自分に合ったおもしろいものにしてみせるか。という訳である。
 さすがに頭の良い人間達が揃っているだけあって、犯罪行為など洒落にならない事態になることはほとんどない。が……洒落になることならば、誰もがもろ手をあげて歓迎した。たとえ入学した時はまともな感性の持ち主でも、一年も不自由な寮生活を ―― しかも尋常ではない先輩達と共に続けていれば、誰もが多かれ少なかれ染められていく。
 岩城学園、葵荘という箱庭の中に詰め込まれた、頭だけは良い変人達。ひと癖もふた癖もある強者どもを多少なりともとりまとめようと思うなら、生半可な人材では務まらなかった。実際、代々の正・副寮長は誰もが、そんな中でさえ語り草になるほどの人物ばかりである。ことに今年度の二人 ―― 沈着冷静、完璧主義と謳われる『オニの副寮長』今岡俊己と、上級生下級生を問わず人望があつく、頼れる男として人気の寮長、香月明かづきあきら ―― は、歴代でも屈指の傑物 と噂される名コンビであった。


*  *  *


「俊己」
 いい加減冷めてきたカレーライスは、まだ半分も減っていない。にもかかわらずまたも呼ぶ声を耳にして、俊己はジロリと目だけを動かしてそちらを見た。
「前、空いてるか?」
 問うてきたのは、さっき先輩に居場所を聞かれたばかりの相方だった。
『見れば判るだろ』
 目だけで答える。彼を相手にわざわざ食事を中断してやるつもりも、必要もなかった。きつねウドンを持って向かいに座るのを見ることもしない。ただ、傍らに積んでいたファイルやプリントのうち半分を、左手でそちらの方へと押しやった。
「八木さんとは?」
 口を動かす合間に短く言う。
「会った」
 明も一言答えただけでウドンを食べ始めた。器用に片手ですすりながら、渡された書類に次々と目を通してゆく。清潔そうに短くまとめられた癖のない黒髪が、頭をわずかに動かすたびさらさらと揺れた。特筆するほどの容貌の持ち主ではないのだが、人当たりがよさそうな、いかにも好青年という印象を与えられる。
「……いつ、こっちに帰ってきてたんだ?」
 読むのが一段落ついたのを見はからって、低く聞いた。
「今朝の8時20分ぐらいかな」
 明はあっさりと、とんでもない時間を答える。
「寮には寄らず、直接こっちに登校したんだ。危うく遅刻するところだった」
「何かむこうでトラブルでもあったのか?」
「いや」
 これまたあっさりと首を振る。熱いどんぶりを両手で持ち、汁を飲んだ。
「なら、どうして昨日の内に帰ってこなかったんだ。夕方戻るって聞いてたから、みんな待ってたんだぞ」
 声に責める響きが混じった。
 この男は、どうしてもはずせない一族の集まりがあるからとのたまって、先週末から寮を空けていた。間に土日を挟んでいるとは言っても、金曜の夜から数えて実に丸四日もの留守である。彼の持つなかなかに複雑な事情を知る俊己としては、そのこと自体についてどうこう言うつもりはない。
 が……帰ると予告した日に戻ることなく、しかも連絡ひとつよこさないときては、腹立ちのひとつもしようというものだった。それでいて翌朝登校してみれば、当人はちゃんと学校にきているという始末。クラスは違うし、忙しいことやすれ違いが重なって、ようやくまともに顔を合わせられたのが今だ。
 はっきり言って、俊己は疲れていた。この四日間、単に寮長を代行するというだけではなく、人望のあつい彼を頼って常々持ち込まれる管轄違いのもめ事を、当人不在につき代わって処理するなど、柄でもない仕事を多数こなさされたのだ。これで帰りの遅れた理由がろくでもないことだったなら、ただではすまさせない。
 よろしくない目つきで見つめてくる俊己から、明は後ろめたそうに視線をはずした。断じて口にはされないが、俊己の不機嫌が忙しさ故にだけでないことは確実だった。心配をかけてしまったと思うと、かえって言いづくなることもある。
「……久しぶりに顔を出したから、みんながなかなか離してくれなかったんだ。用事が終わったんなら、少しはゆっくりしていってくれと言われてさ……そのまま酒盛りが始まってしまって……」
「昼間っからか」
「ああ」
 言うまでもないが、未成年である。
「いつまでやってたんだ」
「夜明けまで」
「…………よく帰ってこれたな」
 半日以上もどんちゃん騒ぎを繰り広げていたのか、こいつらは。しかもそれで酔いも眠気も全く見てとれないのだから恐ろしい。
「道理でいずみがおとなしかった訳だ」
 後輩の少年の名を挙げて嘆息した。
 いつも寮内・校内を問わず元気に走りまわっている一年生、吉野いずみは、寮長コンビのおっかけとか、使い走りとして周囲に認識されている。実際、明の一族のひとりで、彼を追ってこの学園に入学した少年だ。コンビを組む俊己に対してもすぐに好感を覚えたらしく、今では明に対するのと同様に慕ってくれていた。
 その彼も今回、明と共に出かけていたのだが。1限目と2限目の間に廊下ですれ違った時には、走りまわる勢いがいつもの三割減というところであった。どうやら原因は寝不足と二日酔いにあったらしい。
「あいつも、ずいぶん呑まされてたからなぁ……」
「ほどほどにしとけよ」
 いずみだってザルなのだ。枠だけ ―― 要するに底なし ―― と言われる明と二人、どれほどの酒を消費したのか、考えるだに恐ろしいものがある。
 添えられた福神漬けまできれいに片付けて、俊己は律儀に合掌した。
「じゃあな」
 言い置いて席を立つ。と、ちょうどその時だった。
 とんでもない悲鳴があたりに響きわたった。周囲のざわめきがいっせいに静まり、誰もが動きを止めて一方向へと視線を集中させる。
 一瞬にして注目の的となったのは、4人掛けのテーブルについた女の子達と、そのそばに立ち尽くしている背の高い少年だった。5人とも思い思いの格好で硬直しているが、どうやら悲鳴の大本はひっくり返った椅子の横でへたりこんでいる少女と、向かい合う形でそれを見下ろしている少年のようだ。少年の片手は、椅子に座った人間の肩の高さで宙に浮いている。
「……どうした、いずみ」
 最初に動いたのは明だった。箸を置いて立ち上がると、中腰のまま止まっていた俊己を促してそちらへ向かう。
「あきら、さん……」
 問いかけられて、ようやく思考が動き出したらしい。少年は手を下ろして明の方へと身体を向けた。
 噂をすれば影。吉野いずみその人である。いかにも成長途上ですというような、ひょろひょろと丈ばかり伸びて肉のついていない身体をしている。ブレザーの袖から覗く手首など、骨の形が浮いていて今にも折れそうに見えた。手足が長く掌も大きいので、もう数年もすればさぞ立派な体格になるだろうと思わせるが、今は単なるやせっぽちである。背の高い身体を窮屈そうに曲げ、上目使いになって明を見ている。その姿はどこか、叱られた子犬を彷彿とさせるものがあった。
「女の子を驚かせるとは、感心しないな」
 俊己が続けると、いずみは焦ったように弁明した。
「お、俺そんな、脅かしたりなんかしてないですよっ」
「説得力はないな」
 明に手を貸されて立ち上がる少女を示す。彼女は目に涙までにじませて震えていた。いずみは長い手を振り回して力説する。
「違いますって。俺はただ、名前呼んで肩叩いただけで……すなはらーっ、何とか言ってくれよ」
 ぐるんと振り返って、椅子に座るひとりに訴える。懇願された少女は、照れたようにあははと声を上げて笑うと、びっくりした拍子に上げたままだった両手を下ろした。
「ごめんね、吉野くん。ほら、この子ってば怖がりさんだから」
 続いて残る二人も、恥ずかしそうにぱたぱたと手を振ったり、まわりに頭を下げたりし始める。
「ほら、ちゃんと椅子に座りなさいよ」
 砂原と呼ばれたショートカットの少女は、そう言いながら椅子を起こしてやる。
「ちょっと今、コワイ話してたのよね」
「そしたら吉野くんが後ろからポン、でしょ?」
「奈々子にしてみたらまさに絶叫ものってコト」
 ごめんねーっと、三人口をそろえて両手を合わせる。
「…………」
 呆れたようなため息と共に、周囲にざわめきが戻ってきた。手を止めて注目していた者達が、再び各々のやるべきことへと帰ってゆく。残されたのは、どこか白けた雰囲気を漂わせながら立ち尽くす、3人の少年達。
「 ―― あ、あの、さ」
 気まずい沈黙を破ったのは、砂原陽子だった。
「吉野くん、奈々子に何の用事なの?」
「あ、あぁ……」
 あ然としていたいずみが、我に返って咳払いする。
楠木くすのき、日直だろ? 5限目終わってからでいいから、プリント取りに来いって、担任が」
 明と俊己にだけではなく、担任教師にまで使われているいずみであった。
「う、うん。ありがと……」
 蚊の鳴くような声。楠木奈々子は怖がりな上に、かなり気が弱いというか、人見知りをするたちらしかった。小森由宇のように見た目だけではない。クラスメートのいずみだけが相手ならばともかく、その後ろに控えるのは、学園中に噂も高き葵荘が寮長コンビ。彼女にしてみれば、雲の上にも等しい別世界の人達だ。その前でみっともなく悲鳴を上げ恥をさらしてしまった今の状態では、あまりのはずかしさに顔も上げられないでいる。
「怖い話ねぇ」
 俊己がぼそりとつぶやく。それは小さな声だったが、奈々子はびくっと肩をすくめ、ますます小さくなった。俊己の声に呆れた響きを感じたのかもしれない。耳まで赤くなって縮こまる奈々子をかばうように、陽子はまっこうから俊己を見返した。こちらは奈々子とは対 照的に、有名な上級生を相手にしても まったく物怖じしていない。
「馬鹿にしないで下さいね。いま話してたのって、まんざら与太話って訳でもないんですから」
「……別に、そんなつもりはなかったんだが」
 予想外に真剣な目で見上げられて、俊己は言葉を濁した。ちらりと傍らの二人を流し見る。
「それって実話なのか? どんな」
 代わって明が訊いた。応じて陽子はすっと背筋を伸ばす。心なし低められた声が、いかにも怪談を語ろうとする調子だ。
「先輩達、この学園の七不思議って知ってますか」
「それはまぁ、いくつかはね」
 学園七不思議といえば、知らぬ者のない有名な言葉だろう。全国、津々浦々、小学校から高校まで、およそこれを持たない学校はないのではないだろうか。生徒から生徒へと代々語り継がれる怪異の伝承は、この現実的合理主義社会においてもなお、奇妙な確かさを持って人の心に焼きつけられていた。学校という、一種独特な閉鎖社会の中では、口伝という不確かで前時代的な情報伝達方式がいまだに生き、機能しているのだ。
 いずみが首をかしげながら指を折る。
「うちの『七不思議』って、確かたくさんありましたよね。俺十個ぐらい知ってますよ」
「俺もだ」
 俊己もうなずく。
 口から口へと伝えられる話は、どうしても曖昧になり、歪みが生じてしま うものだ。俗に言う、噂に尾ひれがつくというやつである。本来七つであるはずの不思議がいつの間にかその数を増やしてしまっていることなど、口伝えのいいかげんさを表わす良い例だろう。……いや、そもそも学校で語られる不思議の数は『七つ』なのだと、いつ、どこの誰が決め、流布させたというのか。
「私、岩城情報倶楽部の部員なんですけど……実は、先輩がひとり行方不明になっちゃったんです。七不思議のこと調べてて」
「行方不明?」
 明の表情が変わった。すっと両目が細められ、俊己の方を見る。俊己は首を左右に振った。
「俺は聞いていない。学園側には伝わってないことだな」
 伝わっていることならすべて把握していると言い切れるあたりが、今岡俊己である。ともあれ、伝達ミスやわざと情報が隠されていた訳ではないことを確認して、明は再び顔を戻した。
「誰がだい?」
「2年の森口鈴香先輩。今度出す部誌に載せる、七不思議の特集を担当してたんです。それが金曜の夜に学校行くって出かけたきり、帰ってこないんですって。……七不思議って全部知ると不幸になるとか、祟られるとか言うじゃないですか」
 七不思議として語られる話には、よく似通った、いくつもの学校に共通して存在するものもある。その中のひとつ。


 その学校で伝えられる不思議は、昔から何故か六つしかなかった。誰に聞いてみたとしても七つ全てを知る者はおらず、しかし不思議の数それ自体は、六つではなく七つなのである。誰も知ることなく、一度として語られることのない七番目の不思議。
  ―― ある日のことだった。ひとりの生徒が興奮した様子でこう言った。『七番目の不思議が何か判ったの』。驚き、それは何かと質問する友人達に、しかしその生徒は恐怖を浮かべた表情で首を振った。この不思議は誰にも教えてはならないのだ、と。
 そして数日後、その生徒は突然命を落とした。残された友人達は急な訃報を嘆き、悲しんだ。やがて、そのうちの一人がはたと気が付く。なぜ彼女が死ななければならなかったのか。どうして七番目の不思議を知る者がいないのか。
 死んだ友人と同じ、興奮と恐怖の入り混じった表情で、その子も言うのだ。七番目の不思議が判った、と。そして繰り返される不幸。
 語られることのない、七番目の不思議。それは ――


「『七つ全てを知ると死んでしまう』か。よく聞く話ではあるけれど、うちの学校で聞いたことはないな」
「聞いてたら、とっくに死んでるんじゃないですか? 明さん、他にいくつ知ってるんです」
 いずみに言われて少し考え込む。
「十八個だな」
「……さすがですね」
 やたらと不思議が多いこの学園とはいえ、ずいぶんたくさん知っているものだ。立場柄、情報には通じているということか。
「人がいなくなるような話も、けっこうあるじゃないですか。先輩だって、もしかしたら……」
 言いつのる陽子に、明は苦笑して首を振った。
「確かにそういう話も多いな。しかし、失踪したというのなら、普通はまず家出や、何らかのトラブルに巻き込まれたという方向から考えるものじゃないのかな? 何でもかんでも超自然的な現象に結び付けられてはたまらないな」
「……お前が言うかね」
 俊己がぼそりとつぶやいた。明がもの言いたげに眉を上げるのを無視し、入れ替わりに問いかける。
「その森口って人は自宅通学者だろう? 親御さんは、学校や警察に連絡してないのか。丸4日も行方が判らないんじゃ、もう少し騒ぎになっていそうなものだが」
「騒ぎ?」
 繰り返す陽子の語尾が跳ね上がった。
「あそこの家族が騒ぎになんかさせるもんですか。お金持ちのことなかれ主義。〆切日お休みした先輩の家に原稿もらいに行ったら、熱があるから会わせられないの一点張り。しかたないからこっそり忍びこんだら、何て話してたと思います? 『あんな学校に入れたのが間違いだった。見つけたら即刻退学させて、ちゃんとした学校に入れ直そう。せっかくの寄付を無駄にしおって』ですよ。ふざけるんじゃないわよ!」
「おいおい……」
  まなじりを吊り上げて憤慨する陽子に、俊己は呆れて頭を掻いた。話を聞く限り彼女の怒りも判らないではないが、それ以前にその行為は、不法侵入と盗み聞きと言わないか? いくら部誌の原稿のためとはいえ、そこまでやるかこの少女は。
「あの人達、先輩のことまるで信用してないんですよね。どうしようもない不良娘が問題を起こしたんだ、みたいな言い方で。先輩の心配なんてちっともしてない。先輩はそんな無責任な人じゃないのに。黙って勝手にいなくなってしまうような人じゃないのにッ」
 力説してこぶしを握りしめる。
 ……あぁ、なるほど。
 俊己は得心した。
 察するに彼女は、七不思議に責任を転嫁しようとしているのだ。尊敬している先輩が、心ない人間に悪しざまに言われるのは耐えられず、彼女の失踪は不可抗力だと言ってしまいたいのだ。先輩自身が何らかの悪いことをしたがため姿を消す羽目になったのではなく、理不尽な何かが起こって罪のない先輩は巻き込まれてしまっただけなのだ、と。先輩は何も悪くない。悪いのは、怖くて訳が判らなくて、道理の通らない七不思議。そうに決まってる。
 そう主張するために、彼女はことさらおどろおどろしく怪談を吹聴してま わっているのだろう。もっとも、本人が自分の心理をちゃんと自覚してやっているのかどうかは定かでないが。
「いい先輩だったんだな」
「もちろんです」
 きっぱりと肯定する陽子に、俊己は顔も知らない女生徒が少々うらやましくなった。もしも自分が謎の失踪を遂げたとして、はたしてここまで一生懸命に弁護してくれる人物が存在しているだろうか。もろ手を挙げて喜んでくれる奴等ならいるかもしれないが。 ―― 目の前にいるこの二人ならきっと、『どうせ俊己なら自分の意思で消えたんだろ』とか言って、心配もしてくれないに違いない。まぁ、それだけ信用されていると解釈できないこともないのだが。
「あ ―― いたいたっ、寮長! 副寮長もッ」
 いきなりの叫び声と共に、グラウンドに面した窓を開けて首を突っ込んできた奴がいた。
「鈴木と継山が大ゲンカしてるんだ。手がつけられない。何とかしてくれッ」
 窓から身を乗り出すようにして訴える。どうやらあちこち走りまわってい たらしく、大きく息を切らせて汗をかいていた。明は動じた様子もなく、慣れた口調で訊き返した。
「場所は?」
「2年3組の、教室」
「判った、すぐ行く。俊己、いずみ」
 促されるまでもなく、いずみは既に駆け出していた。明も陽子達に手を上げてから後を追う。それぞれ空手と柔道の有段者である件の二人は、お互いが 相手の時に限り手加減という言葉をどこかに置いてきてしまう。本人達はそれはそれで半分楽しんでいるらしいのだが、周囲の方にしてみればたまったものではなかった。
「先輩、早く見つかるといいな。じゃ、失礼」
 一言断ると、がんばって下さいという励ましの言葉が返った。それもほとんど聞かないまま、俊己も走り出す。通りすがりにテーブルの書類を拾いあげ、ついでに手近の人間を捕まえ、食器の始末を頼んでおいた。
 寮生である鈴木と継山のいさかいを収めるのは、副寮長として当然の務めだったが、同じぐらい重要なことに、2年3組は俊己のクラスだということがあった。 ―― 下手に駆けつけるのが遅れて、自分の机を破壊でもされてはたまらない。
「頼むから無茶してくれるなよ」
 混み合う廊下を急ぎ走る。その俊己の頭からは、もう今かわした会話は消えている。そこは既に、次起こった問題をどう処理するかということだけで占められていた。


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