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 ぬえの集う街でX  ―― Pay it forward.
 第一章 深夜の呼び出し
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 他都市からこのレンブルグに運び込まれる物資は、大きく分けて二つの経路ルートを通ってくる。
 ひとつは陸路、もうひとつは空路である。
 空路で輸送されるのは、よほど高級か、あるいは緊急の品のどちらかだった。機体の数も燃料も、大陸規模でまったく足りておらず、ごく一部の特権階級のみが使用できる、極めて経費コストの高い手段となっているからだ。
 なお水運という手段に関しては、海や大河沿いに立地する、限られた都市でのみ活用されている。
 故に食料品やその他の資機材、あるいは旅客などは、おおむね陸路を用いて運搬するのが一般的であった。都市間を繋ぐ道路の整備や安全維持が行き届いていないため、たいていはコンテナを積んだ複数の輸送車両が集団となり、ある程度の規模を持つ隊商キャラバンを形成しての旅となる。
 いったん都市部を離れれば、そこは砂と岩ばかりの不毛の大地や、旧世界の残骸などで形成される、荒れ果てた光景が広がるばかりだ。
 そんな中でもかろうじて、小さな畑を作ったり乏しい鉱物資源を頼りとし、家畜を飼い、足りないものはたまに訪れる隊商から物々交換で手に入れる、そんな開拓生活を営む集落や、そこから発展して田舎町と呼べるほどの規模になった場所も点在してはいる。しかしそれらとて、次に通りがかったら死体だらけの廃墟と化していたなどという話も、ごくありふれている。今は、そんな、時代である。
 たまに存在する緑豊かな土地とて、けして安全とは言い難い。ナビゲートシステムも狂う山中で現在位置を見失ったり、視界の効かぬ森でかつて遺伝子操作によって生み出されたとまことしやかに噂される、得体の知れぬ生き物に襲われ消息を絶ったり、劣化した橋や崖沿いの道で崩落に巻き込まれたりといった理由で、行方不明となる隊商も少なくなかった。
 そんな過酷な地理的条件に加え、廃墟などを根城とする無法者による襲撃という人災的要因もあって、都市間の流通はけして安定した、確実なそれではなかった。
 それでも、ひとつの都市ですべてを賄うことができぬ以上、輸送を担う隊商がなくなることはないし、危険をおかしてでも都市から都市への移動を必要とする者も、少なからず存在していた。

「んー……今日はあんま、いねえかなあ」

 外部から訪れる隊商が、まず最初に車両を止め、荷下ろしや街に入る手続きを行う『ターミナル』と呼ばれる施設。
 双眼鏡を大きな手の指先で摘まむように持ち、遠く離れた場所からそちらを眺めやっていた男が、軽く首を傾げてみせた。
 その表情を含め、どんな風体をしているのかは、フード付きコートを頭から被っているためはっきりとは判らない。ただ、ず抜けて大柄な体躯に比して、その纏う空気はどこか親しみやすいというべきか。妙に人を惹きつけるような雰囲気を漂わせている。
 その隣で、こちらは両手で支えながら双眼鏡を覗いている人物はというと、男と比べてかなり小柄であった。そしてやはり男と同様、全身を覆い隠す服装をしている。

「……そうねえ。何人かはいるみたいだけど、みんな身なりも表情もそう悪くないし、当面はやっていけるんじゃないかしら」

 穏やかなその声は、女性のもの。
 到着したばかりの車列を、ひと通りざっと観察して双眼鏡を下ろす。そうして傍らの男を見上げた。

「帰りま ―― 」

 口にしようとしたその時、大男がぐっと前のめりになった。

子供ガキがいるぞ! しかもありゃあ……」

 女は再び双眼鏡を目に当てた。フードの下から垣間見える唇が、きり、と噛み締められる。

「行くわよ」
「おう」

 短いやり取りだけで、二人は廃ビルの屋根を蹴り、高みからその身を躍らせた ――


§   §   §


 サイドボードに置かれた携帯端末が、低い唸りを上げた。
 振動に伴い少しずつ移動していくそれを、寝台から伸ばされた腕が数度手探りしつつ取り上げる。
 横たわったままで、うっすら開けた目のそばへ画面を持ってゆき、発信元を確認。それからようやく通話ボタンを押して耳元へと運んだ。

「……わ、たし……だ……」

 眠気を多分に含んだ声が、途切れ途切れないらえを返す。ほとんど惰性による反応で、相手の言葉を理解できているとは思えない状態だ。
 が、そんな彼女 ―― シルバーは、次の瞬間がばりと寝台から起き上がった。

「 ―― それで、何人だ? 追っ手はいるのか」

 淡い間接照明のなか、落ちかかる長い黒髪を逆の手でかきあげるその姿に、もはや眠りの残滓は残っていなかった。
 端末を素早く操作し、音声を外部スピーカーへと切り替える。

『……全部で6人。追いかけてきてたのは、潜り込んでたコンテナの持ち主だけだと思うわ。わたくし達の顔は見られていないし、道中で見つかったのならともかく、もう目的地まで着いちゃってる以上、わざわざ深追いしてくることもないんじゃないかしら』
「だと良いが。それでも念のため、該当する車両がどこの所属だったかを聞き出しておいてくれ。判らなければ、経由地でも運んでいた荷の種類でも、なんでも良い。あとはこちらで調べよう」
『判ったわ。ただ……わたくし達とでは、どうにも会話がうまく成立しないの。もしかして姉さまとならって、思ったんだけど……映像通話装置のある部屋まで、移動するのも嫌がって……』

 クッションの効いた枕へと端末を放り両手を空けたシルバーは、会話を続けながら寝台から降りた。立てかけていた杖を腕にはめる暇も惜しみ、持ち手だけを掴んで支えとする。そうして壁に作りつけとなった収納へ向かい、ワードローブから適当な服を掴み出した。

「ならば、今からそちらへ行く。……構わんな?」
『え、ええ……それはもちろん、助かるけれど……良いの?』
「仕方あるまい。お前の仲間達は、不快に思うやもしれんが……」
『そんなのどうとでもするわ! お願い。すぐに迎えをやるから』
「頼む。玄関側は目立つから、裏口へ回してくれ」
『了解。 ―― 待ってるわ、姉さま』
「ああ」

 通話が終わる頃には、ひと通りの着替えが終わっていた。
 他に必要なものは……と顔を上げたところで、シルバーは銀髪の青年が戸口で立っているのに気がつく。

「起こしたか。すまん」

 まだ払暁の気配すら遠い深更だ。
 そんな時刻に大声で話しながら、速度重視で支度をしていたのだ。さぞや安眠妨害となったことだろう。謝罪する彼女へと、リュウは小さくかぶりを振る。

「いえ ―― それよりも、これからお出かけになるんですか」
「ああ。【Familleファミーユ】のところへ……」
「私もお供します」

 最後まで言うより早く、リュウが被せ気味に主張した。

「いや、しかし……」
「明日 ―― いえ、もう今日ですか ―― は、定休日です。それにジグさんも、まだ戻っておられません」

 制止しようとしたシルバーだったが、リュウは頑として譲らない。

「私では、頼りにならないかもしれませんが……それでも、いざという時に、抱えて逃げるぐらいはしてみせますから」

 先日【Katzeカッツェ】を訪れた、虎種の男と狐種の女。彼らはシルバーを義姉あねと呼び、好意的に接していた。しかしその身内だという裏組織【Famille】の男達は、ほとんどが彼女に敵意めいた感情を向けていた。それは獣人種キメラ人間種ヒューマンと相対した際に見せる、至極当然の反応と言える。しかも彼らの敬愛する組織のトップ二人が、手放しでシルバーを立てているのだ。それは確かに面白くないだろうと、リュウにも理解はできた。
 理解は、できたのだが。
 それでもそんな存在が何人も集まっている場所へと、彼女をたった一人で、向かわせられるはずもない。
 問答する時間すら惜しんだのか。
 シルバーは一瞬で決断したようだった。

「……準備して降りるぞ」
「はい!」

 十分ほどののち
 きっちり着替えと洗面を済ませたリュウは、最低限の端末類を詰めた鞄を手に、シルバーと並んでアパートの裏口へと立っていた。
 その短時間で、シルバーの服装をもチェックし、いい加減にまとめただけだった髪へと丹念に櫛まで通したあたりは、いっそあっぱれと評するべきか。
 もっとも、愛玩用として制作・訓練されたリュウにとって、ここぞという場面で身だしなみを整えておくという行為は、半ば本能に等しいレベルで叩き込まれた習性である。いわばそれだけ相手に呑まれるまいと、己をよろい、気を張っている表われとも言える。

 暗く狭い路地を、車のライトが近づいてきた。
 時間をはばかったのか、速度は遅くエンジン音も低い。
 ちょうど二人の前で、ぴたりと停止した。その運転席から顔を出したのは、見覚えのある男だ。癖のない灰色の髪を首の後ろで雑に束ねており、細めた目蓋の向こうから、焦げ茶の目で二人を見上げてくる。

「…………」

 無言で親指を立て、後部座席へと向けた。
 かつての妹分であるリリの依頼で、シルバーが通信教育を施している、鼠種の獣人トッポ=ロタだった。いわばシルバーの教え子という立ち位置にあるはずなのだが、その態度はけして師に対してとるそれではない。
 もともと独学で端末の扱いを習得していたこの男は、獣人種というそれだけの理由で、充分な成績を修めながらも高等学校へ進むことができなかった過去を持つ。そして自分より劣る人間種が、当たり前のように教育を受けられる現状に強い不満を抱いていた。
 故にシルバーが教師役となってからも、こんな人間種ヒューマンなどさっさと追い抜き、自分のほうがより優秀であることを証明してくれると息巻いているのだ。
 ……もっとも今のところ、その野望が叶えられる日が来るのかどうか、大いに疑わしいといった現状であるのだが。
 リュウが車のドアを開けると、シルバーが不自由な足を引きずるようにして乗り込んだ。続いてリュウが鞄を膝に乗せる形で席を占め、ドアを閉じる。
 発進しても車内に会話が生じることはなかった。ただシルバーが手のひらサイズの端末を操作する、その光だけが揺れに合わせてあちらこちらへと踊る。

「……昨日到着した隊商は、午前と午後にひとつずつか。所属会社のリストは……」

 低く呟きながら、小さな画面を素早く切り替えていく。
 そんな様子を、トッポが運転しながらミラーでちらちらと観察していた。しかしシルバーは気付いているのかいないのか、端末のもたらす情報に集中している。
 やがて、広い通りに出た車は、いっきに速度を上げた。
 リュウは窓の外を注視していたが、暗いことと未だ土地勘が乏しいこともあって、すぐにどのあたりを走っているのか判らなくなってしまう。

 そうして ―― 十五分ほどで到着したのは、小綺麗なビルの正面であった。
 闇のせいで細かい部分は見て取れないが、4階建てのそこそこ大きな建物だ。深夜の時間帯にも関わらず、二階と三階の窓には明かりが灯っている。
 車が停止し二人が降りると、見張っていたのかというタイミングで狐種の女性、リリが玄関から飛び出してきた。

「姉さまっ!」

 こちらも昼間と同じように、ロングタイトのスーツに赤みがかった金髪を結い上げ、しっかり身なりを整えている。ただ、べっ甲を模した樹脂製の眼鏡の向こうで、いつもは強い光を放っている切れ長の目が、どこか途方に暮れたように揺れていた。
 シルバーは伸ばされたその手を受け止め、包み込むようにして握る。

「メイリールゥリリアラルーナ」

 ゆっくりと、リリの名を ―― 彼らだけが使う、かつての家族としてのそれを口にする。

「上に立つ者が取り乱せば、下の者も浮足立つ。落ち着いて、ゆっくり息をしろ」

 淡々と言い諭されて、リリは改めて己を顧みたようだった。
 引き戻した手のひらを両頬に当て、それから大きく息を吸い、そして吐く。

「……ありがとう、姉さま。ちょっと、動揺しすぎてたみたい」

 肩に入っていた力が、幾分なりと抜けたらしい。
 まだいささか固くはあるが、それでも笑みと呼べるものを浮かべてみせる。

「案内を ―― 」
「ええ、こっち。貴方もどうぞ」

 リュウにも声をかけて、リリは建物内へときびすを返した。車は別の場所へ駐めておくようで、すぐにまたエンジン音を響かせる。
 リリの背を追った二人は、きちんと作動するエレベーターを使用して、2階に上がった。
 華美でこそないが、上質で清潔な絨毯や壁紙で内装されている廊下を進み、ひとつの扉の前で立ち止まる。見た感じ、小さめの会議室といったところだろうか。
 リリが数度、ノックする。途端、答えよりも早くドアが開かれた。室内に向かって開く形状だったから良かったものの、そうでなければ三人まとめて弾き飛ばされただろう勢いだ。

「来てくれたか! ねーちゃんっっ」

 深夜にも関わらず大音量で叫んだのは、リリの義兄あにで虎種の獣人、ニックだった。
 キメラ居住区に拠点を持つ裏組織、【Familleファミーユ】の家長ボスであると同時に、成人した現在でも、幼い頃に世話になったシルバーを義姉あねと一途に慕う、子供のような部分を残した人物だ。
 その巨体で戸口を完全に塞いでしまっている彼へと、シルバーは小さくひとつ息を吐く。

「……ニエルクーティアヌトス。お前も少し落ち着け。そんな態度では、余計に怖がらせてしまうだろう」

 杖を持たぬ左手をそっと上げ、分厚い胸へと手のひらを押し当てる。
 ほとんど力など入っていないだろうその仕草だけで、ニックはたたらを踏むように数歩後ずさった。

「あ、ああ……うん……そうだよな。そう、だった。なんか……つい……」

 バツの悪そうな表情を浮かべ、肩を丸めるようにして大きな身体を小さくする。
 彼が部屋の内部を振り返ると、できた隙間からようやく中の様子が見えるようになった。

「あんまり、その……似てたから……」

 そう言って、向けた視線の先には、
 部屋の隅で身を寄せ合ってうずくまり、塊になって震える、十歳前後の ―― 人間種ヒューマンの子供達がいたのだった。


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