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 ぬえの集う街でIX  ―― A meeting by chance is preordained.
 第二章 義兄妹と義姉弟と義姉妹
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 厨房の奥にある元事務室だった部屋を借りると言って、シルバーとドクター、護衛を兼ねた付き添いとしてジグとリュウが、一団をひきつれて店内から出ていった。何故かアヒムまで引きずるように連れて行かれてしまったのだが、まあそれはさておき。
 それから小一時間。
 客たちはみな、いくばくかの好奇心と、そして懸念を胸に【Katze】へと留まり続けていた。厚い壁を何枚も挟んだ先の会話は、いくら感覚の優れた獣人種といえども、そうそう聞き取ることはできない。しかし相手が相手だけに、近くまで忍び寄るのははばかられた。ピット器官を持つジグには確実に気づかれてしまうし、同じだけの伎倆を持つ相手が、向こうにいないとも限らない。
 端から眺めていた限りでは、友好的であったように思う。リーダー格と思しき二人など、むしろ行きすぎなほどにシルバーに対する好意をあらわにしていたし、シルバーもそれを受け入れていた。昔の知り合いというのは、嘘ではないのだろう。
 しかし女の背後に控えていた、男達の存在が気になった。それなりに整った身なりと立ち振る舞いをしてこそいたが、それでも隠しきれないすさんだ剣呑な空気を彼らは漂わせていた。十中八九まっとうとは言い難い ―― いわゆる裏社会に属する者達だと推察できる。そうして彼らは、おそらく幹部クラスである二人に対し、人間種ヒューマンであるシルバーがより上位であるかのような態度をとることに、明確な不満を抱いているようだった。
 もしも、壁越しにさえ聞こえるほどの騒動が、起きたならば。
 その時は、なんとか力を貸せたらいいと思う。たとえ相手が暴力沙汰に慣れた裏社会の人間であれど、こちらには地の利と人数差があるのだから。

 そんな、一種の覚悟めいたものを胸に待ち受けていた彼らだったが ―― 不安はいい意味で裏切られた。
 特に大きな物音が生じることもなく、一同は再び店内へと戻ってきたのだ。男達のうち一人が、ぐったりとした状態で大男 ―― ニエルクーティアヌトスの肩に担ぎ上げられているのが、異様といえば異様だったが。それ以外の者達、特にこちら側に属する人物にはこれといった問題はないようだった。せいぜいアヒムが、なにやらげっそりとした表情をしているぐらいだ。

「じゃあ、ニックをよろしく頼むわ」

 ドクターにリリと呼ばれていた金髪の女性が、そう言って男達の大半を店から送り出す。

「ちょ、そりゃねえよ。おれもねーちゃんと、もうちょい……」

 異を唱えようとした虎種の大男 ―― ニックを、彼女は笑顔で黙らせる。

「お・に・い・さ・ま?」
「……う、わ、わかった。今日は、帰る」

 シルバーに引き続き、己の胸ほどまでしかない女性に一言でやり込められた彼は、すごすごと帰っていこうとした。が、それでも一度立ち止まり、ぐるりと振り返る。

「また来るからさ! 話したいことがいっぱい、いっぱいあるんだ。聞いてくれるよな、ねーちゃんっ!」

 大の大人を担ぎ上げたまま、ぐいと上体を曲げてシルバーへと顔を近づける。
 アヒムが小さく悲鳴を上げてのけぞったが、シルバーは全く動じることなくうなずいた。

「節度を保って、他者に迷惑をかけなければな」
「ん、了解っ!」

 にっかと元気よく答えた口調は、非常に歯切れが良かった。が、本当に理解しているのかといささか不安になる部分がなくもない。
 そうしてようやく帰途についた背中を見送ったリリは、かけ直した眼鏡越しに店内をさらりと見まわした。すぐにアウレッタへ目を留めると、足早に近づいてゆく。

「この度はお騒がせをして、誠に申し訳ありませんでした」

 腰を折って、深々と頭を下げる。
 綺麗なお辞儀からは、ありありと誠意が感じられた。

「え、いえ、そんな……」

 かえって女将の方があたふたとしてしまう。そんな彼女へと、リリは数枚の紙幣を差し出した。

「これは義兄あにが食べた代金と、あとはお詫びですわ。お店にいらっしゃった方々にも、なにか一品ひとしなずつ差し上げていただけますでしょうか」

 渡された紙幣へと目を落として、アウレッタが絶句する。あまりにも額が多すぎたのだ。
 慌てて返そうとする彼女へと、傍らからシルバーが声をかけた。
「受け取ってやってくれ」
「え、でも、こんなには……」
 戸惑うアウレッタに、今度はドクターが補足を入れる。
「こいつらにも、面子ってもんがあるからよ。まっとうな店に迷惑かけて、謝罪もろくにしねえってなると、顔が潰れるっつー話なんだ」
「ええ ―― そんな『格好の悪い』真似など、恥ずかしいにもほどがありますから。うちの馬鹿あにの尻拭いとして、どうかお収めいただけませんかしら」
「はあ……ええと、お兄さま、ですか?」

 リリは姿勢を正すと、胸に手を当てて微笑む。

「はい。申し遅れました。わたくしは〈狐〉のリリ=ファミーユ。先ほどの考えなしが、虎種で義兄あにのニック=ファミーユ。セルヴィエラ姉さまには、二人とも幼い頃とてもお世話になりましたの」
「……世話をされたのは、私の方だが」

 どこか誇らしげに告げるリリの言葉を、シルバーが否定する。しかしリリはかぶりを振った。

「あのとき姉さまが守ってくれなければ、わたくし達を含めた弟妹ていまい全員が、すぐにあの世行きだったわ。それに基本的な読み書き計算を教えてくれたのも、あの劣悪な環境から抜け出す計画を立ててくれたのも、すべて姉さまだったし。頭が上がらないとはこのことよ」
「ろくに歩けもしない足手まといを見捨てなかった、お前達の方が ―― 」
「だから! 足がそうなったこと自体、わたくし達を庇ってくれたからでしょうがっ」

 リリの声が一瞬高く跳ね上がり、はっとしてすぐトーンを落とす。
 その内容に、店内にいた常連達はみな一様に息を呑んだ。

「……私の未熟が招いただけだ」

 淡々としたシルバーの声が、静まり返った店内でやけに大きく聞こえる。
 こほん、と小さく咳払いしたリリは、気を取り直すように改めてアウレッタの手を紙幣ごと握りしめる。

「そう言う訳で、この店と皆さまへの迷惑料と ―― そうですわね。何か食事をお願いできますでしょうか。姉さま、お昼まだなんでしょう?」
「ああ」
「では、わたくしと姉さまのと……もう一人分を」

 縦に長い瞳孔を持った明るい茶の目が、ちらりと背後へ流される。
 そこには一人だけ残った獣人種の男が控えていた。艶のない灰色の髪を伸ばし、首の後ろで束ねた細身の男だ。先ほどからのやり取りにも全く口を挟まず、無言を貫いている。
 それら全てを賄っても、まだ余裕で釣りが出る額の現金を手に、アウレッタはしばし逡巡したようだった。しかしそれでも、ここで固辞してはかえってことを荒立てると判断したのだろう。ぺこりとひとつ会釈をして、エプロンのポケットへと仕舞う。

「ここって、なにかお勧めとかある? 姉さま」
「……好みにもよるが、無難なのは日替わりだろう」

 シルバーの定位置となっているカウンター前のテーブルへと向かいながら、リリが楽しげな様子で話しかける。後に続いた灰色髪の男は、わずかに距離をおいて斜め横のテーブルへとついた。さらにその隣へ、ジグが静かに腰を下ろす。
 ドクターはまだ仕事が途中だからと、店を出て診療所に戻っていった。
 シルバーと向かい合わせの席へ、リリはロングタイトの裾を慣れた仕草で整えて座り、そうして日替わりメニューの書かれた黒板を眺める。

「姉さまは何にするの?」
「そうだな……」

 思案する彼女へと、カウンターキッチンに向かうリュウがエプロンを身につけながら問うた。

「ガスパチョとサンドイッチ、サラミ入りブルスケッタとコンソメスープ、どちらにします」
「……トマトの冷製スープガスパチョ刻みトマト乗せトーストブルスケッタという組み合わせは可能か」
「大丈夫ですよ」

 リュウの返答がかすかに笑みを含む。
 以前は栄養補助食品ですべてを済ませるなど、あまり食に関心のなかったらしいシルバーだったが、最近はこうして好みが垣間見えるようになってきた。それが嬉しいのだろう。

「わたくしも、同じもので良いかしら」
「かしこまりました。そちらの方は?」
「……日替わりで」

 ぼそりと低く答えた男にうなずき、リュウは調理を始める。
 その様子に、リリがくすりと口元を綻ばせた。

「良かったわ。今の姉さまに、ちゃんとファミーユがいてくれて」
「……その名を、使い続けているんだな」
「あら、つけてくれたのは姉さまじゃない」
「私は候補を出しただけだ。選んだのはお前達だろう」
「……『家族』を表す言葉が良いって、姉さまに訊いたのよね」
「ファミリー、ファミリア、ファミーリエ……お前は『ファミーリエ』が良いと言って、聞かなかった」
「メイリールゥリリアラルーナ=ファミーリエ。格好良いって思ったんだもの。……あの頃は」

 少し口唇を尖らせたその表情は、どこか面映げだ。

名前ファーストネーム苗字ファミリーネームも、そういう長くて音を重ねたのがすごく偉そうで、格好良いって。いつかその名にふさわしいすごい存在になってやるんだって、そう意気込んでたんだけど……若気の至りってやつよね」

 姉さまに忠告された通り、普段遣いにはちょっと面倒くさいわ、と。
 耳の先端をわずかに赤く染めて呟く。
 シルバーのフルネームであるセルヴィエラ=アシュレイダも大概だが、さらにその上を行く呼びにくさである彼女らの名には、それなりに意味が ―― 幼い子供の、つたないながらも精一杯の夢と、希望が詰め込まれたそれであったらしい。

「市民権を申請した時も、係員に書類を突き返されちゃった。ふざけてんのかって。だから市民証の登録名は、リリ=ファミーユとニック=ファミーユなの」

 公式には、そちらのほうが本名だと言える。
 それでもなお、元の長い名を今でも忘れてはいない。若気の至りだったと思う気持ちがあっても、それでも彼らは、

「……そういえば、なぜ義兄あに義妹いもうとなんだ」

 シルバーの問いに、話を聞いていた周囲は、それのどこがおかしいのかと首を傾げた。離れた席にいる灰色髪の男など、露骨に不快げな表情を浮かべている。
 様々な規格が混在する獣人種の間では、異なる種同士で婚姻したり連れ子同士が義理の兄妹になったりということもよくある話だ。むしろ血の繋がった家族という方が、珍しいぐらいなのだが。とりあえず、灰色髪の男がどう動いても対処できるよう、ジグがわずかに姿勢を変えた、その瞬間 ――

 弾けるような笑い声が店内へと響き渡った。

「それね!」

 心底おかしそうに、リリが両手を打ち合わせる。そうしてから、あら失礼、と周囲に軽く会釈した。
 常連達は注視していたのを誤魔化すように、慌てて目を逸らしたり顔を背けたりする。リリはそれに気付いているのかいないのか。特に言及もせずシルバーの方へと向き直った。

「わたくし達が市民権を取れたのって、こことは別の都市だったんだけど。その頃のあの子ったら、まだ十四だったのにもう身長が190越えてたのよ。で、係員が嘘つけ嘘つけってうるさいから、面倒になって十八ってことにしたの」
「……なるほど。四歳もずらせば、お前の方が年下にならざるをえなかったという訳か」
「そう。だから義姉あね義弟おとうとじゃなくて、義兄あに義妹いもうと。ま、家族なことに変わりはないし、その方が何かと示しもつくから、今となっては良かったと思ってるわ」

 そんな二人の会話を聞いて、灰色髪の男は一転して驚愕に固まっていた。どうやら彼にとっても初耳の事実だったらしい。

「ニック=ファミーユの書類上の年齢は、姉さまと同じぐらいじゃないかしら」
「そうなるな」

 腑に落ちたようにうなずくシルバーをよそに、耳だけを大きくしていた常連達もまた、愕然としていた。中には指を折ってなにやら数えている者もいる。
 つまり、シルバーの年齢から逆算すると、あのジグをも上回る巨躯の持ち主の実年齢は、まだ二十歳そこそこ。場合によってはアヒムより下かもしれない訳だ。
 絶対嘘だろうという気持ちと、だからああまで子供っぽいのかと納得できる思いとが入り混じって、なんだかよく判らなくなってくる。

「家族に変わりはない、か」
「ええ。兄でも弟でも、姉でも妹でも、血が繋がっていようがなかろうが、たとえ種族が何だって、そんなことはどうでもいい。家族になれるかどうかは、本人達の意思次第。それがわたくし達の ―― 最初の【家族ファミーユ】の家訓ルールだった。もちろんそれは、今でも変わらないわ」

 まっすぐにそう言い切るリリの姿は、どこか誇らしげに宣言するかのような響きを持っていた。


§   §   §


 和やかに ―― 少なくとも、リリとシルバーの間では ―― 食事を終えた二人は、連れだって店を後にしていた。リリはシルバーの足を気遣い遠慮したのだが、珍しく彼女が見送ると言って、席を立ったのだ。
 リリとシルバーと、数歩遅れて灰色髪の男の三人で建物外へと出る。そうして店の窓からぎりぎり見えるか見えないかという位置まで移動したところで、立ち止まった。

「……メイリールゥリリアラルーナ」
「なあに、セルヴィエラ姉さま」

 シルバーの呼びかけに、リリが問いを返す。

「【Famille】という組織は、この都市でかなりの勢力を持っているようだな」
「ええ、そうね……規模はさほどでもないけれど、構成員の質と結束力で、そこそこの位置にあるとは自負しているわ」

 リリとニックがこのレンブルグに居を定めてから、まださほどの年月が経った訳ではない。
 それでも、ここまでたどり着く道程を含めて少しずつ仲間を、身内を増やし。シルバーから受け取り、自分達でも努力して身につけてきた様々な知識を分かち合って。そうして彼らは新たな組織、【Familleファミーユ】を作り上げた。それはけして、綺麗事ばかりで成し得たことではなかったけれど。それでも根底にある信念は曲げることなく。リリは何ひとつ後ろ暗く思わず、胸を張って口にすることができる。
 【ファミーユ】は、みな大切な家族なのだと。

「お前達を、私は尊敬する。ろくに後ろ盾も持たないまま、よくぞそこまでやれたと、空恐ろしくさえ思う」
「姉さま……」

 リリが感極まったかのように、わずかに両目を潤ませる。
 そんな彼女へと、シルバーは珍しくはっきりと判る柔らかい笑みを浮かべてみせた。

「優先順位をわきまえたお前がナンバー2でいれば、ニエルクーティアヌトスも安心だろう」
「……姉、さま?」

 その言い回しに、何か含みを感じたのか。リリが訝しげに眼をまたたかせた。

「ニエルクーティアヌトスは、感情に任せて動く傾向が強いようだ。いざという際、力を貸し借りするに否やはないが ―― それでもお互い、最大限優先すべきは今の身内だろう。それが家長ボスとしての務めなはずだが……あの様子では、いささか危うく思えるからな」

 シルバーの言葉を聞くにつれ、リリの笑顔にどこか困ったような色が入り混じり始めた。
 やがて、小さくひとつ、息を吐く。

「……ええ、判ってるわ。わたくしも、姉さまと今の身内ファミーユの間に土足で割り込むような真似をするつもりはないし。どうしてもという時には、あの子に一服盛ってでも、うちの構成員ファミーユを優先的に守る道を選ぼうと考えているわ」
「ああ、それが良い」

 きっぱりと、過去よりも今の仲間を優先すると断言されて、それでもシルバーは穏やかにうなずく。
 そうして彼女は、リリの背後に控える、灰色髪の男へと視線を移した。
 昼日中の陽射しのもとでさえ、瞳孔の有無すら判別し難い、漆黒の双眸。好意か悪意かも読み取れぬ透明な光をたたえたその眼差しが、男の焦茶色の瞳へと合わせられる。
 男は一瞬、気圧けおされたようだった。が、すぐにそれを覆い隠し、細めた目蓋ごしにシルバーを見返す。そこにはどこか、嘲弄めいた色が浮かんでいて。
 しかしそれは、続く一言で不審げなものに変わる。

「ダミーには、気がついたか」
「……は?」

 低い声で眉を上げる男へと、シルバーは感情の伺えない声音で告げる。

「トッポ=ロタ」

 呼ばれた名に、細められていた目が、驚愕に開かれた。
 それはリリもニックも、もちろん男自身も、【Katze】を訪れて以降、一度も口にしていない男のフルネームだった。どうしてそれをと狼狽する男をよそに、シルバーは淡々と先を続ける。

「夕べ、うちのサーバーに侵入を試みただろう」


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