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 ぬえの集う街でVI  ―― Nightmare.
 ... After that
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 完全に夜が明け、目を覚ましたリュウが【Katze】へ出勤するかどうかを迷っている間に、ドクター・フェイが早々と往診にやってきた。

「ん、熱は完全に下がってるな」

 バイタルチェック用の計測器を確認して、満足げにうなずいている。
 なおリュウはと言うと、とりあえず一時間はしっかり横になってこいと、強引に自室へ戻らされていた。朝の掃除には間に合わなくなるが、そのあたりは常連達が手伝ってくれるらしい。即効性の睡眠薬まで用意されていて、その周到さには素直に尊敬の念が湧いた。
 それから倒れた時の状況やその時に考えていたこと、これまでに同じような経験があったのならば共通事項など、いくつかの質疑応答を挟みつつ、呼吸音を確認されたり、身体のそこここを触診される。
 その手付きは極めて事務的でありながら、こちらへの気遣いも確かに存在していて。
 他人に触れられる不快さや、医者というものに抱く生理的嫌悪を、この男に対してはあまり感じないのが正直ありがたい。

 口調こそ軽く装っているが、その内容はこちらの反応を観察しながら、慎重に吟味しているのだと理解できるのも好感を覚える。

「あの長下肢装具だけどよ、ちょい預からせてもらって良いか? いろいろと勉強になるし、うちの患者のリハビリにも、参考にできそうでよ」

 礼と言っちゃアレだが、調整はこっちで適当にやっとくわ、と。
 そう提案されて、別に不都合などないので、うなずきを返した。
 どうせ普段は収納の中で、埃を被っている代物だ。他で誰かの役に立つというのならば、その方が良い。

「それから、そろそろこっちの治療も考えたいんだが」

 肘の内側から採血を行っていた男は、注射器を丁寧にケースへ収めてから、止血テープを貼った。そうしてひょいと、軽い動きで右腕をひっくり返させる。
 これまで下になっていた、前腕の外側があらわになった。
 そこには以前、リュウを刺そうとした男によってつけられた、肘から手首近くに至る長い傷痕が存在している。
 手当てを受けるのこそ早かったものの、使用済みの食事用ナイフで力任せに切られたせいで、かなり派手に残ってしまった。今はまだいいが、冬になって気温が下がると、引き攣れた皮膚に動きを阻害されるかもしれない。

人間ヒューマン用の人工皮膚を使えば、跡形もなく消せる。定着も早いから、術後三日もあれば ―― 」
「いらん」

 意識するよりも先に、口が動いていた。
 己の顔から、ただでさえ乏しい表情が抜け落ちるのを自覚する。

「……シルバー?」
「移植の必要はない。これは、このままであるべきものだ」

 男の手から右腕を取り戻し、起こした上体の胸元へと引き寄せる。
 その動きを、男はいったいどう受け取ったのか。
 しばしの沈黙の後、小さなため息が落とされる。

「 ―― 判った。とりあえず、軟膏だけ出しとこう。朝晩や風呂上がりに使ってマッサージすれば、炎症や拘縮こうしゅくはある程度抑えられる。それぐらいなら、続けられるか」

 恐らくは、相当な妥協の末の提案なのだろう。
 職業医師として、目の前の、それも己が治療した手術痕を中途半端に放置するなど、矜持が許さないに違いない。
 それは理解、できた。
 理解は、できるのだ。

 腕を引き寄せる指に、力が籠もる。
 赤く盛り上がった創傷に、わずかに爪が食い込んだ。

「シルバー」

 こういう時のこの男は、声を荒げようとしない。
 無遠慮に手を伸ばしてくることもせず、ただ静かに呼ぶだけで、やめるよう促してくる。
 だから、こそ。

「…………」

 声には出せないままに、それでも小さくだが頷くことができた。

「ん」

 ごくごく短い答えには、穏やかな許容が存在している。
 本来の医師とは、こういうものなのかもしれない。

 少なくとも、かつて己が接してきた者達こそが、特異な存在であったことなど、疑いようもなく ――

 あれらとは何の関係もないこの男に対してさえ、こんな態度を取ってしまうことに、引け目を感じなくもない。
 この男は、これまで何も、自分達に対して害を及ぼしなどしていないのに。
 むしろ、記憶を失い大怪我を負ったリュウを善意で保護し、仕事と住む場所まで与えてくれていた。そして現在でも丁寧なカウンセリングを続け、その心身を尊重してくれている。
 人間ヒューマンである己に対しても、最初は警戒を抱いていたようだったが、それでも理を説けばその態度は軟化し、さまざまな助力をしてくれた。
 その恩は、返さねばならないと常々思っている。
 自分にできることであるならば、可能な限りその要請に応じたいと思っているのだ。

 けれど、
 それでも、

「まあ、無理は言わんさ」

 おいおい、な。

 そう言いながら、使ったものを診療鞄へと片付けてゆく男に、己は言葉を返すことすらできない。

 だって、

 ―― 移植などという技術があったから、『本体オリジナル』と『予備スペア』だなんて、そんな違いが生じたのだから。

 そんな手段さえ、そもそも存在しなければ。
 そうすれば、きっと、自分達は。

 ―― お前なんかに……!

 熱は既に、下がっているというのに。
 呪詛を思わせるあの言葉が、また繰り返し耳の奥で、こだましているような気がしてならない。

 ―― だから、

 移植手術なんて行為を、受けることはできないのだ。
 もう、二度と。

 そう内心で呟く彼女の脳裏には、かつて己とリュウを傷つけおとしめ……そして今はとっくにその手で破滅させた男への感慨など、欠片のひとつも残されてはいなかった ――


 〈 鵺の集う街でVI 終 〉        
(2020/07/05 18:46)
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