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 ぬえの集う街でVI  ―― Nightmare.
 後編
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 もがく体力も尽きたのだろう。
 大人しく荒い呼吸を続けるだけになったその額へと、絞った冷たいタオルを乗せる。
 今のうちに、洗濯や使ったものの片付けを済ませてしまおう。己の食事は、作り置きをつまめば充分だ。幸いと言うべきか、自分が倒れていた間に【Katze】の女将が用意してくれた、温めるだけで良い小分けにされた料理が、まだいくらか残っている。
 なにか異常があった際にはすぐそれと気付けるよう、部屋の扉を開けたままにしておいて、すぐ向かいにある脱衣場へと移動した。全自動洗濯機に汚れ物を入れて、新しいタオルや寝間着を準備する。
 看病する自身も清潔を保つべきだったが、シャワーを浴びていてはもしもの時に対応が遅れるかもしれない。顔や手を洗い、身体は絞ったタオルで手早く拭いて、着替えるだけに留めた。
 そうして己が脱いだ服も洗濯機へと放り込んで、スイッチを入れる。
 次はキッチンへ向かおうと踵を返しかけて、ふと流し台の鏡が視界に入った。
 大ぶりの鏡面から見返してくるのは、灰色の髪にくすんだ青と薄い褐色の瞳を持つ、彫像めいた整い方をした獣人種キメラ
 好事家の道楽によって遺伝子段階から設計された、文字通りの『作り物』だ。
 ただただ物珍しさばかりを追求した、悪趣味で身勝手な玩具がんぐにすぎない。
 それでも、

 ―― この容姿で、あったから。

 複雑な感情が、胸中を満たす。

 あの人と、本当に初めて出会ったという時のことを、自分はまるで覚えていなかった。
 なんでもパーティー会場にいた己は、偶然あの人の目に止まったらしい。おそらくいつものように、会場の添え物のひとつとして、その場に連れて行かれていたのだろう。それは本当に日常茶飯事で、当時の自分は人間種ヒューマン達から向けられる視線や言葉など、まるで意識しなくなっていた。
 たとえ身体に触れられようが、あるいは暴力を振るわれようが、痛みに対する生理的な反応と、機械的な対応以外はほとんどしていなかったと思う。
 そんな自分が、離れた場所から観察していた特定の一人など、記憶しているはずもない。
 しかしあの人はそんな姿を見て、お義父上が使っていた電子会議バーチャルチャットのキャラクターを、思い出したのだと言う。
 最初にお義父上のそれとイメージが重なり、そしてこの外見の色合いから、自身の使っているものとも通ずる部分があると感じたのだと。
 後日になってそういった説明を受け、実際に見せてもらった黄金ゴールド銀色シルバーのドラゴンは、とうてい自分ごときに似ているなどとは思えなかったけれど。
 それでも、あの人の中で『そう』であったのならば……そうなのかと納得するしかない。

 そして ――

 常日頃から、誰に対しても何に対してもまったく関心を持たないとされていたあの人が、珍しく長い時間、その視線を向けていた。
 たったそれだけの理由で、自分はあの人の元へと送りつけられたのだ……


§   §   §


 送迎の車から降りる際に手を貸すと、周囲に聞こえない程度の小さな声で囁きかけられた。

「 ―― 悪趣味な催しだが、仕方ない。義理を果たしたらすぐに帰る」

 そうとだけ告げて、豪華に飾り立てられた、パーティー会場の入り口を目指して歩み始める。
 その背はまっすぐに伸びていて。あたりにいる着飾った老若男女にも埋没することなく、逆にそれらの目を引きつけてさえいた。

 ―― このあるじが、こんなふうに不快を露わにするのを、初めて見た。

 遅れぬようその後ろへと付き従いながら、改めてそんなことを思う。
 以前の己であれば、こんな時はただこれ以上その機嫌を損ねて、うっかり気晴らしの道具にさせられぬようにと、それだけを念じていたはずだ。しかし今は、主の不興を買うこと、それ自体がひたすらに恐ろしい。そして同時に、早くあの家に ―― 自分達しかいないあの空間に戻って、穏やかな空気の中でまたくつろいだ様子を見せて欲しいと、そんなふうに考えている。
 この主は、一見しただけではあまり表情が変化しない。しかしこのごろは、そのわずかな差異を見分けられるようになってきた。
 機嫌が良い時や、なにかの弾みにふと、その目つきがほんの少し和らぎ、口の端がかすかに上がる。
 特にそれが、自分に対して向けられる時 ―― 何故だか胸の奥がざわつくのを感じるのだった。
 けして痛むのではない。どこか暖かくて、それでいて叫びだしたくなるような。無意識に胸元をかきむしりたくなるような。そんな未知の感覚。それは幾度経験しても慣れることなく、そして幾度でも経験したいと思える、不思議なもので。

 ―― だから、こんな夜は、早く終わってしまえば良い。

 そう思いながら、銀製の握りがついたステッキを手に、服の下で装具をつけた足をわずかに引きずって挨拶回りをする、主の背後へと控える。

 今夜のパーティーは、それぞれ自慢の玩具ペットを披露する、というのが趣旨テーマなのだという。
 生前のお義父上と付き合いがあった相手からの招きで、断ることができなかった。支度を整えながらそうため息をついていた。
 そんな今夜の主の装いは、見違えるほど普段と異なっている。モノトーンを基調とした細身のパンツスーツは、生地も仕立ても見事なものだし、家では適当に櫛を入れるだけの長い黒髪も、毛先を綺麗に切りそろえた上で、見事な艶が出るまでくしけずられていた。その隙間からは、揺れる小さな銀のイヤリングが垣間見えて。
 ごく薄く施された化粧もまた、ごてごてと派手に塗りたくられたそれとは異なり、主の顔立ちをうまく引き立てていると思う。匂いがあまり強くないのも良い。獣人種が多くいる場だからと香水を断った際、店の人間は訝しげな表情をしていたけれど。
 訝しげと言えば、自分に関しても、同じような目を向けられていた。
 主が髪や手肌の手入れをされている間に、自分もまた久々に身なりを整えさせられたのだ。愛玩用としては考えられないほど、髪も肌も長く放置していた。それでも不思議なぐらい劣化はしておらず、伸びすぎていた髪を切る程度で済んだ。その色艶や手触りは、むしろ以前よりも良くなっていたほどだ。肌の荒れや治りきらぬ傷を、ドーランで塗りつぶす必要さえない。あとはただシャワーを浴び、用意されていた服に着替え、整髪料を使って前髪を上げるだけで事足りた。
 店の者が訝しんだのは、それらの身支度を、主と同じ店で行ったからだろう。
 袖を通した夜会服は、デザインこそ奇抜さのない標準的なものだったが、かつてないほど着心地が良かった。いくら事前にサイズを連絡していたとはいえ、これほどのものは身につけたことがない。それも当然で、店側は人間ヒューマン用の衣装だが間違いではないのかと、幾度も主に確認していた。
 人間種ヒューマン獣人種キメラは、通常、使用する店も物品もまったく異なるものだ。獣人種は獣人種用の店で衣服などを調達するものだし、そもそもパーティーなどに連れて行く玩具ペットであれば、自宅で準備をさせるのが普通である。それだけの設備と人員を必要とするからこそ、見目好い玩具ペットを飼っているのがステイタスとなるのだ。

 しかしこの主は、そういった獣人用の品を、一切用意しようとしない。

 ふと気がつけば、初老の男が主と会話しつつ、じろじろとこちらを眺め回していた。その傍らに控えているのは、露出の高い薄物をまとった獣人種の少女だ。白猫系の一点物オーダーメイドだろう。透けて見える身体の線は折れそうなほど細く、それでいて胸部や腰つきは豊満な曲線を描いている。ゆるくウェーブのかかった長い髪も肌も、口唇までが真っ白だ。色が乗っているのは両の瞳のみ。猫種の特徴である縦に長い瞳孔の、その左右で虹彩の色が、まるで線を引いたかのように異なっている。ひとつの目の中に、二種類の色が同時に存在しているのだ。

「 ―― なかなか面白い瞳でしょう。扇型虹彩ダイクロイックアイという、最新の型式タイプでしてな。これだけくっきりとバランス良く発色させるのには、ずいぶんやり直しをさせましたよ。いやしかし、旧来の異色虹彩バイアイも、やはり悪くはない ―― 」

 どこか粘りつくかのような、男の視線と声。
 とうに慣れたそれを無視して、主の横顔へと視線を戻す。ほとんど動くことのない無表情は、いつものそれと、あまり変わらない。変わらない、のだが……心なしか冷たい気配を漂わせているように感じられてならない。

 ―― 獣人種を『飼う』という、その感覚が理解できん。

 いつだったか、主は吐き捨てるようにそう告げた。
 言葉の通り、今まで獣人種を飼ったこともなく、飼うつもりもなかったのだと。だから設備も人員も整えていないし、これからもわざわざ揃えるつもりはない。衣服も食事も身の回りの品も、自分と同じ店で、まとめて購入すれば良いだろう、と。

 ―― そんな考えを実行した結果が、あの都市でどのように捉えられるのかを、当時の自分は……いや自分も、そして主であるあの人も、想像だにしておらず。

 一通りの挨拶まわりを終えたのち、疲れの色を見せていた主を、壁際の椅子へと誘導エスコートした。長時間、不自由な足で会場を巡っていたのだ。休みが必要だと判断し、飲み物と軽食を持ってくると告げて場を離れた。
 久しくこういった世界から隔絶されていたせいで、己の立場を忘れていたとしか言いようがない。
 少しでも早く、主の元へ戻らなければ。
 それだけを考えていて、まったくあたりを見ていなかった。だからこそ、カーテンの影から伸びてきた手を避けることができなかった。

 気がついた時には、庭へと続く露台バルコニーに引きずり出され、石造りの床へ叩きつけられていた。
 とっさに起き上がろうとついた手が、磨かれた革靴によって踏みにじられる。

「 ―― ッ!」

 声を上げなかったのは、奥底まで染み付いた『教育』の賜物だろう。
 見苦しい様を見せれば、即座に廃棄処分とされる。幾度も見聞きしてきたその経験が、漏れそうになる悲鳴を喉の奥へと押し込めた。

「頭を上げていいと、誰が言った?」

 降ってきたのは、若い男の声。
 どこか聞き覚えのあるそれが、いったい誰のものであったのか、思い出すことができない。
 持ち上げられた革靴の爪先が、今度はうずくまった腹へと突きこまれる。こみ上げてきそうになるものを、必死になって飲み下した。
 そうして下を向くと、首にはまる輪が容赦ない力で引き上げられる。息が詰まってのけぞらせた顔を、間近から覗き込まれた。

「……いい感じに尻尾を振ったじゃないか。見違えたぞ」

 くたびれた旧式の玩具が、ずいぶんと小綺麗になったもんだ。
 下卑た笑みとともに、そんなことを言われる。その表情と声が、ようやくかつての記憶と一致した。

 ―― うまくいけば、しばらくは可愛がってもらえるだろう。せいぜい媚を売れ。

 そう己に命じた、ひとつ前の飼い主。
 受け取りを拒否されたなら、処分場へ捨ててこいと配送業者へ告げていた、その男に違いなかった。
 どうして今さらこの男が、用済みとなったペットにちょっかいをかけてくるのだろう。
 疑問に思ったところで、それを口になど出せるはずもなく。
 手をついて支えることも、立ち上がることも許されていないので、叶う限り背を反らして喘ぐ。首輪が喉に食い込み、目の前にチカチカと星のようなものが散り始めた。
 そこでようやく、呼吸が楽になった。首輪から手を離され、再び床へと倒れ込む。
 背中を丸めて咳き込んでいると、顎を靴の先で持ち上げられた。

「駄目元で送ってはみたが、まさかこんなお古を気に入るとは、あの女も判らんものだ。まあどこの馬の骨とも知れん下賤の生まれ。趣味が悪いのもうなずけるか」

 男の言葉は、己に対して向けられたものではない。あくまで独り言だ。うかつに反応すれば、さらなる暴力が待っているだろう。
 無言でされるままになりながら、しかし何故だろう。ひどく ―― ひどく気分が悪い。
 暴力も罵倒も、受けるのは慣れきっているというのに。
 ただ蔑むようなその物言いの向く先が、己ではなく主なのだということに気がついて、何かしらの言葉が口をつきそうになる。

 主とそのお義父上の間に血縁関係がないことは、早い内に聞かされていた。
 もう十年以上前に主を引き取って養女としたその人は、〈黄金の塵ゴールド・アッシュ〉と呼ばれる凄腕のコンピューター・プログラマー。そして同時に、投資家としての一面でも名を馳せていたという。
 むしろ電脳上の肩書はおおやけにされていないため、一般的には優れた投資家としての評価が高かったらしい。その遺された資産や影響力は、死後2年以上が過ぎた現在でも、けして無視できぬ莫大なものであるのだそうで。
 故にこうして断りきれない付き合いも舞い込むし、珍しい贈り物や新たな投資話、縁談といった様々な手段で、後ろ盾を失った若い女へ取り入ろうとするやからが後をたたないのだと。

「まあ、そんなことはどうでも良い。要は既成事実を作って、ゴルディオン=アシュレイダの遺産さえ手に入れてしまえば、あんな生意気な女などすぐに始末できるからな」

 ぐい、と。
 靴先に力が込められる。顎をさらに高く持ち上げられて、無理やり視線を合わさせられた。

「お前でも、中から電子錠ロックを解除するぐらいはできるだろう。そうだな……明後日の晩、ゴルディオン=アシュレイダの家に行く。お前は合図したら玄関を開けろ」

 石の床へと、小さな通信機が放り投げられる。
 乾いた音を立てて跳ね返ったそれは、ポケットの中に隠しておける大きさの、一方的に音声が送りつけられる代物だ。

 獣人種が、人間種ヒューマンの命令に、逆らえるはずもない。
 玄関の鍵を開けさせて、いったい何をするつもりなのか。そんなことを疑問に思うことすら許されない。ただ命じられたことを、命じられたままにこなす。それがこの都市で獣人種キメラに求められる、唯一にして絶対の行動だ。

 けれど ――

 喉が大きく上下するのを感じる。
 苦しい体勢で幾度も唾を飲み込み、呼吸を短く浅いものにしながら。
 震える口唇を、それでも必死に動かす。

「……き、ませ……」

 消え入るような掠れ声は、男の耳では聞き取れなかったようだ。
 眉を寄せた男に、さらに顎を上げさせられる。

「何か言ったか?」

 そう問い返されて、今度こそ届くように、喉へとなけなしの力を込める。

「 ―― できま、せん」

 言い切った瞬間、男が見せたのは、心底から不思議そうな表情だった。
 いったい何を言われたのか判らない。いや、聞くはずのない言葉を耳にした。そういう顔だった。
 それも当然だろう。
 獣人種キメラの中でももっとも稚拙で、考える頭など持っていない。ただ見た目を整えることのみ重視された愛玩用の玩具ペット。それが人間種ヒューマンから下された、ごくごく簡単な命令を拒否したのだ。
 それは許されるとか許されないとかいう以前に、起こるはずもない現象であった。

「は、何を、言って……もしかして壊れたか?」

 どこか気味悪げに言って、男は顎の下から足を引いた。
 そうして確認するようにまじまじと見下ろしてくる。その顔を見上げながら、さらに言葉を続けた。

「今の、主人……は、サー……セルヴィエラ様、です。あなたでは、ありません」

 ついサーラ様と口にしそうになって、あやういところで言い直した。
 発音しにくいし呼ばれ慣れてもいないからと、略称で呼ぶよう命じられたのは比較的最近のことだ。二人きりのあの家では、呼びかけに名など必要なかったし、そもそも互いを呼ぶという行為すらほとんどなかったからでもある。
 それが、たまたま己につけられた新たな名前 ―― リュウの由来を教えられた際に、名は短くて呼びやすいほうが便利だといった話の流れで、いつの間にかそうなっていた。義父ちちも舌を噛みそうだからと言って、また妙な略し方をしてくれたものだ、と。
 そう思い出を語る主の表情は、確かに微笑みと呼べるものを宿していたと思う。
 そんな過去の出来事へと意識が逸れていたせいで、次に来るものに対して、まったく身構えていなかった。

「…………ッ!!」

 こらえるどころか、声ひとつ上げられない衝撃。
 目の前が真っ白になり、硬直した身体が意思に逆らって痙攣する。
 一瞬か、それとも数十秒が過ぎていたのか。気がついた時には固い大理石の上でのたうち回っていた。

 首輪から電撃が発せられたのだ。

 この都市の獣人種キメラには、その製造過程で漏れなく金属製の首輪が装着される。それには製造番号や作成時期、所有者登録を明確にするための機能の他に、電流を流す装置も組み込まれていた。
 万が一、獣人種が反抗の意思を示した場合などに、すぐさま処分するためのものである。ことに戦闘用に調整された規格などは、まかり間違って飼い主を傷つけようとした場合などに、人間ヒューマンの護衛や一般労働用の獣人種では、対処しきれない可能性があるからだ。
 もっともほとんどの飼い主は致死に至らない程度の電圧で、失敗を犯した獣人種への体罰や躾に利用していた。殴る蹴るといった直接的な暴力は、あれで行使する側も消耗するし、拳などを痛める可能性もある。ことに非力な女性などはしばしば、ボタンを押す指先ひとつで、気軽に電撃を与えてきたものだ。
 さらに悪趣味な飼い主になると、泡を吹いて苦しむさまを見て喜ぶという遊び方をする者もいて、己もこれが初めての経験という訳ではなかった。
 しかし現在の主の下へ送られてからというもの、一度としてこの機能が使われたことはなく。その存在さえも、いつしか忘れかけていた。

「まったく……とんだ不良品だな……」

 携帯端末の一種である、豪奢な装飾を施されたブレスレットから指を離し、男が蔑むように鼻を鳴らす。
 それから、またも蹴りつけようとしたのだろう。片足を後ろへ引いた。
 しかしその尖った爪先が、再び襲ってくることはなかった。

「 ―― 何をしている」

 低い声が、夜風に乗って届く。
 いつしか耳に馴染んだその声に、全身の力が抜けるほどの安堵を覚えた。
 杖が床に当たる硬い音と、左右でわずかにリズムの異なる足音が近づいてくる。

「そちらの者は、私の連れだ。何があったのかはともかく、断りなく傷つけるのは止めてもらおう」

 すぐ目の前で、見慣れた足が立ち止まった。
 たとえいつもとは異なる靴を履いていても、服を着ていても、この主の足を見違えることはもうない。

「これはこれは ―― 」

 応じる男の声は、先刻までのそれとは打って変わった、柔らかで穏やかな響きをたたえていた。
 優雅な仕草で身体ごと主の方へ向き直り、喜色を帯びた口調で話しかけてゆく。

「お久しぶりです、アシュレイダさん。わたしが選んだ贈り物は、気に入っていただけたようで本当に良かった」
「贈り物……?」

 訝しむように繰り返して、それから小さく、ああという吐息に似た声が発せられた。
 相手が何者であるのかを、その発言で思い出したらしい。

「……別に、気に入ったという訳ではない。勝手に生き物など送りつけられては、むしろ迷惑だ」

 その返答は、掛け値なしの本音なのだろう。
 実際、似たような愚痴は幾度も聞かされていた。己のあとに幾度か打診された獣人種の購入や贈り物も、すべて言下に拒否されている。
 しかし素っ気ない応対にも、男はいっこう応えた様子がなく。さまざまな話題を持ち出しては、間を繋ごうとしている。
 しかしそのどれも、主の関心を引くことはないようだった。彼女は杖を持ち替えると、その場に片膝を落とす。相手の姿勢が低くなったことで、床に転がったままでもその顔が視界に入ってくれた。
 けれど事情を説明しようとするも、まだ舌も口唇も痺れたままで、満足に動かすことができない。

「……無理にしゃべらなくて良い」

 絹手袋に包まれた指先が、首筋をそっとなぞってゆく。その際、ひきつるような痛みが走ったのは、首輪周辺に火傷ができているからだろう。
 首周りと顎のあたりを確認して、主は男の方を振り返った。

「それで、いったい何があって、このようなことになった?」

 その問いに、男は曖昧に返した。恐らくは肩をすくめでもしたのだろう。

「いえね、ソレが少しばかり無礼を働きまして。贈り主としては、多少なりと躾の責任を感じたのですよ」

 もしもあなたにまで失礼な真似をしたら、申し訳が立たない、と。
 そんなふうに言う男へと、主は褪めた視線を向ける。
 やがてその目を伏せると、小さくひとつため息を落とした。

「そういった気遣いは不要だ。今はうちにいる以上、この者に関する責任は私にある。今後もし何かがあれば、まずは私を呼んでくれ。謝罪や教育はこちらで行う」

 そう言って、左手首にはめたシンプルな銀のブレスレットへと指を這わせる。
 先程のことがあったので、反射的に身体が強張った。しかし新たな電撃が生じるような事態にはならず、主はすぐにその腕を下ろす。

「……今夜はもう、失礼させていただく」

 立ち上がりながら、カーテン越しにパーティー会場の方へと軽く手を掲げた。
 それに応じて、給仕の制服を着た獣人種が即座に現れる。恐らくは、人間ヒューマン同士の会話が終わるまで、離れた位置で待機していたのだろう。

「車を呼んだ。連れが動けないようだから、エントランスまで手を貸してくれ」

 給仕は倒れている己を見て、おおよその事情を察したのだろう。余計な質問など一切せず、仲間をもうひとり呼んで、両側から支えるようにして担ぎ上げる。
 そうして半ば引きずられながら運ばれ、エントランスに横付けされた車へと押し込まれた時には、ようやくもう大丈夫なのだと力を抜くことができた。
 幸いその車は自動操縦のもので、第三者である運転手の耳目は存在していない。後部座席に力なく横たわっていると、前部の席に座った主が、内ポケットから手帳サイズの端末を取り出していた。

「……あの男、所有者登録は抹消したという話だったが、登録番号が履歴ログに残っていたらしいな。うかつだった」

 ぶつぶつと呟きながら、凄まじい速度で何やら操作している。

「あの男だけでなく、それ以前の記録もすべてチェックしなければ……」

 ―― そのとき主が行っていたのは、明確に法へと触れるハッキング行為。過去に己を所有したことがある飼い主達を遡って、その端末へと次々に侵入、残されていた登録番号を完全に抹消デリートすることで、二度と電撃装置を操作できぬようにする処置であったのだ、と。
 そう知ったのは、もう少しあとのことで……


§   §   §


 手早く栄養を胃に流し込み、使用したカトラリーや、料理が入っていた【Katze】の備品である蓋付き容器を洗う。
 そうしてあの人の寝室へ戻ると、幸いなことに容態に変化はなかった。少なくとも、悪化はしていない。
 ほっと息を吐いて、再び枕元の椅子へと腰を下ろした。
 ふと気付くと無意識のうちに、己の首にはまる幅広の金属リングを指でなぞっている。

 ―― 首輪に組み込まれた装置本体は、どうしても無効化することができなかった。

 無念そうに言ったこの人に対して、当時の自分がどんな感情を抱いたのか、よく覚えてはいない。おそらく心身ともに衝撃を受ける出来事が続いたせいで、いろいろと麻痺していたのだろう。
 その後、あの都市を離れるにあたり、他の土地ではほとんどの機能が使えなくなるからと、ブレスレット型の端末はどこかへしまい込まれてしまった。
 電撃装置の操作は、他の端末でも代替することができる。しかしあの都市の住人ならば誰もが身に着けていた、生活インフラのひとつでもあったあのウェアラブル端末は、本当に一瞬でその機能にアクセスすることができた。それ以外の一般的な端末では、どうしても発動にある程度の手間と遅延が生じてしまう。
 それは危急の際に、狂った道具を停止させる必要が起きた場合、致命的な遅れとなるはずなのに。
 それでもこの人は、微塵の躊躇いもなく手放してみせたのだ。

 その信頼がとても嬉しく、そして同時に……ひどく複雑にも感じられてならない。

 かつて、
 どんな贈り物にも、珍しい出来事や儲け話にも、この人はまったく関心を向けなかったのだという。
 どうにか取り入りたいと狙う者達が、みな手をこまねき歯噛みしていた、そんな中で ―― たまたま受け入れ心を配ってみせた唯一の存在が、廃棄処分間際の哀れな玩具ペットで。

 ―― もしも、あの時。

 時おり、そんなふうに仮定してみずにはいられない。

 ―― 自分を運んだ配送業者の男達が、面倒がらずにまっすぐ処分場へと向かっていたならば。

 ―― この人の家の玄関先で、特徴的なこの目を潰そうなどと、考えなかったならば。

 きっとこの人は、今もあの都市で何も変わらぬまま、気高く生きていられたことだろう。
 誰を頼る必要もなく、そして誰に付け入れられることもなく。
 その背筋を伸ばし、凛と孤高に立ってみせていただろう。

 自分という、無知で愚かな弱みを作ることさえしなければ ――


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