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 ぬえの集う街で  ―― Town Living of NU-E
 第十三章 未来へ向かって
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 夜間警備員のジグが、そろそろ仕事が始まるからと抜けていった頃には、場はかなり雑多な雰囲気に変化してきていた。多くの飲み物がアルコールになっており、最初は緊張でぎこちなかった住人達も、人間シルバーを叱りつける獣人種リュウという衝撃的な光景に毒気を抜かれてしまったようだ。
 周囲の大人達から子供はそろそろ帰れと言われ、ルディが駄々をこねている。
「まだ眠くないもん! 明日は学校休みなんだし、もっとシルバーと話すっ!」
 傷を避けてシルバーの二の腕にしがみついているルディの無鉄砲さにも、いい加減、誰も反応しなくなっていた。
「休みの日は、昼をいっしょに食べているだろう? あまり夜更かしすると、起きられなくなるぞ」
 やんわり帰らせようとしてくるリュウを、ルディはきつい目付きでにらみ返す。
「毎日会えてるリュウには言われたくない! リュウなんて、ずーーーーっとシルバーのこと無視してたくせに。思い出したからって、急に優しくなっても、オレは許さないんだからね!!」
 痛いところをつかれて言葉を失うリュウに、かえって周りで聞いていた者の方が泡を食った。
「お、おい。ルディ」
「しかたないだろ。こいつだって、何も好きで覚えてなかった訳じゃあ……」
 口々にとりなそうとする客達へと、しかしルディは首を振って唇を尖らせる。
「そりゃ、忘れちゃったのはしょうがないよ。だって頭ぶつけたんだもん。だけどそれと、シルバーを無視してたのは、関係ないじゃん」
「あのね、ルディ。リュウにはリュウの事情があって ―― 」
 アンヌが言い聞かせるのを遮って、ルディは爆弾を落とす。

「だってシルバーの方は、いっつもリュウのことばっかり見てたのに!」

 なのに知らんぷりされ続けて、すっごく悲しそうだったんだから、と。
 衝撃的な事実を暴露されて、全員がとっさにシルバーの顔色をうかがった。当の彼女はというと、グラスを持ち上げかけたままの状態で、完全に動きを止めている。

「あー……あのな、ルディ?」

 前々から裏の事情に通じていただけに、驚きも少なかったのだろう。こほんと小さく咳払いして、フェイが口火を切った。
「お前、それ、いつから気付いてたんだ」
 欠かさず店へと通い続けた彼女にとって、一番の目的は、確かにリュウに逢うことだったのだろう。たとえ他人に等しい会話ひとつ満足に交わせぬ間柄でも、その手になる料理を口にし、わずかに姿を垣間見る。それだけで、せめてもの慰めにしていたのだと察せられる。
 しかし同時に、けして余人にそうと悟られぬよう、彼女は細心の注意を払っていたはずだ。万が一にもリュウの記憶を刺激し ―― 過去を取り戻す代わりに、現在を失わせる危険を犯さぬように、と。
 事実、客達の誰一人として、シルバーがリュウに対して身を挺するほどの特別な思い入れを持っていたなどと、予想すらしていなかった。実際に目の前で、あの事件が起きるまでは。
 足しげく通ってくるのはせいぜい、よほど【Katze】の料理と雰囲気が気に入ったのだろうと、誰もがその程度に考えていたのだ。
 しかし……
「そんなの、いっしょにご飯食べるようになって、すぐ判ったよ」
 何を当然のことを聞くのかと言わんばかりに、ルディははっきりそう答えた。
「オレとしゃべってる時も、お仕事してる時も、カウンターの中で音とかすると、すぐそっち見るんだもん。あと、オレの方がおそくに来た時とか、料理してるリュウ見て泣きそうな顔してたことあったし」
 次々と語られるその内容に、一同は困惑して顔を見合わせる。
「……見てたか?」
「いや……むしろカウンターの方は、ほとんど向いてなかっただろ」
 彼女の定位置となっていたテーブルは、位置こそカウンターにもっとも近いが、椅子は横向きに配置されていた。シルバーがいつも座る席は、カウンターから見て左側にある玄関ホールとの間に開いた、大きな窓の方を向く形になっている。キッチン内から出てこないリュウを視界に入れるには、かなり首を曲げねばならぬ位置関係だ。そんな動作を頻繁にしていれば、相当に目を引いたはずなのだが。
 納得できないらしい皆の様子に、ルディはもどかしげにテーブルを叩く。
「だからぁ、窓だってば!」
 バンバンと音を立てながら、もう一方の手で玄関ホールに面した窓を指さす。

「シルバーの席からだと、窓に映ってるのが見えるでしょ!? だからいっつも、あっち側に座ってたんじゃん!!」

 示された先は、大ぶりの窓ガラス。毎日丁寧に掃除されているので、よく磨かれて光っている。そして非常灯のほかは店内から漏れる明かりで事足りるからと、常に薄暗めな玄関ホールのせいで、その表面は半ば鏡と化していた。
「…………気付いていたのか」
 ようやく再起動を果たしたシルバーが、グラスを静かにテーブルへ戻した。
 相変わらず動かない表情からは、内心でどう思っているのか窺い知ることができない。
「うん」
 ルディはこっくりとうなずいた。
「最初はさ、誰かうしろ通ったのかなって思ったんだけど。でも、あんまりしょっちゅう窓のほう見るから、オレも試しにふり返ってみたら、ああそっかって。それにシルバー、わかりやすいもん」
「判りやすい……?」
 これまでついぞ言われた経験のない評価に、シルバーは目をしばたたく。
「なんて言うか、泣いたり笑ったりとか、あんまり大げさじゃないけど。でも目とか見てたらさ、いま嬉しそうだなあとか、悲しそうだなあとか、すぐにわかるよ?」
 いまは驚いて、でもって、ちょっと不思議に思ってる感じかな、と。
 そんなふうに分析されて、シルバーは目元を指先で確かめるように触る。
 子供の直感とは侮れないと感心する一同の前で、ルディは再びリュウの方をにらむ。
「リュウが料理失敗したり、具合悪そうだったりすると、シルバーもすごく心配そうにしてたでしょ。でもリュウは、シルバーがちょっとそっち向くだけで目ぇ反らしたり、奥に入ってったりしてさ。めちゃくちゃ態度悪かったじゃん。あの時のシルバー、ほんとに泣きそうに見えたんだから!」
「……ルディ」
 小馬ポニーというより仔犬パピーが噛み付く勢いで責め立てる少年を、シルバーが制止する。ぽんぽんと頭を軽く撫でられて、ルディはどこか悔しげに唇を噛んだ。
「 ―― もしまた、シルバーにあんな顔させたら、今度こそ許さないからな! オレだってシルバーのこと大好きなんだから、もしまた忘れたりなんかしたら、今度はオレがシルバーのことなぐさめて、そんでシルバーの一番になってやる!!」
 座ったままの彼女の二の腕を、両手で抱きかかえて宣言する。
 果たしてそれを、子供の微笑ましい独占欲と笑って済ませて良いものか。判断に困って顔を見合わせる面々の前で、リュウはまっすぐにルディの目を見下ろした。

「……二度と、忘れない」

 厳かとも呼べる声音で、きっぱりと断言する。
 それはどこか、宣誓にも似て。
 相手を子供だと侮ることなく、持てる誠意のすべてを込めた、誓いの言葉。
 その声に秘められたものを、ルディは彼なりの鋭さで感じ取ったのだろう。まだ不満気な気配を残しながらも、口を閉ざして小さくうなずく。
「 ―― すまなかったな」
 シルバーが低い声でルディに言った。
「シルバーがあやまることじゃないけど……」
 首を振りかけて、ルディはふと良いことを思いついたという顔をする。
「そうだ!」
 大きな声を上げて、ねだるように抱えていた腕を数度ひっぱる。

「あのさ、あのさ、オレも『サーラ』って呼んで良い!?」

 再投下されたのは、第二の爆弾発言。
 全員が絶句する前で、ルディは屈託のない笑顔でせがんでいる。
「シルバーって、お仕事用の名前なんでしょ。オレもサーラって呼びたい」
 確かに最初、複雑な発音のフルネームに戸惑ったアウレッタやルディに対し、より簡略なシルバー・アッシュの名で呼ぶように告げた。これはプログラマーとしてのいわばハンドルネームで、義父によってつけられた呼称でもある。ちなみに義父ゴルディオン=アシュレイダのHNはゴールド・アッシュ。業界ではそこそこ知名度のあった〈黄金おうごんの塵〉の後継者として、それなりのネームバリューが付随してきているのは、仕事(収入)を必要としている今の状況ではありがたくもあり、重圧プレッシャーもある。
 ともあれ、本来は電脳回線ネットワーク上で使用するビジネス用の名乗りであり、プライベートの実生活で連呼される類のものではなかった。
「……そうだな。構わ」
 許可を出しかけるシルバーの口を、同時に発せられたリュウの言葉が閉じさせる。
「駄目だ」
 覆い被せるように。
 はっきり、きっぱり、真剣な顔で言い切った。
 あるいは先ほど、『二度と忘れない』と宣言した時に見せた表情よりも、さらなる熱意がそこには込められていたかもしれない。
「えー……だって……」
 甘えるように上目遣いで見上げてくるルディに、シルバーはリュウのほうをふり返った。
「『サーラ』という呼び方は、もともと義父ちちが私を引き取った際、舌を噛みそうだからと適当に縮めただけで、これといって特別な意味がある訳じゃない。そちらの方が良いと言うのなら、別に ―― 」
「駄目です」
 落ち着いた口調で合理的に説得するシルバーの発言は、今度も途中で被せ気味に否定される。
 間近から見返す色違いの目は、完全に本気だった。
 まさか酔っているのかと、客達はさり気なくその手元を確認する。しかしリュウのグラスの中身は、ノンアルコールのアイスコーヒーだ。
「かつて、貴女をそう呼んだことがあるのは、お義父さまだけなのでしょう?」
 どこまでも真顔のまま、リュウは抑揚のない声で淡々と訴える。

「……そのお義父さまが亡くなられた以上、いまは私、ただ一人です」

 彼女が呼ぶ己の名だけが、他の誰が口にするものとも異なって聞こえるように。
 セルヴィエラという名をサーラと称しても許されるのは、この世に自分だけなのだ、と。

 覗きこむほど近くで合わせていた視線を不意に落とし、リュウはシルバーの傷ついていない方の手を、そっと持ち上げた。
 そうして ―― 静かに顔を寄せる。
 たなごころに触れる、かすかな吐息。

 手のひらへの口づけは、懇願を意味すると言う。

「…………」

 シルバーは無表情のままそれを受けたが、抵抗するような素振りは一切しなかった。
 まるで芝居の一幕を彷彿とさせるその光景に、女性陣は思わず頬を染めて口元を押さえ、酒が入った男性陣は、もはや半分勢い任せで口笛を吹く。
 むすっとした顔で膨れているルディの肩を、アウレッタが慰めるように叩いた。
「しょうがない、あきらめな」
 そう言いながらも、彼女は彼女でどことなく嬉しそうだ。
 解放された左手を引き寄せて、シルバーはまじまじと目を落としている。まるで、初めて見る難解なプログラムを解読してでもいるかのような、深い皺がその眉間に刻まれていた。

「 ―― 以前は、こんな真似、絶対にしなかった」

 きゅ、と。残った感触を閉じ込めるように、指を曲げて拳を握った。

「ここの皆さまから、受けた影響かもしれませんね」

 長い睫毛を伏せて。口元にはごく小さな笑みを浮かべて。
 リュウはただ、そんなふうに返答した。それがどれほど大きな変化を意味しているのか、この場で理解しているのは、本人達以外は診療所の二人ぐらいだろう。

 失われていた二年間の記憶を取り戻したことで、リュウの性格も立ち居振る舞いも、大きく変化していた。それはまるで機械がリセットされたかの如く、劇的な変わり具合で。見る者によっては、彼がこの街で暮らした一年半は、まったくなかったことになってしまったのではという印象すら抱いていた。
 確かに世話になってきた住人達のことは覚えているし、一年半の間に何があったのかも把握している。それでも表情も、言葉遣いも、態度はおろか見た目さえも変貌してしまった今の彼は、いっそ別人だと言われても信じてしまいそうなぐらいなのだ。
 けれど……
 この一年半を過ごしてきた経験は、リュウの中へと確かに根付いていた。
 この都市レンブルグに来たばかりの頃の彼と、今の彼とでは、やはり明確な違いが存在している。あの頃のリュウは、シルバー以外の人物 ―― それが人間であれキメラであれ ―― がいる場所で、これほどくつろいだ態度をとることなど、絶対にありえなかった。
 良くも悪くも、リュウにとっての世界とは、シルバーただ一人に収束されていたのだ。
 それはまた、シルバーに関しても同様で。
 かつての彼女にとって、世界は義父と己と、そして電子回線で結ばれた先のごく一部だけが価値のある存在だった。それ以外は視界に入れることすらなく、義父を亡くした後は、ただ電脳世界で義父の遺した仕事を受け継ぐことのみが、彼女を生かしている理由だったといえる。リュウという獣人と半ば強制的に出会わされてから、そこにいくばくかの変化は生じたけれど。それでも彼女の生活は、やはりほとんど自宅に閉じこもったまま、極力リュウ以外の誰とも顔を合わせず、さまざまなマシンを相手に過ごす日々の繰り返しだった。
 そんなシルバーが、この街で暮らしたのはたったの三ヶ月。
 定休日を除けば毎日二度か三度、自らの意志で部屋を出て【Katze】へと食事に向かった。ドクターやレンやルディ、あるいはアウレッタらと直接顔を合わせて言葉を交わし、またそれまでは義父に関連した依頼を受動的にこなすばかりだったプログラマーとしての仕事を、独立した一個人として積極的に探して引き受けるようになった。
 そのどれもが、リュウが記憶を失ってこの街で生きていたからこそ、選んだ生き方。
 もしもリュウが行方不明になどならず、二人だけの生活を予定していた通りに始めていたならば。
 いま現在、彼らが浮かべている表情は、けしてこれほど穏やかではなかったはずだ。……いや、あるいは穏やかすぎる程ではあったかもしれない。しかしそれは、たった二人で閉ざされた世界だ。いびつな幸せに満たされた、どこまでも不健全な平穏に他ならない。

 不幸な事故によって、無益なまわり道とすれ違いを、彼らは重ねたかに見えるだろう。
 しかしそのことによって、リュウもシルバーも、新たな一歩を確かに踏み出した。一個の『ヒト』として、それぞれの形なりに成長を遂げたのだ。
 この一年あまりと三ヶ月は、けして無駄ではなかった。
 この先の日々において、彼らは再び二人で寄り添い歩み始める。しかしその世界は、けして二人だけで閉じられてなどいない。

 進んでゆく道の先には、新しく結ばれたさまざまなえにしと共に作り出す、これまで予想すらしなかった形の未来せかいが待っているのだ ――


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