FUTURE
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2000/04/04 PM21:00)
神崎 真


 グリップを握る手のひらがじっとりと汗ばんでいた。
 急激に心拍数を上げた心臓が、胸の内側でどくどくと音を立てている。
 普段は意識もしていない拍動が、今はあたりに響きわたらんばかりに胸郭を打ち、震わせている。
 神経を尖らせて周囲の気配を探った。
 そこは、薄暗い廃墟の中だった。
 かつては何かの研究施設であったのだろう。開いたままになった自動扉をくぐると、奥へと長く伸びる部屋。両脇に、幾つものガラスケースが整然と並んでいる。円筒形の、ちょうど人間が立って入れるぐらいの形と大きさだ。下の部分はコントロールパネルになっていて、幾つものボタンやランプ、ケーブルがついている。
 もっとも、そのボタンは割れ、ランプは光を失い、ちぎれたケーブルが内部の金属繊維を露出させてうねくっている。床には割れたガラスの破片が散らばっていた。これらの機械は、どれも完全に死んでしまっているのだ。
 いったいこの場所で何が起こったのだろう。
 俺はそれを探り出さなければならなかった。
 優秀な科学者であったリチャード=フューラー。遺伝子工学、生体物理学、再生細胞促進技術……あらゆる分野で絶大な功績をあげた天才だ。彼はアカデミーに個人の研究室を持つだけではなく、広大な私有地内に専用の個人ラボまで構え、己の望む研究に日々明け暮れていた。それがどのような研究であったのか、公にされてはいない。スパイを怖れた研究所側が、一切の情報を外部に秘していたからだ。
 そして、異変が起こった。
 突如、外部との連絡を絶った研究所。
 警報装置と高圧電流付きの塀で囲まれた私有地は、中にいる人間をすべて閉じこめたまま、沈黙した。いかなる働きかけも、内部からの反応を引き出すことはできなかった。
 外部からの手出しは簡単ではなかった。外から見る限りでは、ただ連絡がとれないというだけのことなのだ。何かの異常を訴える通報がある訳でも、それで被害をこうむっている人間がいるというのでもない。
 しかし、一日が過ぎ、二日、三日とたつうちに、そのようなことは言っていられなくなった。研究所に勤める所員の肉親からも、家族が戻ってこないと心配の声が上がり始める。
 もはや実験中に何らかの事故が起きたとしか考えられなかった。
 警察が建物内に立入調査を決行したのは、異変が起きてから実に五日目のことだった。外部から警備装置のガードを破り、表門を突破するだけで丸一日かかったらしい。そして警官十数名が、オブザーバーとして集められた科学者達と共に踏み込んでいった。
 結果を手っ取り早く言えば ―― 彼らは誰ひとりとして戻らなかった。
 研究所内では、全ての通信装置が無効になる。これもやはりスパイ対策の一環らしかったが、いかなる電波も信号も、この中では送受信不可能なのだ。研究員達は有線によって暗号化された情報をやり取りし、解読コードを持たぬ外部の人間には、何一つ情報を漏らさぬようにしていた。
 故に、彼らの身に何が起こったのかは判らない。その後、二度にわたって人員が投入されたが、それらの者達も、やはり同じく消息を絶った。広いとは言え、人跡未踏とはとても呼べぬ、たった数棟の建物からなる研究所の中で ――


『この任務が果たせるのは、もはや君しかいない』
『行方不明となった者達の生死を探って欲しい』
『そして博士の消息と、研究の内容を』
『いったい今、あそこで何が起こっているのか?』
『 ―― 健闘を祈るグッド・ラック


 任務を命じる言葉が脳裏に響く。有無を言わせぬ、一方的に告げられたそれ。どうでもいいと、ほとんど聞き流していた言葉だ。
 実際、そんな事情など俺にはどうでも良いことだった。俺はただ、やるべきことをやるだけだ。そして、今しなければならないのは……
 かすかな物音が耳に届いた。鼓動が一回動きをとばす。反射的に銃を構えた。
 行く手にあるガラスケースの向こうから、ゆらりと現れた影があった。それが『何』かを認めた瞬間、引き金を三度立て続けに引く。
 人影は、どす黒く濁った血を飛び散らせた。頭部を弾丸によって粉砕され、がっくりと膝をつくようにして倒れ込む。
 『そいつ』が完全に動きを止めたのを確認してから、俺は慎重に足を踏み出した。そろそろと死骸に歩み寄り、床に膝をつく。
 着ているのは、研究員のものらしい白衣だった。顔写真付きのIDカードが胸元に止められている。まだ若い、銀縁眼鏡をかけた男。けれど服を着ている当の本人は、その写真とは似ても似つかない姿をしていた。いや ―― 面影はある。目元や髪型などに、共通するものはあった。しかしこれは ――
 服をはがそうと手を伸ばした。
 と、視界の隅に動くものが飛び込んでくる。俺は弾かれたように顔を上げた。それを待っていたかのように、二匹の獣が飛びかかってくる。
「くっ」
 三発、三発。
 二匹は着弾の勢いで壁にぶち当たった。ずるりと血の跡を残して床に落ちる。
 全身に剛毛を生やした、猿に似た獣だった。ひくひくと痙攣する身体には、やはりIDカードのついた白衣。唯一露出した顔面と、毛皮の質が違う頭の部分に、人間であった頃の痕跡をわずかながら残している、
 ……この施設では、人体実験が行われていたのか。
 腹の底から苦いものがこみ上げてくる。いかにも狂気に足を踏み入れた、マッドサイエンティストがやりそうなことだ。あまりにもパターン通り過ぎて、吐き気がしてくる。
 しかし、わざわざ研究員を実験材料にするものだろうか?
 疑問に思った。
 天才とやらの考えることなど知れたものではないが、それでも彼らは貴重な人手だろう。たとえフューラー本人には及ばなくても、それなりに才能と知識を備えた優秀な科学者達だ。どうせ実験に必要とするのは肉体なのだから、もっと彼の役に立つことのない、第三者を利用するのが道理というものではないだろうか?
 そもそもこんな大事になっている時点で、既にフューラーにとっても不測な何らかの事態が起きたことは明らかだった。何かが起きて、研究の成果が暴走したのか、それとも ――
 廊下の先から悲鳴が聞こえてきた。女の、助けを求める声だ。
 行方不明者の一人か。
 俺は即座に走り出した。両手で銃をホールドしたまま、悲鳴を頼りに角を曲がる。足を止め、構えた。視線を走らせて状況を把握しようとする。
「助け……ッ」
 やはり研究員らしい女が、俺の方に手を伸ばしてきた。そのすぐ背後に、腕を振り上げた猿人の姿。とっさに撃つ余裕はなかった。彼らの身体はほとんど重なっていて、撃てば女の方に当たる可能性が高い。一瞬の迷いが致命的な遅れとなった。
 鈍い音と共に女の背中の肉がこそげ取られる。彼女は声もなく倒れ伏した。そのことで、後ろに隠れていた猿人の姿が露わになる。俺はすかさずありったけの弾丸を叩き込んだ。
「大丈夫か!」
 駆け寄ると彼女にはまだ息があった。
「しっかりしろ」
「こ、これを……」
 抱き起こそうとするのを遮って、女は血にまみれた手を差し出した。指の間に挟まれているのは、薄い磁気カードだ。どうやら何かのキーらしい。受け取ると彼女は力尽きたように目を閉じた。その身体が急速に重くなる。
「…………」
 俺は唇をかみしめた。
 このミスは痛かった。託されたカードキーをぐっと握りしめる。
 しかし、いつまでもそうしている訳にはいかなかった。
 視線を上げると、歩み寄ってくる猿人達の姿がある。カードキーをしまい込み、手早く弾倉を取り替えた。
「邪魔を、するなぁ……ッ!」
 叫ぶと同時に床を蹴った。一瞬で彼らに肉薄し、至近距離から眉間に弾丸をぶち込む。一発で頭が吹き飛んだ。二体、三体……次々と撃ち倒していく。振り下ろされた爪が頬をかすめていった。しかしどれだけ鋭い爪だろうと、当たらなければ意味などない。
 全ての猿人を倒した後も、俺は足を止めずに走った。
 研究所のさらに奥へと、この異変の原因を求めて。
 進んでいけばいくほど、確実にそれは、俺の前に姿を現してくるはずであった ――



 エレベーターが、地下フロアを目指して高スピードで下ってゆく。
 思いがけず得られたしばしの休息に、俺は上がった息を懸命に整えていた。
 体力値は既に限界に近い。弾丸も残り少なかった。あと一戦闘こなせるかどうか。だが、次のフロアこそラストステージ。黒幕が待っているはずだった。
 ポケットに納めたディスクを押さえる。このデータを持ち帰れば、それで俺の仕事は完了する。何も無理してヤツを追いつめる必要はない。しかし……
 瞼の裏に浮かぶのは、可愛い妹の姿だった。
 ここで逃げ出しなどしては、『アイツ』はけして納得すまい。
 任務をはたした結果だの、事件の真相などは所詮どうでも良いことだった。俺がこんなことをしているのも、全ては他でもない妹の為だった。愛しい妹を、アイツの毒牙から守るため。妹に手を出さないという、その交換条件としてアイツから与えられたのが、今のこの状況なのだ。
 そう、そんな理由でもなければ、誰がこんなくだらないことなど……!
 がくんという衝撃と共にエレベーターが止まった。扉の開く瞬間が一番危ない。傍らの壁に背中を預け、銃を引き寄せる。
 心の中でカウントした。扉が音を立てて横にスライドする。その向こうには、警官の制服をまとった動くミイラ達。
「っ!」
 無駄弾は撃てなかった。一体につき一発。それがギリギリだ。掴みかかってくる腕を姿勢を低くしてかわし、目の前の足を蹴りつける。運動神経の鈍いミイラは、その場で倒れ込んだ。すかさず胸元を踏みつけ、口の中に銃口を押し込む。

 ガゥン

 くぐもった銃声。飛び散る血はほとんどない。しばらくバタバタと手足が動いていたが、すぐにおとなしくなる。
 そこは、倉庫のような広い空間を見下ろす手摺り付廊下キャット・ウォークだった。このフロアすべてをぶち抜いてあるのではなかろうか。広大な空間の真ん中に、床から天井までを占めるオブジェがある。あちこちについたパネルやランプ。おそらくこの研究所のメインコンピューターだろう。
 見る限り、周囲に他のミイラや猿人達はいないようだった。少し行った先に、階下に降りる階段がある。あたりに気を配りながらそちらへ向かった。
 コンピューターの前に立つと、その巨大さがひしひしと感じられた。無機質な金属の塊。その中を走る実体すらない電子の流れが、この研究所の全てを支配しているのだ。
 手を伸ばし、キーに触れる。頭上にあるスクリーンが生き返った。
 Password Pleaseの文字が点滅する。
 ポケットからカードキーを取り出しスリットに入れた。画面が変化する。現れるのは、椅子に腰掛けた男の上半身。

『たいしたものだ。ついにここまでたどり着いたか』

 機械を通した合成音が告げる。
「やっぱりな……」
 俺は、この任務を命じた張本人である上司の姿に、そう毒づいた。
『そう、私だ。どうやら君は思っていたよりも優秀だったようだな』
 背もたれに深く身体を預け、余裕のある口調で言ってくる。
「この程度の展開は読めるさ。パターン通りだからな」
 俺は口の中でつぶやいたが、相手は気にも止めずに先を続けた。
『君の活躍は全て見せてもらったよ。実に素晴らしいものだった。それでこそ、君を選んだ甲斐があったというものだ。そもそも私は ―― 』
 画面の中でとくとくとしゃべり続ける男を、俺はすがめた目で眺めていた。
 こいつが何を考えていようと、俺の知ったことではなかった。何でもいいからとっとと終わらせてくれ。
 今回の計画とやらを右から左へと聞き流しながら、俺はがりがりと頭をかいた。銃を点検し、次に何をするべきかと考えを巡らせる。
『 ―― では最後に、かの悲運の科学者の、最高傑作を相手にしてもらおうか。』
 その言葉に、ようやく画面へと視線を戻した。男はニヤリと口の端を上げている。
健闘を祈るよグッド・ラック
 それを最後に画面はブラックアウトした。俺はさっさとそちらに背を向けて、周囲の気配を探りにかかる。
 待つほどのことはなかった。
 轟音と共に床のパネルが吹っ飛んだ。厚さ5センチはある合金製の床材をやすやすとねじ曲げて、毛むくじゃらの腕が姿を現す。まずは右手、それから左手。床についた両腕が、続く身体を跳ね上げる。
 あたりを震わせて着地したその姿は、優に俺の倍以上あった。背中を曲げ、半ば四つん這いになるようにしている。だが、その手が自由にふりまわせることは明らかだった。腕の太さは俺の胴体ほどもある。殴られればひとたまりもないだろう。
 俺は大きく息を吸い、吐いた。
 落ち着け。焦るんじゃない。冷静に対処するんだ。
 銃を構え、じりじりと移動する。隙を見せる訳にはいかなかった。逆にこちらがそれを見つけ、残り少ない残弾を急所へとヒットさせなければならない。ヤツの急所はどこだ。頭か、胸か、それとも……
 相手の一挙一動に神経を集中する。その動きを見れば、かならず急所は探り出せる。まずはヤツの動き方を、その癖をつかむことだ。
 突然ヤツが跳ねた。
 巨体をものともしない動きだった。予想外のそれに、俺は一瞬目を奪われる。高い天井近くまでも飛んだそいつは、真上から降ってきた。
「このッ!」
 身を投げ出すようにしてどうにかかわした。さっきまで俺がいた場所の床が、あっけなく突き破られる。そしてヤツは強引に引っこ抜いた腕を俺めがけて振った。パネルの破片がすごい勢いで飛んでくる。
「わぁっ」
 反射的に首をすくめて、なんとかこれも避けた。鋭くとがった破片は、コンピューターに刺さって火花を散らす。髪が数本、断ち切られて宙を舞った。背筋に悪寒が走る。
 強い。
 わずかな油断が命取りとなる相手だった。一撃でも攻撃を食らえば、それで終わりゲーム・イズ・オーバーだ。
 しかし……同時に俺は反撃の糸口をつかんでもいた。
 こいつはどうやら高くジャンプする習性があるらしい。あの勢いで降ってこられるのは確かに脅威だったが、同時にそれは、滞空時間が長いということも示している。そして上空では、翼持つ身でもない限り、飛んでくる銃弾をかわすすべはない。
 狙い目は、これ見よがしに色づいた胸の真ん中。そう決めた。
 こい。さあ、来てみろ!
 無言の挑発を感じたのか、そいつは一声大きく吠えた。床を蹴り、高く高く飛び上がる。
 もらった!
 俺は両手で銃を構えた。真上を仰ぎ、狙いを定める。これで終わりだ。
 確信した瞬間だった。
 いきなり背後から衝撃を受けた。
 一瞬、何が起きたのか判らなかった。
 気が付いた時には、俺は冷たい床に倒れ伏していた。かすむ目を懸命に見開き、傍らに立つ姿を見上げる。そこにいたのは、鉤爪から鮮血をしたたらせる、動くミイラだった。己の戦果を誇示するように、しきりに腕を振りまわしている。いつの間に近づいてきていたのだろう。相手に集中していた俺は、全く気が付いていなかった。
 そんな ――
 床に血だまりが広がってゆく。視界がどんどん暗くなっていった。
  ―― これで終わりなのか。ここまで来ていながら、こんな雑魚に殺されてしまうのか、俺は。
 信じられない思いに歯噛みする。
 冗談ではない。そんなことは許せなかった。俺は勝たなければならないのだ。妹のために。それなのに……!
『安心したまえ。君の肉体は有り難く役立たせてもらうよ。さぞや見事な結果が出るだろう』
 合成音の笑い声があたりに鳴り響く。
「いや、だ。俺は……ま、だ……」


*  *  *


「待て! まだ終わるなッ」
 俺の叫びはがらんとした室内にむなしく響きわたった。
『 ―― あきらめろって。ほら、スコアが出てるぜ。お、ランキング入りしてる』
 マイク越しにアイツの声が聞こえてくる。いかにも嬉しそうなのは、俺の聞き違いではなかった。かけていたバーチャルリアリティスコープを、乱暴にむしり取る。内側に表示されている成績表など、確認する気も起きなかった。
『惜しかったなぁ。最後の伏兵。俺もあいつに手こずらされたんだ』
 同情するように言いながらも、その顔がにやけているのが目に浮かぶようだ。
 全身を包むようにホールドしてくれる椅子から、無理矢理上体を起こした。手足につけたコードがからみついきて、煩わしいことこの上ない。
「やかましい! あんな所で雑魚キャラが現れるなんて卑怯だぞ!」
『俺に言うなよ。文句があるならゲーセンの方に訴えな』
 余裕綽々の物言いが、いっそうのこと腹立たしい。
『さぁて、約束通りヨーコちゃんとのデート、お膳立てしてくれよ?』
「……っ」
『まさか反故にする気はないよな。俺が勝てたら、口説かせてくれるって約束だぜ?』
「〜〜〜〜〜ッ」
 確かに約束した。この女たらしの友人が、よりにもよって可愛い妹に手を出そうなどとするから、それを阻止すべく勝負を持ちかけたのは俺だった。ゲームに自信はあったし、互いに初めての機種を選んだ。フィフティの立場なら、絶対に勝てると思ったのだ。なのに……!
「もう一回だ!」
『おいおい』
 呆れたような友人をよそに、再びスコープをかぶる。どさりと背もたれに寄りかかった。
『待てよ。お前のカード、もう残高ないぞ』
「貸せ!」
『あのな……』
 リセットボタンを押すと、軽い唸りがした。暗くなっていたスコープの内側に、オープニングデモが流れ始める。
 全身のコードから流れ込んでくる情報が、俺の周囲を電脳世界内の舞台へと変えていった。

 今度こそクリアしてやる!

 俺は決意も新たに銃を構えた。
 合成音が、重々しくゲームの始まりを告げてくる。

『この任務が果たせるのは、もはや君しかいない』

『 ―― 健闘を、祈るグッド・ラック


(2000/04/20 AM11:38)


チャットでいつもお世話になっている晁桐 翔さんのHP(閉鎖)でイラストを拝見して惚れ込んだあげく、勝手にイメージを膨らませて小説にし、押しつけさせていただいたものです。


本を閉じる

Copyright (C) 2000 Makoto.Kanzaki, All rights reserved.