++お礼SS 骨董品店 日月堂


※第十話「紅玉残夢」より後のお話。
かつ以前のお礼SSの21(日月堂5)、31(日月堂8)、そして裏に置いてあるものとも少々リンクしています。







 わたしは、可愛い義息むすこへ悪い虫がついたことに、憤りを感じている。

 思えば義息は、幼い頃より少々世間からずれていたように思う。

 その言動は彼なりの誠実さに溢れ、世の人々から嫌われがちなわたし共に対しても、常に優しい態度で接してくれていたけれど。しかしそんな義息のことを、血の繋がった本当の家族などは、とても心配していたようだった。
 その心根はとても優しいのに、世間一般の人々とは相容れない子供。
 そして興味をそそられない相手に対しては、一片の関心すら抱かない少年。
 それがあの子だった。
 その有りようは、肉体的に成人して久しい今となっても、まったく変わっていないだろう。

 気に入った存在には、時に驚くほど無邪気な笑顔を向ける。
 特に最近できた新しい友人の青年などとは、かつてなかったほど快活に会話が弾んでいるし、どちらかと言えば出不精だったあの子が、自発的に彼の店まで何度も足を運ぶぐらいに親しくしている。

 ……いっそのこと、義息の選んだ相手が彼であったならば、素直に祝福もできたのだろうに。
 思わずそんな事を考えてしまう。
 あの青年は、わたし共に対しても常に礼節を忘れないし、義息と言葉を交わしながら、わたし共にもまた心地よく時を過ごせるよう、ごくごく自然に心を砕いてくれている。
 義娘むすめ達も、彼のことをいたく気に入っているようだ。
 彼にであれば、安心して義弟おとうとを任せられるのに、と。あの達もまたそんなふうに話しているのを、幾度も耳にしたものだ。

 ああ、それなのに。

 ―― あの子はどうして、あんなおとこを選んでしまったのだろう。

 始まりは、けしてあの子が選択したものではなかった。
 あの子はただ、あの忌々しい雄が傷を負っている場に行き会って、その優しさから見過ごしにできず、手当てをしてやったに過ぎない。本当に、ただそれだけだったのに。

 たった一度のその邂逅で、あの雄は義息に目をつけたのだった。

 果たしてどんな手段を使ったのか。
 表向きはやり手の実業家として名を馳せているらしい雄は、その力であの子のことを調べあげ、そうしてまんまとあの子の肉親を丸め込んでしまったのだ。

 あの夜のことを思い出すと、今でも怒りと悔しさに全身の毛が逆立つのを感じる。

 義息の好みを腹立たしいほどに把握した、趣味だけは良い贈り物と共に届けられた招待状。それによって、あの子はあの雄の所有する別荘でのパーティーへと招かれた。
 そこに集まっていたのは、みな子飼いの雄ばかり。案の定、おんなは一匹もいなかった。
 当然のことだろう。本来なら弱々しい雄の分際で、偉そうに実業家などと名乗っているのだ。己の地位を脅かすやもしれぬ雌など、そばに近付けるはずがない。

 そうしてあの雄は言葉巧みに酒を過ごさせ、義息が別荘へ泊まらざるを得ないよう誘導したのだ。
 宴を終えて案内された義息の部屋へと、あの雄は何の遠慮もなく押しかけてきた。

 ああ、それから起きたことは、思い出したくもない。

 あの雄はわたし共が同じ部屋にいることを百も承知の上で、まるで見せつけるかのように、あの子に手を出したのだ。
 たとえ力の上では叶わずとも、毒牙のひとつも突き立ててやれなかった自分達が、返す返すも不甲斐ない。

 あの子自身が、傷ついた様子を見せなかったのが、せめてもの幸いだろう。

 そういう意味では ―― 腹立たしいが ―― その時すでに、義息はあの雄をそれなりに気に入っていたのだろう。
 意に沿わぬ相手を排除することにためらいを覚えるような子ではないし、無体な行為を諾々と受け入れるような性分でもない。そんなあの子が抵抗もせず身を委ねたのだから、けして……けして認めたくはないが! まんざらでも、なかったのだろう。

 ……あるいはそれは、単に相手の種族それ自体に親しみを覚えていたことや、事前に贈られた品物が己の好みにいたく合致していたが故のことであったかもしれない。
 まったくもってあの子は本当に、そういった意味では世間を知らないというか、つけ込まれやすいというか。

 ともあれ。
 その夜をきっかけとして、あの雄は瞬く間にわたし共の縄張りテリトリーに土足で踏み込んできた。
 血こそ繋がっていないものの、確かな絆で結ばれた家族と幸せに暮らしてきた心やすらぐ屋敷に、断りもなくやってきては傍若無人にふるまってゆく。
 けして愛想良く迎える訳でもなく、雄を放置して義娘達の食事の世話をしたり、より過ごしやすい寝床を整えてくれたりと自分の用事を止めないあの子を、それでもしばらくは楽しそうに眺めている。
 だがそのうち飽きるのだろう。結局は強引に手を伸ばし、己の方へとその注意を向けさせるのだ。

 わたしや義娘達がどれほど邪魔しようとしても、悲しいかな力では、こちらが束になっても叶うことはない。

 わたし共は結局、虚しく歯噛みしながら二人の様子を見ているしかできないのだ ――


◆  ◇  ◆


「松代さん、今日はなんだか御機嫌斜めでいらっしゃいますか?」
 湯気の立つ湯呑みを円卓に置いた晴明は、軽く首を傾げるようにして、伴道の肩に乗っている巨大な黒蜘蛛へと声をかけた。
 細い指をした手のひらを上向けて、そっとそのそばにさし出す。
 全身を覆うこわい毛を逆立てて、両前脚を威嚇するかのように隣の男へ向け持ち上げていた松代は、いったん脚をおろしてぶるりと身を震わせると、晴明の手の上へ身軽に飛び移った。
「うむ……どうも彼女は、時継とあまり相性が良くないようでね」
 自分から誰かを嫌うようなではないのだが、と。
 蜘蛛伯爵こと幸田伴道こうだともみちは、どこか困惑を滲ませた声音で代わりに返答した。
 その傍らでは、深く足を組んで座った体格のいい壮年の男が、片手で持ち上げた茶器から立ち上る緑茶の香りを無言で楽しんでいる。
「まあ別段これといった理由がなくとも、性格が合う合わないという場合はありますから。しかたのない事かもしれませんが」
 絶妙な力加減で毛に覆われた背中を撫でてやりながら、晴明は松代と壮年の男 ―― 伴道の同性の恋人であるところのはら時継ときつぐを見比べる。
 その本性は軽乗用車ほどもある、巨大なコモリグモの変化へんげである彼は、しかし一見したところ普通の人間となんら変わりのない姿をしていた。
 年の頃は四十代の半ばほどか。がっちりとした胸の厚い体格に、仕立ての良いダブルのスーツが嫌味なほど似合っている。丸いレンズの眼鏡越しに窺える瞳の光は、少しも和らげられることなく、強い ――
 その全身からは、さながら傲岸不遜という文字が目に見えて立ち昇っているかのようだった。
 実際この男は、人を人とも思わぬ傲慢な態度を常としていた。彼を知る者の多くが、幾度となくその酷薄な笑みに背筋を凍らせられた経験をしている。
 むしろそんな人々からしてみれば、時継がいま現在、こうして大人しく茶を飲んでいる事実に驚きを隠せないだろう。
 だが、そうして静かに座している彼のまとう空気は、逆に例えようもなく危険な魅力をもたらしている。圧倒的な存在感と熟成された男の色気を、彼はごく自然にあたりへと振りまいていた。

「俺は別に、なんとも思っちゃいない」

 低いバリトンが、その肉厚の唇から発せられる。

「そっちが勝手に毛嫌いしてるだけだ。まあ、視界の端で無駄なことをされていると、うっとおしいと感じる時もあるがな」

 揶揄やゆするような視線が、手のひらの上の松代へ向けられる。
 対して黒蜘蛛は、臆することなく再度前脚を高く持ち上げ、少しでも全身を大きく見せるかのような姿勢をとった。
「……無駄なこと、ですか?」
 そんな松代を指先でなだめつつ、晴明は疑問を呈する。
 こちらもまた、気後れしているような気配は欠片もない。
 時継はニヤリと口の端を歪めて見せた。
「おおかた嫉妬してるんだろうよ。大事な大事な家族を取られたくないってな」
 その言葉を聞いて、晴明と伴道は腑に落ちたようだった。
 なるほどと、同じ動きで頷いている。
「松代さんとは、子供の頃から一緒に育ってこられたんでしたよね」
「ああ。出会ったのは確か、小学校に上がるかどうかぐらいだったから ―― かれこれ三十年近くになるな。うちの娘達の中でも、もっとも古くから共に過ごしている」
「ずっと一番身近にいたお父様に、恋人ができた。娘さんとしては、確かにすぐ受け入れるのは難しいのでしょう」
 そっと撫でる手を止めないまま、晴明は穏やかな表情で松代を見やる。その眼差しは暖かな思いやりに満ちたものだった。
「松代さんも時継さんも、種類こそ違え伴道さんを想っていらっしゃるのは同じです」
 感情は複雑かもしれませんが、考えてみて差し上げては、と。蜘蛛を相手に大真面目に語りかけている。
 そんな晴明を面白そうに眺めていた時継だったが、続いて顔を向けられて、軽く片眉を上げる。
「時継さんも、無闇に刺激するような言い方は、控えられた方がよろしいかと」
 大人げないですよ? と続けられて、時継の目が大きく見開かれた。
 他に聞く者がいたら、その発言がどれほど彼の機嫌を損ねるかと、大いに肝を冷やしただろう。
 だが今この場にいるのは晴明と伴道だけで、そのうち晴明はどこまでも真剣だったし、伴道はというとあくまでも自分の家族の方を優先していた。
 そして時継の反応は……
「 ―― 大人げない、か」
「ええ。相手の家庭環境にも配慮するのが、交際を行う上で大切なことだと聞いています」
 自分達の都合だけを優先して他を顧みないのは、大人の恋愛として失格と言えるだろう。
 見た目も実年齢もはるか年下の相手にそう言い諭されて、時継は思わずといったように口元を緩めていた。そこにはまだ多分に皮肉の色が乗っていたものの ―― それでも形作られたのは、笑みに違いない。
おんななどに気を遣ってやるのは面倒だが……まあ伴道の『娘』だというのなら、善処してやろう」
 眼鏡越しの視線が、強い光をたたえたまま松代を見る。
 応じて真紅の色をした真円の八つ目が、逸らされることなく真っ向から受け止めた。

「…………」

 しばし無言での対峙が続く。
 ピリピリと張り詰めてゆく空気に、しかし動じる者は今この場にいない。

「晴明どの、このお茶は実に旨いな」
「ああ、これはつい先日、弟から送られてきたんですよ」
 嬉野の一番摘みだそうです、と笑顔でやりとりが続いている。

 あくまで人間にすぎない彼らに、蜘蛛のあやかし同士で交わされる『会話』の内容など、具体的に伝わるはずもなく。

 雄と雌、息子の恋人と母親の『話し合い』は、当事者には気づかれないまま、静かに火花を散らし続けるのであった。


―― 松代さんの内面は肝っ玉母さん。伯爵は家族の蜘蛛達を「娘」と認識していますが、
蜘蛛達の方にとっては、彼こそが息子であり弟だったりします(笑)



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