++お礼SS きつね


 国内でも屈指とされる広大な面積の湖を擁したS県M市では、年に一度、大規模な水上花火大会が催されている。
 二日間にわたって合計数千発の花火が打ち上げられるその祭には、毎年多くの観光客が訪れた。湖岸では少しでも好条件な席を求めて、場所取りの人間が昼間から争うように敷物を広げる。
 もちろんのこと、お祭り騒ぎ好きの地元大学生達が、そんな機会を逃すはずもなく。
 様々なサークルやゼミの仲間と誘い合わせる声が、ここ数日、構内のあちこちから聞こえてきていた。
 そうして迎えた、祭り当日。
 例によっていつものメンバーで時間を決め、早いうちに場所を確保し交代で見張りを務めた直人ら一行は、なかなか良い角度で花火を楽しめそうであった。背後には一時的に通行止めとなった湖岸道路があり、様々な種類の屋台がずらりと軒を連ねている。食べ物や飲み物の補充にも困らないだろう。

「やっと暗くなってきたわね……」

 ペットボトルのジュースを紙コップにそそぎながら、涼子がため息をついた。いくら途中で何度か交代したとはいえ、さすがに真夏の焼けつくような陽光にさらされながらの場所取りは、いささかきつかったようだ。
 まだ気温は高いままだが、それでも直射日光がなくなっただけで、ずいぶん過ごしやすくなる。
「始まるまで、まだ一時間はあるけどねえ」
 恵美が携帯で時刻を確認した。花火が上がるのは夜の八時から九時の間だ。まだ明るさが残る空も、その頃にはすっかり暗くなっているだろう。
 ちなみに周囲はとっくに人で埋まっている。彼らが用意した敷物以外の場所は、かろうじて歩くことができるかどうかという程度の隙間しか残っていなかった。早めに行動しておいて大正解である。
「今のうちに、なんか買ってきとこうか」
 直人が財布を手に立ち上がった。
 これから人の数は、増す一方に違いない。どうにか動けそうな間に、夕食代わりに腹ごしらえできるものとか、花火を見ながらつまめるものを調達してきた方が良さそうだ。
「あ、じゃあ、あたしタコ焼き食べたい!」
 いの一番に恵美がリクエストをかける。
「私は今川焼きにしようかしら。アンコのとカスタードクリームの二つお願い」
 涼子のチョイスは食事ではなくおやつだと思うのだが、そのあたりを女の子に突っ込んではいけないと、直人もすでに学習している。
「タコ焼きと今川焼きね。じゃああとは適当に、さかなになりそうなの見つくろってくるよ」
「お酒は靖司くんに頼んであるから」
 そこらへんは最後に交代して今は場を離れている彼が、ディスカウントショップで仕入れてくる手はずになっていた。
「じゃ、行ってくる」
「ってらっしゃーーーい」
 ひらひらと手を振る女子二人に見送られて、直人は並ぶ屋台の列へと向かっていった。


 祭とはいえ目的が花火であり、神様云々はまったく関係ないとなると、直人も気軽に楽しむことができる。仮にこれが儀式的な祭祀だとか、土地の豊穣を願うそれだとか言うのなら、対象となる御祭神に挨拶ぐらいは……と考えるところだ。しかし今回の催しはあくまで、単なる『お祭りイベント』である。飲んで食べて、花火を見ながら騒いで楽しめばそれでいいのだ。
 鼻歌交じりに屋台を覗きながら、非日常の雰囲気を堪能する。
 普段であれば、こんな不衛生な場所で調理された作り置きの食べ物にこの値段ってと、眉をひそめるかもしれない。なのに今はどれもこれもが美味しそうに見えてくるのだから、祭りの空気というやつは曲者だ。
 恵美のタコ焼きに涼子の今川焼き。靖司にはヤキソバあたりでいいだろう。フランクフルトにアメリカンドッグ、じゃがバターなんかも捨てがたい。
 女性陣は甘いものも欲しがるか。定番のリンゴ飴はちと大きすぎるかもしれないが、アンズやイチゴならちょうど良さそうだ。
 物色する直人の傍らを、浴衣姿の少女達が通りすぎていく。
 普段は和服など見向きもしない世代も、こういった日ばかりは気合を入れて、色とりどりの浴衣やかんざしで装っている。さすがに男性はほとんどいないが、それでも視界に入る女性の何割かは、浴衣に草履ではしゃぎながら歩いていた。
「恵美ちゃんや涼子さんも、着れば良かったのに」
 いつもと変わらぬ普段着だった二人を思い出す。どちらもそこそこ可愛いから、浴衣もきっと似合うはずだ。ああいった小物類を選ぶのも好きそうだし、常日頃のお洒落にだって、それなりに気を使っているようなのに。
 ……とはいえ場所取りに浴衣を着て来られては、さすがに目を引きすぎただろう。
 それを思えば、あれで正解だったのか、と。自分のTシャツにバミューダという適当な姿を棚に上げて、直人はそう結論する。

 と ――

 なにやら単なる雑踏とは異なった、ざわめきめいたものが近づいてくることに気がついた。
 香ばしい匂いを漂わせるイカ焼きの屋台から顔を上げ、そちらの方へと視線を向けてみる。周囲の人々もみな、驚いたような表情で動きを止め、いっせいに同じ方向を見ていた。
 たまたま近くにいた若い女の子の集団が、きゃあと黄色い声をあげる。
 人混みが割れ目に入ったのは、背の高い二人連れの姿だった。

 一人は白皙の肌と金茶色の瞳を持ち、ウェーブがかった長い金髪を首の後ろで束ねた、細身の青年。
 いま一人は褐色の肌に同じく金茶色の瞳をして、癖のない黒髪を無造作に腰まで流した野性的な男。

 それぞれに種類は異なるが整った顔立ちをしており、周囲から頭ひとつ抜きん出たその長身とも相まって、強烈な存在感を放っている。
 しかし彼らが注目を集めているのは、その容姿のせいばかりではなかった。

 金髪の青年は、白い布地の裾から太腿あたりへと這い上がるように、金茶の濃淡で稲穂を描いた浴衣を着ていた。左の肩から胸元へと、雀が数羽、戯れるように飛んでいる。
 一方で褐色の肌をした男のほうは、漆黒の地の裾に金で風に揺れるススキを描き、右の肩口に月と叢雲を配している。
 帯は二人とも同じ、目にも鮮やかな朱の三尺。ともすれば単調になりがちな色合いを、きりりと引き締めて見せている。

 日本人離れした風貌に、男物としては大胆とも言えるデザインの浴衣。
 しかし何故か、それが恐ろしいほどに似合っている。彼らは特に周囲へ見せつけようとするでもなく、ごく自然な風情で肩を並べているのだが、その立ち振る舞いが逆に堂々とした迫力をあたりに振りまいていた。

 あまりにも意表を突かれたせいで、直人は逃げる機を逸してしまった。
 目を奪われた一瞬の遅れがあだとなり、金茶の瞳とばっちり視線が交差する。

「直人!」

 二つの声が、寸分たがわず重なった。
 それまで何かを探すかのようにゆっくりと足を運んでいた二人が、さっと身をひるがして屋台の前にいる直人へと歩み寄ってくる。
「やっと見つけたぞ」
 目を糸のように細めながら、黒髪の男 ―― 次郎丸が上機嫌で笑った。
「この人の数に祭りの“気”まで合わさって、護符の気配が紛れてしまったようです」
 すれ違わなくて良かった、と。金髪の青年 ―― 太郎丸が微笑む。
 あのイケメンの外人達は何者か。モデルか、芸能人かと興味津々で見られていたところへ持ってきて、ごく普通のどこにでもいそうな若者へと親しげに声をかけるその様子に、周囲はいっそう興味をそそられたようだった。特に近くにいて先ほど悲鳴のような声をあげていた女の子達などは、何やら期待するように目を輝かせて、食い入るようにこちらを見ている。

「あーっ、と……」

 視線の集中砲火にさらされて、直人は数秒でいろいろとあきらめた。胸の内でひとつため息をつき、とりあえず一番の疑問を口にする。
「……なんで浴衣?」
 問いかけられて、次郎丸はきょとんとしたように首を傾げる。でかい図体で小動物のような仕草をされても、正直あまり可愛くない。
「夏の祭といえば、浴衣であろ?」
「ずいぶん久しぶりですが、どこかおかしいですか?」
 太郎丸が自身の姿を見下ろす。
 ―― ちなみに浴衣とは本来、入浴や寝る際に着る室内着だったのが、江戸時代あたりから夏祭りや花火鑑賞などのくだけた場でも着用されるようになったものだ。この二人の服装感覚がどの時期を基準としているのかは不明だが、普段は洋装をしているだけ、それなりに人間社会の変化に合わせてはいるのだろう。これでも、一応。
 と言うかむしろ、これまで生きてきた年月としつきを思えば、彼らにとってはいつもの洋服よりも、和装の方がずっと馴染み深いのかもしれない。
「……いや、まあ、うん。ちょっと、派手だなって。でも似合ってるよ」
「そうか!」
 似合うという言葉に、次郎丸の機嫌がさらに上昇する。太郎丸もまんざらではないようだ。
「二人とも、花火を見に来たの?」
「ふむ。あれはあれで美しいし、火の“気”も悪くないがの」
 火生土かしょうど
 土の性を持つ稲荷狐には、花火が周囲に撒き散らす火の気配を、心地よく感じるのかもしれない。
「興奮した人間が大勢集まって“気”が活性化すると、周囲にも何かと影響が出ますのでね」
 念の為ですと言いながら、太郎丸がちらりと視線を屋台の陰の方へ走らせる。つられて目を向けた直人の視界に、一瞬なにか黒っぽいものがよぎって消えた。
人間ヒトの“気”で力をつけて、普段はどうということもない小物が、ここぞとばかりに悪さをするのよ」
 ひょいと直人の肩口で右手を動かした次郎丸が、何かを握りしめる仕草をする。その指の間から、かすかにきぃきぃという声が聞こえたような気がした。しかし開いた手のひらには、何の痕跡も残っていない。
「それって……」
 思わず口元をひきつらせた直人だったが、しかし詳しくは訊かない方が良いと反射的に自制した。少なくとも己の精神衛生上、知らずにすむならそれですませたい。

 ……とは言うものの。
 どうやら守ってくれているらしい神様達に、まったくの知らんぷりはできない訳で。

 ぐるりとあたりを見渡し、手近な屋台で売られている品揃えを確認する。

「とりあえず、焼きトウモロコシとか、食べてみる?」

 稲荷といえば、五穀豊穣の神。五穀とは諸説あるが、現代においては一般的に米・麦・粟・豆・きびあるいはひえを指すという。稲荷神に捧げる代表的な供物が赤飯や油揚げであるのも、この五穀が無事実ったことを感謝し、神に還元するという目的がある。
 だが同時に、五穀という言葉には『穀類の総称』という意味もある。ならば世界三大穀物のひとつトウモロコシだって、お供えになると考えて問題ないだろう。……まあそれを言うなら、屋台の食べ物などほとんどが粉物こなものなのだから、突き詰めればどれも穀類が原材料なのだが。
「食う!」
 即答した次郎丸は、塗られた醤油をいい感じに焦がしている、網の上に並んだ黄色い実を凝視していた。その背後にぶんぶんと振られる尻尾が見えているのは、おそらく直人だけであろう。
とう……唐土もろこし?」
 いぶかしげに呟いている太郎丸は、馴染みのない作物を興味深そうに観察している。
 日本でトウモロコシが本格的に栽培され始めたのは、明治時代になってかららしい。ましてこの地方都市で一般的に手に入るようになった頃にはもう、彼らの社は衰退しきっており、神力を失った二人が気軽に出歩いて目にする機会もなかったのだろう。
「あとは、と。ビールで良ければ、そろそろ靖司が持ってくるけど」
 取りに行く? と、人混みの向こう、涼子と恵美が待つ敷物があるあたりを指さす。
「ビールというと、麦芽の酒ですか。良いですね」
 うなずいた太郎丸は、直人が買った焼きたてのトウモロコシを手に歩き始める。途中、かき氷屋台の前で、たっぷりの小豆と白玉が乗った宇治金時を見て次郎丸が立ち止まりかけたのを、襟を掴んで引き離した。
 なんとなく気の毒になった直人は、多めに買っておいた今川焼きのアンコ入りを、ひとつ取り出して渡してやる。


 ……見た目もやりとりも目立ちまくっていた、そんな彼らの姿も、やがて訪れる暗闇と花火の光、湧き上がる歓声と轟音の中に溶けこんで。
 祭りのさなかの非日常的な空気のひとつとして、忘れられていくのであった ――


―― 要は二人に和装をさせたかっただけ(笑)
実は背中に宝珠文のワンポイントも入ってたりします。



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