++お礼SS かくれおに


 役員室の高い天井に、低い声がやけに響くように感じられた。
「……10:30からは、河嶋商事の社長と打ち合わせ。その後11:00から城北支社の視察。昼前には本社へ戻り、昼食を摂りながら各種書類の整理となります。なお、明日までに決裁が必要なものは、こちらにリストアップしてありますのでご確認を。夕方からの会食でのスピーチは、用意できておりますか?」
 手帳を片手に読み上げてゆくと、執務机を挟んで対面に座る取締役は、ひとつ鷹揚にうなずいてみせる。
「では、何かご質問は」
 ぱたりと音を立てて手帳を閉じ、最終確認をとる。
 地味だがそれなりに仕立ての良いスーツを身にまとい、背筋を伸ばして立つ彼を、同い年の上司はにっこり笑顔で見つめ返した。
「お前のスケジュール管理はいつも完璧だな、俊己」
 腹の上で両手の指を組み、上機嫌で見上げてくる。
 秘書 ―― 今岡俊己は、そんな答えにため息混じりの視線を返した。
「……お褒めにあずかり、どーも」
 その口調は先程までとがらりと変わり、まるで部下らしからぬ態度となっている。
 もっとも彼の上司たる相手は、そんな程度を気にする男ではまるでなかった。にこにこと裏の読めない笑顔をたたえたまま、俊己が差し出したリストを受け取り目を通している。
「ったく、なんでこんなことになったんだか……」
 俊己がぼやく声は小さなものだったが、鋭い感覚を持つ上司は、それでもしっかりと聞き取っていたらしい。
「まだそんなことを言っているのか」
 往生際の悪い。
 ぼそりとそう付け加えられる。俊己の額に青筋が浮いた。
「そもそも、うちの系列会社を選んで入社したのはお前の方だろうに」
「お前んちが親会社だったなんて、聞いてなかったぞ!」
「言ってないからな」
 あっさりとした答えに、握りしめたこぶしがぶるぶると震える。

 ―― そもそも知らないものを、いったいどうやって質問しろというのだこの『鬼』は。

 訊かれなかったから答えなかった、と言わんばかりの応対に、その怒りのボルテージがどんどん上がってゆく。

 彼、今岡俊己にとって、目の前に座っているこの年若い上司 ―― 香月明は、かつて同じ一室で起居を共にしたこともある、まあそれなりに親しいと呼べる友人だった。こういう言い方は癪に障るが ―― 親友、と表現しても過言ではない相手だっただろう。
 一生の中でも高校時代というやつはなかなかに特別な意味合いを持ってくるもので、その時期にできた友人とは、その後も長く付き合いが続いていくこともしばしばだという。それを思えば、この友人との接触が続いていくことも不思議ではないし、まあたまに連絡を取って近況を語り合うぐらいなら、俊己にもなんら否やはなかったのだ。
 だが……ここにひとつ、看過できない事情というものが存在している。
 どこからどう見ても、人間以外の何者でもないこの青年は、『鬼』なのである。
 比喩表現ではない。
 正真正銘、頭に角を持ち、尋常ならざる不可思議な能力を身に備えた、文字通りの化け物なのである。
 高校在学中にそれを知った俊己は、友人の意外な正体に驚愕し、その持つ力に畏怖を覚えながら、それでも変わらぬ付き合いを続けていた。そこには友人に対する親愛の情もあったが、どちらかというと無様な姿を見せたくないという、意地のようなものの方が多くを占めていたと思う。
 たかが鬼、たかが人外。それぐらいで怖気をふるってなどなるものか、と。
 そしてそんな俊己のふるまいを、この相手もまた気に入っていたらしい。卒業するまでの三年間、彼らは共に時を過ごし、ことに寮内では伝説の寮長・副寮長コンビとしてその名を残したりしたものだ。
 しかしそれも、もう数年も前のこと。
 高校課程を修了し、彼らはそれぞれの道を選択した。
 二人とも進学希望でこそあったが、明はゆくゆく家業を継ぐことを見越して政治経済学部へ、俊己は当時語学に興味を持っていたため、文学部へ。それぞれが最良の環境を望んだため、学部も大学自体もまるで異なるものとなり ――
 おそらくこれで、二度と自分達の道が交わることはないだろうと、俊己の方はそう思っていたのだ。事実、大学在学中の四年間も、その後の社会人となってからのしばらくも、彼との間に季節の便り以上のやりとりなど、存在してはいなかったのだが。
 培った語学力を生かすべく、輸入家具を扱う会社へ入社して二年。そこそこ仕事にも慣れつつあると感じ始めた矢先、彼は親会社への移籍を言いわたされた。いわば栄転だという言葉に、多少なりと心を躍らせたのもつかの間。これまでの仕事とは畑違いの秘書室に配属され ―― そうして、これから専属としてつくことになる相手だ、と。その言葉と共に引き合わされた役員が、いま目の前に座っているかつての友人その人だったのである。
 ……なんでも、いまは亡き明の『父親』が、この会社や俊己が元々いた会社を含む、複合企業体の創始者であり、数代前の会長であったらしい。
 ちなみにもちろん、人間ではない。
 十数年前に死んだというその『父親』は、戦前には既に巨大な財閥を作り上げ、戦後は表舞台から引退し、裏からその運営に力を及ぼしていたのだという。
 実はそういった話はさほど珍しくなく、現在この国における政財界では、構成人員の半数近くが人外かそれに類するオカルティックな技術に関わる家系で占められている ―― とは、明の言だったが。それはさておき。
 『父親』の死によって、明がそれらすべてを受け継ぐこととなったのは良い。
 若き実業家となろうが、裏から政財界を動かす影の実力者となろうが、そんなことは明の自由である。
 しかし ―― なぜにそれに、俊己が巻き込まれなければならないのか。

「せっかく使えると判ってる人材なんだから、手元に置きたいと思っても不思議はないだろう?」

 権力にものを言わせたと、悪びれもせずに告げてくる元・同級生に、新米に毛が生えた程度の若造が、抵抗などできるはずもなく。
 周囲の反感を買わぬ為にも、ひとまず下積みから始めるべく一所属会社の役員から出発しているのだという明のサポートを、嫌々ながらも務める結果と相成ったわけで。

 その『父親』から、配下や財産と共に『力』と『記憶』をも受け継いだという明は、現在のままでも充分、財団を運営する能力は持ち合わせているらしい。しかし未だ二十歳そこそこの若造があれこれ口を出すことを、同じ『鬼』である配下の者達はともかく、裏事情を知らぬ人間の役員達は、こころよく思わないだろう。それぐらいは門外漢である俊己にも、容易に想像がついた。
 もっとも、その『父親』と同じく長い時を生きるのであろう明が、五年や十年程度の回り道をいとうとも思えない。いわば彼にとって今の状況は、暇つぶしと言うのがもっとも近いのだろう。そして暇つぶしである以上、退屈しないよう、ある程度の手段は講じておきたいということで。

 要するに自分は、暇つぶしのネタか……

 と。
 怒りを通り越してなにやらたそがれ始めた秘書に気がついて、明が書類を読むのを中断した。顔を上げて問いかけてくる。
「どうした、俊己」
「 ―― どうせ十年もすれば、お前も引退して裏に回るんだろう」
 いまの姿のまま『香月明』として押し通せるのは、せいぜいそのぐらいの時間が限度だろう。そうなれば、人間としての彼を補佐する俊己は、お払い箱となるわけだ。
 その問いかけに、明はああ、と気がついたように声をあげた。
「安心しろ。四十代ぐらいまでは普通に年をとるつもりだ」
「は……?」
「人の上に立つ以上、ある程度の貫禄はあった方が便利だからな。父上も見た目はそこそこ年を重ねていたし」
 それに壮年期に達していれば、六、七十ぐらいまでは『若く見える』で押し通すことができる、と。

「…………」

 そもそも年のとり方を自分でコントロールできるのかとか、なんだその良い考えだろうと言わんばかりの得意げな笑顔はとか、言いたいことは色々あるのだが。
「 ―― それはつまり、七十こえるまで、俺はお前の下でフォローし続けろってことか?」
 とりあえず、一番問題にすべきなのはまずそこだ。
「天職だろう?」
 自分が人の上に立つよりも、その傍らで、細々とした手配りをすることこそが、一番性にあっているだろうと。
 にっこり笑って告げてくるのは、かつて個性派揃いの岩城学園葵寮で、歴代一二を争う名寮長として名を残した、その人物だ。そして彼のその名声は、確実に副寮長だった俊己の協力があればこそのもので。
 ……読まれていると言うべきか、かつて実績を示してしまったそのことがそもそもの間違いだったのか。
 それでもまあ確かに、気にくわない上司の下につくことを思えば、この相手との仕事はそれなりに楽しくないこともなきにしもあらずなわけで。

「まあ、見込まれたのが運のつきだと思って諦めてくれ」
「貴様が言うな、貴様が!」

 上司へ向けるにしては言語道断なその叫び声は、幸い役員室の分厚い扉に阻まれて、誰の耳にも届くことはなかった。


―― ここにもまたひとつ、一生モノの関係が。



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