++拍手お礼SS きつね


 酔っぱらいの放つ胴間声が、あたり一帯に満ちあふれていた。
「かわはらーっ、次行くぞ次ッ!」
 バンバンと背中を叩いて馬鹿笑いする先輩に、直人ははあ、といささか引きつった笑顔で答える。
 先輩という存在には、いつでもどこでも逆らえないものだ。ましてやそこに酒という要素が関わってきた日には、もはやどうすることもできはしない。
 サークルの友人達とちょっと遊びに出ただけのはずが、居酒屋で顔見知りの先輩に会ってしまったのが運の尽き。既に良い感じにできあがっていた相手に強引に引きずり込まれ、気がつけばすっかり酔っぱらいのお守りと化している。
 週末の繁華街はずいぶんと賑わっており、酔漢もとうの先輩だけではない。悪目立ちしていないという点ではありがたかったが、それで直人の労力が軽減されるわけではなかった。
 ちなみに最初にいっしょにいたはずの友人達は、まだ理性の残っている他の先輩達とともにいくらか先を歩いている。見るからに楽しそうだ。ふらふらと足取りも危うい相手を、なだめつつ支えている直人とは、雲泥の差である。
「……なんか前にもあったな、こんなこと」
 直人はどこか遠くを見る目になって呟いた。
 なぜにこう自分は貧乏くじを引くタイプなのだろう。性格が悪いのか、つきあう相手が悪いのか。
「そういえばあの時は、ゲドウと次郎丸が現れて、えらい目にあったんだっけ……」
 半ば現実逃避モードに入りつつ、そんなことを追憶していた直人だったが、その彼に傍らから呼びかけてくる者があった。
「直人」
 やけに親しげなその声に、しかし聞き覚えはまったくと言って良いほどない。
 誰だ? とふり返った直人は、そこで思わず固まっていた。

「大変そうですね。手伝いましょうか」

 冷たく整った面差しに、ほとんど表情を浮かべないままそう聞いてくるのは、ウェーブがかった長い金髪を、首の後ろで束ねた白ずくめの人物。

「はじめて見る顔だが、おぬしの知り合いか?」

 軽く首などかしげてのぞき込んできたのは、やはり長い黒髪を、無造作に片手でかき上げた黒ずくめの人物。

 それは見覚えがあるかとたずねられれば、あるとしか答えようのない ―― 見間違えようにも見間違えようのない、二人連れであったのだが。
 しかし、直人はおそるおそるという口調で問いかけていた。
「た……太郎丸……?」
「なんですか」
「次、郎丸」
「おう、どうした?」
 ニヤリと笑ったその唇の端から、尖った八重歯 ―― ならぬ牙がのぞく。
 紛れもなく疑いようもなくあきらかにそのふたりは、直人の知る黒白こくびゃく二匹の稲荷の神狐だ。
 それは確か、なのだが。
 何故か太郎丸が着ているものは、柔らかそうなモヘアのニットに、裾の長いフレアースカートだった。そして次郎丸が着ているのは、衿の広くあいた金ラメ入りのTシャツに、革のベストとタイトなミニスカート。どちらもまろやかな身体の輪郭をはっきりとあらわにしている服装だ。
 そう、二人の姿はどこからどう見ても女性のそれ、だったのである。
 しかもこれがまた、どちらも標準以上の美貌を備えていたりする。
 もとから整った顔立ちの太郎丸は、普段よりもわずかに頬の線が柔らかくなり、唇もふっくらとして、淡い桜色に色づいていた。身体つきがずっと細くなり、しかし女性として出るべき部分は、しっかりとした隆起を形づくっている。背丈は直人と変わらないぐらいだろうか。いつもの怜悧な雰囲気が薄れ、代わりに上品な中にもほのかに色香を滲ませた、匂い立つような空気を身にまとっている。
 一方次郎丸はというと、普段の長身とは裏腹に、直人の肩口に届くかどうかという、小柄な身の丈になっていた。だが野性的な雰囲気はそのままで、すらりと伸びた手足など躍動感に満ちあふれている。そしてTシャツの胸元を押し上げる形の良い膨らみといい、引き締まったウエストといい、実に蠱惑的なプロポーションだった。睫毛の長いぱっちりとした大きな瞳を輝かせ、まとわりつくようにして見上げてくるそのさまなど、狐というよりもむしろ、野生の山猫かなにかを思わせる。
 タイプの違う二人の美女に挟まれて、しかし直人はその場にしゃがみ込みそうになっていた。かなうものなら頭を抱えてわめき出したいところだが、人ひとり支えている身ではそうもいかない。
 ややあってから、かろうじて言葉が絞り出された。
「…………な、なんで……?」
 直人の知る太郎丸と次郎丸は、確かにそれぞれ美形でこそあったが、とうてい女性と見まごうような風貌ではなかった。高い身長にがっしりとした成人男子の体格と筋肉を備えた、疑問を差し挟む余地すらない男、だったはずなのだが。
 しかしいま目の前にいる二人の姿は、女装というレベルですらない。肉の付き方どころか、既に骨格そのものからして、違う。
 いや確かに彼らの本性は四本足の狐であるのだからして人間の姿に化けているという段階で既に色々無理があるのだしそれが神さまの神さまたる所以の力といえばそれまでかもしれないけれど可能だからといってなんで現在わざわざそんな姿をとる必要があるのだいったい。
 言いたいことはぐるぐると脳内をまわっているのだが、それを言葉としてまとめられずにいる直人の前で、彼ら ―― 彼女らとは言いたくない、断じて ―― は、そろって不思議そうに首をかしげた。
「おぬしが言ったのではないか」
「そんな髪の長い男なんてあやしすぎる、と」
「服装も季節はずれでおかしいと言っておったし」
 確かに言った。それは確かにその通り言った。それを否定するつもりは直人にもない。
 だが、しかし。
「なんでわざわざ、女……」
「わざわざもなにも、こっちの方が変化へんげするのは楽だしな」
「我々はもともと陰に属する存在ですからね、陽に属する男性に化けるより、陰の女性に化ける方が簡単なんです」
 昔話でも、狐が化けるのは美女と相場が決まっている。あれは陰に属する狐が女に化けて男を誘惑することで、陽気を補充しようとするためなのであった。よってまだ妖力の低い狐は、オスであれメスであれ、人に化けるときに女性の姿を選ぶ。その方が消費する力が少なくてすむうえ、陽気の補充もできて、一石二鳥というわけだ。
 逆に言えば男性体をとっていられる太郎丸と次郎丸は、それだけ陰陽のバランスがとれた、優秀な神狐ということになるのだが、それはさておき。
「似合っておらぬか?」
「う、いや、その……」
 前述したとおり、二人の姿は先入観なく見れば、立派に目を引く美人だった。
 黒革の上下にところどころ黄金色の装飾を配した次郎丸は、そのままロックバンドあたりでデビューできそうな勢いだったし、裾の長いスカートを翻した太郎丸は、こんな繁華街にいるのは場違いとも思える、良家のお嬢さん的な清楚さと、それでいてぞくりとするような妖艶さとを兼ね備えている。
 しかし……普段の彼らを知っている直人にしてみれば、気持ち悪いという以外の感想はとうてい出てこない訳で。
「と、とにかく、太郎丸も次郎丸も……」
 単に顔を見に来たというだけなのであれば、悪いが今日のところは忙しいから ―― と、そう言おうとした直人だったが、しかしその言葉は途中でさえぎられてしまった。
 なんとなれば、それまであさっての方を向いてご機嫌に鼻歌など歌っていた酔っぱらいが、急に彼らの間に割り込んできたのである。
「なんだ、河原。知り合いかぁ?」
「えっ、と」
「太郎だの次郎だの、えらい変わった名前じゃんか」
「そ、それは、その、本名じゃないんですけど。なんていうか、仕事上の名前というか」
 酔っぱらいの遠慮ない質問に、直人はしどろもどろになりながら、それでもどうにか誤魔化そうと言葉を並べた。少なくとも嘘をついたわけではない。太郎丸と次郎丸の名前は稲荷社に祀られる際に命名された、神狐としての名であって、彼らが持って産まれた真名ではないのである。
 神やあやかしの類にとって、真の名はそうそうたやすく明かせるものではなかった。もっともそんな真名をも、直人は既に知らされていたりもするのだが、そこらへんの事情や背景を単なる先輩、しかも酔っぱらいなどに教えて良いはずもない。
 むしろ相手は泥酔しているのだから、適当に流して話をそらしてしまえばすむところを、そこで律儀に返答してしまうあたり、彼が貧乏くじを引くタイプであることを決定付けているのかもしれなかった。
 案の定、先輩はなにやら違う方向で納得したらしい。
 それまで直人にしがみつくような格好でいた彼は、やおら自分の足で立ち上がると、危なっかしくふらつきながら、直人の肩を力強く叩く。
「そうか、源氏名か!」
「……はあ?」
 耳慣れない言葉に、直人はきょとんと目をしばたたいた。
 そんな彼をよそに、先輩はかなり遠くまで行ってしまった友人達を、大声を上げて呼び止める。夜の繁華街でもひときわ響いた声に、周囲にいた関係ない人々までが何事かと注目してきた。
 もちろん酔っぱらいは、そんな視線などまったく気にしない。
「おーいっ、河原のやつ、水商売の女とつきあってるらしいぞ! しかも二股!!」
「へ? ちょっ、せんぱ……ッ」
 慌てて口を塞ごうとするが時は既に遅く、友人達の間から驚愕とも感嘆ともつかぬどよめきがあがった。
 いつの間に、とか、そこの美人か鉢合わせて修羅場かといった野次めいた言葉が次々と投げかけられる。それどころか無関係なはずの通行人達までもが、にやにや笑いながら口笛など吹いてくる。
 先輩の世話から解放された直人は、もはやなにを言う気力もなく、今度こそ頭を抱えてその場へとしゃがみ込んだ。
「ああああああ……」
 丸められたその背中から、哀愁を帯びた呻き声が発せられる。

「……なにやら、まずいことになったようですね」
「そうだな」

 顔を見合わせたことの元凶二匹は、うなずきあうとそろって膝をつき、うずくまる直人をのぞき込んだ。
 甲斐甲斐しくさえ見えるその行動に、見守る友人達の間から、いっそう甲高い口笛が浴びせられる。


 ―― その後、直人の周辺ではしばらくの間、やっかみ半分の様々な噂が乱れ飛ぶこととなったらしい。
 が、彼自身がそれについてコメントすることは、一切なかったという。



―― オスメス問わず女に化けて〜という説は、実際に存在しています(笑)



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