海賊船の狭い通路の中は、いがらっぽい煙と飛び交う光条、そして時おり発生する小規模な爆発音と悲鳴によって満たされていた。
「畜生! あいつバケモンだッ」
銃器を構えた男達が、口々に喚きながら通路の向こうへとレーザーを送り込む。
充満する煙を突き破って、何か小さな塊が飛んできた。握り拳大のそれは、彼らの目の前で二三度床にはね返り、乾いた音を立てて転がる。
「しゅ、手榴弾!?」
「艦内でこんなも……ッ」
驚愕の声が上がる中でそれは炸裂し、周囲一帯に容赦のない破壊をまき散らす。
「 ―――― 」
爆発が収まると、衝撃に歪んだ床を踏み、通路の奥から人影が現れた。
そいつはゆっくりとあたりを見わたし、動くものが存在しないことを確認する。
まだ若い男だった。長身の肉体を
軽宇宙服で包んでいる。背中に跳ね上げたヘルメットも、スーツと一体になったブーツや手袋も、全て黒一色だ。いささか伸びた髪さえも、光を吸い込むつや消しの黒さ。
手足の長い痩せた身体つきは、とても荒事にむいたそれとは思えなかった。身体に密着する黒いスーツが、よけいにそう感じさせるのかもしれない。しかし ――
彼はふと顔を上げ、進行方向を見た。両目を覆うバイザーの中で、ワイヤーフレームの画像が切り替わり、接近してくる存在を彼に告げる。五人。いずれも武装していた。うちひとりの装備は、捕縛用の
投網弾をセットしたランチャーだ。だが、まだ誰も彼の存在を捉えてはいない。
彼は身を低くして走った。煙に紛れて一団へと肉迫する。右手が腰の後ろにまわり、警棒のような物を引き抜いた。男達の前に飛び出しざま、勢いよく振る。
鈍い音と共に二人が吹き飛んだ。どちらも間合いより遙か外に立っていたのにも関わらず。ぎょっと足を止めた彼らをめがけ、もう一度棒を振った。重い金属音と共に伸びる。伸びただけではない。さらに曲がって男の右腕をへし折り、別の男を打ち伏せる。そして次の瞬間には元の長さに戻っていた。細かい
部品を無数に組み合わせて作られた武器だ。一見すると短い棒にしか見えないが、振り方ひとつで部品が結合を変え、長く重い金属の鞭と化す。
「く、くそッ」
最後に残った男がランチャーを構えた。が、遅い。
懐に飛び込み逆の手を一閃した。血飛沫が強化プラスチックの壁に飛び、男の身体が崩れ落ちる。
まだ息がある者の手足を折ってから、彼は再び歩き始めた。何事もなかったかのように歩を進めながら、何度か立ち止まり、低い声で通信機へと話しかける。
「し、死神だ……」
その姿を見送ることができた幸運な者は、震える声で呟いた。
死をもたらすもの。
男がそう呼ばれることを心から理解し、自らもそれを口にする。命を落とさずにすんだのを何者かに感謝し、そして二度と関わりなど持たぬことを祈って。
―― もはや彼の行く手を阻む者など、この
宇宙船には存在しなかった。
* * *
自動扉が開く音に、ジーンはシートを回して入口の方を振り返った。
「お疲れ」
コックピットに入ってきた相棒を、短い言葉で出迎える。
ひゅっと空気を鳴らし、小さな物が飛んできた。顔の横で受け止め目を落とす。首飾りだった。豪勢な金細工の透かし彫りに、赤い石がはめ込まれた品だ。
「OK。確かに依頼人の言ってたデザインだ」
ジーンは満足そうにうなずいた。その隣のシートに相棒 ―― カインがどさりと身を投げ出す。いつになく乱暴な身のこなしに、ジーンはおやと顔を上げた。
「どうした。さすがに疲れたか?」
「……いや」
背もたれに身を預け、髪をかき上げかけた姿勢で答えてくる。続く言葉は、ない。
ジーンはひとつため息をついてシートから飛び降りた。持っていた首飾りは、とりあえずコンソールの物入れにしまい込む。
「なんか淹れてきてやるから、お前は着替えて顔でも洗って来いよ」
「飲み物なら、俺が」
身を起こそうとするカインに、ぴしりと指を突きつける。
「いいから、お前は着替え」
力を込めて言いさす。が ――
「駄目だ」
カインはきっぱりと首を振った。
「なんでだよ」
「棚に手が届かない」
断言する。
ジーンは一瞬絶句した。それからカッと頬に血を昇らせる。
「んなもん、踏み台使えばすむだろうが!」
「危ない」
これまた短く言い切って、カインはさっさと立ち上がった。立ち尽くす相方の横を通り、自動扉へと向かう。ジーンの身長は、確かにその腰あたりまでしか達してはいない。
「どうせ俺は小さいよ!」
「ああ」
叫ぶ
少女にうなずいて、黒衣の青年はコックピットを出ていった。
「 ―― で」
湯気を立てる茶をすすりこんで、ジーンは改めてひとつ首を傾げた。
そういった仕草をすると首の細さがいっそう際立つことに、彼女は気がついていない。両手で包み込むようにカップを持つその姿勢も、非常に微笑ましく愛らしいそれだ。平均的な
人間型生命体の基準からすると、せいぜい十歳かそこらという、少女と言うよりは幼女と言った方がふさわしい年頃である。ベビーピンクの髪を頭の両脇で団子状にまとめた髪型といい、顔の半分はあるのではないかという大きな瞳といい、吹き出物ひとつ見られないなめらかな白い肌といい ―― 幼いながら、
少女趣味の人間が見たら涎を垂らしてひざまずきそうな美少女だ。
上下が一体となった肌に密着するスーツを身につけているが、それをとおしてうかがえる身体の線は、まだまだぽっちゃりと丸く、幼い。しかし、相棒を見る瞳の光は、力強く深い知性をたたえたそれだった。
彼女は、けして青年に庇護されている存在などではない。対等な立場で仕事をこなす、トラブルコンダクター『
殺人蜂』の片割れだ。
「さっきは何かあったのか」
シャワーを浴び、服もジーンと同じようなノーマルスーツ ―― やはり黒一色だ ―― に着替えたカインに、もう一度問いかける。茶に口を付けていたカインは、ゆっくりと
嚥下し、カップを置いてから答えた。
「何も」
「そうなのか。それにしちゃやけに、こう」
うまく説明できず、手をわきわきと動かす。
カインはしばらく無言で目を伏せていた。バイザーをはずしたその目元は、涼しげに整っている。切れ長の瞳が銀灰色の光を放っていた。浅黒い肌とあいまって、どこまでも無彩色な姿だ。
やがて、ぽつりと呟く。
「時間が足りなかった」
「え、予定通りだったぞ。もしかして無理させたか」
襲撃計画を立てるのはジーンの仕事だった。海賊船のコンピューターにハッキングし、船内見取り図や人員データを検討、カインの伎倆や装備も計算に入れ、無駄なく、かつ無理のない動きをとらせたつもりだったのだが。どこかにミスでもあったというのか。
焦って聞き返すジーンをカインはまっすぐに見返す。
「もう少しあれば、ほかの物も持ってこれた」
「ほかの?」
一瞬何を言っているのか判らなくて、しばらく考え込んでしまう。ややあって理解できた。
「お……まえッ、海賊の上前はねる気だったのか!?」
思わず声を高くして立ち上がった。
冗談ではなかった。それは正真正銘の違法行為である。
……いやまぁ、普段の彼らの仕事ぶりが、完全に合法なそれかと訊かれれば、ぐっと答えに詰まるところではあるのだが。
彼らの職業は、フリーのトラブルコンダクターだった。簡単に言ってしまえば、よろず厄介ごと引き受けます、という何でも屋である。
銀河連邦という存在を、物心ついた子供なら誰もが知っている。いまはそんな時代だ。加盟する二十三の太陽系国家と三百を越える惑星及び
宇宙居住区。様々な文化圏がうわっつらだけは手を結びあい、平和と友好の名の下に日々を過ごしている。が、ふと水面下に首を沈めてみれば、そこは陰に潜んだ惑星間の冷戦や巨大複合企業による営利目的の非合法行為、はたまた犯罪組織の行う密輸や略奪などなどなど、平穏などという言葉とは縁遠い無法がまかり通っている。
貧富の差はどこまでも激しく、権力を持つ者はいくらでも己が欲望を満たし続け、そうでない者は泣き寝入りするか、あるいは法を犯す道を選ぶか。
いまは、そんな、時代だ。
ジーンとカインは、その物騒な世の中を自分達の腕のみを頼りにわたってゆく存在だった。
仕事の内容や合法、非合法は問わない。運び屋から要人警護、行方不明者の探索に機密情報のハッキング ―― 要は自分達の正義に合致するものであり、相応の報酬さえ払ってもらえればそれでよかった。小型宇宙船ハニカムを駆る彼らの通り名、キラー・ビィは、そこそこの知名度をもってその世界に浸透している。
今回の仕事も、なじみの口入れ屋からまわってきたものだった。
何でも企業間で横流しする予定だった情報を、偶然横から現れた海賊にかっさらわれてしまったのだという。偶然というのもおかしな話だと思ったが、話を訊いてみればなんと言うことはない。
運び屋に選ばれた女性は何も知らず、マイクロチップを仕込んだ首飾りを身につけていた。彼女はただ、指定された客船に乗って、接触した相手に首飾りを渡すだけだったのだ。ところがその豪華客船を、たまたま海賊が襲撃したのである。乗客乗員は半数が殺され、金目の物は指輪ひとつに至るまで完全に奪い去られた。むろん、情報を隠した首飾りもだ。
物が物だけに、
星間警察に頼る訳にはいかなかった。それに海賊に略奪された品物など、戻ってくる確率はコンマの後ろに桁が並ぶ。つまり限りなくゼロに近い。
なんとかして当の海賊を突き止め、首飾りを取り戻すこと。それが情報の流出元から彼らに依頼された内容だった。
はっきり言ってかなり無茶ではあった。仮にも相手は、護衛艦のついた客船をあっさり仕留めるようなやからである。たった二人でそんなものをどうこうしろなど ―― いやそれ以前に、この広大な宇宙空間で、ろくに手がかりもなく海賊を発見しろという、そこからしてまず困難だ。
が、
結果はいま、ここに存在している。
二人の間のテーブルには、広げたハンカチに載せられた、大ぶりのネックレスがあった。カインが単身海賊船に乗り込み、奪ってきたものだ。
ちなみにその海賊船は、既に数光年の彼方である。奴らにはこの船がどちらに向かったのかも判ってはいまい。
「……ったく。いくら目の前にあったからって、そりゃまずいだろうが」
相棒のあまりの反応なさに、ジーンはため息をついて座り直した。こぼれてしまったカップの中身を、伸ばした指でつと拭う。そして改めて首飾りを取り上げた。
しゃらりと、金具が涼やかな音を立てる。
「安物だな。見た目は派手だが、台はただの金だし石も合成だ。どうせならもう少しおとなしい作りにしとけば、海賊の目にも止まらなかっただろうに」
「だが、きれいだ」
カインが呟く。
「そうかぁ?」
彼女の目には安っぽい成金趣味としか映らないのだ。眉をひそめるジーンに、カインはこくりとうなずいてみせる。
「よく似合う。もったいない」
そう言って、首飾りを持つジーンを細めた目で眺めた。口元が、かすかに緩んでいる。
この男がこんな表情をするのは、きわめて珍しかった。
「あのな……」
ジーンは思わずがっくりと肩を落とした。
どうやらカインが他のブツを持って来たがったのは、金のためではなく、単にジーンにつけさせてみたかったかららしい。この首飾りは依頼人に渡さなければならないのだから、ほかに一つか二つくらい手に入れておきたかったと、そういうことだ。
「俺がアクセサリーなんて興味ないの、判ってるだろうが」
絞り出すように言う。
現在彼女の身を飾っているのは、首元のチョーカーだけだった。指先ほどの金属球を幾重にも列ねた幅広のそれは、メタリックに輝き、その姿をひときわ豪華に彩っている。が、ジーンにとってのそれは、装飾品というよりもむしろ、必要に迫られた実用品の意味合いが強かった。手間のかかった髪型も、単に下ろしていると邪魔だからまとめてあるだけで。
その見た目とは裏腹に、彼女はとことん無骨な中身をしていた。
「…………」
カインは、無言でじっとジーンを見つめてくる。
色彩のないその瞳には、うかがえる感情など宿ってはおらず……しかしジーンには何を望まれているのか、嫌と言うほどに判ってしまった。
テーブルに両手をつき、深く、深くため息をつく。
* * *
引き渡しの場として指定されたのは、フェザーという名の惑星上だった。豊富な鉱山資源を持つことから急速に発展し、大企業の研究開発施設などが数多く存在する星である。その都市中枢部。高層建築が建ち並ぶ、機能的に整備されたビジネス街に建つビル内。おそらくは情報を流した企業の子会社の取引先とか、まぁそんなところだろう。もっともそんなことはどうでもいい。要は品物を渡して報酬を受け取れれば、それで充分で。
エレベーターを降り案内に従って扉をくぐると、まず広い窓が目に入った。
部屋自体はさほど大きなものではない。あるのは応接セットと観葉植物。そして壁に掛かった絵画ぐらいだ。壁の一面を占める窓の外には、向かいのビルに灯る窓の明かりが並んでいる。遙か下方を走る高架道路を挟み、二三百メートルは離れているだろうか。
待つほどもなく、男が現れた。
仕立てのいいスーツを着た、如才なさげな男だ。ソファから立ち上がり出迎えたジーンを、ちょっと驚いたように見る。ちらりと背後に立つカインを見て、納得したようにうなずいた。
短く挨拶を交わし、向かい合ってソファに腰を下ろす。ジーンの後ろにはカインが、男の後ろには護衛とおぼしき体格のいい男が、立ったまま控えた。
「さすがですね。こうも早く現物を持ってこられるとは、思いもしませんでした」
「この仕事は迅速確実が大切ですからね。依頼人の御信頼を裏切るような真似はいたしません」
ジーンが営業用の落ち着いた口調で応じた。膝についた両手の指を組み、下から見上げるように男を見返す。
その胸元に、例のネックレスがかけられていた。服装はいつものノーマルスーツのままだったが、確かにその首飾りは良く似合っていた。毒々しいほどに鮮やかな合成石の輝きも、派手な黄金細工も、彼女が放つ瞳の光には遠く及ばない。その強い輝きに屈し、ただ彼女を飾るひとつの要素へと成り下がる。
威厳。それとも、風格と言うべきか。
目の前のほんの幼い少女に圧倒されるものを感じ、男は一瞬呆然とし、ついで自らを罵った。相手はほんの子供。しかも卑しいならず者風情だ。気圧されなどして良いはずがない。
内ポケットからカードを取り出す。テーブルに置き、すっと滑らせた。まだ乗せた手ははずさない。
そのまま動きを止めた男に、ジーンも首の後ろへと手をまわした。留め金をはずし、首飾りを両手で捧げ持つように差し出す。手をあげた男に手渡し、それからカードを取り上げた。さっと目を走らせ、腕につけたコンピューターのスリットへと端をくぐらせる。
ピッと電子音がして、小さな画面に数字が表示された。額面は契約通り。偽造クレジットでもない。
男は細い工具を石と台座の間に差し込んでいた。ややあって引き出した先に、二ミリ四方ほどの小さなチップを挟んでいる。それを手にしたケースにそっと収め、大きく息をついた。
「お互いに間違いはないようですね」
ジーンの確認にうなずく。
では、と腰を上げようとする男を、ジーンは呼び止めた。
「……まだ何か」
不審そうに男が問い返す。因縁でもつけられるのかと懸念したようだ。
「いえ大したことではないのですが。その、ネックレス」
男がポケットにしまおうとした首飾りを指差す。
「よろしければ譲っていただけませんか。もう用済みなのでしょう?」
ただカモフラージュとして使っただけのそれである。たいした値打ちものでもない。早々に仕事を片付けたボーナスとして、もらって帰るぐらいできないだろうか。
……我ながら相棒に甘いとは思ったが、乞われて実際に身につけてみると、よく似合うことは否定しがたい事実であった。そう手間がかかることでもないし、たまにぶら下げてやるくらいなら、まぁ良いだろうか、と思ったのだ。
あいつが物を欲しがるなんて、滅多にねえしなぁ。
胸の内でため息混じりに呟く。
「これを、ですか」
男が困惑したように目を手元へ落とす。
「御迷惑なら構いません。言ってみただけですから」
似たようなデザインの物なら、そこらでいくらでも手にはいるだろう。後で宙港の免税店でものぞいてみるか。あっさりそう結論し、背後のカインを促して立ち上がった。
一歩を踏み出そうとした瞬間。ぐいっと腕を引かれた。小さな身体はそのままソファの背を越え、カインの手の中へと飛び込む。すかさずカインは彼女を抱え込むようにして身を伏せた。
ばすっ
鈍い音と共にさっきまでジーンが座っていた場所に穴が開いた。
二発、三発と立て続けに来る。実弾を射出するタイプの銃だった。ご丁寧に
消音器付きである。撃ってきたのはそれまで無言で控えていた男の方だ。
カインは何のつもりかと問い返すような真似などしなかった。手ぶりで身を低くしているようジーンに伝え、隠しから出した発光弾を投げる。
瞬間、まばゆい閃光が室内を照らし出した。小さな悲鳴と何かが倒れる物音が続く。数秒後、閉じた目蓋越しにも感じられた光が、ふっと消滅した。顔を覆っていた腕をどけ、ジーンはソファの向こうの気配をうかがう。
「カイン?」
問いかけたのは念のためだ。制止の声がかからないことを確かめてから、そっと身を起こす。
二人の男は床に倒れ伏していた。すでにぴくりとも動かない。その傍らにはまるで何事もなかったかのように、無表情なカインが立っている。
ジーンは素早く歩み寄り、男達の首に手を当てた。どうやら殺してはいないようだ。
「……ったく、一体なんだってんだ」
ぼやき、床についた膝を上げる。
依頼完了時に口封じとして命を狙われることは、そう珍しくもなかった。だが、仮にもプロを相手にこのやり方は、いささかお粗末ではないだろうか。
ともあれこうなった以上、長居は無用である。
カインは既に扉の横へと張りつき、廊下の様子を探っていた。どこに隠し持っていたのか、手に小型のレーザーを構えている。ジーンも床に落ちている男の銃を拾い上げた。彼女の手にはかなり大きな代物だったが、前に向かって撃つぐらいはできる。
「どうだ」
扉を挟んで反対に立ち、壁に背をつけて訊いた。応じてカインは新しい発光弾を手に取ってみせる。目で促され、扉の開閉装置に手を伸ばした。タイミングを合わせボタンを押す。
なめらかに横へとすべった扉の向こうに、カインが発光弾を放り込んだ。すかさず閉ボタンをたたきつけたジーンの耳に、動揺する複数の人間の声が届く。一瞬だけ閃光がのぞき、すぐに閉じる扉に遮断された。両手で銃を構え、間近から開閉装置に弾をぶち込む。これでしばらく誰も開くことはできない。
くるりと振り返ると、ろくに狙いも付けずに残りの弾を発射した。向かいの窓に、小さな蜘蛛の巣状のひびが幾つも走る。だが高層建築用の分厚い強化ガラスは、大きく割れることもなく依然として外界と室内とを隔てていた。
カインが小さな物を投げつけ、ジーンを抱えて床に伏せた。
腹に響く爆発音が室内を揺るがした。
うっすらと焦げ臭い煙が漂ってくる。顔を上げると、窓ガラスは一面びっしりと割れ目に覆われていた。が、まだその形を保っている。もうあと一押し。
カインが立ち上がり窓へと走る。一歩遅れてジーンも床を蹴った。首元へと手を伸ばし、チョーカーを引きちぎる。
小さな金属球の塊を、無造作に投げた。
「行けッ」
澄んだ声が鋭く命じた。
バラバラに散り、床へ落ちるかと思われた金属球は、ふっとその軌道を変えた。まるで意志を持つかのように、微細な振動をまとって宙をはしる。
さながら蜂の集団を思わせる、低い唸りを放つ金属球の群が、ジーンの命に従いもろくなったガラスめがけて突進した。
澄んだ音を立て、ガラスが砕け散った。
室内の明かりを反射して、輝く破片が夜空にきらめく。その後を追って、カインが、そしてジーンが中空へと身を躍らせた。
重力に捉えられるより一瞬早く、二人の背に羽根が現れる。
透明な、薄い、昆虫が持つような六枚の双翅。細かく震え、その身体を重力の拘束から解き放つ。
ジーンの周囲に役目を果たした金属球が戻ってきた。伸ばした右手に次々と飛び込んでゆく様は、女王に従う忠実な働き蜂のようで。
数分後。
ようやく扉を破壊した男達が室内へと突入した時には、割れた窓から見えるそのどこにも、彼らの姿をのぞむことはできなかった。
* * *
ハニカムのコックピットで、ジーンは計器の上に足を投げ出すという、いささか行儀の悪い格好でくつろいでいた。
惑星フェザーを脱出して数日後。とあるスペースコロニーへと、物資補給と船体整備に停泊しているところであった。さいわい
依頼料はもらっていたから懐は暖かい。これといった損害を受けた訳でもないから、手間も出費もわずかなものだ。本当ならカインともども遊びに繰り出したいところだったが、しかし残念ながら待たねばならない連絡があった。仕方なく、モニターのひとつに星間放送の歌番組など表示させ、見るともなしに時間を潰しているのである。
やがて、コンソールの隅で電子音が鳴った。待ちかねた
呼び出しに、ジーンは足を下ろして座り直した。モニター画面を素早く切り替える。
『ハァイ、ジーン』
明るい声が通信器越しに呼びかけてきた。ひらひらと顔の横で手が振られる。
「よぅ」
ジーンも気安げな笑みを浮かべて軽く手を挙げる。
モニターに映っているのは、縦に長い獣のような瞳をしたヒューマノイドだった。耳もとがっているし、唇の端からは牙がのぞいている。がっちりとしたごつい体格といい、典型的な獣人型人種だ。
低く野太い声で快活に語りかけてくる。
『ほんと、あいかわらず可愛らしいわねぇ、アナタ。うぅん、羨ましいッ』
頬に大きな手のひらを当て、ふるふると首を振ってみせる。ちなみに彼は、れっきとした男性だ。
「それは言わない約束だろうが。お前だって良い体格してて、代わりたいぐらいだぜ」
『そうよねぇ。お互いままならないわぁ』
しみじみと歎息した。その仕草もまた、実にしとやかな愛らしいそれである。仕草、だけは。
「で、分析できたのか?」
ジーンの問いかけに、相手はすぐにうなずいた。
このやりとりは、すでに顔を合わせるたびの挨拶のようなものだ。画面外でパネルを操作している気配があり、即座にジーンの元へとデータが送られてくる。手元に目を落とすジーンに、画面の向こうから解説してきた。
『問題は石の方ね。ただの合成石なんだけど、結晶構造に手が加えられていて、レーザーを当てたら一連の式が浮かび上がってきたわ』
「……分子構造式だな」
別のモニターに表示されたのは、数種の元素記号が線で結ばれた、単純な構造式だった。何らかの合成物質の組成をあらわしたものだ。
「どんな物質なんだ?」
その質問に、相手は一瞬沈黙した。調べがつかなかったのかと言いかけた時、低く問い返された。
『ねぇ、これ……一体どこで手に入れたの?』
思わず眉をひそめた。その質問は完全なルール違反である。
「らしくないじゃないか。そんなに大層なものだったのか?」
互いに後ろ暗いところを持つ者同志。よけいな詮索はいらぬトラブルを招き寄せることとなる。不必要なことは話さず、問わず。それが彼らの間で暗黙の内に交わされた約定だ。が、この男は滅多なことで失言などしはしない。そんな口の軽い人間が、腕利きの解析屋として、ジーン達のような人種と取り引きしていけるはずもなく。
その彼が、あえて問いかけてくるだけの理由があるのならば。
両手の指を組み合わせ、シートに背を預けて、じっと目を見る。
やがて、相手は小さくため息をついた。
『
麻薬よ。新種の』
諦めたように答える。
意外なその答えに、さしものジーンも眉を上げた。思わず分子式を見直す。
『効果も禁断症状も、従来品の数倍あるわ。おそらく鉱物性のものなんだろうけど、一体どんな経緯で発見されたんだか』
ジーンはしばらく沈黙していた。組んだ指がリズミカルに手の甲を叩く。
ややあって、口を開いた。
「……新種と言ったな。まだ流通はしていないのか?」
『それは断言できるわ。こんなものが流れ始めたら、既存のルートは大打撃を受けるから』
そうなっていたら、彼の耳に入っていない訳がない。
「判った。今からネックレスを受け取りに行く。用意しててくれ」
『言っとくけど、こっちの解析データは全部消させてもらうわよ。こんな物騒な物、二度と持ち込まないで欲しいわ』
貴女が相手でなかったら、二度と取引は断るところなんだから。
「ああ。こっちだって好きで手に入れたんじゃないさ。判ってるだろう?」
『まぁね。じゃ、待ってるから』
「おぅ」
挨拶して通信を切る。
そうして。ジーンはしばしぐったりとシートに沈み込んでいた。
「……まったく」
疲れた声で独りごちる。なんだってこんなことになったのか。
あのどさくさの中でちゃっかりと首飾りを拾ってきたカインもカインだったが、男達の妙な反応を気にして、解析など頼んでしまった自分も、充分に腹立たしかった。
要するにあの男達は二重スパイかなにかだったのだろう。あるいはそんな大層なものでもなく、単に小遣い稼ぎに、組織の使い走りでもしていたのか。
どちらにせよ、企業間での横流しを隠れ蓑にしてさらに重要な取引をやっていたそこに、ジーン達は何の意図も思惑もなく、割り込んでしまったのだ。単なるカインの好みによって。
思わず深々とため息をつく。
気の毒と言えば気の毒な話だった。―― が、いきなり殺されかけた以上、こちらが罪悪感を覚えてやる必要はない。
当面の問題は、予期せず手元に転がり込んできた情報を、いったいどう処理すべきかということで。
下手な人間に渡す訳にはいかないし、かといって破棄したと言っても、向こうは納得しないだろう。まぁ、そう簡単に居所をつかまれるようなつもりはさらさらないが。
とりあえず、手元に持っておくしかないか。貸金庫などは信用がおけないし、いざ必要となったとき取りに行くのも手間がかかる。
「結局、カインが一番得した訳か」
苦笑いした。
捨てることができず手元に持っている以上、どうせ身につけてくれとねだるに決まっているのだ。さすがにおおっぴらに使えはしないが、いったん
宇宙に出航してしまえば、船内は通信以外に外部と接触することのない閉鎖空間だ。人目をはばかるお宝も気にせずさらすことができる。
似たような首飾りを買ってやる気があったとはいえ、それでもなんだか負けたような気がするのは何故だろうか。
コンソールに手を伸ばし、船内通話装置をONにする。
「カイン、ネックレスを受け取りに行くぞ」
『ああ』
最低限の返事が即座に返ってくる。
通話を切って、ジーンはシートから飛び降りた。ざっと身体を見まわし、装備を確認する。
そうして彼女はエアロックへと向かった。そこでは準備万端整えたカインが、ジーンを待ちかまえているはずである。
自動扉が、彼女の接近を感知し、開き、そして閉ざされる ――
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