リアル・ゲーム  キラー・ビィシリーズ 第一話
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2000/11/06 20:07)
神崎 真


 ―― あなたは素晴らしい才能を秘めているのです。
 ―― それを証明してみませんか。
 ―― 我々は、けして現実では得ることのできない世界を、あなたに差し上げましょう。


*  *  *


 耳元を青白いレーザーの光条が掠めて伸びていった。
 俺はとっさに伏せ、散乱する瓦礫の陰へと身を隠す。わずか一瞬のことだったが、灼かれた大気は高温に熱せられ、オゾン臭い匂いを立ち昇らせていた。そっと振り返ってレーザーが向かった先を見やれば、傾きかけたビルの外壁が、黒く煤けて煙を上げている。
 直撃をくらっていたら、それと悟る間もなく昇天していたところだ。
 俺はひとつ息をつくと、改めて自分の装備を確認していった。
 グレートーンの都市迷彩の戦闘服に、大型のレーザーライフル。腰には予備のエネルギーパックを五つと、火薬で弾丸を射出する形式タイプの拳銃をぶら下げている。両肩から腰にかけてのベルトに引っかけているのは、目くらまし用の発煙筒や原子焼夷弾アート・フラッシュ、特殊鋼でできた振動刃ナイフなどだ。背中に負ったバックパックにも当座の携帯食料や寝袋シュラフ、種々の工具などがぎっしりと詰め込まれている。ほとんど陸軍の特務強襲部隊のそれに近い重装備だ。
 手首の通信機が、小さな電子音をたてる。
『ジーン?』
 聞き慣れた相棒の声が届いた。
「感度良好。よく聞こえる」
 応答すると、一瞬の沈黙があった。おそらくちゃんと連絡が取れるかどうか、心配していたのだろう。無愛想な奴だったが、そういうところをけっこう気にする男なのだ。
「俺の状態は把握できてるな? OK。大丈夫だ、やばくなったらすぐに戻る」
 茶でも淹れて待っててくれ。
 最後にそう言って通信を切った。そうして改めて瓦礫の向こうの気配を探る。
 右手の建物の影にひとり、斜め上の割れた窓に二人、息をひそめてこちらを狙っているのが判った。どちらも標的が死角から出てくるのを、いまや遅しと待ちかまえている。
 ……悪いが、こっちも仕事でな。容赦なくやらせてもらうぜ。
 ぺろりと唇を舐めた。久しぶりに感じるライフルの手応えを、手の平でもういちど確認する。呼吸をはかり、瓦礫の後ろから飛び出した。


 突きつけた銃口の先で、若者は居直ったようにふんぞり返っていた。
「は! 撃つなら撃てよ。たとえ殺されたって答えてなんかやんねぇからなッ」
 威勢良くうそぶくそいつは、けばけばしく染めた髪を大胆に刈りあげ、耳や鼻などにいくつものピアスをぶら下げている。ひょろひょろと痩せた手足にはたいした戦闘能力などなかったが、逃げ足だけは天下一品だった。おかげでここまで追いつめるのに、ずいぶんな手間暇をとらされたものだ。
 あいにく、これ以上の時間を割いてやる気は起きなかった。
「殺す訳にはいかないな。お前には奴の居場所をしゃべってもらわなきゃならないんだ」
 そう言って、軽く人差し指に力を込めた。太さを最低に絞ったビームはそれだけ威力を増し、一瞬で若者の肘から先を切断する。ごとりと音を立て、左腕が地面へと落下した。傷口はレーザーが焼き固めてしまうので、失血死の心配はない。
「次は右手だ。それでも言わないなら両足。心配するな、殺しはしないさ。いい機会だ。ダルマの気持ちを味わわせてやるよ」
 静かに言って、これ見よがしに銃を構えなおす。
 たとえ痛みをほとんど感じないよう処置されていても、肉体の一部を失うというのは、相当に衝撃インパクトを与えられる事柄だ。はたしてこの若者が『ダルマ』などという局地的な用語を知っていたかどうかは謎だったが、それから先は実に素直な態度となってくれた。
「リ、リーダーならF地区ブロックの、ネメシスって酒場にいるよ。そこの地下がアジトなんだ」
「ネメシス、ね」
 繰り返す。
 確か地球テラ系の古代神話に出てくる神の名前だった。復讐の女神とはまた、反政府レジスタンスの根城にふさわしい名称である。
「……いいだろう。こいつは治療代だ」
 懐から数枚の紙幣クレジットを取り出した。それらを足元へ投げて背中を見せる。そうして路地の出口へと足を踏み出した。
「ち、畜生……ッ」
 呻くような叫びと共に、小さな金属音が耳に届いた。素早く振り返りライフルを構える。若者は隠し持っていた銃を手にしていた。
 己の頭蓋へと向けて。
 悲鳴は、あがらなかった。間近から発射されたレーザーは、小さな焦げ跡だけをこめかみに残し、若者の頭部を貫通した。発射による反動すらなく、力を失った若者の身体は、ずるりと壁にもたれかかる。
「な ―― 」
 俺はしばらく呆然と死体を眺めおろしていた。
 たかが腕一本である。再生治療などはこの環境では難しいだろうが、機械義肢の取り付けくらいはいくらでもできるはずだった。確かに生身の腕には比べるべくもないだろう。しかしその分、様々な付加機能を持たせることも可能だ。それもまたひとつの進化と言えるだろう。なのに……
 あっさりとこれまでの人生をリセットしてしまう。己の肉体が完璧ではなくなってしまったから、と。それほどまでに、彼らにとってその命は軽いのか。そうだ、そして軽いからこそ、あっさりと武器を手にとり、互いに殺し合う。一種の娯楽として。
 吐き気を覚えた。
 こんな奴がこの世界に存在していると言うことも、そしてそんな人間に武器を持たせてしまったその相手にも。
 振り向いていた身体を元に戻し、足を早めてその場を立ち去った。こんな胸くその悪い場所になど、一秒でも長くはいたくなかった。この路地裏にも、そして町にも。
 とっとと仕事を終わらせよう。そう、固く心に決める


*  *  *


『理論的にはさほど珍しいものではありません』
『脳内電気を分析し、逆にこちらから刺激を与えることで擬似的体験を行う技術は、とうの昔に実用化されております。それはあなたもよくご存じでしょう』
『ただし、これまでのそれは医学的な精神治療のためであったり、あるいは一部の金持ち達の特権という、きわめて高価で、一般人には縁遠いものでありました』
『しかし、我々はその設備を汎用化し、また多くの同調装置をネットワーク化することで、共同世界を構築することに成功しました』
『すなわち自分一人の閉鎖空間になることのない、仮想現実世界での他者との交流です』
『己の願望を叶えながらも、殻に閉じこもり、ひとりよがりな自己満足に終わることのない、社交的なもう一つの世界アナザー・ワールド
『ひとたび経験すれば、誰もがこの夢の国の虜となるでしょう』


*  *  *


 何が夢の国だか。
 俺は胸の内で吐き捨てた。
 ここは、いくつか用意されたステージのひとつで、『内乱に荒廃した惑星上における、政府軍とレジスタンスの戦場』という舞台設定だった。
 参加者の夢を叶えるといえば聞こえは良いが、夢とはたやすく欲望と言い替えることができる。そして人間の欲望とは、けしてきれいなだけのものではない。それはこのろくでもない舞台設定が、ネットワーク内で屈指の人気を誇っているという、その一点でも明らかだった。
 死とは単なるゲームオーバー。痛覚さえも抑制されている。死体は目を離した直後に消去され、飢えや乾きに苦しむことも、垂れ流された汚物に悩まされることもあり得ない、お綺麗な作り物の戦場。参加者は気軽に武器を振り回し、歓声を上げながら無邪気に殺し合う。
 糞っくらえだ、馬鹿野郎。
 足を止めて、俺はひとつ深呼吸した。
 ……判っている。これもまたひとつの抑制効果となりえるのだ。欲望とは、押さえれば押さえるほど、逆に強烈に増幅されてゆく。こうして手軽に破壊願望や好奇心を満足させることで、彼らは適度にガス抜きをし、そうして健康的な社会生活を営んでゆくのだ。たいていの人間はそんなふうに、自らを律する理性と常識を、きちんと持ち合わせている。それぐらいは理解できる程度に、俺は人間というものを嫌いではなかった。
 どうやら、このシステムのおかげで理性が危うくなっているのは、むしろ俺の方らしい。
 普段は心の奥底に押し込め、存在を自覚しつつも押さえこんでいる負の感情。それらがこの状況のおかげでちくちくと刺激され続けている。忘れてしまいたいが、けっして無かったことになどできない、そして二度と戻ることもできない過去の記憶。そんなものが俺の中で少しづつ大きくなってきているのだ。
 落ち着け、冷静になれ。
 己に言い聞かせる。
 ここはあくまで作り物の世界だった。長くてもあと数時間で解放され、元の場所に戻る、ただそれだけのものだ。
 視線を上げて、傾いた標識を確認した。
 ここからF地区に入る。ターゲットのいる酒場までもう少し。
 『彼』を説得し、現実世界へと連れ戻すことが今回の俺の仕事だった。
 この仮想世界にのめり込み、現実から逃避してしまったひとりの少年。彼は肉体こそかろうじて栄養補給を受け生存していたが、その意識は戻ることなくずっと眠り続けているという。
 モニター越しに見た姿は、骨と皮ほどにやせ細り、息のあるのが信じられないぐらいだった。傍らに付き添っていた母親が、やはりやつれた面もちでカメラの方を眺めていた。そこにはもはや、希望も懇願の色すらもなかった。すべてを諦めきった、まるで硝子玉のような両目。お前達になど何ができるのかと、そう言わんばかりに。
 実際、何かができるかどうか、そんなことは判らなかった。だが請け負った以上は、できるだけのことはやる。いや、むしろ請け負ったからというだけでする努力以上に、俺はもっと力をいれたかった。
『 ―― 彼は生まれつき病弱で、ほとんど起きあがることすらできませんでした』
 科学者達の困惑した表情を思い出す。
『しかし頭脳はとても優秀でした。だからこそ、このシステムの試用者モニターとして選出され、開発初期から関わってきていたのです』
『病室を出ることのできない肉体の代わりに、仮想世界での健康な身体を手に入れ、自由に他者と交流する。そのことは彼にとてもよい影響を与えていました。それなのに……』
『よもや、こんなことになるとは』
 自分たちはよかれと思って彼にシステムを提供した。このことで、彼の人生に広がりができてくれれば、と。だが、彼は仮想世界から戻ることを拒み、眠り始めてしまった。それほどまでにあの少年は、病に冒された己の肉体から逃れたかったのだ。
 その苦しみを理解できずにいた、自分達にも非はある。安易に楽な逃げ道を提供してしまった、その償いはしなければならない、と ――
 外部から強制的に接続を切ることは、少年の意識へ与える危険リスクが大きすぎた。
 そこで彼らは何度もネットワーク内の少年の元へ人員を送り込み、説得に当たろうとした。しかしそのことごとくが失敗に終わったらしい。かたくなな少年は、長時間接続を続けているだけあって、その世界でもかなりの実力者となっているそうだ。故に、まず少年自身と接触する、そのことからが困難だったのだ。大概の人間は接続後間もなく、少年の配下である反政府軍に殺され……すなわちゲームオーバーとなって、強制的にログアウトさせられてしまうという。
 いかにスーパーマンとなることも可能な仮想現実世界とはいえ、しょせんは同じ人間同士である。多勢に無勢となれば勝ち目はなかった。まして互いに素人であれば。
 そこで、白羽の矢の立ったのが俺達だったという訳だ。
 俺と相棒 ―― カインという ―― は、フリーのトラブルコンダクター、要するに何でも屋だ。運び屋、要人警護、捜し物から、果ては大きな声では言えないような非合法じみたそれまで、いわゆるよろずやっかいごと引き受けます、というやつだ。あまりカタギとは言えない職種だったが、これでなかなか需要も多い。もちろん、それなりの腕を備えていれば、だが。
 一流からチンピラまがいの役立たずまで、有象無象数多い中で、俺達はそこそこ名の売れたコンビだ。小型ながらも自らの宇宙船を所有し、その筋の世界では殺人蜂キラー・ビィなどという通り名もいただいている。主に情報処理系を担当する俺と、戦闘・操船関係を担当するカインとで、もっぱらガイナン星系を中心に活動をしていた。
 本来であれば、こういった武器をふりまわしての荒事は相棒の仕事である。俺はとうにこういったことからは引退した身だった。だが、今回は少しばかり話が違った。相手は電脳世界の中で、俺自身コンピューターに接続し、電気信号をやりとりすることで戦闘を行うのだ。ならばやはり、これは俺の仕事だろう。
 それに……
 己の思考に、知らず口元が緩んだ。
 あの無口な相棒に、誰かを説得するような真似などできるはずがなかった。なにしろ奴は、時として必要なことすらもしゃべらない男なのである。
 思わずくすくすと忍び笑いが漏れた。おかげで入りすぎていた力が、わずかなりと抜けた気がする。
 ―― 酒場の扉は、もう目の前だった。


「待て!!」
 と言われて、待つ馬鹿はいない。全くもってその通りだった。
 反政府軍の指導者である少年 ―― いや、ここでの彼は二十代半ばの若者であったから、青年と呼ぶべきか ―― は、素早い身のこなしでカウンターを飛び越え、地下へと向かう階段にその姿を消した。即座に後を追おうとした俺の前に、十数人ものレジスタンスが立ちはだかり、行く手をふさぐ。
 制止の言葉はなかった。彼らが手にした様々な武器が、一瞬の遅滞もなく火を噴く。
 とっさにテーブルの影に転がり込んだのは、我ながら上出来な動きだった。上着のベルトから発煙筒を引き抜く。作動ピンはベルトに固定されているので、改めて抜かずともよかった。あとはテーブルの向こうに投げるだけで。
 己の意志に反して視界を閉ざされると、素人は容易にパニックへと陥るものだ。そして引き金を引くことに躊躇のない人間が密集して立っていれば、それ以上俺が手を出す必要もなかった。
 銃声、爆発音、そしていくつかの悲鳴をしばらくやり過ごした後、煙が晴れないうちにとっとと動いた。物音を立てないよう、注意してカウンターを越え、階段へと潜り込む。
 幸い、青年を追うのは難しくなかった。下りきった先は町の地下に張り巡らされた下水道の中だったが、抜け道としてよく使用されているらしく、あちこちに照明が設置されていた。迷わないよう道しるべもつけられている。下手に道を外れると彼ら自身も危険なのだろう。馬鹿正直にその通りに進んでいるらしい。しかしこちらは、この世界を作り上げた企業本人から依頼を受けていた。
「カイン! F−b7のマップを出してくれ」
 叫んだ。
 数秒後。目の前に地図が現れた。文字通り目の前だ。走る俺の直前に、光で構成された地図が浮かび上がり、前進する俺の速度にあわせてすべるように移動していく。もっとも、これはあくまで俺の脳に信号として送り込まれているだけなのだから、実際のところは移動も何もあったものではないのだが。
 ともあれ、俺は自分の現在位置と照明が設置されている場所を確認し、先回りするルートを選び出した。ベルトのバックルを探りスイッチを入れると、肩口についた強力なライトが前方を照らし始める。そのまま黒々と口を開けた、細い枝道へと飛び込んでいった。
 枝道の中は小動物達の住処となっていた。激しく揺れる光芒に追われ、幾つもの影がキィキィと鳴きながら逃げてゆく。詳しい姿形は見て取れなかったが、たぶんその方が幸せなのだろう。
 右、左、左、真ん中、右から二番目……
 文字通り網の目のような通路を、間違えないよう突き進んだ。左、左、真ん中……

 ゴッ

 鈍い音があたりに響いた。
 思わず頭を押さえ、近くの壁へと寄りかかる。
「 ―― っ」
 言葉も出ないとはまさにこういうことである。
 そう。間抜けにも俺は、いきなり低くなった通路の天井に額をぶつけたのだ。それはもう、思いっ切り。
 あの勢いで減速もせずぶつかったのだから、衝撃があるのは当然だった。防護用のバンドを頭に巻いていたとはいえ、よくぞ骨がイかなかったものである。それでも脳震盪を起こしかけたらしく、あたりがくらりと回った。
「う……」
 痛覚が抑制されていることに感謝しつつ、なんとかめまいをやり過ごした。
 いま入ろうとした通路は、これまでのそれよりいささか狭いものだった。それで少々目測を誤ったらしい。俺としては充分にかがんだつもりだったのだが。
 気を取り直し、ようやく身体を起こす。
 今度は慎重に腰を曲げた。かなり窮屈な中を何とかくぐり抜けると、出口はいささか高い位置にあった。そして聞こえてくる足音。
 タイミングを計り飛び降りた。
「動くな!」
 ライフルを構えて恫喝する。
 走ってきた青年は、ぴたりとその場に足を止めた。
「ロイ=オースティンだな」
 俺の問いかけに、ぴくりとその眉を上げる。
 どこと言って特徴のない、平凡な容姿の若者だった。中肉中背。栗色の髪を短く刈り込んでいる。そばかすの浮いた顔立ちも、特に整っているとは言えないものだ。現実世界のどこにでもいるような、ごく当たり前の青年。ことさらに現実と離れた姿形を求めたがる者が多いこの世界では、むしろ平凡すぎて目を引くようなタイプだ。
「僕をそう呼ぶってことは、あなたも僕を連れ戻しに来た人なんだ」
 静かな口調は、無理に大人びようとはしていない、素直な少年のそれだった。
「ああ。ジーンという。K社に雇われたトラブルコンダクターだ」
 名乗って、銃口を下ろした。青年 ―― ロイは ―― またも眉を動かす。
「なんで武器を下ろすんだ?」
 心底不思議そうな問いかけだった。
「丸腰の相手に銃突きつけて会話もないだろう。俺はお前を殺しに来た政府軍じゃないんだから」
 答える。
 そう、ロイは全く武装してはいなかった。レジスタンスの指導者リーダーと呼ばれる立場にあるにしては、ずいぶんと不自然ではあったが。
「ふぅん……」
 意味ありげに呟き、俺の姿をじろじろ無遠慮に眺めてくる。
「今まで来た人達は、みんな名乗りもせずに撃ってきたけどね。僕をログアウトさせるのが目的だからって。あなたもそうなんじゃないの?」
「そんな奴らといっしょにするな」
 言い返す声は思わずつっけんどんになった。
「俺が依頼されたのはお前を目覚めさせることであって、手段まで言及されてはいない。お前が言葉も通じない馬鹿だってんならともかく、こうして話ができるんだ。まずは話し合いから入るのが筋ってもんだろうが」
 あの科学者達と同類項でくくられるなど、まっぴらごめんだった。
「……まずは、か」
 ロイはクスリと笑った。
 話し合いの上で妥協点が見いだせなければ、その次は実力行使も辞するものではない。言葉の裏にあるそんな意味を、きちんと見抜いた上での笑みだ。
 ―― なるほど、確かに頭は悪くない。
 自由にならぬ己の肉体をいとい、ネットワーク内で好き勝手をかますわがまま坊主を想像していた俺は、彼と言葉を交わしながら、少々意外なものを感じていた。
 『これ』は、そんな頭の悪いクソガキなどではない。けして。
「……お前、なんで目覚めようとしないんだ。自分の意志で、やってるんだよな」
「ふふっ、そう訊いてきたのもあなたが初めてだよ」
 身体の後ろで腕を組み、いたずらっぽい口調で言ってくる。
「想像つかないの?」
 問いかける声音もまた、試すかのような軽い響き。
 俺は小さく肩をすくめて返答に代えた。
「俺はお前じゃないからな」
 ―― 現実の肉体が病に冒されているから。
 ―― この世界であれば、彼は他の誰にも劣ることのない力を発揮できるから。
 ―― 辛く苦しい現実世界に戻ることを拒み、かりそめの力にすがって、夢が覚めることを怖れる哀れな子供。
 科学者達から、そんな説明はさんざん聞かされていた。
 黙って聞いてはいたが、正直胸くそが悪くなった。逃げられるはずもない己の肉体から逃げようとする少年の行動にも……そして、したり顔でそれを解説する、科学者共のツラにもだ。
 こいつの考えはこいつにしか判らない。たとえ本人の口からそれを聞かされたとしても、それで全てを理解することなどできはしない。まして口伝えで語られる言葉になど、どれほどの真実が含まれていようか。
 伝えられる情報はあくまで参考にしかならない。こうかもしれないと、予測をたてる材料でしかないのだ。それを理解もせず、薄っぺらな同情を振りかざし、高見から少年を見下して自己憐憫に満ちた罪悪感に酔っている、傲慢な科学者達。
 病に冒されていて何が悪い。こいつが哀れだと誰が決めたのだ。夢の中でだけでも自由を味わえればだと?
 ふざけるな。こいつがいま現在『自由』ではないと、どうして貴様らに判断ができる!?
「……そのとおりだよ」
 ぽつり、と。
 ロイがつぶやいた。
「僕は別に自分の身体が嫌いなわけじゃない。―― とりたてて好きだとも言えないけどね。確かに多少は不便だよ。動きにくいし、すぐに痛くなったり苦しかったり……でも、それが『僕』だ。生まれた時からずっとつきあってきた」
 だから、僕を連れ戻しに来た人達の言うことなんて、見当違いもいいところだった。
「君の気持ちは判る、か?」
 奴らの言いそうなことを口にしてみせる。
 ロイがうなずくのを見て、いっそう不愉快がつのった。ある人物に対しその言葉を言うことが許されるのは、ほんのごく一握りの者だけなのだ。本当に互いを理解しあう、強い絆で結ばれた同志か ―― さもなくば、たとえ嘘だと判っている気休めであっても、それを言葉かたちにすることで、相手を気遣うその想いを伝えることのできる、そんな人間。
 生半可な覚悟で、同情で、言っていいそれではないのに。
「あいつらにだけは言われたくない。そう思ったよ」
「当たり前だ」
 即答する。
 そうして……俺達は互いに目を見交わし、微笑んだ。
「ほんとだね。あなたとは、言葉が通じるみたいだ」
「話、聞かせてくれるか?」
「いいよ。でもたいした内容はないんだけどさ」
 そう言って、ロイは足を踏み出した。
 俺にゆっくりと近付き、その横を通り過ぎざま、ついてくるよう身振りで促す。俺はライフルのスリングを肩に掛け、あとを追った。肩を並べ、地下の通路を静かに歩く。
「別にね、僕は目覚めたくないわけじゃないんだ。ただ、今はまずいだけで」
「いま、は?」
「そう。だってもしいま僕がログアウトしたら、彼らは病室から機材を全部引き上げて、二度と僕をネットワークに入れてはくれなくなるだろう? それは困るんだ」
「……やり残してることでもあるのか」
 問いかけると、ロイはにこっと笑って俺を見た。
「そう! やりたいことがあるんだ」
 よくぞ訊いてくれたと言わんばかりの、嬉しそうに弾んだ声音。
「何を、と訊いて良いか? いつまでかかりそうかでも良いんだが」
 慎重に言葉を選んだ。正直言って、時間はあまり残されていないのだ。
 何故なら彼の肉体は……
「うん。―― 知ってるよ」
 言葉にしなかった想いに答えを返されて、俺は足を止めた。傍らに立つ青年の顔をまじまじと見下ろす。応じて見つめ返してくるその瞳は、ゾッとするほど深く澄んでいた。
「元々ね、長くは生きられなかったんだ」
 つぶやく。
「実際、今までよく保ったもんだと思うよ。今回やった無理をのぞいてもさ」
 淡々とした声音。
 己の未来に待ち受けている、逃れられない運命を理解し、既に受け入れてしまった者が持つそれ。そんな物言いをする人間を、俺は今まで何人も見てきていた。
 これほどに年若い相手は初めてだったけれど。
「……間に合うのか?」
 何をする気なのかは知らなかったが、止めようとする気持ちは失せていた。
 俺が頼まれた仕事は、あくまでこいつを目覚めさせることでしかない。それ以外でこいつが何をやろうと構いはしなかった。どうせろくでもない奴らが作り上げた、ろくでもない奴らが集う、ろくでもない世界。どうなったところで、俺には痛くも痒くもないのだから。
「間に合わせたいとは思ってるよ。僕も母さんに会いたいしさ」
「俺に手伝えることはあるか」
「えっ」
 それまで落ち着いた様子を崩さなかったロイが、初めて言葉を失った。大きく両目を見開いて、俺を見上げてくる。意表をつかれた子供の表情だ。
 ちょっと得意になる。
「やることの内容にもよるけどな。どうだ、俺を雇わないか?」
 片目を閉じてウィンクしてみせた。
「 ―― ぁ」
 ロイが口を開きかけた、その時だった。
 突如、あたりを目映い閃光が照らし出した。続いて耳を聾する轟音と振動。地下道そのものがあらゆる方向に激しく揺すぶられる。
 俺達が向かおうとしていた先で、何らかの爆発物が炸裂したのだ。
「……ッ」
 俺はとっさに身を低くして衝撃波をやり過ごそうとした。爆風に乗って飛んできたコンクリートの破片が、周囲の壁や床を叩いてゆく。
 が、
 俺は目の前に現れた光の壁を、唖然と見つめていた。それから顔を上げ、傍らに立つロイの姿を振り仰ぐ。
 ロイは、少しも取り乱した様子がなく、まっすぐに前を見つめていた。ぴんと背筋を伸ばし、手の平を前方にかざしている。軽く目を細め、精神を集中しているのがうかがえた。そして上げたその右手を中心に、半球状の光の壁シールドが出現し、彼と俺の身体を爆発の衝撃から守っている。
 俺の視線を感じたのか、ロイはふとこちらを流し見た。その間もシールドは小揺るぎすらしない。
「大丈夫だよ。僕はけっこう強いから」
 にこりと笑う。
 それから視線を前に戻し、うって変わった厳しい表情になった。
「いきなり爆弾ほうりこむなんて、ずいぶんなやり方じゃないか」
 まだ消えきらぬ煙の向こうへと言葉を投げる。返ってきたのは数条のレーザー光線だった。一見無防備に立ち尽くすロイの姿に狙いが集中する。
 しかし全ての攻撃が、かざされた手の平の向こうで拡散して消えた。こちらには熱も衝撃もまったく届いてはこない。
 起きあがってライフルを肩から下ろした俺は、いったん構えはしたものの、狙いを付けたものかどうかしばし迷った。どうも援護の必要はないらしい。
 畜生、だの不公平だのといった罵り声が聞こえてきた。そしてさらなるレーザーパルス。いくつか手榴弾も投げつけられたが、全ては壁や床を破壊しただけだった。
「名乗るぐらいしたらどうだ」
 立ち上がりながら声をかけた。が、相変わらず効果のない攻撃だけが返ってくる。
「無駄だよ」
 ロイが呟く。
「敵キャラに名乗る礼儀なんて、持ってる人間はほとんどいないんだから」
 どこか寂しげな口調だった。
「そうなのか」
「うん。味方ならまだ会話もするけどね。敵と話すことなんて滅多にないよ。だってこれはゲームなんだから」
 敵は倒すものと当たり前のように定義されている。全ての存在がごく自然に武器をとり、恐怖も躊躇いもなく殺戮を行う、そのためだけに作られた世界。
 こんな場所から戻りたくないだなどと、誰が考えるものか。
「もうちょっと穏やかな場所ステージを選べば良かったのに」
 極端な話、ここは『そういう』ことを『したい』人間が集まった舞台なのだ。この理知的な青年であれば、もう少し平和で物静かな設定の方が心安らげただろうに。そういった舞台もこの世界には多数用意されているはずだった。なにもゲームを楽しむ人間全てが、こういったタイプのものを好むわけではないのだから。
 迎えに来る俺としても、その方が精神的にどれだけ楽だったことか。
「最初はそうしてたんだ。でも追っかけてくる人達が、だんだん過激になってきちゃって。ここなら他の人を巻き添えにしちゃっても、まぁ良いかなって」
「……巻き添え?」
 科学者達がこれまでによこした人間は、こんな荒っぽいステージでなくとも、乱暴な手段に訴えたというのか。それはいささか聞き捨てならなかった。
「たくさんなったよ。それで、何度も襲ってくる人達から逃げてるうちに、僕の噂が広がっちゃって、いつの間にかリーダーなんて祭り上げられちゃったんだ。ここの反政府活動なんて、思想もなんにもないんだもん。ただ政府軍の敵だから、『反』政府軍だってだけで」
 指導者として求められるものは統率力でも、新国家の構想でも、カリスマですらない。ただ、どれだけ強いか。どれだけ敵を倒せるかという、ただそれだけのことで。
 目的のための手段ではなく、戦闘しゅだんのための反抗もくてき
 なるほど。確かにゲームだ。ならば敵キャラと会話する馬鹿などいはしまい。ここはそういう世界なのだから。むしろそれを求める俺達の方が、ここでは異端イレギュラーなのである。
 思わず二人して苦笑いを交わした。
 穏やかに会話するその間にも、攻撃は絶えることなく続けられていた。
 飛び道具が通じないならと、何人かが距離を詰めるべく、瓦礫の影に身を隠しながら近付いてくる。
「うっとぉしいな」
 とにかくこいつらを何とかしなければ、ゆっくり話も続けられない。むこうに話を聞く耳がないというのなら仕方がない。こちらもこの世界のルールにのっとり、強行突破させてもらうとしよう。
「このシールド、こっちの攻撃は通すのか?」
 そうでなければ、いったん解除してもらって接近戦に持ち込むしかない。
 問いかけた俺に、ロイは肩をすくめて応えた。
「そんなことしなくても良いよ。逃げられるから」
 そう言って。
 彼が何をしたのか、俺はとっさに判らなかった。
 次の瞬間には、俺達の周囲から爆音も飛び交うレーザーも、投げられる罵声さえも、全てが消え失せていた。
 絶句してあたりを見まわす俺に、ロイがくすくすと笑いを漏らす。
「これは ―― 」
 あたりの景色が一変していた。
 暗い……闇に満たされた虚空。
 そこには床も壁も天井も、なにひとつ存在してはいなかった。上下左右、果てを見通すことのできない、どこまでも続く、闇のひろがり ――
 その空間に、幾つもの電気信号が浮かび上がっていた。光で構成された様々な記号の羅列 ―― 一見しただけではただの文様にしか見えないそれらの固まりは、慎重に計算され、構成された精緻なプログラム群だった。そしてそれらは互いに触手を伸ばし、絡み合い ―― 複雑なネットワークを作り上げている。
「お前ッ」
 叫んでロイを振り返った。
「まさか、プログラムそのものに干渉しているのか!?」
 ここは、仮想世界を構築している、プログラムそれ自体の中だった。
 人間の脳という、生体ハードディスクで理解できるよう、調整された電気信号ではない。『それ』を生み出すことを目的とし、別言語で記された、膨大な計算式の集合体。
 いわばここは、仮想現実世界の『外側』だ。この計算式を自由に書き替えられれば、その人物は文字通りその世界の全知全能者 ―― 神ともなれる。
 しかし、こいつはまともな人間の脳味噌で、対処できる代物ではないのだ。
 命令コマンドを打ち込めば、それに付随する多くの単純計算をすべて代行してくれる機械端末。それがあるからこそ、人はこれだけのものを築き上げることができるのだ。突きつめればYesとNo、あるいは0と1に集約される電子言語を全て理解し、その上で目的にそったプログラムを構築していくことは、人間の脳だけでよく処理できる作業ではない。ましてこれほど複雑なプログラムに、齟齬バグを生じさせることなく手を加えるなど、それ自体が神業に等しい。
「無茶だ」
「そうでもないよ」
 呟いた俺に、ロイは首を振って右手をあげた。斜め前方に浮かんでいるプログラムを指し示す。他のものに比べるとさほどデータ量のないそれに目を走らせて、俺は息を呑んだ。
「こいつは……お前が作り出した『世界』か」
「うん。ちゃんとできてるだろ?」
 うなずくロイをよそに、俺は一連の式を解読していった。
 確かに。見事なまでに完成されたプログラムだった。俺の目から見ても、文句の付け所はない。そのデータ容量の小ささは、できあがった世界の大きさよりも、むしろ完璧に整理された無駄のない記述によってもたらされたものだ。
 それに ―― そうだ、こいつはステージを移動したと言っていた。荒っぽい手段をとる追跡者から逃れ、極力巻き添えとなる者を出さぬよう、荒事に慣れた者達が集う世界へと。だが、そんな真似など、外部からの協力なくしてできることではなかった。それこそ、プログラムを書き換えでもしない限りは。
 とんでもない頭脳だった。
 こいつの脳味噌は、文字通りスーパーコンピューター並の情報処理能力と記憶容量を備えているのだ。『優秀な』などという言葉で、ひとくくりにしていいレベルではなかった。
 だが……
「あまり趣味の良い世界とは言えないな」
 俺はそう感想を漏らして、視線をロイへと戻した。
 その頭脳をもって作り上げられた舞台設定は、いささか面白味のないそれであった。
「まぁね。ちょっと腹いせが入ってるから」
「ってことは、もしかしてこの中にいるのは」
「そう。僕を連れ戻しに来た人達だよ」
 ぱちりと指を鳴らす。
 と、そのプログラムに重なるようにして、作成された仮想世界の様子が映し出された。
 白い、病室。
 蜂の巣のようにいくつも並んだ、けれど一つ一つは行き来することのかなわない、小さく清潔な牢獄。
 置かれているのはベッドとパイプ椅子、そしてコンピューターの端末。そして全ての病室に閉じこめられた、やせ細った病人達の姿。
 彼らの手元には端末がある。必要とする情報は、全てそれで手に入れることができた。見たい光景、聞きたいこと、疑問に思うもの。なんでも自由に得られる環境。
 だが、誰一人として端末に向かっている病人はいなかった。
 ある者はわめきながら病室の壁を叩き続け、ある者は部屋の隅で膝を抱えてうずくまり、そしてある者は毛布にくるまってすすり泣いていた。
 出してくれ、と。元の世界に戻してくれと。
「『君の気持ちは判る』なんて、薄っぺらな言葉だよね。ほんのちょっと僕と同じ環境にしてあげただけで、いい大人達がみんなああなっちゃうんだから」
「……ログアウトさせたんじゃなかったのか」
「半分ぐらいは帰してあげたよ。ここにいるのは、不用意なことを言った人達だけだから。それにことが終わったらちゃんと解放する。ただしばらく足止めしてあるだけで」
「聞いてないぞ、そんなことは」
 思わず歯ぎしりした。ライフルの銃把グリップを握る手に力がこもる。
「 ―― 怒った?」
 おそるおそるという風に訊いてきた。
 俺はかぶりを振ってそれに応える。
「お前にじゃない」
 怒りを覚えたのは、子供じみた報復をするロイにではない。彼が子供なのは事実であるのだし、それが不当なものだとも思えなかった。
 俺が腹を立てたのは、依頼人たるK社と、それに属する交渉役の人間、そして科学者達に対してだった。
 ロイへの対応を誤れば、俺もまたこの病室へと送り込まれていたのだろう。そして彼の『なすべきこと』が終わるまで閉じこめられていたかもしれない。そのような危険があるということ、これまでにロイと接触して戻ってこなかった人間が存在するということを、彼らは俺に伝えていなかったのだ。こうして病室を数えてみると、そしてロイの言を信じてその数を倍にしてみれば、これまで相当な人員が送り込まれていたことが判る。それもプログラムを解読し、キャラクター設定データを逆にたどってみると、俺達のような荒事の玄人プロもずいぶんと含まれているらしい。これもまた、聞いていない話だ。
「舐めた真似してくれるじゃないか……」
 うなり声を漏らす。つまるところ、俺達は捨て駒だったと言うことだ。
 充分な情報を与えもせず放り込むそのやり口は、とても任務の成功を期待したものとは思えなかった。おおかた本命は別に ―― 正規の医療班チームかなにかが ―― 存在するのだろう。俺達に求められたのは単なるデータ収集だ。ロイと接触し、帰ってくればひとつの資料として今後の参考とし、こなければこないで痛くも痒くもない部外者。これ以上貴重なスタッフを浪費することなく、相手ロイのやり口を探るために、犠牲になってこいという訳か。
 いかに気にくわない相手であれ、依頼人であるからこそ、と譲歩してやっていれば……
 歯ぎしりする俺に、ロイが気遣うように声を掛けてくる。
「あの、お兄さ……」
 途中で不自然にとぎれたその呼びかけに、俺は思考を中断して彼を振り返った。そしてぎょっと目を見開く。
「お前、消えかけてるぞッ」
 とっさに手を伸ばし、その腕をつかみ止めた。
 が、触れあった接触面からさらにノイズが発生し、ただでさえ曖昧になっていたロイの姿を、さらに激しくかき乱す。
『 ―― な、に ―― こ ―― 』
 ロイは愕然としたように己の手の平を見下ろしている。全身が映りの悪いモニターのように、激しく乱れ、歪んでいるのだ。
『ぼく、は ―― 』
 声すらもが、先程までの穏やかに澄んだそれとは似ても似つかぬ、掠れた雑音混じりのそれだ。
 俺は一度つかんだ腕を放し、しかるべき処置をしてから再びロイの手を取った。
 ごくわずかに、ノイズがおさまる。
「おい、聞こえるか! 無理にフォーマットしなくていい。直接話せッ」
 叫ぶように言って、かろうじて形を保っている手の平を、耳に押し当てた。
 途端に流れ込んでくる、未整理な電気信号の羅列。解読し、音声言語として組み上げてゆく。
『 ―― じかん、きちゃったみたいだ』
「発作か」
 現実世界に存在する、少年の肉体自体の方に、生存の危機が迫っているのか。
『いままで、も、ときどき ―― でも、ちょっとこれ、は ―― 』
 今にも消えそうになる姿を、何とか補助してたもたせた。
「待てよ。まだ終わってないんだろう。お前はやることがあるんだろう?」
『もう、すこし ―― すこし、だけ ―― 』
「手伝ってやるって言ったじゃねぇか。俺にできることがあるだろう!?」
 突然突きつけられたタイムリミットに焦りを覚える。何かできることはないかと必死で呼びかけた。そんな俺の前で、青年の口が数度、音もなく動く。
『 ―――― 』
 わずかな間をおいて、一連の式が俺の目の前をよぎっていった。
 恐ろしいまでに凝縮された、完璧な計算式だった。わずか数秒で流れ去ったそれが意味するものを読みとって、俺は背筋が凍るような感覚をおぼえる。
 こいつは……こんなことを計画していたのか。
 ともすれば非情な営利主義に走ることをし、俺達のような人間まで雇った民間企業が、どうして少年一人の身を尊重し、ケーブルを引っこ抜くなどの強硬手段をとらなかったのか。そして何ゆえに少年がこの世界へととどまり、今回のような事態を引き起こしたのか。
 それらの理由が、この数式を見ればはっきりと判る。
『おねが ―― 』
「……わかった」
 いちど唾を呑んで渇いた喉を湿し、俺は大きくうなずいて見せた。そしてともすれば消えそうになるロイに、続けて言い聞かせる。
「後で会いに行くから。だからそれまでは意地でも死ぬな。お前の死は避けられないものかもしれないが、それでもそれは、まだ『いま』じゃない」
 俺とお前とで交わす契約。それは依頼を受け、力を貸す代わりに支払われるものがあってこそ成り立つのだ。だがそれはまだ、決められていない。だから、それを決めに俺が行くまで、絶対に……
「待ってろ!」
『う、ん ―― まって ―― か ―― 』
 答えが終わりきらないうちに、限界を越えたロイの身体は分解した。
 『彼』を構成していた計算式が、バラバラに繋がりを解かれ、虚空の中へと散ってゆく。後には何も残らない。青年の痕跡を示す、何ひとつとして。
 ……今頃、病室では少年が目覚めていることだろう。いや、発作中の身体であれば、あるいは意識を取り戻すより先に逝ってしまうかもしれない。
 少年の病状からいって、その可能性は低いものではなかった。


 俺は、しばし無言でその空間に立ち尽くしていた。
 やがて、手を持ち上げ、うわむけたその手の平に神経を集中する。
 先刻、青年が残していった数式が浮かび上がった。もう一度その内容を確認してから、包み込むように拳を握る。あともう少しのところで未完成の式は、圧縮された光の玉になった。さらに上から幾重にもプロテクトをかけ、余人には解読不可能なように封印する。
 守るから。このプログラムは他の誰にも触れさせないから。
 だからお前のその手で完成させるがいい。必ず。
 ふたまわりほど大きくなった光球を、抱きしめるようにして体内におさめる。
 そうしておいて、傍らに浮いているプログラムを改めて眺めた。
 ロイがひそかに作り出した、白い監獄。捕らえられた者達は、未だ解放されてはいない。
 伸ばしかけた手は途中で止まった。
 俺はこいつらについて、何ら説明を受けてなどいない。契約にもその存在すら言及されてはいない。そんなものに手を出してやる義理も、筋合いもありはしなかった。
 が ――
「これぐらいは、してやろう」
 一度止めた手を再び動かし、数式を指でなぞってゆく。
 書き換えは数ヶ所ですんだ。
 ……まともな人間の脳味噌では、とても処理できない膨大な電子情報。だが、あいにくと俺もまともではないのだ。その気になれば、ロイとも充分にわたりあうことができた程度には。そしてそうなれば、経験豊富な俺の方が、断然に有利であることも自明の理で。
 ただ、俺はその気にならなかったのだ。『彼』を、相手にした時には ――
「さてと。これで良い」
 できあがった新たなプログラムを眺め、口の端を歪めた。
 そうして一歩身を引き、目を閉じる。
 あとは一言思い浮かべるだけで良かった。


 ―― ログ・アウト ――


*  *  *


 深々としたため息をついて、少女は閉ざされていた両の目を開いた。
 見慣れた計器類を目にし、なじんだシートの座り心地を確認して、もう一度大きく息を吐き出す。
 彼女はそのまましばらく身動きせずにいたが、やがて自動扉が開く音を耳にして、首だけでそちらの方を振り返った。
 室内に入ってきたのは、精悍な顔立ちをした、二十代半ば頃とおぼしき青年だった。細身の身体をシンプルな黒いスーツで包んだその姿は、不揃いに伸びた黒い髪といい、浅黒い肌や銀灰色の瞳といい、見事なまでに色彩というものをまとっていない。
 口元にマイクの伸びた、ヘッドセットを装着している。どうやらいままでこれで連絡を取っていたらしい。
「終わったか」
 そう言いながら歩み寄り、コンソールの片隅に湯気を立てる飲み物を置いた。そして入れ替わりに、全く中身の減っていない、冷め切ったカップを回収する。
「ああ。一応はな」
 少女は、うなずいて、ようやく背もたれから身体を起こした。首の後ろに手を回し、延髄に埋め込まれたコネクタからケーブルを引き抜く。そして何かを払い落とすようにぶるぶると頭を振った。
 その動きにあわせ、長いベビーピンクの髪が大きく広がって背中を覆った。ひとつ舌打ちをして、うっとおしそうに掻き上げる。
「ったく、後味が悪いぜ。これだから営利目的の民間企業って奴は信頼がならねぇんだ」
 苛立たしげに口にされる言葉は、完全に男の口調だった。だが、声の質は高く澄んだ少女のそれに他ならない。それも、とびきりに可愛らしい。
 波打つ艶やかなその髪は腰までも届き、豊かに上体の輪郭を覆っていた。髪と同色のつぶらな瞳は、顔の半分を占めるのではないかと思われるほど大きく丸く、長い睫毛に縁取られて輝いている。雪白の肌に、ふくよかな頬。誰もが口をそろえて絶世の美女と評するだろう。……十年後、であればだが。
 特注で作らせたシートに納まるその姿は、驚くほどに若かった。なにしろ、床に足が届いていない。手足のラインなど、まだ思春期に見せる硬さすらもなく、幼さを残した丸いそれだ。ローティーン、いや、下手をすれば十にすら達していないかもしれない。少女というよりも、まだ幼女と呼ばれるような外見だ。
 しかし、青年を見つめ返す瞳には、深い知性と意志の力を感じさせる色があった。
 この少女は、けして保護者を必要とするような未成熟な個体ではなかった。むしろそんじょそこらの大人など、足元にも及ばない風格を備えている。
 カップに手を伸ばし、まだ熱い液体に息を吹きかける。その後ろに青年がまわりこんだ。
「……で?」
 取り出したブラシで少女の髪を梳きながら、青年が問いかける。
 これからどうするのか、と最低限の音声で問いかける彼に、少女はしばらく黙り込んだ。彼女が思案している間にも、青年の手は器用に動き、長い髪を編みこんでゆく。
 やがて少女が口を開く頃には、量の多い髪は頭の両脇で二つの団子状にまとめ上げられていた。
「お前もモニタしてたんだろ? このままですませてやる気はさらさらねぇ。もうじきむこうから連絡が入るはずだ。対応はそれによって変わるが、こんなふざけた真似されてほっといたんじゃ、殺人蜂の名がすたるぜ」
 ふっくらとした唇に、物騒な微笑みが浮かぶ。
 充分なデータも与えないまま、捨て駒扱いにしてくれたのだ。そんなやり口を黙って受け入れているようでは、今後トラブルコンダクターとして、まともな仕事はまわってこないと考えて良かった。
 少なくとも、眠り続けていた少年がログアウトした時点で、契約は文句なく履行されたのだ。あとは個人同士、何を気兼ねする必要もない。
 すっかり露わになった細い首に、コネクタを隠すように幅広のチョーカーを巻いた。小さな金属球を幾重にも連ねた首飾りは、メタリックな輝きで絢爛けんらんに少女を彩る。
「この俺達をこれだけ侮ってくれたんだ。きっちり礼はしてやらないとな」
 そうだろう?
 振り向いて見上げてくる少女に、青年は無表情のままうなずいた。彼は、こんな状態の彼女に逆らうことの無謀さを良く知っていた。
 そして何より、彼女が怒りを覚えている同じことを、彼自身も不愉快に感じている。それは、けして不当な契約を押しつけられたと言う、それだけにとどまらず。
 心と肉体とは、不可分のものである。
 それが、彼らにとっての現実だった。否定しようにも、絶対にかなわない。
 そう。たとえどんな心を ―― 魂を持ち合わせていたとしても、あの少年は身動きも満足にできない病人だったし、そして彼女は……ジーンは、年端もゆかない少女であった。その現実は変えようなどないし、変えるべきものでもないのだ。正当な肉体の治療や、時の流れといった限られた方法を除いては。
 そうだ。たとえ電脳世界でどれほど満足のゆける身体を得られたとしても、あくまでそれは『病人』である『少年』が夢見ているそれでしかない。実際、電脳世界であれほどの強さを誇っていた少年は、現実の肉体が起こした発作により、あっけないほど簡単にログアウトしてしまった。たとえどんなに心と身体は別だと主張したところで、けっきょく心とは肉体に引きずられるものなのだ。 ―― どうしようもなく。
 少年には、それが判っていた。少女もそれを、理解していた。
 だが、健康な……否、そうと一般的に評されている人間ほど、傲慢なまでにそれを理解しようとしなかった。心と身体は別のものだと。たとえどんな肉体を持っていたとしても、その事実で、あなたの価値は損なわれなどしはしないのだ、と。
 冗談ではない。一人の人間が持つ肉体。その優劣を評価して良いのは、その当人だけである。百歩譲って、その人間を間近で世話し、負担を受けざるを得ない人物と。ただそれだけだ。
 赤の他人が横からしゃしゃり出て、親切ごかしに口を出し、お前の肉体は劣っている、だから代わりのそれを与えてしんぜよう、などとほざくのは、思い上がり以外のなにものでもなかった。
 得意げにシステムの説明をしていた、科学者達の顔を思い浮かべる。
『その格好のままでは、ちょっと不自然でしょうねぇ』
『どうします? 大人の女性でも、たくましい男性の姿でも好きなものを選べますよ』
 あの言葉が、どれほど少女の心を手ひどくえぐったか、彼らは理解など一生すまい。
 そう ―― かつて持っていた力強く頑健な肉体を、そして成長することすらをも奪われて、それでもこうして懸命に生き続けている、ジーンの魂を ――
「何をすればいい?」
 問いかける相棒に、少女は間髪いれず答えた。
「とりあえずメシ」
 腹が減っては戦はできぬ。
 そして調理台に背の届かぬ彼女が無理をして用意せずとも、この青年は至極腕のいい料理人だった。
 まとめ終えた髪にリボンを結んだ青年は、うなずいて空になったカップを手に取った。そうして彼が部屋を出ていく間に、少女は素晴らしいスピードでキーボードに指を舞わせ始める。たちまち計器類が光を取り戻し、めまぐるしくデータを表示させていった。
 彼女の情報処理能力は超一流だ。そしてそれは、その肉体が持つ神経伝達速度や内分泌物質ホルモンなどによる影響が大きい。もちろんのこと、それ相応の訓練は必要としたが。
 『彼女』が他でもない彼女であったこと。それを否定するつもりはない。肉体と、心の双方がそろってこそ、現在の彼女ジーンがある。
 あの無神経な科学者共と、技術開発に携わったすべての者に、それを思い知らせてやるとしよう。
 手加減などするつもりも、そしてためらう必要すらも既になかった


 コンソール上の通信システムが、着信のランプを点滅させた。送信元は依頼人の番号だ。素早く動く指が、すかさずスイッチをONにする。
『おい! これはどういうことだッ』
 額に青筋を浮かべた交渉役の男が、画面上に大写しとなった。
「これ、とは?」
 言われる内容をほぼ予測しながら、少女は椅子の上でゆったりと足を組んだ。
 カメラに映りこまぬ位置の画面では、少年から託された数式のモデルと、依頼人のコンピューターに植え込んできたプログラムを表示している。
 少年の手によって巧妙に隠されていた新たな仮想世界は、いまやその擬装を全て取り払われ、万人の ―― 一般使用者ユーザー達の目にすら ―― たやすく確認できるようになっていた。しかしその世界に干渉し、捕らわれた人間達を解放することは、よりいっそう難しくなっている。天性の才能を持っていた少年のプロテクトと、それをさらに強固なものとする、ジーンのバージョンアッププログラムによって。
「おっしゃる意味が判りませんが。捕らわれた人員ですか? そのあたり、詳しくご説明いただけます?」
 にっこりと微笑む表情は、どこまでも愛らしい美少女のそれだ。
『こ、子供に用はない! あの男を、責任者を出せ』
 平静を失っている男は、己がどんどん墓穴を掘っていっていることに気がついていない。
 そして今までのところ、切り札は全てこちらの手の内にあった。
「本当のゲームはこれからさ」
 マイクが拾わぬよう、低い声でジーンは呟いた。
 だから ――
 ほんのわずかな調査で確認できる少年の生死を、今はあえて調べようとしない。
 『お前』も、参加しろよ。
 胸の内でささやいて、少女はキーボードに手を伸ばす。


 現実のリアルゲームは、始まったばかりだった。


(2000/12/27 14:47)


オリジナル同盟の新世紀企画「2001年未来への旅」に使った作品です。

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