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 迷子 2
 モノカキさんに30のお題より】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/04/14 15:35)
神崎 真


 その日はろくでもない一日だった。
 本来であれば、寝床も食事も保証された隊商の護衛にありついて、今頃は焚き火のそばでぬくぬくとしていたはずなのに、と。
 人通りの少ない街道を大股で歩みながら、青年は苛立たしい気持ちを抑えきれずにいた。
 あたりは既に、日暮れが間近い。
 今の時期、この地方の日没は早かった。太陽が傾き始めたと思えば、あっという間に暗くなってしまう。既に空の色が茜から藍へと変じつつあるこの時間帯、街道をゆく旅人達は進む足を止め、今宵一夜を過ごす準備を始めるのが普通であった。
 いまも青年が向かう先には、ひらけた草原へと場所を移し、野営の準備をしている一行があった。数台の荷車と騎馬からなる、商人達の群だ。街道の先は、しばらく行った先で鬱蒼とした木立の中へと消えている。森の中で夜を迎えるのを避け、その手前で一泊しようというのだろう。
 歩調を落とすことなく行き過ぎようとする青年へ、一人が驚いたように声をかけてくる。
「おい、あんた。この森は、抜けるのに丸一日はかかるぞ!」
 こんな時間に入りなどしては、視界もろくにきかない森のど真ん中で、夜を過ごす羽目になる。叫ぶ商人へと、しかし彼はおざなりに手を振っただけで、そのまま歩き続けた。とりつくしまもないその背中に、夕食の用意をしていたその男は、フライパンとフォークを持ったままで立ちつくす。
 実際、商人が驚くのももっともであった。
 いかに整備された街道とはいえ、その先は重なる分厚い枝葉に遮られ、昼なおろくに光の射し込まない、暗い道である。夜ともなれば、たとえ松明をかざしたところで、ろくに物を見ることもできないだろう。下手に方向を失い道から外れれば、そのまま一生森から出られないおそれさえある、そんな場所だ。
 また夜行性の獣や、あるいはもっとやっかいな盗賊の出没など、夜の森はあらゆる危険に満ちている。多くの馬車と商人、護衛の戦士達などで組まれた隊商でさえ、手前で夜明けを待つのが普通であった。それなのにこの青年は、剣を帯びてこそいるものの、たった一人で森に入ろうというのだ。見送る商人達の目から見れば、自殺行為にも等しかった。
 だが彼自身は、その点まったく気負ってなどいないらしい。
 確かに ―― 腕はそれなりに立ちそうだった。
 見たところ金で護衛や戦闘を請け負う、傭兵あたりなのだろう。あるいは賞金稼ぎか何か、とにかく剣で飯を食っていることに間違いはないようだ。
 筋肉質だが細く引き締まった、手足の長い体格。なめし革を思わせる濃い褐色の肌が、無駄のない筋肉を覆っている。動きやすげな麻の衣服に、黒革の長靴ちょうか。腰に下げている長剣は、いかにも使い込まれた様子だ。
 年はまだ若い。おそらく二十を二つ三つ過ぎたぐらいか。癖のある焦茶の髪をおおざっぱに切り、革紐で束ねている。
 不機嫌そうに、まっすぐ前を向いた、薄紫の瞳。南方の出をうかがわせる容姿の中で、そこだけがけぶるような淡い色を宿している。
 無造作に垂らしていた手を持ち上げ、くしゃりと前髪をかきあげた。
 顔を覆うようにしたその手のひらの下で、どこを見ているともしれぬ瞳がじわりと細められる。


 森の中は、文字通り真の闇に覆われていた。
 荷馬車や馬などに踏み固められ、足下は平らで歩みやすい。だがところどころ岩やくぼみを避けるため、大きく迂回している場所があり、下手をすればすぐに方角が判らなくりそうだった。そんな中を青年は、灯りすら持たずに進んでいる。
 夜目がきく、と言うわけでもないらしい。
 森に入ってから多少進む早さを落とした彼は、一歩一歩確かめるように足を踏み出していた。靴底の感触をたよりに正しい方向を確かめているのだ。時おり草むらの上に足を置いては、思い直したように向きを変えている。
 だが別段緊張するそぶりもないその足取りは、彼がごく自然に歩んでいることを示していた。
 青年がその歩みを止めたのは、既に夜もだいぶ更けてからであった。
 一般家庭であれば、そろそろ夕食を食べ終わろうかという、そんな頃合いである。
 相変わらず一定の歩調で進んでいた彼は、ふと唐突に動かなくなった。
「…………」
 半ば目蓋をおろし、耳を澄ますように首をかたむける。
 そうしてしばらく立ち尽くしていたが、やがて彼は小さくため息をつくと、再び歩き始めた。その歩調に迷いはなかったが、先刻までよりもわずかに慎重なものとなっているようだ。
 やがて ――
 藪をかき分ける、不自然な音が聞こえてきた。
 青年の表情は変わらない。
 木立の向こうに、ちらちらと灯りがまたたいた。それが移動するにつれ、藪をかき分ける音も近づいてくる。まだかなり距離はあったが、この暗い森の中でようやく目にできた光と人の気配は、ひどく安心をもたらしてくれるものであった。 ―― 通常であれば。
「ったく、めんどくせえな……」
 忌々しげに呟いて、青年は腰の剣へとさりげなく手をすべらせる。
 やがて道が大きく曲がったところで、まばゆい光が彼を照らし出した。
「よう、兄ちゃん。道に迷ったのかい?」
 角灯を手に問いかけてきたのは、中年の男だった。一人ではない。その背後に数名、やはり角灯を掲げて男達が並んでいる。
 持っているのは灯りだけではなかった。抜き身の剣やら棍棒やらをぶら下げ、にやにやと締まりのない笑いを浮かべている。
 どう見ても、追い剥ぎの一団だ。
「良ければ森の出口まで案内してやるぜ」
 飛び込んできた獲物を脅すように、男達は代わる代わる口を開いた。
「なぁに、代金は有り金ぜん ―― 」
 しかし三人目の男は口上を最後まで言うことができなかった。
 なぜなら、ずかずかと近づいた青年が、おもむろに刃を突きつけたからだ。
「うるせえ。俺はいま機嫌が悪いんだ。つきあってられるか」
「は……」
「案内なんざいらないし、迷った訳でもねえ。いいから道をあけやがれ」
 眉間にしわを寄せ、すがめた目で男をねめつける。
「なっ、てめえ、この武器が目に入らねえのか!?」
 剣を向けられている男以外が、恫喝するように武器を持ち上げた。慣れた動きで道幅いっぱいに広がり、青年を威嚇する。
 だがその台詞は逆に、青年を逆上させる結果となった。
「 ―― 見えてなくて」
 低い呟きが洩れる。
 そうして青年は、男の顔前すれすれで静止させていた剣を、大きな動きで振りかぶった。
「悪かったなーーッッ!!」
 わめきざま、男の持っていた灯りをたたき落とす。
「うわぁッ」
 頭をかばいしゃがみ込んだ男には目もくれず、青年はさらに踏み込んで剣を振るった。立て続けに角灯を狙う。物が壊れる音がするたび、あたりが暗くなっていった。
「どーせ俺は目が悪いさ! だからってクビにしなくったって良いだろうがッ!」
「は、ぇえ!?」
 追い剥ぎ達には理解できないことを叫びながら、青年は最後の光源目がけて剣を振り下ろした。


 がしゃん


 あたりに、先刻までと変わらぬ闇が戻った。いや、一度光に目を慣らしてしまった者にとって、それはこれまで以上に濃く深い暗黒である。
 男達は狼狽した声を上げて右往左往した。その声は、道の両脇にある藪の中からも聞こえてくる。樹下の暗がりに身を潜め、逃げようとした場合の退路を断つ者がいたのだ。予想外の反応に出る機会を失っているうちに、視界が閉ざされてしまったらしい。
 うろたえる彼らを、青年は的確に倒していった。鞘に収めなおした長剣で、無造作に殴りつけてゆく。
「がッ」
「ぎゃっ!?」
 短い悲鳴が連続し、やがて静かになる。
 動く者の気配が感じられなくなった事を確認して、青年は小さくため息をついた。外して持っていた剣の鞘を、元通り腰へと留め直す。
 そうして彼は、忌々しげに舌を打った。
「……ったく、とことんろくでもねえ事が続きやがる」
 ばりばりと音を立てて頭をかきむしる。
 漆黒の闇の中、死屍累々とばかりに横たわる追い剥ぎ達のただ中にあって、その振る舞いは相当に異様なものだった。
 普通であればこうした場合、さっさと相手を拘束し役人に突き出すことを考えるか、あるいは気絶した者が目を覚まさぬ内にとっとと立ち去るかのどちらかであろう。ことに剣で身を立てている者であれば、こういった盗賊達を倒すことはいい飯の種のはずだ。近在の町や村につれてゆけば、なにがしかの金にはなるものである。
 しかし ――
「どうせ手続きだなんだでうるせえんだよな」
 足元の身体を爪先でこづき、嘆息する。
 お役所仕事というやつは、実に枝葉末節うるさくできていて、やれ書類に署名しろだのなぜそんな物騒な時間に出歩いていたのかだの、散々煩わされることは目に見えている。

『てめえ、この武器が目に入ら ―― 』

 追い剥ぎの台詞を思い出して、青年はこづく爪先に思わず力を込めた。
「見えてなくて、悪かったなッ」

 ぐりぐりぐり

 哀れ気絶している男は、八つ当たりともいえるそれにうめき声を上げる。
 ―― そう、
 この青年……呼び名をディーという彼は、その実とことん目が悪かった。
 明るい場所なら動く物の影となんとなくの色は判るかな、と言う程度の視力では、通常日常生活すら危ういものだ。それで傭兵などという危険な職業を続けているあたり、その技量は相当なものであった。
 しかし戦うことができるというだけでは、日常の雑事などそうそうこなしきれない。
 まず字が読めない。当然書けない。組合ギルドで募集されている求人の張り紙を見ることもできなければ、賞金首の似顔絵を覚えることもできない。
 はっきり言って、これで傭兵をやっていこうと考える方がどだい無茶である。
 なまじ視力を失ったときには一人前としてやっていただけに、今さら他の職業など選べないというのが、実状だったりした。
 今回も最終契約の段階で契約書を読むことができず、文盲の振りでごまかそうとしたあげく、ボロを出してクビというのがことの成り行きである。
 はっきり言って、彼は強い。
 視界の効かない状況下での戦闘はまず負けを知らず、普通の状況であっても人並み以上の戦闘力はきっちり持ち合わせていた。
 それでも、雇用する側からしてみれば、その相手に己の命と財産をかけようというのだ。明らかな弱みを持つ者など、雇いたくないのが当然のことで。
 深々とため息をついて、青年は肩を落とした。
 しばらくそうしていてから、気を取り直したように顔を上げる。
 ともあれ、こんな場所で落ち込んでいても仕方がない。とにかくまずは森を抜けるとしよう。
 そう思い定めて歩き始める。
 後に残す男達のことなど、もはやすっかり忘れさってしまったかのようだった。
 ……これぐらいおおらかでなければ、弱みを抱えての傭兵家業など、やってはいけないのかもしれない。


 そんな彼が、夜気をわたる楽の音に心惹かれ、ひとつの出会いを果たすのは、もう数刻ばかりのちのことである ――


(2003/05/04 17:38)
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