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 迷子 1
 モノカキさんに30のお題より】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/3/21 14:46)
神崎 真


 竪琴の紡ぎ出す澄んだ音色が、夜の大気へと浸透していくようだった。
 爪先がなめらかに弦をはじき、旋律が生じる。取り替えたばかりの新しい糸は、その持ち主が求める通りの、張りのある響きを奏でていた。
 調弦の具合を見るためだけに弾き始めた曲が、思った以上に満足のいく音色に、自然と熱のこもったものへと変わってゆく。そんな風情だ。
 あたりには、耳を傾ける聴衆ひとり存在しない。
 完全に陽の落ちた、森の一角。街道からわずかに木立へと分け入ったそこで、ひとりの青年が火を焚き野宿の準備をしていた。頃は既に夕餉の始末も終え、あとは横になるばかりという、そんな時刻。
 それは、連れもなく一人で旅をしているにしては、いささか無防備なふるまいだったかもしれない。これが屈強な男だというのなら、まだ判らなくもない。だがいま焚火の前で竪琴を奏でているのは、ほっそりとした身体つきの若者だった。弦の間を舞う長い指は、剣など握ったこともないだろう、白く繊細なそれだ。わずかにうつむいた頬に、長い髪が落ちかかっている。流れる水のようにつややかな、癖ひとつない白金が、揺らめく炎を浴びて柔らかな光沢を帯びる。
 軽く伏せた目蓋の、睫毛が落とす淡い影。うっすら色づいた形良い唇を、わずかに開いて息を吸い込む。


  白き尖塔 砂漠の夜
  月を仰ぐは 囚われの姫


 穏やかなテノール。
 ややもすると女性とも見まごう、整った顔立ちの青年は、しかし深みのある男性声で古い恋の歌を語り始める。


  夕星宿せし 夜空の瞳
  象牙の肌 流れる髪は紫檀のごとき
  滅びた王国 最後の姫よ

  砂の海を渡りて来たる
  救いの御手は


 唐突に詩が途切れた。
 なめらかな旋律を奏でていた竪琴も、高い一音を最後に歌うのを止める。
 うつむき加減だった顔を上げ、彼は木立の奥を見はるかした。
「 ―― 誰です」
 鋭い声で誰何すいかする。
 木々の下は、深い闇に沈んでいた。重なり合う枝葉に覆われた中には月の光も届くことなく、また青年の燃やす炎さえも、わずかに手前の茂みを照らしているばかり。
 角灯や松明の火ひとつ、そこには見受けられない。森の中は、おそらく伸ばした手の指先すら見えぬだろう、真の闇となっているはずだ。そんな中を、灯りを持たぬ人間が進めるとは思えない。
 しかし青年は、きつい眼差しで闇のむこうをにらみつけていた。
 その手がそろりと動き、近くに置いた荷袋の中へと消える。視線を動かさぬままでいる青年の表情は、明らかに相手を警戒するものだ。
 夜闇に紛れ、灯りも持たずに近づいてくる気配。
 いくら急ぎの旅をする人物であっても、こんな夜更けに進もうとなどするものではなかった。しかもこのあたりは、人里離れた寂しい土地だ。近在の村人が夜歩きしているのだとは考えにくい。まして彼は街道から離れた位置に居場所を定めていた。急いでいるというのなら、わざわざ街道をはずれてやってくるのも不自然だ。
 道に迷った人間が、歌声に惹かれてきたのなら、それは構わない。
 だが、よからぬ目的で接近してくる、夜盗や物取りであったなら ――
 青年の用心は、けして杞憂とは言えなかった。
 この時代、たとえ整備された街道であっても、旅に危険はつきものであった。野生の獣や天災などによるものは無論のこと、人目につきにくい場所で、不当に他者の財産を狙う不届きなやからも、数多く存在しているのだ。
 だからこそ、多くの旅人は複数で旅するのが常であった。たとえ知り合いなどではなくとも、目的地を同じくする者達がしばし行動を共にしたり、あるいは懐に余裕のある者は、金を払って腕に覚えのある用心棒を雇ったりと、それぞれに自衛の手段を講じている。こんな武器もろくに扱えなさそうな青年が、ひとりで旅を続けているなど、奇異とさえ言えた。
 がさりと、下生えが大きな物音をたてる。青年の身体が緊張に固くなった。
 焚火の明かりに、背の高い影が浮かび上がる。
 顔の高さに伸びた枝を、片手で無造作に押し上げて。
「おどかしちまったか」
 悪ぃ悪ぃと、気さくな口調でそう言って、男が一人拝むように手のひらを立ててみせる。
「 ―――― 」
 青年は、まだ警戒を解こうとはしなかった。
 無言で視線を動かし、相手を観察する。
 一見して、荒事を生業にしているのだろうと、そう見て取ることができた。年は青年より一つ二つ上 ―― 二十二、三というあたりだろうか。細く引き締まった身体に、簡素ながらも動きやすげな衣服をまとっている。腰に使い込まれた長剣。防護の代わりなのか、長袖の肘から先に、革紐を幾重にも巻いている。
 金で身につけた武技を売る、傭兵というところか。
 もっとも、賊でなかったからといって安心はできない。一口に傭兵といっても、その質には大きく波がある。中には用心棒として雇われた者が、街を離れたとたん、追い剥ぎへと転じる場合もあるのだ。
 はたして警戒されているのに気がついているのか。その男は迷いのない足取りで木立から出て、焚火へと近づいてきた。
「今の歌、あんただろ。吟遊詩人なのか?」
「……ええ」
 見れば判るだろう。そう言いたい気持ちを抑え、低い声で答えた。
 旅のさなかにもかかわらず、邪魔な長い髪を伸ばしたまま、優雅に楽器の手入れなどしている男が、それ以外の一体なんだというのか。
 長く美しい髪も、楽器などという代物も、本来はそれなりに身分と財力のある人間でなければ維持できない、贅沢なものである。吟遊詩人を含む数多の芸人達が、旅のなか金と手間暇をかけてそれらを保つのは、それが彼らの商売道具だからだ。
 判りきったことを問いかけて、世間話でこちらの油断を誘おうとでもいうつもりか。
 警戒を強める青年の前で、男の履く革製の長靴ちょうかが、乾いた枝を踏みしめる。

 べきぃっ

 枝が折れる音と同時に、男はまともにひっくり返った。
「ふぎゃっ!?」
 その見事な転びっぷりに、青年は思わず目を点にする。
 子供ならばともかく、いい年をした大人がここまで手放しに転ぶのなど、そうそう見られるものではなかった。
 顔面から地面につっこんだ男は、うずくまったまま動かない。
「……あ、あの……大丈夫です、か」
 ためらいがちに声をかける。
 しばらくおいてから、枯葉まみれになった後頭部が小さく上下した。
「あんま、し」
 こもって聞き取りにくい声が、震えながら答えを返す。どうやら鼻をぶつけたらしい。
 肘をつき、よろめきながら上体を起こす。と、真下の地面に、ぽたぽたと赤い滴がしたたり落ちた。
「あ ―― 」
 鼻血。
 両者の動きが気まずげに止まる。
「あっと、その……」
 鼻を押さえたまま言葉を濁す男へと、青年は小さくため息をついた。
 そうして、肩の力の抜けた、柔らかな微笑みを浮かべる。
「横になった方がよろしいですよ」
 そう言いながら、手を入れたままだった荷袋を引き寄せ、中から血止めの薬草を取り出した。もちろん、最初に出そうとしていたのとはまったく違うものだ。
「わ、悪い……」
 四つん這いのまま近づいてきた男は、薬草と湿らせた手拭いを受け取ると、そのままごろりと仰向けになった。手探りで腰の剣をはずし、傍らに置く。
 どう見ても、旅人を襲いに来た野盗とは思えない。
「森の中で、迷われたんですか」
 濡れた手拭いを目の上へ載せ、動かなくなった男へ問いかける。
「あー、まあ、そんなとこかな」
 男は気のない答えを返した。
「あんたは?」
「野宿のついでに、竪琴の糸を代えていたんです」
 指を伸ばし、軽く弦をはじく。
「なるほど」
 そう答えて、男は沈黙した。
 それ以上は何も訊いてこず、青年もまた、言葉の接ぎ穂を失う。
 実際、いきなり現れた見知らぬ男とあえて話などしたいとは思えず、また根ほり葉ほり質問されるのも、かえってうっとおしかった。相手が何も話さないのであれば、それはそれで悪くない。
 青年はのり出し気味だった上体を戻し、座り直した。
 しばし、薪のたてるぱちぱちという音だけがあたりを支配する。揺らめく炎が、座る青年と横たわる男の影を地面に映した。
 それは、先刻までとなんら変わることのない、静かな夕べ。
 青年は、再び竪琴へと手を伸ばした。慣れた手つきで位置を定め、弦へと指を滑らせる。
 男は数度身じろぎしたが、目元の手拭いをどけようとはしなかった。
「ユーレリスの恋歌か」
 悪くねえな。
 低い呟きに、青年の口元が無意識にほころんだ。
 連続して鳴る和音が、先ほどまでと同じ旋律を組み上げてゆく。


  白き尖塔 砂漠の夜
  月を仰ぐは 囚われの姫

  夕星宿せし 夜空の瞳
  象牙の肌 流れる髪は紫檀のごとき
  滅びた王国 最後の姫よ

  砂の海を渡りて来たる
  救いの御手を差し伸べし
  若者との出会いはいまだ遠く

  なれど姫よ 悲しむなかれ
  兆しは既に おとずれぬ

  兆しは既に おとずれぬ ――


 どこか切ない響きを持つ歌声が、夜の森へと穏やかに溶け込んでいった。


(2003/3/23 11:16)
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この文章どこかで読んだと思われた方、あなたは正しいです。
実はこれ、以前キリ番リクエストで書いた「斬靄剣 ― 鈴音道行 ― 」の原型に当たるお話でして。なのでネタはもちろん、文章も思い切り被ってます(汗)
一応こっちの方が先に頭の中にありまして、むこうはそれを時代劇世界にぶち込んだという形なのですが ―― あんまり原型とできあがりが変わってしまったので、元の方が勿体なくなってちょこっと書いてみました。
元々は、こんな感じの話だったんです。


モノカキさんに30のお題

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