(2003/05/29 09:15)
「俺さ、昔から不思議に思ってたんだけどよ」
不意に彼がそんなことを言い出したのは、既に幾度繰り返したのかも定かではない、戦闘訓練を終えたばかりのことだった。
俺達は黒煙を上げる戦闘機の残骸に囲まれて、回収にやってくるヘリコプターを待ち受けていた。
今回のお相手である試作品の無人戦闘機は、なかなかに手強い相手だった。
開発コードはPD-889-05、暗号名パンドラ。
災厄の名にふさわしく高い攻撃力を持ち、搭載火器を失った時点で敵に向かって体当たりを敢行するという、どこまでも凶悪な代物だ。
対空戦闘能力を持つ002と、変身対象によっては、同じく空をゆくことのできる俺とが、今回の実験へとかり出され ―― どうにか全部を撃ち落とすことはできたものの、いささかどころではなく疲れたというのが現在の状況であった。
煤だらけになって、むき出しの岩に腰を下ろした俺と、その横でぼんやりと立ち尽くしている002と。
いやはや、若いというのはたいしたものだ。あれだけ動き回った後で、まだ立っている元気があるとは。
そんな意味のないことをぼんやりと考えていた俺は、唐突な呟きに、ふと目をしばたたいた。そうしてから、002のほうを見上げる。
「なにがだい」
問い返しに、深い意味などありはしない。
言葉には言葉を返す。もはや役者としての習性のようなものだ。返事をしないでいると、まるで尻切れトンボの脚本を読んでいるような心地がして、据わりが悪い。
いい加減な返事だったが、彼は気づいていないようだった。あるいはむこうもまた、特に深い意味を持ってしゃべっている訳ではないのかもしれない。
長い前髪に覆われがちな目が、地面に散らばる破片を眺めている。
開発コードが記された、元は尾翼の一部だった鉄板。焼けこげたPDの文字が、かろうじて判別できる。
「パンドラって、確かアレだろ? 馬鹿な女が間違えて開けちまった箱に、最後に希望が残ってたとかいう」
どっかのおとぎ話。
正確にいえば、おとぎ話ではなく神話なのだが。いやしかし、この青年が聞きかじりとはいえ知っていたとは、いささか驚きだ。……などと言ったら失礼にあたるだろうか。
「パンドラというのは、その女性の名前だよ。そして彼女の持っていたのが災厄の箱だ。その昔、ギリシャの神プロメテウスが天界の炎を盗み、人間にそれを与えた。その罰として大神ゼウスはプロメテウスを高山の頂へと鎖でつなぎ、大鷲に内臓をついばませた。そして炎を与えられた人間の方には、災厄を詰めた箱を持つパンドラを派遣したのさ」
演劇などでも良くモチーフとなる題材だけに、この程度は考えるまでもなく口をついた。
「何も知らないパンドラは、好奇心に負けて箱の蓋を開く。かくして数多の災厄が世界中にばらまかれ、人はそれまで知ることのなかった多くの苦しみを得ることになった、と。そういう話さね」
教訓、好奇心で考えなしのことをすると、ろくな目に遭わないぞ、と。
おお、いささか耳が痛いかもしれん。
思わず肩などすくめてしまう。
と、002がこちらを見下ろしていた。
「そこだよ、わかんねえのは」
一本指を立てて、彼は唇を尖らせた。
「確か、慌てて蓋を閉じたから、箱ん中に希望だけが残ったってオチだったよな?」
「ああ」
オチという言い方はいかがなものかと思うが、確かに物語としての肝はそこだろう。
「それってさ、希望が悪ぃモンだってことになんねえか?」
「…………」
とっさに返すことができず、俺は口ごもっていた。
『希望』というのは、本来良きもののはずだ。実際、ただ一つそれだけが手元に残されていたから、人間は救われているのだと、そう言う解釈が通説である。
しかし、だ。
本当に希望とは良きものなのだろうか。
そんな思いが、脳裏によぎる。
希望とは、夢を見ることだ。
こんなことができたら良い、できるかもしれないと、そんなふうに未来を思いえがくことだ。それこそがあらゆる行動の原動力となる。
たとえばこんな ―― 兵器開発の。
どうだい? われわれのようなサイボーグの存在など、まるきり夢物語ではないか。最初にそれを思いえがき、できるかもしれないと考え、開発に着手したその発端は ―― それこそ『希望』のなせる技ではなかったか?
日々われわれの身体をいじくり回し、実験の成功に歓喜する科学者達。そのたび連中の瞳を輝かせるのは、紛れもなく希望の光なのではないか?
無邪気に夢を追いかける、そんな連中の残酷さは、この青年だって良く知っているだろうに。
「だいたいさぁ、蓋しめちまったら、その『希望』は箱ん中に閉じこめられたまんまだろ? それってヘンじゃねえか」
だからあの話、訳わかんねえんだよなぁ。
そう言って彼は首を傾げる。
箱から出ることで、人間世界にばらまかれた災厄。ならば箱の中に残った物は、世界に存在しないはずではないのか? と。
矛盾する物語。
矛盾する認識。
善か悪か、解放か拘束か。
納得のいかないことに、彼は首を傾げる。そんな彼の中には、『希望』を災厄だと考える発想など、存在しないのだろうか。
彼とて、裏切りや挫折を知らない、そんな無垢な人間でなどあろうはずもないのに。
「こんな話がある」
気がついたときには、口を開いていた。
「パンドラの箱に収められていたのは、本当は災厄などではなく、祝福だったのではないか、という解釈だ」
002が目をしばたたいた。
どこか子供のようなその表情を、俺はまっすぐ見つめ返した。
「パンドラは、ゼウスが人間を祝福するために使わされた美女で、神々がそれぞれに与えてくれた祝福を箱の中に入れていた。けれどうっかりその箱を開けてしまったがために、贈り物はみんな逃げだしてしまったんだとさ」
それは、ほとんど口から出任せのようなものだった。
確かに以前、どこかでそんな話を聞いたことがあるような気もする。だがその時は適当に笑い飛ばしてしまっていた。
なにを都合のいい解釈をと。
そんな人が良いだけの考え方で、素晴らしくも奥深き、あるいは人間の持つ原罪をも彷彿とさせる哲学的なエピソードを、どうか貶めてくれるなよ、と。
だが ――
「慌てて彼女が蓋を閉じたとき、箱の底に残っていたのは、たったひとつの『希望』のみ。それこそ、人間に残された最後の祝福なのである、と」
いかがかな?
上目遣いで見上げると、002は晴れやかに笑っていた。
「ああ、それなら納得がいくぜ!」
なるほど、へー、ふーん。
しきりに頷くその表情が、なんとも無邪気に輝いている。
前屈みになって膝に手をつき、俺は腰掛けていた岩屑から立ち上がった。
どっこらせっとじじむさい声が漏れたのはご愛敬だ。
002の横に肩を並べ、空を見上げる。
黒煙たなびくその向こうに、小さくヘリの姿が見え始めていた。目の上に手をかざし、それを眺める。002も気がついたのか、感心するのをやめて空を見上げた。
やがて、ローターの回転するバラバラという音が耳へと届く。
【モノカキさんに30のお題】
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