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 十 分裂 2
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
 
神崎 真


 それは、目の錯覚かたちの悪い幻覚だとしか思えなかった。あるいは失敗した特撮だろうか。
「うわー……ほんとに分裂してるし」
 カーキ色の制服を着た二課の隊員に守られながら、拓也は乾いた声でそう呟いた。なんというかもう、驚きを通り越して逆に平静になってしまっている。
「なんかの冗談にしか見えないよな」
 既に何度か目にしているのだろう。隊員の一人が苦笑混じりに言ってくる。その声にもどこか虚ろな響きがあった。
 手の長い小型の猿といった外見を持つ【妖物】が、そこここから彼らの方を見つめてきている。道端に積まれたコンテナの上や、建ち並ぶ倉庫の外壁を這う雨樋、あるいは十mばかりの先の道の上など、一定の距離を置いた先から、警戒するようにそわそわとした動きで顔を向けてくる。その動きもまた、テレビなどで見かける野生の猿そっくりだ。
 そんな、一種なじみやすい姿をした生き物が。
 増えるのである。
 なんの前触れもなく頭頂に細いくぼみができたかと思うと、それが見る見るうちに深くなり、身体の左右それぞれがそれぞれの方向へむけてゆらりと一歩離れる。まるでゴムでできた人形かなにかのように、毛皮が伸び ―― 二歩目を踏み出したときには、ぷつりと切れる。そしてまばたきした次の瞬間には、欠けたはずの部分が補われて、同じ大きさ、姿の二匹が何事もなかったかのように並んでいる。
 これがむしろ常識はずれのとんでもない姿をした【妖物】であるのならば、まだ納得がいくのだ。それこそRPGに出てくるスライムのような奴だとか、もっと想像しがたいような摩訶不思議な生き物であるとか、そんな感じであるのなら。
 それなのに。
「……骨格とか筋肉とか脳ミソとか、どうなってんでしょうね、あれ」
「考えるな、ボーズ」
 拓也の呟きに、同じく隊員の一人、がっちりとした体格の清水が答えた。
「そうそう、相手は【妖物】なんだから、考えるだけ無駄だって」
 後ろを守っている福田が同意する。
「そりゃまあ、そうなんですけど」
「でも、なあ?」
 気になるものは気になると、最初の隊員 ―― 久保田とうなずきあう。
「どうでも良いが、【歪み】はちゃんと探せよ。坊主」
 最後尾を歩む浜崎が声をかけてきた。
「あ、はいっ」
 一行の中ではリーダー格の言葉に、拓也は気を入れ直してあたりを見やる。


 着いた早々に仮設本部で指示を受け、拓也は地図を片手に担当区域へと送り出されていた。見て回らなければならないのは屋外だけでなく、建ち並ぶ倉庫の中も同様であったりする。日が暮れればそれだけ動きが制限されるだろう事を考えれば、明るいうちに少しでも作業を進めておくべきだった。
 それは判るのだが。
 延々と視界が及ぶ限り続いている倉庫の数に、拓也は思わず立ち尽くしそうになった。
 ……そりゃあ手も足りないはずだよなあ。
 しみじみとそう思う。本当に終わりがくるのか今回の仕事はと、世をはかなみたくなるぐらいだ。
 それでも、せめてもの救いは。
『 ―― 拓也くん、聞こえるかい?』
 ヘッドセットから、尾崎の声が問いかけてくる。
「はい、聞こえてます」
 慣れない機械をなじませるように、受信部を手で押しつけるようにした。もう一方の手で口元に伸びるマイクを動かす。いくぶん雑音が混じってはいたものの、尾崎の声は充分に聞き取ることができた。
『いま真藤が確認してみたところだと、120って書いてある倉庫の扉開けてすぐの所に、ひとつ【歪み】があるそうだ』
「120ッスか」
 答えながら目線を上げると、外壁に塗装された番号が目に入る。
「あ、ありました。見に行ってみます」
『よろしく頼むよ。じゃあ』
 ザッと砂嵐のような音がして無線が切れる。
「あっちだって?」
 通話を聞いていた浜崎が、行く手の倉庫を指し示す。
「はい。扉を開けたところだそうです」
 うなずいて、そちらの方へと足を向ける。
 連絡用にと渡された無線からは、時おりそんなふうに指示が入った。なんでもあの真藤課長は、本部にいながらにして、ある程度【歪み】の位置を調べることができるらしい。


 ―― 『ある』っていうことと、まわりのだいたいの様子は判るんだけどね、詳しい場所の確定まではできないんだ。


 相変わらず底の見えない笑みをたたえながら、そんなふうに言っていた。全部消せたかどうかっていうのもちゃんと判るから、安心して、とも。
 どうやら完全にしらみ潰しということはせずにすむらしい。もっともそうでもなければ、とてもやってはいられなかったが。
 120と大書された扉を横目に、脇にある通用口から内部へと入る。
 薄暗い倉庫のそこここから【妖物】の光る目が向けられた。戸口から射し込む光を受けて、何対もの光点がきらめいている。
「うーわー……」
 はっきり言って、かなり不気味だ。
 思わず後込みする拓也を守るように、浜崎ら二課の隊員が先に立って踏み込んでゆく。彼らが入っていくのなら、当然拓也も続くしかない。
 拓也はひとつ大きく息をすると、意を決して踏み出した。


◆  ◇  ◆


「坊主、下がってろ!」
 清水にそう言われるまでもなく、拓也は頭を抱えて彼らの背後へと逃げ込んでいた。
 壁の前に立たせた拓也を囲むように、隊員達は半円状に位置を定める。その手に構えられているのは警棒のように見える武器だ。手元から伸びたケーブルが、腰元のバッテリーへと繋がっている。対【妖物】用に開発された電磁警棒である。

 ぎききききっ きしゃぁっ

 耳に突き刺さる甲高い威嚇音が投げつけられる。
 陽が傾き、あたりが暗くなり始めるにつれて、【妖物】達の動きは活発になっていった。遠巻きにこちらの様子をうかがうばかりだったのが、徐々にその距離を詰め、近い場所から威嚇しはじめる。
 そして、いったいなにがきっかけとなったのか。
 一匹が大きく跳ねた瞬間、彼らは次々と連続して、拓也らの方へと飛びかかってきた。
 気合いと共に久保田が警棒を一閃する。青白い火花と共に、乾いた衝撃音と【妖物】の悲鳴が交錯した。そのほかの面々も、次々と襲ってくる【妖物】を同じように撃退してゆく。拓也は身を小さくして守られているしかない。
「ちょ、なんかヤバイんですけど!」
 ヘッドセットにむかって叫ぶ。
 たとえ一匹一匹は小さかろうと、数が尋常ではなかった。警棒の電撃で一時は退くものの、それらもまたしばらくすれば、動き始めるのだ。しかも一度手負いになった個体は、かえって凶暴さを増しているようにすら見えて。
「お、尾崎さん! 尾崎さんッ!?」
 懸命に呼びかける拓也の耳に、ザザッという空電の音が届いた。
『拓也くん』
「尾崎さん! なんか急に奴ら凶暴になってッ」
『落ち着いて。大丈夫だから』
「大丈夫って!」
 思わず叫んだ拓也に、尾崎は常と変わらない穏やかな口調で続ける。
『いま応援がそっちに行くから』
「応援!?」
『そう。ちょうどさっき、担当していた場所が片付いたんだ』
「って ―― 」
 通話の内容に気を取られて注意がおろそかになった拓也へと、隊員達の間をすり抜けた【妖物】が襲いかかる。ハッと顔を上げたときには、すでに鋭い爪が目前に迫っていた。
「坊主ッ!」
 誰かが叫ぶが、そんなものはなんの役にも立たない。
 硬直した拓也の目の前で、しかし【妖物】は引きつったように跳ね、そのまま地面へと落下した。細かく痙攣するその身体には、ミミズののたくったような字が書かれた呪い符が、小さなナイフで縫い止められている。
「オラオラ、気ィ抜いてんじゃねえぞっ!」
 ほがらかとさえ言えそうな声と共に、頭上から人影が降ってきた。
 深く膝を曲げて衝撃を吸収したフォンが、何事もなかったかのように立ちあがる。その肩には、小刀と呪符を構えたマオが、まるで荷物のごとく無造作に担ぎ上げられていた。
 ちなみに拓也達が背にしていたのは建ち並ぶ倉庫の外壁で、その屋根まではほぼ三階建てのビルに等しい高さがある。
 そんな場所から人ひとり抱えて飛び降りてきたフォンに、一同は状況も忘れてあんぐり口を開けてしまった。これを要するに彼らは、近道がわりとばかりに屋根の上を駆け抜けてきたらしい。
「あとはここと、水垣のオッサンとこだけだぜ。ちゃっちゃと片付けてとっとと帰るぞ」
 フォンの腕から降り立ったマオは、そう宣言して【妖物】の群を指し示す。その背後に立つフォンが、鈍く光る長大な刃を引き抜いた。
『もうあとちょっとだから、がんばってね』
 ヘッドセットからは、相変わらず穏やかなはげましの声が届く。
 周囲を見わたせば、突如現れた闖入者にいっとき遠巻きにはなったものの、数自体は明らかに増えつつある【妖物】の群、群。


「……とりあえず、もうちょっとだからガンバレだそうです」


 通信の内容を伝えると、浜崎らは疲れたように警棒を構えなおした。
「もうちょっと、ねえ……」
 そんな彼らをよそにマオとフォンは、楽しげとさえ見える動きで【妖物】の集団へとつっこんでいく。


「 ―― ラストひとつ、どこだ!?」
「あった!」
 視界の端をよぎった黒い靄に、拓也は思わず歓声を上げた。
「どこだっ」
 飛びかかってくる【妖物】をたたき落とし、久保田がそう問いかけてくる。
「あそこっ……なんだ、けど」
 指差して答えた拓也の声は、途中から尻すぼみに小さくなった。指先を追って見上げたマオが、あー、と嫌そうな声をあげる。
 彼が見つけた【歪み】は、地上十数mの高さ、立ち並ぶ倉庫の屋上付近に漂っていた。しかも建物からはいささか離れた位置。屋根に登って手を伸ばしたとしても、ぎりぎりで届かないだろう、そんな場所だ。仮に届いたとしても、磁力発生装置をつっこんで目盛りの調節などという細かい作業は、とてもではないが無理。
 ど、どうしよう……
 途方にくれた拓也に、清水から悲鳴混じりの声が投げられた。
「坊主、後ろっ」
「え……」
 反射的に言われた方向を振りかえった、その視界一杯に、【妖物】の鋭い爪が映る。
 しまったッ、ととっさに顔をかばった拓也だったが、次の瞬間、その目の前を銀光が閃きよぎった。鋭い刃が【妖物】を真っ二つに切り捨て、そして彼の身体にはなにかが絡みつく。
「う……わぁッ!?」
 腹にまわされたそれが、誰かの腕であることを認識するかしないかのうちに、拓也は襲いかかる浮遊感に悲鳴を上げていた。思わず身体を小さくし、手近なものへとしがみつく。
 驚くほど下に、ついさっきまで立っていた場所が見えた。
 ぽかんと口を開けて見上げている、久保田の姿がどこかおもちゃのようだ。その横でやはりこちらを見上げているマオが、口の横に手を当てている。
「消せ!」
 もう片方の手で目の前の空間を払うようにする。
 言葉の意味を考える暇もなく、頭に手が添えられた。ぐい、と方向を変えられた視界が、接近する黒い靄で埋め尽くされる。
「うぇええっ!?」
 反射的につき出した両手が、淡い光芒をまとった。能力が発動している証であるその光から、拓也は【歪み】の中へとつっこんでいく。無意識のうちに腕を振りまわし、大きく空間をかきむしるようにした。
 悪寒を感じたのはわずか一瞬のこと。
 【歪み】を突き抜けた二人の身体は、とん、と拍子抜けするほどの軽さで倉庫の屋根へと降り立っていた。
 曲げた膝でわずかな衝撃を吸収したフォンが、まるで荷物を下ろすかのような手つきで拓也をスレートに立たせる。
「…………」
 様子を確かめるように、顔をのぞき込まれる。無表情な目がしげしげと眺めてきた。腹の部分にまわされた腕は、支えるようにまだはずされていない。
「あ、あああ……ありがとうございますっ」
 びっくりした、びっくりした、びっくりしたーーーーっっ!!
 バクバク鳴っている心臓を押さえながら、なんとか礼を言う。間一髪で【妖物】から救ってくれたうえ、普通ではとても手の届かない【歪み】のもとまでつれていってくれたのだから、これは感謝するべきなのだろう。
 ……たとえなんの断りもなく、いきなり絶叫マシンなみの目に遭わされて、心底肝を潰す結果になったのだとしても。
 拓也の言葉に応じて、フォンの目がほんのわずか伏せられる。これはどういたしましてという意味 ―― らしい。
「お、おーい、大丈夫かー!?」
 地上から聞こえてくる久保田の声に、状況を思い出してのぞき込む。
「だ、大丈夫ッスー!」
 叫び返してから目を上げると、先ほどまで黒々とわだかまっていた【歪み】は、風に吹き散らされる煙のように、散り散りになって消えていくところだった。拓也の力があの一瞬で【歪み】を分解してしまったのである。磁力発生装置を使った場合、こうはいかない。
「あー……やっと終わった、かな」
 深々とため息をついて、その場にしゃがみ込む。
 【妖物】はまだ大量に残っているが、【歪み】を全て塞ぎ終えた以上、放っておいてもなんとかなるはずだ。戦闘能力など持ち合わせていない拓也の役目は、これで終了したと考えても良いだろう。


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