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 八 かくれんぼ 1
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/11/06 09:40)
神崎 真


 きらめく銀光が幾筋も宙にきらめいた。
 手のひらに収まるほどの小さなナイフが、次々と空を切り【妖物】の群へと襲いかかってゆく。
 それらはすぺてその飾り気のない両刃の刀身に、一枚づつの呪符を貫いていた。複雑な文字と紋様の描かれた呪符は、【妖物】の身体へと正確に縫い止められてゆく。
 大型のドブネズミにも似た【妖物】達は、きぃきぃと甲高く鳴きながら逃げまどった。隧道ずいどうの壁、天井を埋める群の中から、符を貼り付けた個体がぼとぼとと落下してくる。
「ああもう、フダが足んねえじゃんかよ」
 呪符を刺した小刀を指の間に挟み、青年が忌々しげに舌打ちした。その手を一閃させると、放たれた小刀と同じ数だけ、さらに【妖物】が落ちてくる。
「ったく、こういう数だけ多くてちまちましたのは、オレらにゃ向いてないってのにさ」
 そう言って青年は、なぁと背後の人物に同意を求めた。
「…………」
 声を掛けられた相手は、全くの沈黙でそれに応じる。
 青年よりもわずかに高い位置にあるその顔の、表情すら変えぬまま、ただ無造作に動かされる手。前触れもなく風を切った抜き身の大剣が、先の青年の肩口を掠めて突き出される。
「お、サンキュ」
 頬に触れる冷たい刃をおそれる気配もなく、青年は軽い口調で礼を言った。
 肉の厚い、見るからに重たげな両刃のつるぎ
 その切っ先では、いままさに襲いかからんとしていた【妖物】が、胴体を貫かれ痙攣していた。刀身を振って死骸を投げ捨てた男は、ちらりと一瞬だけ青年を見ると、すぐに群の方へと目を戻す。
「え、別に油断なんかしてねえよ。ちゃんと来るのは判ってたしさ」
 無視された形の青年は、しかし一人でしゃべり続け、両手首をこねるように捻った。すると指の間に再び小刀が現れる。どうやら袖の中に仕込んでいるらしい。
「ちゃんとお前が守ってくれたわけだし ―― って、そう言う問題じゃないって? はいはい、わっかりました。今度から気をつけますよ」
 相手の分までひとりで会話して、そうして青年も【妖物】の方へと向き直る。
 その物言いも、明るい表情も、まったく場の雰囲気とは相容れないものだ。
 彼らがいるそこは、闇と淀んだ空気とに満たされていた。
 地下深くに埋設され、日の光など一度も差したことがないだろう、閉塞された空間だ。とうの昔に廃棄されたとおぼしき、下水道の内部。かろうじて汚水こそ引いてはいるものの、あたりの空気は腐臭とじめついた湿気とで重苦しくよどんでいる。そしてその暗闇の中に浮かび上がるかのように、無数の光点がまたたきうごめいている。
 燠火おきびを思わせる赤い輝きは、群を成す【妖物】の、目。
 甲高い鳴き声がまるで潮騒のようにざわめき、地下の空気を震わせている。
 視界が確保されているのは、床に置かれた小型の投光器が照らす、ほんのわずかな領域のみ。明かりの範囲からはずれた場所では、光る目と揺れる黒い影がおぼろに浮かぶばかりだ。そしてそれさえも、ほんの数メートル目を奥に向ければ、闇に塗りつぶされてしまう。
 そんな、場所。そんな状況で。
 しかし青年は、どこまでも明るく飄々ひょうひょうとした態度で舌を回転させていた。
「どうもオレの見たところ、【歪み】はあの群の向こうにあるんだよな。どーする? 先に突破して塞いじまうか? それともまずこいつら片付ける方が良い?」
「…………」
「オッケー、了解。片付けちまお」
 相手の男からはやはり反応などなにも返らず、だが青年は楽しげに笑って己の武器を構え直した。それはたとえるならば、仲の良い友人を遊びに行こうと誘う、そんな子供の口ぶりだった。とてもではないが、危険な任務の真っ最中だとは思えない。
 これでも彼らは、特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課に所属する、対妖物処理のエキスパートであった。それも身に備わった特殊能力を武器に【妖物】と相対する、第一課配備の超常能力者達である。
 先刻から一人でしゃべっている青年は、符呪士ふじゅしマオ。中国に古くから伝わってきた、様々なまじなを扱う呪術者だ。その名や技が示すように中国生まれの彼は、しかし一見するとそこらにいるごくごく普通の若者でしかない。それはその日本語が実に達者なせいもあるのだろう。だがそれ以前に彼は、呪術だの特殊能力だのといった非日常的な事象とは、まったく無縁そうな見かけをしているのだった。
 たとえば脱色した明るい金茶の髪だとか、Tシャツの襟からのぞく不健康そうな薄い胸板だとか。洗い晒しのジーンズにひょろ長い足を包み、派手な柄シャツをひっかけた服装も、耳朶を飾る安っぽいピアスも、『政府の命を受け、人知れず任務をこなす超常能力者』などとたいそうな表現をされるよりも、盛り場をたむろするチンピラの兄ちゃんか、せいぜいフリーアルバイターとでも言った方がふさわしい、そんな雰囲気を漂わせている。
 だがほがらかに軽口など叩きながら、青年の手は休むことなく閃き、次々と【妖物】を射落としていっていた。その数はとうに二桁を数えている。いったいどれほどの小刀と呪符を用意しているのか。自身で数が足りないとそう言っていたくせに、その仕事にはまるでためらいがない。
 ―― 一方。
 青年の背後にいたもう一人は、数歩脇へ移動して前に踏み出していた。小型とはいえ大量に群を成す【妖物】を相手に、尻込みする様子もなく無造作に近づいてゆく。つと持ち上げた腕の先で、幅の広い両刃の大剣がぎらりと光をはね返した。本能的に危険を感じたのだろう。【妖物】達が先を争い逃げだそうとする。それを逃すことなく、男は地を蹴り群の中へと突っ込んでいった。重い剣が風切り音とともにふるわれ、逃げまどう【妖物】達を切り裂いてゆく。
 こちらの男の名はフォン。【特処】に所属する以前からマオとコンビを組んでいた、退魔剣士である。
 相方とは裏腹に寡黙を旨とするこの男、その肉声を聞いたことがある人物は、【特処】の内部でもごくまれだというから徹底していた。その表情すらも、めったに動くことはなく、彼の意志表現はもっぱらマオの通訳 ―― と、はたしてそう表現しても良いものか ―― 一方的な断言によって成されている。
 しかし彼は断じて影が薄いという訳ではなかった。それはおそらく瞳に宿る光のせいなのだろう。どこまでも物静かな、しかし確固たる意志を感じさせる双眸。陽に焼けた精悍な顔立ちに、マオより頭半分は高い長身。引き締まったしなやかな筋肉を備えているのが、着衣の上からでもはっきりと判る。
 特殊処理実働課第一課は、慢性的な人手不足を抱えているのだが、それでもある程度の人員はどうにか確保されていた。その中でもこの符呪士マオと剣士フォンは、その能力の確かさや任務達成の度合いから、指折りの腕利きとして高く評価されている二人なのである。


 大人の掌ほどもある幅広の刃が、耳障りな鳴き声を上げる【妖物】を二つに両断した。
 ぼとりと湿った音を立てて地に落ちた肉片は、みるみるうちに腐敗し始め、その輪郭を崩してゆく。
 見える範囲で動くものがいなくなったことを確認して、フォンは小さく息を吐き、振り下ろした剣を引き戻した。
「おー、早い早い」
 少し離れた場所にいたマオが、ぱちぱちと拍手してみせる。ある段階で小刀を投げ尽くしてしまった彼は、それ以降ずっと相棒の働きを見物していたのだった。
 確かにも武器もなく素手で【妖物】に相対するのは危険が伴う。いさぎよく身を引き仲間に頼るというのも賢明な判断であろう。
 しかしだからといって、壁際へしゃがみこんで膝に頬杖をついているというのは、いかがなものだろう。
「…………」
 わずかに目をすがめるフォンの前で、マオはよっと声をあげて立ち上がる。そしてぱんぱんと大げさな仕草で埃を払い、トンネルの先を指し示した。
「じゃ、いこうぜ。獲物はもう残ってねえし、なんならオレひとりでも構わねえけど?」
「…………」
「だからぁ、油断はしてないってば。ちゃんと、この目で、確認してるっての。この下水道ん中で半径300m以内には、もう一匹だって【妖物】はいない。マジだって」
 これこれと己の目を親指で示す。
「…………」
「なんだよ、信用ねえなぁ。お前だってオレの能力ちからは知ってるだろ?」
 唇を尖らせて歩き出すマオに、フォンはぴたりと影のように付き従う。
「はいはい、心配してくれてる訳ね。ありがとさん」
 拾い上げられた投光器の光が遠ざかってゆき、やがて灯りと二つの人影は、現れた曲がり角の奥へと消える。
 しばらくは二人分の足音と甲高いマオの声がばかりがあたりに響いていたが、それもやがては小さくなり、聞こえなくなった。
 再び闇に覆われたその場に残されたのは、地面に散らばる小刀と破れもみくしゃにされた呪い符が数枚。
 そしてもはや水気すらも失い、かさついた骨片と地面を汚すわずかな塵ばかりとなり果てた、【妖物】達の残骸ばかりで ――


◆  ◇  ◆


 ほうじ茶をすするずずず、というのどかな音が、特殊処理実働課のオフィス内に響きわたった。
 さらに煎餅をかじる音だとか、菓子の袋を丸める音だとかいった、およそ仕事場でおおっぴらにたてられるには不似合いな物音が次々と発せられる。
 もちろん室内では、まじめに仕事をしている人々がその大半を占めていた。電話の応対をする声や、書類を印刷するプリンタの動作音、あるいはせわしなく行き来する人間の足音などなど、本来ここにあるべき物音はというものは、確かに存在している。
 しかし ――
 きびきびと立ち働く人々に満たされたオフィスの一角。特殊処理実働課の第一課に所属する面々の机が集まったあたりには、いささか周囲から浮かび上がるような、奇妙な光景が展開されることもしばしばであった。
 本日もそこでは、変人の親玉と目されている真藤陽一課長を筆頭として、変わり者揃いのメンバーが、なごやかに茶と菓子を囲んでいる。
 それぞれの机もちゃんとあるというのに、何故か床の空いたスペースでレジャーシートを広げ、その上に直接腰を下ろしている彼らのまわりには、各種お茶のポットと菓子袋に、デリバリーのサンドイッチまで並んでいる。
 重ねて言うが、ここは政府機関が出資している事務用オフィスの内部であって、けして花見会場でもピクニックの現場でもない。
「あー、やっぱりお茶はほうじ茶に限るねえ」
 湯気の上がる湯呑みから口を離し、真藤がしみじみとため息を落とす。
「そっすか? 俺はどっちかっていうと玄米茶の方が好きだなぁ」
 そんな爺むさい答えを返したのは、自他共に認めるばあちゃんっ子の拓也である。幼い頃から祖母の手作り菓子で育ったこの少年は、年齢に似合わず好みが渋い。
「私はやっぱりコーヒーが良いわ。香りが違うもの」
 あいかわらずかっちりとしたパンツスーツに目元を覆うバイザーグラスという、この場にふさわしいんだかどうなのか今ひとつはっきりとしない服装の志保は、ブラックコーヒーを注いだカップを手に、香りを楽しんでいるようだった。顔の輪郭すら透かすことのない濃い色のバイザーが、立ち上る湯気でほのかに曇っている。
「このクッキーは誰かの手製ですか」
 甘さ控えめで実に旨いですがな、などと呟きつつわしづかみにしてゆくのは、いがぐり頭のおっさん ―― 水垣みながき辰之介だ。既に五十の坂にある彼は、第一課設立当初から【特処】に籍を置く、課内一の古株である。その能力はというと、密教だか修験道だか陰陽道だか、はっきりいって余人にはよく判別がつかない。とりあえず現場に出るときは山伏のような格好をしているのだが、本日のところは一応、くたびれたワイシャツに背広という姿であぐらをかいていた。
たつさんはやっぱり、酒の方がいいんでしょうね」
 クッキーの皿を押しやってやりながら、尾崎がそう問いかけた。彼は先ほどから茶を淹れ直したり、菓子を取り分けたりと、まめに立ち働いている。
「いやそれが、こないだの検診でどうも肝機能がやばいと医者におどされてましてな。当分酒は控えろとのお達しなんですわ」
 ほんだから、こったらもんを食っとるわけで。
 ぼりぼりと音をたててかみ砕く。
「ああ、そのクッキー、少し残しておいて下さいね」
 真藤が辰之介に注意した。
「マオが戻ってきたとき残ってないと、絶対文句言うだろうから」
「ああ、マオさん、出てるんですっけ」
 拓也が思いだしたようにあたりを見わたした。その視界内にあの目立つ金茶の頭は見あたらない。
「うん。最初は辰さんにお任せしようと思ってたんだけどね」
「ああいう数が多くて手間がかかるのは、若いモンのやる仕事です」
「地面の下だと、志保さんにも向かないしね」
 辰之介と真藤が代わる代わる言う。
「けど相手の数が多いって、マオさんちょっとまずくないです?」
 拓也が首を傾げた。
 あの青年が武器とするのは、もっぱら小刀と呪い符である。どちらもさほどの数は持ち歩けないし、狙いを定めるのにも手間がかかる代物だ。実際、戦闘能力に関して言えば、マオはさほど高い方ではないのである。
「ま、そのへんはフォンがフォローするでしょ。彼の強さは【特処】イチだからね」
「そうなんですか?」
 拓也の返答が意外そうな響きを宿す。彼がこのバイトを始めてから数ヶ月の間に、あの二人と組まされたことも幾度となくあった。確かにフォンは強いと思う。そのふるう大剣は容赦なく【妖物】達を切り捨てていくのが常であった。しかし破壊力という点からすれば、巨大な水蛇をも難なく両断してのける、志保の風刃の方がよほどすごいと思うのだが。
「ああ、拓也くんはまだフォンのアレを見たことがないんだっけ」
「……アレ?」
「そう、アレ」
 にこにこと笑ってみせる真藤のまわりで、志保と辰之介が不自然に沈黙した。それぞれのカップや湯飲みを運ぶ手が、微妙に揺らいでいる。
「あの二人は、ちょっとばかり特殊だからね」
「はぁ」
 周囲を気にせずあっさりと言う真藤に、拓也は気の抜けたような返事をかえした。
 それを言うならば、一課の人間は誰もが大なり小なり特殊な部分を持ち合わせている。それは拓也自身とて例外ではないだけに、そう言われるとなんとも答えようがなかった。
「だいたいマオの呪符なんて、基本的にはおまけみたいなもんだし。うちが彼をスカウトしたのは、あくまであの『目』が欲しかったからだもの」
 ああ、その点では拓也くんとちょうど逆だねえ。
 【歪み】の存在を視認できるからとバイトを持ちかけられた結果、それを消すことができるという想定外の能力を発揮したのが拓也。おかげで給料は上がったが、そう簡単には辞められなくなってしまったといういきさつもあるのだが、まぁそれはさておき。
 そんな拓也とは逆に、マオに期待された異能はあくまでその視認能力がメインであって、彼がもともと生業としていた符呪士という職は、ことこの【特処】においては、補助的な役割しか果たしていないのであった。
「そういえばマオさんが仕留めた【妖物】って、単に動けなくなってるだけで、最後にはいつもフォンさんがとどめ刺してたっけ」
 フォンが使っている大剣は、いったいどういう仕組みになっているのか。あの剣で切られた【妖物】は、見ている間に干涸らびて、乾いたごみのようにぼろぼろになってしまうのである。マオの呪符によって動けなくなっている【妖物】達を、無造作に刺し貫いて歩くフォンの姿は、見ていてあまり気持ちの良い光景でもなかったのだが。
「あの二人は、ずっと二個イチで扱うって約束で勧誘したからね」
 そう締めくくって、真藤は再び湯呑みへ口をつけた。
 ずるずると行儀の悪い音をたてて茶がすすられる。
 異なる現場へと別々に向かわせることはもちろん、たとえ今後組織の改変が行われるようなことになったとしても、けして違う部署へと引き離して配属するような真似はしないと保証する。
 数年前彼らをスカウトした際において、それが真藤の提示した条件のひとつであった。
 通常の職場であれば、そんな甘ったれたことなどと、そうたしなめられて終わりそうなその条件も、この特殊次元・特殊生物対策処理委員会の、それも特殊処理実働課第一課内においては、そういうものもありかと認められうるものとなっていた。
 重ねて言うが、第一課に所属する特殊能力の持ち主達は、常に人材が不足しており、そして程度の差こそあれ皆がそれなりに事情を抱えている。
 故に、あの二人は一方が一方のストッパーを果たしているのだと、そんなふうに説明されたならば、皆がそれなりに理解し、納得せざるを得なかったのである。

(2003/09/21 14:58)
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