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 四 彼女は木曜にしか働かない
 特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課
 創作小説を書く人に十のテーマより】
 ― Makoto.Kanzaki Original Novel ―
(2003/08/09 15:04)
神崎 真


 片桐らい(七十六歳)の毎日は、それなりに忙しいものだった。
 十年あまり前に息子夫婦を失った彼女は、その忘れ形見である孫と二人暮らしをしている。連れ合いとも早くに死に別れ、たった一人の息子が結婚して孫が産まれたと喜んだのもつかの間。交通事故で嫁もろとも息子を亡くした時には、気丈な彼女もさすがに己の幸薄さを呪ったものだった。だがいまだ歩くのがやっとという幼児を抱え、いつまでも悲嘆にくれていられるほど、世の中甘くはなく。
 幸い ―― というのも業腹だが、数年間は息子達の生命保険と賠償金で暮らしてゆくことができた。しかし金とは使えば当然減ってゆく。らいには着物を仕立てるという技術もあったが、しかし和服を着る者がほとんどいなくなった昨今では、それもほとんど収入には繋がらなかった。
 成長するにつれ、孫の服はどんどん小さくなるし、小学校に上がればやれ授業料だ給食費だと、出費がかさんでゆく。
 算盤片手に倹約に努める日々が続いていたが、それでも彼女は孫にそんな様子を見せることを、よしとはしなかった。子供を育てるのは大人の努め。そしてたとえ己の食を削ってでも、子供には明るくのびのびと育って欲しい。らいはそういう信念の持ち主であった。
 毎朝、孫が起きるより早くに目を覚まし、ご飯と味噌汁に焼き魚と漬け物を用意。孫が学校へ行った後は掃除に洗濯、買い物に出かければ安くて栄養価の高い食事を作るべく食材を吟味し、育ち盛りの孫用に手作りのおやつを作っておく。破れた服は繕って、直しきれないものはほどいて雑巾やあて布用に再利用。夕食の内容を考え始める頃には、泥だらけになった孫が帰ってくる。
 今日はあれがあったこれがあったと話すのを聞くのは、彼女にとっても楽しいことだった。そうやって明るく元気な孫を見ていると、彼女の方も元気が出てくるように思えるのだから不思議なものだ。
 夕食の片づけを終え、洗濯物を畳み終えれば、すっかり世間も暗くなり、年のいった彼女にはそろそろ眠くなる時間だ。そうして彼女の一日は終わりを告げ、翌日もまた同じように繰り返されてゆく。


「 ―― だからね、贅沢言ってるとは思うんだけどさ」
 熱い茶をすすりながら、らいは深々とため息をついた。
「いいえ」
 卓袱台の向かいで座布団に正座した女性が、小さくかぶりを振って答える。
「お孫さんを大事になさりたいというお気持ちは、よく判りますから」
 彼女は隙のないスーツに身を包み、赤く染めた爪で湯呑みを持ち上げていた。湯気のあがる玄米茶を、自然な仕草で口元へと運ぶ。
 そうして半分近くに減った湯呑みを置いて、再び先を続けた。
「正直、ご無理を申し上げているのはこちらです。片桐さんはかなりのお年ですし、現場に出るのはなにかと危険もあるかと存じますが、その点は力の及ぶ限りお守りさせていただきますので」
 どうかよろしくお願いします。
 そう言って頭を下げる。
「美紗子ちゃんにそうまで言われたら、こっちも断れないよ。正直言うと、うちも苦しいしね」
 苦笑いするらいに、女性 ―― 美紗子も小さく笑った。
「もちろん充分な報酬は出させていただきますわ。その程度の予算はもぎ取ってますもの」
 ご安心を、と胸を張る。
「あらあら、頼もしいこと」
 今度は心からとおぼしき笑顔がこぼれた。しわの寄った手が、口元を軽く押さえる。
 そうして年齢の異なる二人の女性は、卓袱台を挟んでしばし明るい笑い声をたてた。


◆  ◇  ◆


 その日の拓也は、珍しく早い時刻に帰宅していた。
 幼い頃は何も考えず毎日友達と遊びまわり、日が暮れる頃に家路へついたものだったが、小学校も上級生になると、そろそろ周囲は勉強へと身を入れるようになってくる。やれ塾だ習い事だと、放課後も拘束される知り合いが増え、遊びに誘ってもなかなか仲間が集まらない。拓也自身はさほど勉強に興味などなかったのだが、それでもまわりの皆に置いて行かれてしまうという焦りはあった。
 祖母とも相談したところ、ならばとりあえず様子を見てみようと、週に一度隣町の塾に通ってみる話になった。どうしても性に合わないようなら、またそれで考えようと。
 それからそろそろ二ヶ月になるが、まぁさほど嫌気も差すことなく、順調に塾通いは続いている。確かに勉強は楽しくもなかったが、学校の友人とはまた違う顔触れの知り合いができるのは、それなりに嬉しかった。
 そんなわけで毎週木曜日は、拓也の帰宅も遅いのが、ここしばらくの日常であったのだが。
「ばぁちゃん、いないの?」
 講師が風邪を引いたとのことで、本日は急遽休みとなってしまった。高い偏差値を狙う進学塾であれば、誰かしら代わりをたてたであろうが、拓也の通うところはもう少しなごやか雰囲気のところでもあり、今日のところは帰って良いということになったのだ。
 突然時間が空いたわけだが、今さら遊びに誘う相手もいないし、塾の友人達ともなんだかんだで都合が合わず、結局はまっすぐ帰宅することになってしまった。
 しょうがないからマンガでも読もうかと、玄関に手をかけたのだが、そこで拓也は首を傾げた。引き戸に鍵がかかっていたのである。
 これは滅多にないことで、祖母は拓也が帰宅する時間にはいつも家にいて、笑顔でおかえりを言ってくれていた。たまに買い物などに出かけていることもあったが、その際も玄関に鍵などかけたりせず、茶の間にちょっと他出しているむねメモが残してあるといった具合である。
 珍しいこともあるものだと、裏にまわり勝手口から中に入る。
 そうして祖母を呼びながらひととおり見てまわったが、やはり留守のようであった。茶の間や台所にもメモらしきものは置かれていない。ますます珍しい ―― というより、異常ですらあった。
 帰宅すれば祖母がいて、温かく迎えてくれる。それが拓也にとって当たり前の毎日だった。両親などいなくても、寂しいと思ったことは一度もない。だが祖母の存在がなければ、拓也の日常は成り立たなかった。
 もしや何かがあったのだろうか。そうは思っても、拓也の発想では、その何かを具体的に想像することなどできなかった。事故であれば鍵がかかっているはずもないし、誰かから急ぎの呼び出しを受けたとしても、なにかメモぐらいは残っているのではないか。
 自身が予定外に早い帰宅をしたことも忘れ、拓也はパニックを起こしかけていた。
 茶の間で呆然と立ち尽くしていた彼の耳に、固いものの触れあう音が届く。びくりと肩を震わせた彼は、続く一瞬でそれが玄関の鍵を開けている音だと気がついた。
「ばぁちゃん!?」
 脱兎の勢いで茶の間を走り出る。
 廊下を踏み鳴らして走り寄ってくる孫の姿に、外出着を着たらいは、あらと目を見開いた。
「どうしたの拓也。塾だったんじゃないのかい?」
 おっとりと問いかけてくる。
 その声にはどこか疲れたような響きが滲んでいた。しかしその時の拓也には気が付く余裕などなく。
「ばぁちゃんこそどこ行ってたんだよ!」
 怒ったような声で問いつめる拓也は、半ば泣き顔になっていた。自他共に認めるばぁちゃんっ子の拓也である。相当に心細かっただろうことは、その顔からたやすく想像できた。
「ごめんごめん。拓也が帰るまでには、ちゃんと戻るつもりだったんだよ」
 ちょっとあがって座らせておくれよ。
 そう言ってかまちに腰を下ろし、草履を脱ぐ。唇を尖らせながらも拓也は脇に置かれた巾着を拾い、立ち上がる祖母へと手を貸した。


 とりあえず温かいお茶を入れて、二人は茶の間に腰を落ち着けた。煎餅をかじりながら座っていると、拓也も落ち着きを取り戻し、うろたえていたのが恥ずかしくなってくる。
「出かけるなら出かけるで、前もって言っておいてくれよ」
 手元に視線を落として訴える。両耳が心なし赤くなっていた。手のひらを温めるように湯呑みを持ったらいは、悪かったよともう一度謝る。
「実はね、拓也が塾に行く日は、いつも午後から出かけてたんだよ」
「え……そうなの?」
 初めて聞く話に、拓也は目をしばたたいた。そんなことになど今まで全く気づいていなかったのだ。
「知り合いの人の紹介でね、臨時の仕事に出てるのさ。週に一回、木曜日だけね」
「聞いてないよ、そんなの」
「まぁね、あえて言うほどでもないと思ってたからさ」
 微笑むらいだったが、実際にはもう少しきちんとした理由がある。端的に言えば、他所で口にされると困る職務内容であるため、子供には教えない方が良いと指示されたためだった。らいとしても、あまり色々尋ねられると答えにくいため、気が付かないなら気が付かないで良いだろうと考えていたのだ。
「どんな仕事なの?」
 案の定そう訊いてきた拓也に、らいは口の前に指を立ててみせた。
「それは内緒だよ。仕事の話はよそでしちゃ駄目なんだ」
「よそじゃなくてうちじゃんか」
 不満げに頬を膨らませるが、それでも説明してやる訳にはいかない。
 拓也自身も不在の理由ははっきりしたことで、ある程度満足できたらしく、あまりしつこく追求してくることはなかった。とりあえず祖母の身に何かがあったわけでも、彼女が悪意をもって不在にしたわけでもないと、それさえ判っていれば良いらしい。
 べったりと祖母に甘えきっている拓也少年であったが、しかしそんな彼の帰宅が遅くなる日のみ働かせて欲しいと、そう要望を出して通してしまったらいのほうも、実はしっかり孫馬鹿な祖母であったりした。


 ―― 彼女が勤務している先はもちろん、【特処】こと特殊次元・特殊生物対策処理委員会特殊処理実働課第一課。当時の一課課長である遠野美紗子は、らいの古い友人の姪であり、そのつてで彼女の持つ特殊能力を知るに至っていた。
 特殊処理実働課に、異能力を持つ人員を雇い入れ始めて、数年。
 深刻な人手不足に悩まされた美紗子が、機材に頼ることなく次元の歪みを視認できるらいに協力を要請したのは、やむにやまれぬ成り行きであった。高齢のらいには週に一度の任務もかなりの負担だったはずだが、それでもその収入があったおかげで、片桐家の二人は安定した暮らしを続けることができたのだった。
 しばらくののち、拓也もらいの能力を受け継いでいることが真藤により確認されたが、らいは孫を現場に出すことを頑として拒んだ。
 子供を育てるのはあくまで大人のつとめであり、大人である自分が健在である以上、子供に働かせる訳にはいかないのだ、と。
 彼女の意志は尊重され、いまだ人手が不足し続けている間も、美紗子は拓也に協力を要請しようとはしなかった。


 そして、その方針はらいの死後も継続され、彼らはあくまで拓也の意思を優先した。
 事前に職務内容の説明を行い、実際に現場へも同行した。彼には勉強という学生の本分もあるのだし、らいと同様、時おり協力を願い次元の歪みを捜してもらおうと、そういう話になっていた。
 現在の状況が、いささかそれとは異なる様相を呈しているように思われるのは ―― それはそれで、一応の理由があったりする。
 そう。一応の理由、が。

(2003/08/09 18:25)
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